武蔵野版『不祥事隠し』独自捜査シリーズ(その7)

検察への告発1.警察と癒着の起訴の疑惑

2000.4.7

 既報のごとく、2000年4月10日15時30分から16時30分の1時間、東京地裁八王子支部203号法廷にて、本シリーズ「業務上横領事件」の第3回公判が開かれる。裁判長は前回、弁護側に「情状酌量」要請の証人があればと促し、被告本人とその証人を調べ、検察の論告、弁護側最終弁論まで終了し、結審にしたいとの方針を示した。

 私は、検察側、正確には東京検察庁八王子支部に電話をして、その時の声だけでしか知らない起訴状作成担当検事のオネエチャンと直接話した。折からの警察の腐敗に関しての話題沸騰を追い風にして、武蔵野市の「業務上横領部分のみに限った」告訴の仕方、および警察の捜査と起訴の仕方に、「談合の可能性大」との疑問を呈し、武蔵野警察署と武蔵野市当局との癒着関係を指摘し、武蔵野市民としての告発状を送付すると予告した。

 送付する内容は、一応の形式を踏んだ簡単な告発書と、本シリーズ全文の一部削除コピーとする。「一部削除」は「戯れ言」のみである。削除の理由は、「司法試験突破」の誇り高き検事のオネエチャンを、ささいな戯れ言で刺激しても、何の得にもならないからである。もしも、そのオネエチャンがインターネットしていて、削除なしを読んでしまったら、などということまでは、この際、考えないことにする。

 さて、そこで今回からは、一応の締めとして、本「不祥事件」というよりも本「不祥隠し事件」の全体像への疑惑について、略述する。

土屋市長と警察「官・官」接待関係の証拠歴然

 わが読者から提供された武蔵野市の情報公開資料によれば、武蔵野市の市長、土屋正忠の彦は、再三再四、警察幹部を接待している。いわゆる「官・官」接待である。「前警視総監」らを接待した目的不明の会合の記録もある。以下、年度順に、市の秘書室が記載した「名目」、「参加者」、「場所」、「費用」のみを列挙する。


1989年(平1)5月18日:市政推進懇談会。
市長、助役、警察関係者1名、事務局1名、計5名。田無市・泰朋。47,508円。

1993年(平5)9月9日:警視庁総務部長との懇談会。
警視庁総務部長、交通課長、武蔵野警察署長、市長、秘書室長、計5名。吉祥寺・大網。98,200円。

1994年(平6)8月15日:警視庁との懇談。
市長、建設部長、交通対策課長、警視庁八方面本部長、署長、計5名。吉祥寺・聘珍樓。47,000円。

1995年(平7)8月26日:前警視総監との懇談会。
前警視総監、随行2名、市長、秘書室長、広報課長、計6名。吉祥寺・吉祥寺・大網。98,500円。

1995年(平7)8月26日:市長室来客賄い費。
警視庁立川少年センター所長ほか1名、市長、計3名。市長室(磯辺寿司)。4,500円。

1997年(平7)2月3日:警察との懇談。
警視庁警備室長、武蔵野警察署長、市長、秘書室長、計4名。吉祥寺・大網。76,560円。


 以上の内、「交通」とか、「少年」とか、「警備」とか、一応の目的らしく見える会合もあるが、「市政推進懇談会」を、なぜか役職さえも記さない「警察関係者1名」を交えて、なぜ、隣のまた隣の田無市でやったのか、まるで意味不明の会合もある。「前警視総監、随行2名」についても、同様の疑義がある。

 さらには、本事件との関係で実に微妙な日付の接待の証拠もある。1998年(平10)12月17日の「懇談」である。

 市の秘書課作成による「支出負担行為伺書(一般会計)の「目的」の欄には、

 「警察署長他との懇談賄費」

 と記されている。「理由(説明)」欄には、肝心要の「懇談」の「理由」がまったく記されておらず、以下のみとなっている。


(日時) 平成10年12月17日(木)18:00~

(会場) 聘珍樓新館(吉祥寺本町1丁目)

(出席者)警察側 武蔵野署長、田無署長、前警察大学校長

     市側 市長、秘書課長

     計5名

(内訳) @12,000円×5名=60,000円


「聘珍樓」は、本店が横浜市港北区新横浜2-2-8にある中華料理店で、その新館は、武蔵野市では一流の高級社交場、結婚式場など、となっている。肝心要の「懇談」の「理由」については、一応、秘書課に電話で聞いたところ、「記載してあること以外は申し上げられません」との返事だったので、「それでは当然、前後の事情から想像し得る限りのことをインターネットで発表する」と言い渡した。なぜか、ここにも、隣のまた隣の田無市の田無署長が登場している。「前警察大学校長」も、「前警視総監」と同様に、「前科」の臭う日本列島腐敗組織の「顔役」風の人脈である。

「聘珍樓」の「請求書」に添えられていたと思われる「明細書」を見ると、「ヨヤク・オススメ7000」、つまりは注文のセットが「5個」で、その次に「ビンビ-ル」が「5個」、その下に、「ギュウヒレクロゴマ」が「5個」、「ハナボリシュBOT」が「2個」、追加されている。「ハナボリシュBOT」については「聘珍樓」に直接電話で問い合わせたところ、「花彫酒」であり、いわゆる「老酒」の一種である。2本のボトルを、お取りになり、結構、お酔いになり、お話が弾んだことであろう。

 以上のような癒着関係の臭い仲で、本シリーズに再三記した「業務上横領」のみの告訴、起訴の方針が話し合われたのである。しかも、「武蔵野警察署と相談の上」で告訴しなかった「単純横領」部分についても、土屋市長は、「単純横領は起訴に至らなかったようだが、こちらも市の被害額と認識している。何年かかろうと、被告に支払わせたい」(その5)と語っているのである。

あまりにもタイムリーな「懇談」の日付

 しかも、この日付は、本シリーズの前回「(その6)『元職員による横領事件資料』の縦横解読」の中の以下に再録する日付と、実に微妙に、つながるのである。


 D,E,Fの3氏の「差押年月日」は「10年10月16日」である。「物件」は3氏ともに「不動産」である。この日付は、H被告が保険年金課に配転になってから、半年以後である。西暦では1998年の「10年10月16日」は、翌年4月25日に行われた選挙から数えると、5か月と9日前である。この日付は、また、6氏の「差押年月日」の中では、一番早い時期である。しかも、出来過ぎと言いたいほどに、上記の「匿名の市職員の告発」の「5か月前」とピッタリ符節が合っている。

 さらに興味深いことには、「横領期間」の方が、D,E両氏に関しては「10年11月30日」、F氏に関しては「10年12月8日」と、いずれも「差押年月日」以後まで継続しているのである。つまり、財産の差押えまで受けながら、D,E,Fの3氏は、H氏に現金の納付を続けていることになる。これは、いかなる状況なのであろうか。


以上で(その7)終わり。(その8)に続く。


(その8)検察への告発2.泥棒が自分を裁く手際の疑惑
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