『煉獄のパスワード』(8-6)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第八章 《時限爆弾》管理法 6

 サイレンの音が止んだ。中庭ではガヤガヤと人声が高まった。

 智樹は瀬高に断って、いったん部屋の外に出た。丁度、小山田警視が先頭に立って、ビルの正面入口を入って来るところだった。開け放たれた入口から、中庭に制服警官が立ち並んでいるのが見えた。地元の静岡県警からの応援部隊であろう。警官に取り囲まれて、塾の制服を着た数人の男達がしょんぼりと立ちすくんでいた。

 智樹は機先を制して、声を掛けた。

「やあ、小山田さん。ご心配をお掛けしました」

「ご無事でしたか、影森さんは……」

 足下に倒れた二人の黒ダブルの男に気付いて、智樹の顔を見る。

「殺してはいませんよ。この二人は麻酔弾で眠っているんです。二階にも一人」

「それで、……こちらで銃声が響いたとか」

「はい。それは、この部屋です」と智樹は塾長室を指しながら、

「その前に、ご相談が」と小山田を脇へ手招きした。

 瀬高の件である。それと華枝のこともあった。たまたま共に山城総研の人間であったが、智樹は、この二人を表面上は捜査対象にしないように頼んだ。

 小山田は直ぐに了解した。ただし、一言質問があった。

「でも、なぜ山城総研の専務が」

「瀬高さんは山城証券の常務も兼任する立場です。多分、この塾の資産管理が絡んでいたのでしょう。詳しいことは、これから聞きます。隣の応接間をしばらく借りますが」

「どうぞ、どうぞ」

 小山田は、石神、野火止の両刑事にスタジオ関係の捜索を命じ、自分は田浦刑事と一緒に塾長室に入った。智樹は瀬高に合図して、隣の応接室に移った。

「瀬高さん。警察とは話が付きました。ここで一寸待ってて下さい」

 そういって智樹は二階の二〇九号室に戻った。ノックをする。

「こちらヴァルナ」

「はい。こちらミトゥナ」

 鍵を回し、ドアを開ける。

 窓から中庭を見ていた華枝が、ゆっくり振り返った。涙ぐんでいる。

「無事だったのね」

「うん。もう大丈夫だ。今度こそ本当に安心してインド旅行に行けるよ」

「ウフフフッ……」

 華枝は泣き笑いの表情を見せた。

「一緒に行こう。風見が車の中で待っている」

「そうなのね。意地悪。つい先刻まで、私、風見さんも一緒だってことは知らなかったのよ。私、トモキが一人だと思って文字通信を送っていたのに。何か恥ずかしいことなかったかしら」

「ごめん、ごめん。なにもなかったよ。ヴァルナとミトゥナの関係が分らないもんで、風見がしきりと勘ぐっていたけどね。それだけだよ」

「ウフフフッ……。風見さんのことだから、きっと後で調べるわ。何だかプライバシーを侵された感じ」

「良いじゃないか。少し当ててやった程度のことだ」

「まあッ」華枝はパッと赤くなって、目の隅で智樹をにらんだ。

 中庭に出ると華枝は、智樹の顔を正面から見据えて首を横に軽く振った。

「いやよ。今は一人にしないで」

「分るよ。あの安全なマンションまで、ちゃんと送り届けるよ。なんなら一晩泊まって添い寝しようか」

「ウフフフフッ……」

 鉄門越しに見ると、智樹の車が道路の反対側に止まっていた。達哉が運転して回したのであろう。智樹は華枝を抱きかかえるようにして道路を渡り、後部座席に座らせた。そして、笑いながら達哉に言った。

「おい、風見。お前はモータリゼーション反対で、免許証を捨てたんじゃなかったのか」

「うん。技術的には忘れていないから問題ないが、法律的にはやはり無免許運転になるな。まあ今回は、非常事態の緊急避難だから、これぐらいは許されるだろう」

「これだから、もう。お前の主義主張も怪しいもんだな。アハハハハッ……」

「アハハハッ……。もう一つ、合法的なこともやったんだよ。煙が出る以前に火事を発見して一一九番に通報したんだ。これは市民の義務だからね」

「そうか。あれはお前か。いやに早いと思っていたんだ。ハハハッハッ……。助かったよ。有難う」

「お前のとは違う銃声が聞えたようだったが、大丈夫だったのか」

「うん。俺は大丈夫だ。角村と清倉が塾長の久能に撃たれて死んだんだ。後で詳しく話すよ」

「そうか。ともかく無事で良かった。ああ、これを返しとかなきゃ」

 達哉は、智樹から預かった銀行の貸し金庫の鍵と委任状の封筒を取り出した。しかし智樹は、達哉の手を押し戻した。

「もう少し預かっててくれ。まだ後始末が残っている。さてと、……。ここは本当に直ぐ終わる。一緒に帰れるから、一寸ここで待っててくれ」

 智樹は華枝に目を向けた。華枝は微笑しながら、また目の隅で智樹をにらんだ。達哉と二人だけで車の中に残されることに、わずかながら恥らいを覚えているようだった。

 

 道路を渡って塾に戻る時、灰色の乗用車が目に入った。

 智樹達がきた方角から、つまり、東京方面から急速に近付いてくるのだ。智樹は反射的に一瞬止まって、様子を見た。先に渡っても大丈夫な距離だったが、その車のスピードには場違いな感じがあったのだ。

 と、灰色の車は塾から五十米も前で急停止した。すぐにジャリジャリと音を立ててUターンし、逃げるように走り去る。

〈パトカーを見て逃げたな〉と直感した智樹は車のナンバーに目をやった。遠視ぎみの目だから数字だけは読み取れた。〈9979〉と口に出して記憶しつつ、〈あッ、奴だ!〉と叫んだ。

 智樹の脳裏で二つの事実が閃き合っていた。数時間前、プールに向かう智樹を襲撃したのは灰色の車だった。そして、その映像を思い浮べた瞬間に気付いたのだ。

〈そうだ。塾には奴がいなかった。道場寺満州男は間違いなく、あの襲撃車に乗っていたのだ。そして、俺達は奴よりも先に塾に到着したのだ〉

 智樹は小山田に灰色の車の件を耳打ちし、応接間に戻った。

 瀬高は普段の落着を取り戻していた。智樹が応接室のドアをノックして入ると、いつものフックラとして余裕たっぷりな笑顔を崩した。

「ご苦労さん。ここはね、なかなか居心地の良い応接間なんだ」

 総皮製のソファにゆったりと腰を沈め、葉巻をくゆらせている。この応接間を何度か訪れたことがあるのだろう。なつかし気に欄間の扁額や床の間の掛軸などを見回しいる。

「そうですね。全体にゆとりがあって、この種の団体の本部では別格の建物でしょう」

「建物だけじゃない。そこの額の〈敬天愛人〉は西郷隆盛が書いたものだそうだ。私の家にも似たようなのが伝わっているけど、ここのは戦後に買い集めたものらしい。他の部屋にも沢山ある。贋作も混じってはいるだろうが、こらだけでも大した財産だよ」

 瀬高には書画の趣味があり、玄人はだしの鑑定眼の持主であった。

「なるほど。ここの資産は山城総研のデータ以上のものなんですね」

「そうだ」

 瀬高は両腕で肘掛けを突っ張り、しっかりと座り直した。本題に入る気構えである。

「君も一応は承知だろうが、この塾は資金面でも大変な惑星的存在だったんだよ。山城総研のデータベースでは、ほとんどの証券の価格を取得価格のままに押えてある。特別扱いにしているんだ。だから、通常の価格に直すと数倍以上。ものによっては市場価格の予想も付かない。もっとも、直接証券を売り買いするは必要ない。担保にして仕手戦を仕掛ければ、選挙資金の何億円ぐらい作るのはわけのないことだ。それでと、……」

 瀬高は右手で眼鏡を外して、左手の掌で両眼を撫でた。心持ち上目使いで智樹を見据える。

「君の名前は先刻の会議でも出たばかりだ。命を狙われていたようだね。今日は例の《いずも》とやらの方の資格で現れたわけだろ」

「はい」

「本題に入る前に確めて置きたい。君らの狙いはクーデター阻止だけだったのかな」

「それが微妙でして」と智樹は肩の力を抜き、腹蔵なく実状を打明ける姿勢を示した。《いずも》とここの関係も複雑ですから、すっきりと筋が通っていたわけでじゃありません。今日の行動の直接のきっかけは、ご存知の原口華枝がここに監禁されていたことなんです」

「何だって。うちの原口君が」

「はい」と智樹は、そこに至る経過を簡略に説明した。

「ううむ。そうか」

 瀬高はさすがに飲込みが早かった。

「すると、隣の二人は死に、久能老人はおそらく死の床に着くが、陣谷弁護士、下浜安司、江口克巳、……そのあたりはまだ生残りの現役だ。彼等は戦争中からのアヘン地獄を引きずっているわけだね。彼等としては、その秘密を暴かれたくない。しかも、この塾の資金源を手放したくはない。君らの秘密チームを働かせながらも、監視の目は絶やさない。これはまた怪しげな、サド・マゾの世界だな。ハハハハハッ……」

「はい。まこと、その上、今だに昔ながらの《お庭番》の世界なのです」

「よし、分った」と瀬高は話を続けた。

 瀬高の話を要約すると、クーデター計画の資金繰りをめぐる水面下の争いが、たった今の首脳会談で激突したのであった。もちろん、資金繰りが具体的な争点として表面化したのであって、もともとはクーデター計画そのものへの入れ込み方に大きな違いがあったのである。

 瀬高は敗戦直後のいきさつは知らないという。

「アヘンだとか、金塊だとか、宝石類だとか、ともかく大陸から持ち帰った特務機関の資金だという噂は聞いていた。CIAがらみの噂もあった。例のM資金みたいな話だね。歴代の理事の名前だけでも大変なものだよ。しかし私は、そんなことを調べる立場じゃないからね」

 というのが瀬高のいい方だった。

 当初からの人脈のつながりがあって、興亜協和塾の資産管理は全て山城証券が預かってきたのだという。窓口に当ってきたのは代々の筆頭常務であった。瀬高は管財課長時代から実務を引受けていたので、塾とは最も長い関係にあった。塾の予算決定は規約の定めもあり、常に理事会に掛けられていた。決して塾長の独断に委ねられていたわけではない。しかし、今までの予算決算理事会がシャンシャン大会で終わっていたため、塾長は独裁的な気分に浸っていた。従来通りの塾の運営であれば、それで済んでいたことであろう。

 ところが、今回のクーデター計画は、塾の財政史上から見ても未曾有の大事件であった。

 角村らの防衛庁OB組は、軍需談合のリベートから一定額の軍資金をプールしていたが、それも直ぐに尽きた。ビデオ製作だけでも、すでに塾の他の年度予算項目からの流用が必要だった。久能はかねてから、クーデター前後の買収工作に全ての資金を動かそうと主張していた。しかも、Xデイそのものが何時来るか分らないから、気ばかり焦る。理事会を無視して、瀬高に二百億円を現金で用意しろとを迫ってきた。

 瀬高は丁重に臨時理事会の開催が必要であるという返答をした。久能は渋々臨時理事会の開催を認めたが、今度は、理事会の主要メンバーが渋り出した。内々に伝わってくる意向は、程度の差こそあれ、クーデター計画への危惧であった。本心をいえば反対の理事もいた。

 久能と道場寺は〈無血クーデター〉だと売りこんでいたが、誰も確信は持てない。特に、現政権の要の位置にある清倉は、最も慎重であった。

 久能は怒り狂った。瀬高に対しても何度か脅迫じみた言動に及んだ。

 角村は最初の暴動の演出者で現地指揮官の立場にあったが、久能と他の理事達との間に挟まって右往左往していた。その暗闘の最中、久能にとって都合の良いことに、弓畠耕一最高裁長官の葬儀という舞台が設定されたのであった。久能のこれ見よがしの列席は、やはり、意図的なデモンストレーションに他ならなかった。久能はそれまでにも自分の主張を貫くために、似たような手口を使っている。

 時折、〈わしは本当のことを世間に知らせたくなった。甘粕機関の歴史も書き残したい。もう過去を隠して暮すのはあきあきした〉などとつぶやいてみせるのである。

 それを聞いただけで、他の理事達はすぐに震え上がった。ヤクザな犯罪者の居直りと同然の脅しなのだが、同じ悪党でもなまじ社会的立場があると、この種の脅迫には弱くなる。大日本新聞の正田竹造などもその一人で、Xデイのマスコミ報道では一世一代の天皇キャンペーンを予定している手前、久能のいいなりになるところがあった。告別式への列席もその線の動きであった。

 だが、政界の最前線で矢面に立たされている清倉らは、ますます不安になっていた。

「それで今日の会談が開かれたわけですね」

「そうだ。久能は会談の始めから怒り狂っていた。クーデター計画について、清倉などの政界有力者達が一番弱腰だと言うんだ。しかし、大部分の理事の姿勢は最初から同じだったんだ。付かず離れず。つまり、失敗した時には責任逃れが出来るようにして置きたかった。だから、自分が出席した理事会でクーデターのための特別予算が決定されるという事態は避けたかったに違いない」

「その点の狸振りは、二・二六事件の時の皇道派の大将連中と良い勝負ですね」

「アハハハッ……。何時の世でも同じことが繰り返されるものだね。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてというが、確かに、いささか喜劇的だったよ。久能も焼きが回っているようだった。金の話から、塾で警官と新聞記者を殺した件に話題が移ると、ビクビクするなとわめいてみたり、大事の前の小事だと説教してみたり。そこへ、道場寺満州男からの電話で、君への襲撃が失敗したという報告が入った。肝腎の角村が動揺して、確信を失い始めていた。清倉は、なにッ、《いずも》に手を出したのか、そんなことに責任は負えないといい出す。危険だ、中止だ、少し様子を見よう、などなど。議論は、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。すっかり混乱していた。そこへまた、ウーウー、カンカンだろ。久能の怒りは消防車のサイレンで頂点に達した。完全に狂ってしまったようだったね。〈貴様ら!卑怯者奴!〉と叫んで、いきなり、ズドン、ズドンだ。私もテッキリ殺されると思ったよ」

「そこで脳卒中ですか」

「そう。正直いって、本当に生きた心地がしなかったね」


(8-7) 第八章 《時限爆弾》管理法 7