Political Criminology

企業が問われる本当の社会的責任とは

アイソス2005年5月号 No.90(May)掲載


20年前、インドのマードヤ・プラデーシュ州のボパールで大規模な化学ガス流出事故が起きた。事故直後で7000人余りが死亡。その後の数年間にさらに15,000人が死亡し、重い後遺症に苦しみながら放置された人びとは10万人にものぼると推計されている。

事故後、被害者たちは被害補償を政府や企業に対して求めたが、賠償は認められず、被害者たちは依然として苦しみの中に取り残されている。インドの司法システムにも、また米国の司法システムにも訴え出たが、いずれも被害者の救済には至っていない。

この大規模な被害を引き起こしたのはユニオン・カーバイド社。現在はダウ・ケミカル社の傘下にある。ボパール事故から20年を経て、その賠償と企業と政府の責任を追及する声が世界で高まっている。しかし、化学工業の多国籍企業として世界に冠たる存在であるはずのダウ・ケミカル社には、この責任を受け入れようとする姿勢が見られない。

また、インド政府も、空気と水の大規模な汚染状況についての調査結果を公表しておらず、健康被害の調査も進んでいない。

大規模な事故が引き起こした被害は、それに対する適正な救済策、対応策が講じられなければ、事故とそれへの対応という問題を超えて、人権問題として取り上げるべき問題を引き起こす。まさにボパールの事故は、そうした人権問題として捉えられるべき問題である。具体的には生きる権利、健康に対する権利など、世界的に認められた人権が、企業や政府の活動により侵害されているという状況が続いているのである。

企業の社会的責任が、企業活動の重要な指針として取り上げられるようになり、ようやく企業も人権を意識しないではいられなくなった。日本などでは、依然として環境問題への取り組みだけが企業の社会的責任の内容だと理解されている向きもあるが、すでに世界的には人権の問題を避けては通れなくなっている。国連が提唱したグローバルコンパクトでも、人権、労働、環境の 三要素すべてを企業の社会的責任の内容として位置づけている。

現代の企業は、世界各地でその活動を展開している。したがって、人権問題についても、企業は世界のどこででもそれに出会う可能性がある。その可能性そのものを避けようとしても、企業活動の隅々までを完全に事前に把握することができない以上、それは事実上無理である。それに、何と言っても、企業活動そのものが人びとの生活基盤に深刻な影響を与えている面も否定できない。つまり、企業活動は必然的に「人権」の問題を扱わないではいられないの である。

人権を含めた企業の社会的責任の国際的な標準化作業が、いくつかのレベルで進行中である。この標準化は、企業が自主的に社会的責任を果たすための基準を示すことを目的としている。しかし、本来の企業の社会的責任というのは、企業が基準を守るといったことで実現されるものではない。具体的な問題にどのように向き合い、対応したかが問われるのである。むしろ、そうした対応の責任を明示した法的文書が必要とされている。

そのような法的な文書として現在国連で検討されているのが、2003年の国連人権小委員会で採択された「企業の人権責任に関する規範」と呼ばれるものである。これは、これまで環境や経済の問題として扱われていた問題を人権の問題として捉えなおし、改めて企業の社会的責任を明記した画期的な文書である。今、世界各国および企業に必要とされているのは、こうした法的文 書を世界共通の規範として促進することである。

一向にボパール事件の責任をとろうとしていないダウ・ケミカル社は、つい最近、今度は中国に大きく進出する発表した。世界規模で展開する企業には、常に企業ブランドを傷つけかねない危険が隣り合わせにある。今後、その危険とどう向き合い、人権擁護の姿勢を打ち出すのか。企業の社会的責任では、標準を守ることよりも、現実にこれからの問題を解決する気があるかどうか、が問われているのである。

企業が人権の社会的責任を果たすとき

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