『煉獄のパスワード』(5-2)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第五章 アヘン窟の末裔 2

「教科書通りにやったまでのことです」と浅沼は澄まし顔。

「奥多摩の事件のタイヤの鑑識結果を聞いて追ったんです。だから、通常通りに捜査を進めていれば、もっと早く現場に踏み込めたんじゃないでしょうか。私は二日間、非番の時間を使っただけで現場に辿り着いたんですから」

「生意気言うな」と怒る田浦警部補。

「そういう事情の事件じゃなかったんだ。奥多摩のは捜査ストップだといって置いただろ。お前は、しかも、新宿署の新人刑事だよ。勝手に動くとクビになるぞ」

「だから、田浦先輩だけに電話を入れたんじゃないですか」と浅沼は口をとがらす。

「前の事件と関係があると思ったればこそ、ですよ」

「分った、分った。もう、そのこと今更いい合っても仕方ない」

 といささか憮然たる面持ちの小山田警視。

「どうせこうなるなら、最初から極秘捜査で何人かに協力を求めていれば良かったのかもしれないな。ともかく済んでしまったことだ。何か手を打って置く必要があるかもしれないから、どういう捜査をしたのか話してくれ」

「済みません。勝手に動いちゃって」

 浅沼はペロリと舌をだした。罪の無い顔だ。田浦も絹川もそれには呆れ顔。

「鑑識に聞いたら、タイヤの溝や車輪の間隔から見て、外車の新型四輪駆動ランドクルーザー、チータ3以外にないというんで、私はしめたと思いました。私も欲しくて仕方なかった車なんです。砂漠も山もなんのそのというオフ・ロード・タイプで、流行の先端の奴なんですよ。一寸高いし、まだ売出したばかりで数はありませんからね。これなら追うのは楽だと思いました。エイジェントの販売記録では関東でまだ二十五台でした」

「そうか。そういうこともあるんだな。やはり若さに負けたか」と小山田は愕然。

「俺もこれからはメカに弱いといかんと思って、やっとこ、コンピュータちゃんには付合っているんだが、車はねえ、自分で運転する気がなくなっているからな。新型車にも興味はないし、鑑識結果を見てもあまり気にならなかった。最近の車は数が多過ぎて、聞きこみ捜査は時間が掛かるばかりと思いこんでいたんだよ」

「販売記録には、全部所有者の住所と電話番号が記録されていますから、その位置を地図に書きこみました。現場を中心にコンパスで同心円を引いて、奥多摩の死体発見現場に近い所から順に電話を掛けました」

「電話を掛けたっ……。なんていって掛けたんだ」と田浦。

「接触事故で逃げた車がチータ3だと分ったので念のためにうかがいたい、とカマを掛けたんです。皆素直で、いつでも車を調べてくれという返事でした。ところが一軒だけ何度電話しても出てこない所があって、それが北園和久でした。念のために個人データを全部調べると、もう一軒持ち家がありました。それで今朝車で出掛けて、近い方の東村山を先に当たったら、湯船に仏が浮かんでたってわけです」

「鍵をこじ開けて押し入ってみたら、だろっ」と田浦。

「済みません。でも、人目に付くような不審な点はなかったと思います。堂々とやりましたから」

「馬鹿っ。違法捜査なんだよ、それでも。もう俺はお前に責任持てないよ」と田浦。

「その問題は、その問題としてだ」と小山田。「この件は今後絶対に極秘で、捜査も中止だから、その積りでいて欲しい。下手すると、危険なことになるかもしれない。浅沼君、分ったかな」

「はい。でも、どうしてですか」

「でもも、どうしても無いんだよ。極秘と言われたら、それで納得するんだ」と田浦。

「はい。了解しました」

 

 小山田は浅沼を先に下がらせた。柄になく深刻な顔付である。

「田浦君。俺もあっさり先を越されて不甲斐ないのだが、あの若いの、大丈夫かね。人の話をちゃんと聞いているのかね。本当に納得しておとなしくしてくれるかね」

「危ないですね。怖さを知りませんから。場合によっては誰か監視に付けます。でも、どういう事情なのか、私にも分りませんので」

「うん。先刻は後でわけを話すといったんだが、これはいえないんだよ。俺の口からいうわけにはいかないんだ」

「そうですか。了解しました。とにかく浅沼だけでなく、あの長崎記者にも監視を付けます」

「頼んだよ。本当に危険なことが起きるかもしれないんだ。君も気を付けてくれ」

「はい」

 

 小山田は一人になると先ず警視総監の秘書に電話をして、総監に直ぐ会いたいと伝えた。総監に状況を報告して自分の提案の了解を取り付けた後に、法務省の秩父冴子審議官に電話をした。冴子の所在を確めると、直接会いに行くことにした。電話で話せる用件ではなかったのだ。

 冴子は小山田の報告と提案を受けて、最高裁の事務総長と秘書課長に会って了解を取り、天心堂病院に手配をした。天心堂病院は日本医師会会長、稲田歳介の個人経営病院で、憲政党の代議士らが政治的入院に利用することで有名であった。日が暮れてから、救急車がサイレンを鳴らさずに、ひっそりと警視庁の裏口に付けられた。綿密な司法解剖を終えた弓畠耕一の死体は、極秘裡に天心堂病院の特別室に移された。

 

 翌朝、大日本新聞の長崎一雄記者は、トーストをかじりながら自社の朝刊に目を通していたが、突然、

「うん。これだッ」

 とうなり声を上げた。

 目の前に広げられた社会面の中段には《最高裁長官弓畠耕一氏 心臓発作で死去》の記事があった。

 顔写真は一段で小さいが、長崎の生の記憶と充分に一致した。長崎は警視庁担当になる前に二年間、裁判所の司法記者クラブにいたことがある。そのころの記者会見で、東京高裁の長官だった弓畠耕一とは何度か顔を会わせたことがあるのだった。

「そうか。道理で、どこかで見た顔だったわけだ」

 記事はさり気なく、〈持病の心臓の不調を訴えて一週間前から天心堂病院に入院中であった最高裁長官の弓畠耕一氏(七十歳)……〉と報じていた。他紙もほぼ同じ取扱いであった。

「ようやるよ。あの連中」長崎の頭の中がカッカッしてきた。無理に押え付けていた好奇心とスクープへの功名心がムクムクと起き上ってきた。〈もう我慢出来ないぞ。ようし、徹底的に調べ上げてやる〉

 手始めに浅沼刑事を掴まえることにして、新宿署に電話を掛けた。

 駅前の喫茶店で落合って、朝刊の記事を示すと、

「えっ、本当ですか。昨日の死体が最高裁長官ですか」

「間違いない。それより、昨日も箝口令、その前の奥多摩の死体発見も箝口令だ。この二つの事件が関係しているとにらむね。浅沼刑事さん、よッ」と肩をたたいた。

「なにか隠してるんじゃないの。水臭いよ。一緒に聞きこみやった仲じゃないの」

「実はその、箝口令がとても厳しいんですよ」

 最初は浅沼も一応渋っていたが、すぐに嬉しそうな顔になって、自分の単独捜査の秘密を打明け始めた。

「タイヤの……。ランドクルーザーの……。チータ3の……」

 ついつい自慢したくなってしまったのだ。これはやはり誰かに聞いて欲しい苦労話なのである。

「やりましたね、新米刑事さん。そうか。やはり二つの事件は関係があったんだ」

 長崎は興奮した。

「それだけじゃないぞ。弓畠耕一には何か重大な秘密があったんだよ。この記事では一週間入院していたことになっているけど、これは明らかにウソッパチだ。その間、弓畠耕一は一体どこにいたんだ。最初の殺しの発見からでも三日間だよ。もし、あの家の中にいたとすれば、なにをしていたんだ。他に誰がいたんだ。ランドクルーザーを運転していたのは誰なんだ。なにも分っていないのに、なんで、箝口令だけが先に決まっているんだ」

「最高裁長官が失踪とか変死とか、具合が悪いからじゃないですか」

「それだけかね。仮にそれだけだとしても、失踪と変死の原因はなんなんだ。それに、奥多摩の死体発見の方が先だよ。あの死体が我々の推測通りに中国残留孤児の西谷禄朗、中国名は劉玉貴だとすると、西谷と弓畠耕一はどういう関係なんだ。もしかすると、その関係が最初から分っていたから、箝口令が敷かれたんじゃないのか。つまり、世間に知られると都合の悪い関係なんじゃないのか」

「そうかもしれませんね。そうだ、長崎さん。最初の箝口令が出たのは、僕らが例の背広のプレゼントの話、つまり中国残留孤児の可能性を嗅ぎ出してからですよ。それまでは何も普通の事件と変わった所はなかったんですよ。田浦さんものんびりしていたし、……。だから、そのへんが鍵じゃないですか」

「そうだな。ともかく厚生省はまともに取材に応じない。なにか隠している。これもおかしいんだ。よしっ。俺は角度を変えて弓畠耕一の方から洗ってみる。そちらから西谷につながる線が見えて来るかもしれないからな。浅沼さんは厳しい箝口令じゃ動けないでしょ。ただね、こちらもお返しに、いいこと教えよう。きっとビデオ・テープになにかあるよ」

「ビデオ・テープですか」

「分んないの」

「ああ、ああ、……。そういえば、現場に包み紙らしいものが残されていましたね」

「そう。問題はだね、そのビデオになにが録画されているのか、だな」


(5-3) 第五章 アヘン窟の末裔 3