Political Criminology

「テロ」対策は「外国人」管理から

新たな指紋押捺制度が示す差別体制

「前夜」NEWS LETTER(2008年2月)


 日本に入国する特別永住者を除く16歳以上のすべての外国籍の人は、入国時に指紋と顔写真を記録させられる。2007年11月20日から導入された新たな「テロ対策」は、外国籍の人にのみ生体情報の提供を義務付けている。

 この制度は2006年の通常国会で可決された入管法改訂にともなうものである。当時、こうしたかつての指紋押捺制度の新たなる復活に対して警鐘を鳴らす市民団体を除き、この制度が問題にされることはほとんどなかった。いとも当然のように、効果的な「テロ」対策として受け入れられてしまったのである。

 しかし、少し考えればすぐわかるように、これは深刻な差別を内包した制度である。第一、「テロ」対策だとしたら、外国人に限ってそうした制度を導入することについて、論理的な説明も筋の通った正当性も、まずあり得ない。それに、いわゆる「テロリスト」を識別するための指紋リストなどというものは、世界のどこにも存在しない。そもそも各国政府は、それぞれの国内の政治的な思惑から、恣意的に「テロリスト」というレッテルを貼っている。したがって、そこに統一的な定義づけを見出そうとするのは無理である。現実的にも、各国の当局と緊張関係を強いられる人びとの指紋情報が、一般に使用可能な情報となる可能性は極めて低い。つまり、どのみち、入国する外国籍を有する人から指紋情報をとることは、「テロ」対策とは縁もゆかりもないのである。

 それにも関わらず、こうした制度の導入によって、「国内をテロの脅威から守れる」という安心感は増すらしい。政府閣僚が相次いでそのような発言をしているし、空港でインタビューを受けている人びともそのような声をメディアに晒している。ということは、今の日本社会には、「外国人」=危険という先入観が厳然として存在し、外国人さえ統制すれば社会は安全である、と考えるような極端な外国人排斥思想がはびこっていると指摘されても止むを得まい。

 指紋データベースは、もともと19世紀末に、犯罪捜査の場面などで威力を発揮するとして英国で開発された個人識別のための技術である。日本は、比較的初期からこの手法を監獄の管理や警察の捜査に応用した、いわば指紋先進国に属する。指紋情報によって何を識別しようとしたかといえば、そこでは植民地出身者の識別と管理が目指されていたという指摘が古くからある。つまり植民地支配のための技術でもあったのである。2000年に廃止されるまで続いた日本の指紋押捺制度がやはりこの技術を応用したのも、そうした背景があったと考えてよいだろう。

 この制度で影響を受ける範囲は自国民ではない。したがって権利保障措置の手もかからない。その一方で、国内の治安感覚への直接的な働きかけができる。実は、日本だけでなく、欧州でも、米国でも、入管政策による外国人管理を強化しようという動きは、2000年以降加速しているのである。

 世界規模で現在起きている排外主義はその表れである。「テロ」を口実とし、国内にいる人びとそれぞれの排除的な思考を拡大させているといえるだろう。

 排除型に変容した社会は常に生贄を求める。「外国人」という概念は、その格好の餌食となる。実際には身の回りで何ら被害にあったことがなくても、「外国人」という一般的なイメージに対する不安感を増大するように仕向けられれば、社会不安は、そうした印象操作により、増大する。それが導き出すのは、不安を拠り所にした統制強化であり、自由への制限である。

 新たな指紋押捺制度の復活に対して、旧来の永住者たちを中心に不満が高まっている。批判の声も止むことはない。しかし、その一方で、排除が進む現在の日本社会は、まさに、「前夜」の様相を呈しつつある。

Home | Profile | Mail | PGP

    Autopoiesis and Law Internet as Rights Lecture



    NGO

    アムネスティ・インターナショナル日本




teramako