『煉獄のパスワード』(1-6)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第一章 暗号コード《いずも》 6

 智樹と達哉は一緒にスイミングクラブの食堂で昼食を済ませたのち、智樹の自宅で状況の検討に取り掛かった。

 智樹はこのところ一人住まいである。妻は十年前に亡くなった。子供は二人で一姫二太郎。娘は五年前に結婚した。息子は二年前に高校を出てからフランスに留学中である。

 自衛隊を辞めた退職金で求めた一軒家である。官舎から引越してきた時には狭まいと感じたものだが、一人っ切りでは持て余す。空いた部屋は書庫代り、未整理資料の置場に使っていた。

 書斎兼応接間だけが、かろうじて掃除がしてあるといった状態である。片隅のソファとテーブルのセットが、いま、二人の仕事場である。

「先ずテープを聞いてもらおうか」

 達哉は長椅子に身を横たえ、目を閉じて耳を澄ませた。智樹が採ってきたテープをこうして聞くのは何度目であろうか。録音は、背広の内ポケットに収まる高性能小型カセットデッキによるものである。マイクはネクタイピンに仕込んであり、指向性が秀れている。音源に正確に向けておけば、大型マイク並みの精度が得られる。録音時間は裏表で往復四時間のオートリバース。智樹が特別注文で誂えた自慢の七つ道具の一つである。

 語調や息使いから、発言のニュアンスを嗅ぎとるのが達哉の主たる役回りであった。

 最初は内閣官房審議官、秩父冴子の事情説明である。この声も、達哉にはすでにお馴染みであった。

「相変らずのイケシャーシャー振りだな」

 思わず口に出して言う。達哉は声だけでしか冴子を知らない。写真も見ていない。しかし、なまじ姿形を知るより、声だけの方が、かえって人柄を正確に捉えられると信じている。先入観念がない方が良いといって、事前には資料も見ないようにしていた。

 達哉が最初に冴子の声を聞いたのは、防衛庁のマル秘文書持出しに絡む上層部スキャンダルのもみ消し事件であった。その時に達哉が冴子に付けたあだ名が、そのものずばり、〈イケシャーシャー女史〉である。智樹がそれを聞いて、

「イケシャーシャーってのは可愛想だよ。それじゃあ、盗人の居直りじゃないのか」

と茶々を入れると、達哉はすかさず、

「高級官僚の国会答弁なんてのは、国家犯罪の口拭いか開き直りに過ぎないだろ。このしゃべりかたはその典型だよ。女だてらに見事な紋切り型だ」

 と真向から切り返したものである。しかも、その時の仕事自体が犯罪の〈もみ消し〉そのものであってみれば、達哉の命名はまさに適切だと認めざるをえなかった。

 今度の仕事にも、はなから〈もみ消し〉が匂っていた。

 テープの前半は、〈イケシャーシャー女史〉こと秩父冴子審議官の経過報告と質疑応答、簡単な打合せだけであった。最高裁長官夫人への質問項目、極秘資料の取寄せ、《お庭番》チームが集まって検討する打合わせの日程、NTT社長室長に長官公邸の電話盗聴を依頼する件、その他の調査項目分担などが決められていた。

 そこで達哉はストップボタンを押した。

「また隠密行動らしいが、条件は同じかな」

「そうだ」

「しかるべき原稿料、そして、なによりも情報そのものへの接触」

「超々極秘情報だ」

「極秘のスパイスは嗅ぐだけで持出し禁止」

「嗅げば舞台裏の秘密が全て見透せる」

「しかし、あまり良い匂いじゃないな」

「ハハハッ……」

 達哉と智樹の密約であった。達哉が智樹のダーティーワークに協力するに当たって、二人は最初に約束を取交わしたのである。

 極秘情報そのものは原則として持ち出さない。証拠物件とともに隠して置く。しかし、核心的な真相を知ったことによって、公開情報の活用が容易になる。重要な問題については世間に知らせる努力をする。時機を見て、真相発見の発端を偽装したり、いくつかのテーマに小分けしたりして、しかるべき形で発表していく。協力者は求めるが、真相を知るのは二人だけに留める。

 智樹が五年程前にこういう提案をした時、達哉はただちにイギリス秘密情報部のキム・フィルビー事件を思い浮べた。

 フィルビーは厳密な階層社会のイギリスでは折紙付きのエリートで、名門ケンブリッジ大学を卒業した。ジャーナリストを経験した後、イギリスの対外情報機関MI6に入って順調に出世した。長官候補の一人でもあった。ところが、彼等の育った時代は、ロシア革命から反ナチズムへと続く青年の左傾化、反ファッシズムの激動期であった。フィルビーは学生時代に共産党の秘密党員となっており、二十年間近くもソ連のスパイとして活動していたのである。同じスパイ網には、判明している限りでケンブリッジ以来の友人が二人加わっていたが、この二人が先ずアメリカでCIAに疑われた。全世界の反共の砦を自負するCIAは、前々からイギリス情報部の秘密漏洩を疑っていたのである。

 フィルビーは、そのCIAからの疑惑の情報を二人に漏らした。それで二人はソ連に亡命できたのだが、この新たな機密漏洩がきっかけとなって、フィルビー自身の身元も疑われ始め、最後には彼自身もソ連に亡命した。

 フィルビーは一九八八年にモスクワで心臓病で死んだ。レーニン勲章、赤旗勲章に輝く英雄として、軍楽隊の葬送曲に送られ、ソ連の軍幹部用の墓地に葬られた。

 秘密情報機関では、この種のスパイをモグラと呼んでいる。

「フィルビーをやる気か。モグラは危ないぞ」

「いや違う。どこの国のスパイでもない。どの政党や団体のスパイでもない。あえていえば、自分自身の良心のため、生きる証としてのスパイだ。組織関係はないし、情報そのものは漏らさないから、危険性は薄いよ」

「なんでそんな気になったんだ」

「心境の変化、だな」

 智樹は、静かに微笑んだ。

 達哉はそれ以上問い質そうとはしなかった。理由はほぼ推測が付くと感じていたからだ。

 すでにその五年前、智樹は十八年間勤めた防衛庁を辞めている。防衛大学校以来でいえば、二十二年間の特殊な公務員稼業に別れを告げたのである。

 表面上は山城総研からの引抜き、もしくは天下りだが、その直前に智樹は父親を見送り、続いて妻を亡くしている。達哉は年来の友人として、この二つの葬儀に列席したが、それ以来、智樹の周辺に異常な雰囲気を感じ取っていた。

 最初は元職業軍人の高齢死である。

 影森智樹の家系は明治時代から三代続いて職業軍人であった。四代目の智樹が自衛官である。さらに過去に遡れば、本物かどうかは別として、清和源氏以来の系図を後生大事に抱えてきた戦国以来の武士の家柄だから、典型的な日本の軍人一族だと言えよう。ただし、江戸時代は徳川幕府の旗本であった。そのためか、薩長連合を中心にして築かれたた日本の軍閥の系譜とは一線を画する江戸っ子気質を伝えているようだった。

 風見達哉の生れは北九州で、曽祖父までは小倉の小笠原藩士だった。慶応二年の第二次長州征伐では薩摩が幕府を見捨てた結果、長州が勝って天下の情勢が逆転するのだが、その際、幕府方の小笠原藩は長州の奇兵隊に敗れて小倉城を自ら焼くという事態になった。以後は小倉藩が香春藩、豊津藩と転々し、廃藩置県を迎える。

 だから風見の一家は、いわば明治維新の傍観者一族である。

 また、明治時代には各地であった話らしいが、薩長閥の家来にされてたまるかというので、次男だった祖父が他家の養子に入って長男になり、徴兵を免れた。達哉の父親は長男だが、この時代には長男も徴兵されるようになっていたので、今度は体格の良い地方として有名な熊本の親戚を頼って行き、そこで徴兵検査を受けた。結果は丙種合格で、とうとう徴兵されずに済んだ。達哉は戦争中に、この一族の歴史をうすうす聞き及び、いささか恥かしい気持ちを抱いていた。友達にも打明け切れなかったものである。だが今では、自分が反中央、反軍、反戦の思想系譜を継ぐものだと考えなおして、機会さえあれば誰にでも話している。〈もの書き〉の立場でも軍事問題に自分なりの姿勢で接していた。

 その際、智樹との付合いは貴重であった。智樹の周囲には、やはり、日本の旧軍から現在の自衛隊につながる実物の匂いがあった。

 智樹の父親の葬儀の列席者にも、それらしい雰囲気を漂わせる高齢者が多かったが、そういう特殊性以外に異常はなかった。ただ、防衛庁関係者のほとんどは次の葬儀にも列席していたので、達哉には、その二つの場での彼等の態度の違いが印象深かった。

 智樹の妻の死は「交通事故」として発表されていた。妻であり母であり、三十六歳の若さだった。人生の折返し点を前にした不慮の事故による死者の弔いである。関係者の面持ちが平常とは違っても不思議はない。しかし、それだけではない。達哉の感覚に強く訴える違和感があった。智樹自身の態度にも、達哉にさえ詮索を許そうとしない重苦しさがあった。その態度は防衛庁上級幹部全体に共通しているように見受けられた。何か重大な秘密を押し隠そうとする危険な匂いが漂っていた。

 その直前、自衛隊の一人乗り戦闘機が、編隊訓練中に民間エアバスと空中衝突する大事故を起こしていた。民間機の乗客百数十名と乗務員は全員即死。衝突した自衛隊機の操縦士も即死。調査中に編隊の指揮官が謎の自殺を遂げた。自衛隊批判の論調はマスコミを覆っていた。

 国会では、衝突事故の根本原因に重大な疑問が投げ掛けられていた。航空自衛隊では日頃から民間機を標的に見立てて訓練をしているのではないか。上層幹部に指導責任がありはないか。そういう声が、衝突事故をきっかけとして、民間航空界や運輸省筋から一斉に挙っていたのだった。

〈影森はあの頃、防衛庁本庁の調査課にいた筈だ。あの謎の自殺と影森の妻の死は同じ日付だった。果して関係はなかったのか〉

 達哉はその時、あえて詮索はしなかった。当人が聞いて欲しくないことなら、しばらくは素知らぬ振りをするのが友情であろう。しかし達哉は、智樹の退職と転職、心境の変化を、明らかにこの時期の事情によるものに違いないと確信していた。

 

 達哉は回想を振り切り、再びテープを回した。

 肝腎なのは、最高裁長官夫人、弓畠広江の話である。

 短い挨拶と自己紹介の後、打合せに従って、東京地検特捜部の絹川検事が質問を始めていた。

「失礼ですが、直接伺いませんと分らないことが多いものですから、……

 先ず……、御主人がお出掛けになったのが三日前で、直前に電話があったと聞いておりますが、時間など、もう少し詳しくお話し願えませんか」

「はい。夕食後、夫が夕刊を読み始めたばかりでしたので、八時半頃だと思います。別に時計を見たりはしませんでしたが、いつもの習慣通りですから、それ程時間にずれはないと思います。私が最初に電話を取りました。おんなの声でした。〈先日お電話したものですが、御主人は御在宅でしょうか〉といいました」

「それで、すぐに取次がれた」

「はい。前に一度、同じ声の電話を受けたことがありましたので、特に問い直したりはしませんでした。主人の返事は〈はい、はい〉、最後に〈分りました〉というだけで、内容は全く見当も付きませんでした」

「前の時とおっしゃるのは、いつ頃のことでしょうか」

「はい。半年程前でしょうか。一年にはならないと思います」

「その時はどう名乗られたのでしょうか」

「確か、〈御主人に以前お世話になったもの〉、とおっしゃったかと思います」

「その時は、何か変わったことがありましたか」

「いいえ。主人の返事も同じようでした」

「やはり、会いに行かれたのでしょうか」

「いいえ。その日には出掛けませんでした」

「別の日に会われたかもしれないということですか」

「はい。そんな気がしました」

「立入ったことをお聞きしますが、御主人は普段、細かい御予定を奥様にはおっしゃらない方でしょうか」

「はい」(しばしの間があって)「そうですね、……特別な式典とか知合いの結婚式、葬式、出張、そういう場合は申しますが、たいていは遅くなるというだけでした。何もいわなければ、真直ぐに戻りました。予定が変わった時は必ず本人か秘書の方から電話がありましたが、主人は、遅くなるとか、真直ぐ帰るとかいうだけでした」

「電話の女性の声ですが、何か特徴がありませんでしたか」

「中年のおんなの声でした。二度とも同じだと思います」

「その他にお気付きのことはありませんでしたか」

「いいえ。何も変わったことはございませんでした」


(1-7) 第一章 暗号コード《いずも》-7