Political Criminology

新型コロナ問題に関する国連ガイダンス

国連事務総長の「新型コロナ問題と人権」報告書と国連ガイダンス文書

「診療研究 2021年4月号」


寺中 誠(東京経済大学)

 新型コロナ(COVID-19)の動きが見えて以降、国連の動きはかなり素早かった。国連だけでなく各国際機関もいち早く人権に関わる施策の方針を打ち出すことに力を入れた。最も最初に動いたのはアフリカ連合だったが、他の機構も、さらには国連は、独立専門家や各種条約機関の動きなどを率いながら、次々と声明を出し、人権の政策の重要性を説いて回った。

 国際機関がこれほどまでに素早い反応を示したのには、もちろん理由がある。感染症対策には、大きく分けて、二つのフェーズがある。一つ目は当然ながら感染症そのものへの対策である。特にCOVID-19の場合は、感染が活発に起きる時期が感染初期一、二週間の症状が出ていない時期も含むことから、感染対策においてもこの一、二週間の時間差を考慮しなければならない。この時間差が感染対策の有効性を確保する上で問題を複雑にしている。感染症対策として講じられた措置は、その結果が発揮されるまでに相当の期間を置くことになる。当然のことながらその期間にさらなる感染が進行するので、ウイルス自体に働きかける有効な措置が見つからないと、本当の意味で蔓延を終息させることができない。そしてそのような措置は未だに発見されていないのである。現状、感染症研究者たちは、感染状況の数理計算モデル化を通じて、このウイルスの感染期間のズレを考慮した感染規模の予測を対策の基本としている。

 だが、それ以上に大きな影響を社会的に及ぼすのは、二番目のフェーズである社会的対策のありようである。社会的対策は、多様であり、その波及する範囲もより広くなる。特にグローバル化による人の移動が拡大した今日では、人同士の接触による感染の伝播が、ほぼ時間を置かずに地球規模の広がりを見せることになる。実際、今回のパンデミックを惹き起こしたのは、このグローバル化した社会の構造自体によるところが大きい。

 このことは、社会的対策が、今や一地域や一国の内部で収束できないことを示している。近代以前の感染症対策は、感染者を隔離することで、社会全体への蔓延を防ぐという手段を用いていた。しかし、その社会自体の規模と構造が、グローバル化の流れの中で一国家によるコントロール可能な範囲を大きくあふれ出す。現在では、もはや一国の政策によって世界的な蔓延を抑止することはできない。まさに現代のパンデミックは、この世界的問題である。

 しかし、しょせん主権国家のただの集合体という域を出ることができない「国際社会」は、それぞれの主権国家、それが置かれている社会が抱えている問題にこれを契機として個別に直面することとなる。各国は常にそれぞれの問題を抱えている。したがってパンデミックに際しての対応策にも、それまでの政情を如実に反映した動きを見せることになる。

 国連事務総長が、いち早くCOVID-19と人権に関する報告書をまとめて発表し*、国連人権高等弁務官事務所がCOVID-19と人権に関して、テーマ別にガイダンス文書**を発表したのは、既に以前から存在している諸問題が今回のパンデミックを契機として形を変えて表れることを警戒したからである。中でも、差別の問題は深刻である。既存の社会に蔓延していた差別が、より先鋭化した形で一気に噴き出すことで、そこの社会の基盤が破壊されてしまう危険がある。この差別に基づく攻撃(ヘイト)の対象は、感染症の問題に関係するものに限られるわけではない。むしろ、既存の社会の中で培われたヘイトの噴出は、感染症とは無関係の事象も含めて、既存の社会の歪みをそのまま反映しがちである。

選別と隔離

 もちろん、感染症に関わる差別も深刻な状況にある。隔離政策が中心に置かれていた時期において、医療に関わる人員や、感染者およびその家族等に対する差別はしばしばみられるところである。実際、日本でも精神疾患やハンセン病罹患者に対する厳しい選別と隔離の政策が採られ、社会からの永久隔離、解放の禁止、強制堕胎、さらには司法の統制の及ばない施設内での一方的制裁などが横行していたことが、最近になって大きく報道されるようになっている。しかも、今に至っても、日本政府は当時における誤った措置に対する責任を十分にはとっていない。施設内に設置された特別法廷による刑事裁判について、違法で「患者の人格と尊厳を傷つけた」として最高裁が2016年4月に報告書にまとめて謝罪した。しかしこの段階では違憲性は認めなかった。2020年2月27日、熊本地裁は施設内に設けられた特別法廷における死刑判決である菊池事件をめぐる判決において違憲性を認めた。しかし、国の賠償責任は認めず、未だ充分に被害者に対する責任が果たされている状況には遠い。

 疾病に関する選別と隔離という施策は、それ自体、自由の制限を伴うだけでなく、基本的人権に抵触する多くの問題を生じる。すなわち、必然的に基本的人権に対する制約の典型事例となる。特に、いかなる場合でも制約してはならない絶対的自由に属する、拷問や虐待の禁止原則などに関わる可能性がある。したがって、選別と隔離の手段を用いる場合は、慎重にその手段と範囲について、目的の正当性と手段の必要性、目的と手段の合理的関係、さらに手段が疾病防止と均衡しているか否か、あるいは他に採るべきより権利侵害性が少ない手段の検証が行われる必要がある。

 選別と隔離については、COVID-19対策においても主張されることがある。また、各国の施策の中でも似た構造を有する政策が採用されることがある。基本的な構造としては、他の疾病に関する施策と同様の権利制約の原理の検証を必要とするが、前述したようなCOVID-19の感染特性が関係するタイムラグを考慮した選別は、PCR検査を含めて考えても、隔離とのセットで考えられる場合は、慎重さに欠けると言わざるを得ない。すなわち、COVID-19への選別と隔離の政策がどの程度まで有効かについては慎重な見極めが必要だし、パンデミック下では、隔離の結果行われる医療のための資源確保が各国で大きな問題となっている状況である。

 社会的政策と言うと、経済政策との関係を重要視する人々もいるが、生命が関係する感染症対策の場合、感染症対策の結果に対する経済対策は問題にし得るが、感染症対策そのものと通常の経済政策とを天秤にかけるべきではない。生存権の保障や福祉的政策はそれぞれ経済政策とは別に対応すべき問題であり、その点を拡大しなければならない状況は想定しておく必要がある。ただ、ここで問題となる社会的政策とは、あくまでも感染拡大を抑えるための対外的接触の抑制や移動に対する制限であり、移動の自由をはじめとする基本的人権に対する制約をどう考慮するかという問題である。

医療関係者や必要不可欠な作業を担っている人びとの権利の保障

 COVID-19に関わる人びとの中で最も感染の危険性を意識せざるを得ないのは、医療関係者および福祉関係者である。感染者や重リスク者との接触が避けれないこうした人びとに対する忌避的な感情が特に日本などでは表に出てきているようである。国連のガイダンス文書や報告書でも、まず守るべき人びととして取り上げられているのは同じだが、忌避感情は表立って出ているわけではなさそうである。しかしよく調べていくと、たとえば英国での第1期流行では、英国の医療関係者の感染や死亡はBAME(Black Asian Minority Ethnicity)階層に集中するといった、英国社会がそもそも抱いていた人種・民族的な階層構造を如実に表した結果となっていた。貧困も同様の階層に集中していることを考えると、社会そのものに差別が組み込まれていたとも言えるかもしれない。

 また、#STAYHOMEの掛け声(場合によっては命令)とともに家に籠った人びとが増大したが、そうした人びとの生活を裏付けるための配送サービスや福祉サービスは、常に感染と隣り合わせの危険な職場となった。そうした中、社会内の人種差別的な対応を受けて感染し、死亡する事例も増えることとなった。エッセンシャル・ワーカーなどの呼び名で呼ばれるそうしたサービス業の従事者はしばしばヘイトのターゲットにされ、上記と同じBAMEに属する人びとや女性などが多数であった。

BLM(ブラック・ライヴス・マター)

 お分かりのように、このターゲットとなっている人びとは、感染症の感染経路とは直接関係がない。一部の国では感染経路の特定にかなり成功したとされているが、それはわずかなケースにすぎず、ほとんどの感染経路が不明か市中感染だと考えられている。したがって今回の感染症のパンデミックとヘイト攻撃との間に因果的な関係は無いと言ってよい。あるのは、誰かを攻撃の対象として社会の不安定さの憂さを晴らす、あるいは現実のパンデミックの状況を冷静に受け止めることができない社会的な病理構造である。

 一部の国ではスマートフォンを用いた追跡アプリによる感染経路追跡の努力も見られたが、結局、感染後に遡って追跡する際には一部力を発揮したものの、予防効果には結び付かなかった。社会内の絆の強さのほうが、結局は感染防止への道筋には役に立っているのではないか、という指摘もある。

 そうしたねじれた状況が最悪の形で姿を現したのが、あたかも南北戦争時の奴隷制が復活したかのような、米国の黒人に対する警察権力の濫用であり、一時は軍の出動や、議事堂選挙にまで至ったトランプ政権末期の様相である。黒人階層に対する攻撃が激化し、殺害行為やなんということもない小さないざこざで簡単に人の命が奪われる状況がこの21世紀の米国に出現した。

 実際、米国憲法修正13条を利用した事実上の奴隷制が横行していたと一部では指摘されているように、黒人差別という典型的な「差別」が南百年もの間社会の奥底に流れていた現実が表明化したことになる。

 これを契機として、社会からマイノリティとして排除されてきた人々の運動が活性化したのもまた事実である。ただし、そのことは、マイノリティ差別がそこまで常態化していたということの裏表でもある。そして、米国のBLMが瞬く間に世界中に広がり、他の排除されるマイノリティ(アジア系嫌悪やトランスフォビアやイスラムフォビアなども含めた)との連帯を獲得したことは、こうした差別構造に基づいた社会構成が世界中にみられるという、あまりうれしくない現実でもある。

ターゲットされるアクター

 国連のガイダンス文書は、国連人権高等弁務官事務所が各人権条約機関や人権に関わる国連特別手続(特別報告者や作業部会、独立専門家などの総称)のこれまでの研究成果をまとめた分書であったが、COVID-19のパンデミックを受けて、多くの条約機関や特別手続が新たに声明などの形で懸念を表明した。まさに、感染症に対する社会的政策に基づく人権侵害の危険が差し迫ることを先取りしたのである。実際、社会的政策を講じる際には、最も脆弱な社会階層を視野の中心に入れなければ、結局は全員の生命に影響が出てくる危険があるからである。

 子どもに関して活動している国連児童基金(ユニセフ)は、ガイダンス文書に加えて、ユニセフ独自のガイドラインを打ち出し、各国の協力を要請した。子どもの権利条約にある「子どもの最善の利益」や子どもの意見表明権/参加権の重要性を説いた。移動範囲の狭い子どもと、活動範囲の広い青少年とは当然のことながら、感染リスクに果たす役割は異なる。それぞれに合わせた感染対策が必要だし、同居親族との感染という危険も常に念頭に置かねばならない。一方で、長期間にわたる自宅への巣ごもり生活は、精神的ストレスを増加させやすいだけでなく、家庭内の暴力にさらされやすい子どもの安全上も好ましくない。家庭内の問題を抱える家庭への支援のニーズはこれまでにないほど高まったと言えるだろう。そして、医療面における近年の新自由主義の進行により、今回医療資源の枯渇という危機に瀕した各国は、福祉面においても、予算カットの影響を直接被ることとなるのである。

 労働者の権利においても、オンラインによる遠隔作業が増えることにより、効率性重視の増加とそれとは逆のこれまで必要だったオンサイトの作業の軽視が進行することとなった。オンライン作業を可能にする技術的側面の制約も国や社会ごとに異なる。当然、経済のグローバル化の推進力となった先進諸国が様々な利を得やすく、発展途上の国や地域は、感染症対策の場面でも不遇を囲いやすくなった。

 これら、国連のガイダンス文書が特に重視した脆弱な層の中には、性的マイノリティも含まれる。COVID-19のパンデミックを受け、いわゆるSOGI(性的指向と性自認)に関わる問題についても警戒が必要だと認められた。世界各国、各地域に根深い差別観が残っているため、各国社会で無視されたり、危険な立場に置かれることが懸念されるためである。

 このように国連のガイダンス文書と国連事務総長によるCOVID-19と人権の報告書は、悩ましい現代社会の構造的問題を列挙し、今回のパンデミックが、これまでの近代社会が見ないように押し込めてきた数々の問題が依然として解消しておらず、われわれの社会の行く末に依然として立ちはだかっていることを印象付けたのである。

自治体の条例による差別防止

 パンデミックが宣言される以前も含め、コロナ禍においては、国際的な動きだけではなく、各自治体の独自の動きも目立った。当初こそ、県境などを閉鎖して封じ込めを狙うような動きもあったが、その後次々と作られていった各自治体の方針や条例では、新型コロナにともなう差別をしないようにと記すものが多い。本来的には、国レベルで統一した差別禁止を打ち出すべきではあるが、包括的差別禁止法も国内人権機関も設置できていない日本の状況下では、各自治体の独自の動きにより、実質的に差別の排除が実現するのであれば、次善の状況であるとは言えるかもしれない。

 ただ、首都圏や大阪圏などの大都会における人の動きの制約は極めて難しく、緊急事態宣言を発令してもその効果は極めて限定的なものとなってしまっている。特にそうした地域において感染者が依然として増加を続けており、数々の変異体の登場によりワクチン開発でも後手を打っているのが現状である。

 偶然的な幸いで、死者数の規模が欧米に比べれば大きく抑えられているとは言われているが、感染症対策と社会的対策の双方において、ほとんど無策とも言える政策の陣容では、各自治体における個別的かつ具体的な方針に基づいた施策を追求するべきなのかもしれない。少なくとも、基地問題などを除けば、国内に武力を伴う紛争を抱えていない日本の現在の状況は、このパンデミックに対応する上でのメリットにはなっていると考えられる。

直接関わらない紛争への波及

 このような言い方をせざるを得ないのは、世界には、このパンデミック下で、却って国内の紛争が激化している国々があるからである。米国のトランプ前政権の末期の混乱と議事堂占拠にも表れたように、政治的紛争は、しばしばこうした社会不安を利用して状況を拡大させることがある。ビルマ(ミャンマー)における軍事クーデターと市民への攻撃、ロシアやベラルーシでの政治的反対派に対する現体制側の弾圧、香港問題に端を発する中国内外政の硬化と弾圧、パレスチナ地域へのイスラエルの攻撃の激化、インドによる周辺諸国との緊張関係の増大など。パンデミックに直接関わる動きではないのだが、少なくともCOVID-19のパンデミックで各国とも余裕がない状況を突くように、世界情勢の大きな変化が訪れつつある。

おわりに

 国連や世界各地域の政府間機関が、このパンデミックを契機として相互に協力体制を敷くことができれば、さまざまな意味で歴史的な一歩を歩みだすことも可能だろう。一方、このパンデミックに対応できず、各国ごとの利権に終始する政策を選ぶなら、COVID-19の洗礼を克服することは難しいと言わざるを得ない。

 COVID-19は、単なる感染症である。人類はこれまで幾多の感染症との戦いを続けてきた。この感染症も完全な克服が困難だとしても、やがてこの状況に適合した生活を人間社会は生み出すことになるだろう。ただ、その状態にたどり着くまでにどれほどの人命が失われ、被害が及ぶのか。

 あくまでも私見ではあるが、このパンデミックを、素直に近現代の人権保障の脆弱性が表れた証左と受け取り、社会的対策の面について、人権保障体制の充実を図ることこそが今必要とされているのではないだろうか。

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