Political Criminology

条約刑法としての国連越境組織犯罪と共謀罪

「法と民主主義」2006年11月号


国連条約の問題

 国連の越境組織犯罪条約は、2001年に国連総会で採択された。その案が成立した場所の名をとって、パレルモ条約とも呼ばれる。一般的な犯罪行為を世界的に処罰するための条約は、ハイジャック防止条約などすでにいくつか存在しているが、本条約はそれに連なって組織犯罪に対する包括的な処罰とその国際的な協力体制を規定した条約である。

 組織犯罪対策の標準化は、90年代を通じて先進国首脳会議の場などで主な議題となってきた。組織犯罪が世界的な広がりを見せ、各国別の処罰の統一化と、それによる犯罪人引渡しの事務の容易化が必要になっている、という認識がその根底にある。

 組織犯罪対策として、当初目指されたものは、資金洗浄(マネーロンダリング)などの国際的な仕組みへの対応である。先進国首脳会議でもその点が重要問題として浮上していた。そこで、条約は、処罰するべき行為の共通化と捜査における協力を推進するために立案された。

 条約立案過程は、主に資金が通過する先進諸国が主導した。先進国首脳会議の流れを反映し、資金が犯罪組織に流入するのを防ごうとする意向が強く働いたのである。一方で、組織犯罪が生まれる背景ともいえる社会不安や政治不安に対する対策などは盛り込まれていない。

 組織犯罪への対応については、本来、当該社会の中での構成員のアフターケアなども視野に入れなければならないが、この条約はあくまでも、治安維持当局と対立する犯罪組織を、国際的な連携によって抑え込もうとする、攻撃的な条約である。

 この条約は、その起草過程において、ウィーンに置かれた国連薬物・犯罪事務所(UNODC)と各国の法執行機関が関与する形で策定された。多くの国際人権基準とは異なり、起草過程にNGOなどの関与はない。いわば法執行機関、特に捜査機関の側の連携が目指された条約だといえるだろう。つまり、本来的に、国際的な刑事手続の保障を確保するよりは捜査の利便性が優先された構成となっている。むしろ国際刑事司法共助を補完するべく設計された制度だというべきかもしれない。

 しかし、条約では、2条のbと5条、6条、8条、23条において、国際的に共通する処罰規定を置くことを要請している。この点が、今回問題となっている、共謀罪法案につながっている。本来、捜査共助だけであれば、処罰規定の一元化までは必要ない。しかし、この条約は、国際的に同一罪種を処罰できるようにすることで、犯罪人引渡しの処理を簡易化することが目指されている。だからこそ、「条約刑法」と呼ばれるのである。

 しかし、条約刑法を、各国の法制度の中で実現する必要性はどこまであるのだろうか。

「戦争」と犯罪対策

 何らかの社会的な政策が「戦争」のアナロジーで語られることはままある。「交通戦争」や「麻薬戦争」といった言い回しは、当局の積極姿勢を象徴するものとしてしばしば紙上をにぎわせた。犯罪対策も、国家の資源を動員するという点では戦争と相通ずる側面がある。

 1990年代を通じて検討されてきた越境組織犯罪条約が対象としていたのは組織犯罪であり、各国政府の資源動員もそこに向けられていた。だが、その当時、この動きを主導していた政府の一つである米国は、コロンビアにおける「麻薬戦争」を戦っていた。そこでは文字通り、国内の犯罪対策のために国家の軍事的資源を動員した作戦が展開されていたのである。ここには、米国流の「安全保障」に対する感覚が影響しているように思われる。

 当初、組織犯罪対策として理解されていた越境組織犯罪条約は、2001年になって、「テロリズム」対策の一環として再定義される。9月11日の同時多発攻撃とそれに続く「反テロ戦争」宣言の影響が大きい。再び持ち出された「戦争」という用語は、しかし今回ははるかに重大な意味を持っていた。実際に軍事力を動員した対策が、組織犯罪対策の概念を越えて条約を性格づけたからである。

 「戦争」は、そもそもが権利の例外的な一時停止期間としての意味を持っている。戦争中は、平時であれば認められるような個人の権利の行使が制限される。それはあくまでも非常時体制であり、平和が回復するとともに制限が解除される、という前提がある措置である。

 「反テロ戦争」がこれまでの「戦争」と根本的に異なっている点の一つは、この「戦争」が明確な「敵」を見出せておらず、その結果として、「戦争」の決定的な終了の契機が定められていないことにある。まさにブッシュ米大統領が言ったとおり、「この戦争は長くかかる」のであり、いつ終わるとも定かには知れないのである。となれば、必然的に、「戦争」にともなう例外的な権利制限措置は恒常化することになる。

 これに加えて、いわゆる「テロリズム」には、国際法的な定まった定義がない、という問題がある。何らかの形で「テロリズム」に関係する条約は13あると言われているが、国際法上、何をもって「テロリズム」とするかについての統一的な定義はまだない。結果として、この用語は極めて恣意的に利用されることになる。政府は自らに対する反対派をこの用語を用いて批判し、一方で反対派もまた、国家の側をテロリストとして名指しする。

 こうした情勢の中で、越境組織犯罪条約は、当初の組織犯罪対策という側面から、「反テロ」を標榜する国際的な治安対策の中心ツールとして再編成された。この「組織犯罪対策」から「テロ対策」への転換が、その後の越境組織犯罪条約の性格を大きく規定することになる。ここで目指されているのは、「反テロ」を旗印とした各国法制度の統一化であり、世界的な取り締まり体制の構築である。いうまでもなく、これは、かつて米国が「麻薬戦争」などを通じて採用していた「安全保障政策としての治安対策」の姿である。

治安対策の要としての「テロ」対策

 現代の治安対策を構築する上で、鍵となる概念として援用されているのは「テロ対策」である。しかし、この治安対策が本来的には刑事司法共助の文脈に置かれている越境組織犯罪条約と連動するには理由がある。それこそが、日本の共謀罪法案でも示唆されている問題である。

 2001年9月21日未明、アルジェリア国籍のロフティ・ライッシが、英国で逮捕された。2000年に成立した反テロ法にもとづく措置である。彼は7日後にいったん釈放された直後、今度は米国への引渡し令書を根拠に再逮捕され、最厳戒囚としてベルマーシュ刑務所に収監された。この引渡し令書が出されたのは、米国政府が、彼が9.11のパイロットのインストラクターだったこと、またアルカイダとの「共謀」があったことを証明できると主張したためであるといわれている。しかし、実際にはそのような証拠が米国から示された上で引渡し令書の発布があったわけではなく、発布理由は些細な免許手続規則違反であった。その後5ヵ月後に英国の裁判所の判断で釈放されるまで、彼は獄中にあった。

 この事例がいみじくも示しているのは、共謀行為は立証して立件するべき犯罪事実というよりは、国際間の外交的な強調の中で、米国へのとりあえずの身柄の引渡し理由として機能しているという点である。グアンタナモ基地での収容や米軍の秘密収容所に関する国家間移送の問題に見られるように、現在の米国の外交政策は、治安対策と安全保障政策に傾斜している。そこでは、米国を中心とする安全保障体制の中に、必要に応じて、各国から人びとの身柄を送り込む、あるいは外部で処理できるような体制こそが模索されている。「共謀」という罪名は、こうした国家間協力をとりあえず機能させるために有効な措置であると理解されている。

 この国家間協力を側面で支援するのが、入国管理体制である。2006年の通常国会で、共謀罪とともに入国管理法の改訂がなされたのは、その意味でも象徴的であった。現在世界各国で入管法の改訂が進められている。国際的な捜査共助体制が構築され、それが入管法によって支えられることで、国際的な封じ込め政策が樹立されるのである。

 「敵」が誰かが判然としないような「戦争」という概念が導入されることによって、非常時は恒常的なものとなった。治安対策は、今や軍事力と不可分のものとなり、外交政策にまで影響を及ぼし始めている。国境によって封じられていた従来の刑事法の権利保障の体系は崩れ、各国の公権力がむき出しの形で国境を越えてあふれ出始めた。共謀罪の導入が現在模索されているのは、そのような状況に対する日本の公権力の対応なのかもしれない。

 しかし、権利保障の体制を回復するためには、国際的に標準化された攻撃的な治安立法が必要なのではなく、権利保障の標準化こそが必要なのだという理解を今一度確認する必要がある。条約刑法に関して言えば、本来の組織犯罪対策に必要な範囲の刑事司法共助にもう一度帰るべきだし、その対策にしても、構成員の社会復帰を含めた社会全体によるケアを構築する方向で再検討されるべきだ。

 罪の数を多くすれば必然的に犯罪者は増える。必要なのは、加害者と被害者とを問わず、どのようにして犯罪から人びとを救うかである。

参照拙稿

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