Political Criminology

人権委員会を真の意味での監視機関に

「民主」79号、80号(2003年4月)


 人権擁護法案が再び上程される動きになっている。人権擁護を進めるためには、国内の人権機関の体制作りが急務である。しかし、これまでに明らかにされている法案には、本質的に大きな問題がある。

 国内の人権侵害の救済を担当する人権機関については、国連人権委員会決議1992/54「国内機関の地位についての国連原則」(通称:パリ原則)が国際的なガイドラインとなっている。アムネスティの経験では、国内人権機関が効果的なものとなるかどうかは、このガイドラインや、その他の重要な要素を満たしているかどうかで決まってくるといっても過言ではない。

 今回の法案は、この国際的なガイドラインから大きく外れている。それだけでなく、人権擁護のための最も重要な点が抜け落ちているといわざるを得ない。

 国内人権機関が必要となってくる最大の意義は、公権力による人権侵害に、適切に取組み、救済措置を講じることにある。公権力による人権侵害は、本来人権を守るべき立場にあるはずの主体によって引き起こされる。そのため、被害者は、侵害の当事者である公権力に救済を求めわけにはいかない、という根本的な構造的問題を抱えている。だからこそ、他の人権に関する問題とは切り離された、特殊な取り扱いが必要なのである。そのために、そのような公権力から独立した機関として構想されたのが国内人権機関である。

 法案は、公権力による人権侵害について、他の一般の人権問題と同様の解決枠組しか与えていない。国内人権機関を効果的なものとするには、公権力による人権侵害に対する有効な対応策を、具体的かつ詳細に規定しておくことが、まず何よりも優先されなければならない。

 また、法案に人権に関する総合的な規定がないことも問題である。ここでいう総合的規定というのは、条約などの国際的に認められた人権基準の遵守についての記述を指す。つまり、人権が普遍的な価値であり、その擁護には国際的な取り組みが必要なのだということが認識されていない。

 それが、どのような実際的問題につながるのか。実は、人権の保護に関する審査のメカニズムは、国際的な仕組みとしてすでに出来上がってきている。人権に国境はない、というスローガンが示す通り、今や人権に関する問題は、国内の手続では完結せず、国際的な場でも様ざまな形で語られるのである。国連人権委員会でも一般的な問題として取り上げられ得るし、自由権規約委員会をはじめとする各条約機関では、政府報告書を審査するという形で、日本を含めた各国の人権状況を検討し、勧告を出している。政 府には、その勧告を実施するという責任があるのである。

 今回、名古屋刑務所で発覚した受刑者に対する拷問、虐殺事件だが、すでに1998年の自由権規約委員会の席上で、アムネスティや他のNGOの努力により、日本の拘禁施設における虐待の事例や問題点が繰り返し指摘されていた。決して新しい問題ではなく、古くから存在し続け、具体的な改善策が講じられてこなかった問題なのである。それを受けて、自由権規約委員会は、拘禁施設での処遇についても日本政府に対する勧告を出し、あわせて国内人権救済制度の設置を求めた。これが、今回の国内人権機関設置の動きの源流のひとつでもある。ところが、現在の法案には、こうした国際的議論の積み重ねの成果が見られない。

 刑務所の処遇改善については、今回の事件が示す通り、勧告以後も、具体的な改善策は講じられなかった。この点については明らかに、法務省と法相に不作為の責任がある。また、人権の概念そのものについても、国際的に出来上がっている基準との整合性が見えないままである。

 国内人権機関に求められるのは、ひとつには条約などに規定された内容の国内での実施を担保することであろう。そのためには、国内人権機関が扱う「人権」とは、国際的な人権の概念を明確に反映したものとして規定されるべきである。法案は、この点も、あいまいなまま触れずにいる。

 しかし、何よりも最大の問題は、現在の法案は、国内人権機関の独立性を担保していないことであろう。国内人権機関は、本来、憲法的に規定され、あるいは立法府によって直接任命されることもある、極めて独立性の高い機関である。執行機関である行政府の一部では全くない。たとえば、各条約機関が政府に提出を求める政府報告書について、国内人権機関はその執筆をおこなってはならない。逆に、政府から独立した監視機関としての報告を提出することができるのである。それほどまでに、行政府との関係を画することが意識されている。

 にもかかわらず、法案は、人権委員会を行政府たる法務省の外局として位置付ける。これは国内人権機関のそもそもの本質を無視した発想である。公権力による人権侵害の当事者である当局の外局として人権委員会を位置付けるということは、その判断の公正さが外部からも疑われる結果となる。現に、1998年の自由権規約委員会では、現行の人権擁護委員の制度は法務省の監督下にあることから、人権救済機関としては認められないとされたのである。

 この問題は、たとえば、人権委員会の事務局の人員の本省と人事交流をなくす、といったレベルの改善策では解消できない。あくまでも、行政府当局とは系統が異なった組織としなければ、その存在意義を問われることになる。また、その陣容に関しても、事務局レベルも含めて、執行側に属する検事どを配するようなことは断じてあってはならないし、人権委員会委員の任期や身分保障も十分講じられていなければならない。現在の法案は、その点がはなはだ不十分で、行政府に対する監視機関であるという点が、ほ とんど忘れ去られている。

 最後に、国内人権委員会が担うべきもうひとつの重要な任務として、取り上げた事件につき、必要があれば、裁判にかけることができる、ということがある。現在の法案は、一般的な人権侵害事件について、調停などをおこなえるとなっているだけだが、公権力による人権侵害を法廷の場で問うことについては、より強化された権限が与えられなければならない。刑事事件についても、たとえば付審判請求に近い形態を考える余地があるだろう。また、国内手続を尽くした上で、なお救済が必要と判断した場合には、国際的な枠組みに訴える機能も構想してよいだろう。この点では、現在日本がまだ加入していない、自由権規約の選択議定書に規定された個人通報制度などが考慮されるべきだし、昨年末に成立した拷問等禁止条約の選択議定書に規定された査察制度も、関連する国際的な手続となり得る。

 以上、現在の法案の問題点を指摘してみた。これらを考え合わせると、現段階でこのような法案を通すことは時期尚早である感を否めない。人権擁護のための重要なステップを踏むのであれば、現在の法案を抜本的に修正し、国際基準に沿った形で組み立てなおす努力が払われなければならない。

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