Political Criminology

日本でのCSRという言葉の使われ方

名古屋NGOセンター会報「さんぐりあ」vol.79(2008年8月)


CSRとは、「企業の社会的責任」の英語略称である。しかし、日本の社会では日本語名称がつかわれることよりも、「CSR」という用語のほうが通りがよいようである。よく内容がわからないところがまたいいのかもしれない。

グローバル化する世界と企業

20世紀末以降、CSRはグローバル化する世界経済の中で重要な役割を持つ概念として取り扱われてきている。その背景には、経済活動の主力を担う企業の活動のインパクトが、国境を超えて世界規模に及んでいるという認識が広まってきたことがある。ナイキの東南アジア工場での強制労働、カカオ豆をめぐる西アフリカでの子ども奴隷、南アジアに蔓延する児童労働、紛争とかかわっているアフリカ諸国や中東の天然資源など、企業活動でいずれもグローバルな課題が、現地で起こっている人権侵害と分かちがたく結びついている状況を浮き彫りにした。

グローバルにその事業を展開している日本企業もその例外ではない。いや、それだけでなく、資材などの調達を海外に求めている場合も含めると、今やあらゆる企業活動がこうしたグローバルな課題と結びついていることになる。したがってサプライ・チェーンを取り扱う調達方針をCSRの観点から理解することが、ますます重要になってきている。

サプライ・チェーンのリスク管理

企業は、通常、直接の納入業者や下請けを把握して管理している。もちろんここでの管理の最大の課題は、品質を維持しつつコストを削減することである。そこに他の要素、たとえば紛争にかかわる物品を扱っていないか、とか、児童労働や強制労働にかかわっていないか、といった確認項目を込めようとすること自体、相当に大変な努力であろう。しかし、グローバルな課題についての企業に対する視線がますます強まっている現在、企業としてもリスク管理の面から調達経路などを管理する必要性はこれまでになく増している。そこで、企業としては主に法務部門や調達部門に対して、そのようなリスクの回避を指示することになる。

法務部門が行い得る管理は、結局のところ、既存の法令などの基準に適合しているかというコンプライアンスの観点からのものでしかない。表面上、法令違反などが見当たらなければ、それ以上の追及はしにくい。一方で調達部門も、直接の納入業者などについては一定程度管理できるとしても、それをさかのぼって管理することは大変な労力を伴うため、コストの面からも実施は難しい。しかし、サプライ・チェーンの上流で起こった紛争や貧困にまつわる人権侵害などの事例は、最終的に当該企業の評判リスクに大きな影響を与えることになる。サプライ・チェーンが冗長化し、グローバルに広がっている現状では、企業がそうしたリスクに出会ってしまう確率は確実に上がってきていると言えるだろう。つまり、サプライ・チェーンにまつわるリスクは、企業側がどんなに気をつけようとも回避できないものになりつつある。

企業は往々にして、調達にかかわるリスクは、調達部門で処理させようとするが、ことサプライ・チェーンの管理に関しては、調達部門が単独で責任を持つ段階の話ではない。むしろその企業の経営戦略として、どのようなサプライ・チェーン・マネジメントの体制と方針を持っているかが問われている。たとえ膨大なコストをかけて最上流までを管理しきったとしても、それによって得られる結果は「リスク回避」のみであって、当該問題の解決ではない。企業の経営戦略として、どのようなサプライ・チェーン・マネジメントの体制と方針を持っているかが問われることになるが、「社会的責任」という観点で考えるならば、回避するよりも、当該問題の解決の一助に助力するほうがまだしもまし、ということになるだろう。そのような十分な考慮の上で、その地域コミュニティに向けた問題意識を喚起したり、現地に対する支援活動などが進められるのであれば、一定の意味があるといえるかもしれない。それを考えることそれ自体が、その企業の社会的責任なのである。

責任を果たさない企業は、その資格を問われる

日本では、CSRを社会貢献と同義だと誤解する傾向が、依然として根強く残っている。従来行われてきた社会貢献活動は、「余裕があったら、何か良いことをしましょう」という理解の下で進められてきたといってよい。しかし、企業の社会的責任とは、そのように企業の恣意的な事情で左右できるものではない。責任を果たさない場合は社会の一員としての資格を問われることになる。社会貢献という言葉と企業の社会的責任という言葉とは、その厳しさ、リスクの深刻さにおいて格段の違いがある。

日本の企業がCSRを「何かよいこと」として捉えている限り、社会的責任を果たせる体制にたどりつくのは至難の業である。おそらく、現在の日本社会は企業に対して経済的動機にもとづく圧迫は加えていても、社会的責任という形での圧力は与えてきていないと考えられる。それを見越しつつ、企業は、企業の社会的責任にかかわる本質的な問題を避け続けている。だとすれば、日本の市民社会を担うNGOやNPOは、そうした社会的責任に基づく視点を企業に厳しく問いかけ続けることが必要であろう。

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