チェチェン総合情報

更新情報 2003

最新情報はトップページをご覧下さい。

2003.12.30 Vol.03 No.45 背中を撃たれた将軍/消えた村にて/アンジェラ/同じ思いを共にすること

2003.12.23 人名ノート追加

セルゲイ・ステパシンの情報を追加しました。

2003.12.20 人名ノート一部訂正・追加

ボリス・ベレゾフスキーの情報を更新しました。

2003.12.10 リンク/文学カテゴリを追加

チェチェン民族強制移住を描いた小説『コーカサスの金色の雲』のファンサイトアルフズールの部屋と『コーカサスの金色の雲』を発行しているロシア文学の専門出版社群像社の2件をリンクしました。

読者討論/ロシア憲法記念日の危険

2003.12.10 Vol.03 No.44 ロシア式民主主義の文脈

ロシア下院選の終了、ロシア南部の列車爆破事件、モスクワでの自爆事件から読む「ロシア式民主主義」

2003.11.28 ウクライナからの手紙

2003.11.26 『カフカスの小さな国 -チェチェン独立運動始末-』復刊投票

 数少ない日本語のチェチェン文献『カフカスの小さな国 -チェチェン独立運動始末-』(林克明(はやし・まさあき)著)は、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞しながらも在庫品切れとなっています。Webサービス復刊ドットコム内で当サイト編集人・大富亮が復刊リクエストオーナーとなり、チェチェンに関心を持たれる皆様に復刊への投票を呼びかけています。購入意思に限らず投票することができますので、少しでもご興味があればぜひ投票を宜しくお願いします。すでに投票された方々のご意見も参考になさってみてください。
 なお、はじめて投票される方には無料登録が必要となります。 ニックネームやパスワードなど必要最小限の情報のみでの登録も可能ですので、この機会にぜひ。 Vol.03 No.43 アレクシエーヴィチへのインタビューと関連情報

2003.11.17 ウクライナからの手紙

2003.11.14 Vol.03 No.42 ザカーエフ問題/英司法、ロシアへの引渡しを却下

2003.11.09 JVJA写真展を追加

とうとう選挙当日ですね。

2003.11.06 Vol.03 No.41 2003.11.06 チェチェンのための一票 <第2回>

チェチェンから見た衆議院選挙続きです。急いで書いたのでびくびくしながら配信。

2003.11.01 Vol.03 No.40 2003.11.01 チェチェンのための一票 <第1回>

チェチェンから見た衆議院選挙です。

2003.10.29 カフカスの音楽を聞く−レズギンカ (Lezginka)

カフカスの舞踊音楽、レズギンカがインターネットでダウンロードできるようになりました。ぜひ一度聴いてみてください。

2003.10.29 ノアの人びと Part 2. 初公開映像に見るチェチェンの民衆

イベント情報に「ノアの人びと」を追加しました。お誘い合わせの上、ご参加ください。

2003.10.21 「兄弟」は嘘なのか?

レギーナ・ペトローヴナを思うの続きです。

コーリカがアルフズールを「兄弟」と呼んだのは嘘だったのか?コーリカにはそん な意識はなかったかもしれません。兄サーシカの身代わりであり、血を擦り 合わせて義兄弟の契りを結び、互いの命をロシア兵とチェチェンゲリラからか ばい合っている以上、コーリカにとってアルフズールは、今はいない兄以上に「兄弟」であ るようにも思えます。ただ、アルフズールをかばうと決心したコーリカには、 「アルフズール」というチェチェンの名前が、乗り越えなければならない一つ 目のハードルのように見えたはずです。

アルフズールのかなり年長の兄が、「そいつは敵だ、おまえの兄はこの俺だ!」 と言ってコーリカを射殺しようとします。けれどアルフズールがひしとコーリカと抱き合って嘆願する 姿をみて、ふと怒りの面持ちをゆるめ、引き金から指をはずします。遠い 山々の方から、アラーへの祈りらしきものが聞こえてくるこのシーンは、この作 品の最も心打たれる場面のひとつです。

つまり、ロシアの社会で、この奇妙な「兄弟」が認められないのと対をなすよ うに、チェチェンの社会でも、この「兄弟」のありかたは、にわかには認めが たい。その前提となっているのは、「血」が家族をなし、そのつながりの集合 体として民族があり、国家が存在するという規範でしょう。「血がつながって いないのだから、この子達は兄弟ではない」。それは、たぶん日本でもごくふつうの 常識で、私自身それを前提に生きているので、前の稿で「コーリカの嘘」とい う書き方をしました。

「国民国家」や「民族の自決」という枠組みを、無意識に、あるいは意識的に 選択していることが、ロシアとチェチェンの住民たちの協和を踏みにじっている可能性。考えて みると私自身も、子どもたちに銃を向けたスターリンと、チェチェンゲリラと、 同じメンタリティーを持っているような気がしてきます。

プリスタフキンは原作で、アルフズールとコーリカが汽車に乗り、 いつまでもいっしょにいる印象を残して筆を置きます。けれども、映画化にあ たって書いた脚本では、アルフズールは、チェチェン人の移送列車に乗り換え させられたあげく、線路端に埋められてしまいます。どうして作者は異なるラストシー ンを用意したのか。

どうも、歩をゆるめて考えなければならないところにきたようです。

「想像の共同体」ベネディクト・アンダーソン、1997、NTT出版:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487188516X/249-9416562-0198706#product-details

(この本は、以前友人が勧めてくれて、この課題に答えようとしていたような 気がするので、再読してみます)

2003.10.20 ザーラ・イマーエワとは誰か?チェチェンニュース No.38

10月25日から、チェチェン人ジャーナリスト、ザーラ・イマーエワの来日講演ツアーが始まります。戦争を目撃した子どもたちの言葉を丹念に記録したビデオ作品「子どもの物語にあらず」を携え、彼女はチェチェン戦争のどんな情景を語ってくれるのでしょうか。

2003.10.18 レギーナ・ペトローヴナを思う

今日、「金色の雲は宿った」を見てきました。アムネスティの関係者は「まあまあの入り」と話していましたが、なかなかの入りではありませんか。300人近かったです。

今回見直してみて、レギーナ先生のことが気になりました。主人公のコーリカは、あんなに好きだったレギーナを、最後には許すことができずに別れていきます。まずそれは、コーリカが兄と死に別れたときに一緒にいてくれず、どこかに逃げてしまったこと、そして、コーリカとチェチェン人の子どもアルフズールが、「兄弟」だと、強く主張してくれなかったことにあるのでしょう。

レギーナとその子どもたちは、夫に代わる者であるデミヤンとともに、チェチェンゲリラの襲撃から必死で逃げたことが想像できるので、それは緊急避難的にやむを得ない。けれど、孤児院に尋ねてきたレギーナと会ったコーリカには、それがわからなかった。

コーリカとアルフズールが孤児院に入るシーンから、画面にはスターリンの肖像が登場し始めます。院長室でレギーナは軍人に「この子たちは兄弟ですか?」と問い詰められます。レギーナはまずもってソビエト体制に生きる大人であり、ロシア人のコーリカとチェチェン人のアルフズールは兄弟のはずはない。けれどコーリカの視線を感じとって、レギーナは「たぶん、私の憶え違いでなければ、兄弟だと思います」と、歯切れの悪い答えかたをすることしかできなくなります。

コーリカにとって、アルフズールをかばうための「俺たちは兄弟だ」という嘘は、嘘でもなんでもない。だから、どんな相手でも、まっすぐに目を見て言えることです。それは子どもだから、失う物が何もないから言える。レギーナ・ペトローヴナにとっては、警察や内務人民委員部ににらまれることは、いま築いている教員としてのキャリア、デミヤンとの家庭、なにより双子の子どものために、絶対あってはならないことです。ただ、最後の別れまでレギーナはコーリカに許しを乞いつづけるので、それにも応えられなかったことを、汽車の中でコーリカは激しく後悔してしまいます。

子どもの論理と大人の論理はこうしてすれちがい、最終的には、アルフズールの追放につながります。この結末をどう考えるべきなのか、迷います。

「兄弟」は嘘なのか?に続く。

2003.10.15 子どもの瞳に映るもの——— チェチェンニュース No.37

みんなで見に行こう金色の雲! というわけで、私ははじめて一観客としてこの映画を見ることができます。会場で、チェチェンに心を砕いている方々にまたお会いできるのが楽しみでなりません。

2003.10.13 チェチェンニュース No.35No.36 を更新

5日以降、ずっと考えていたことを No.36 にまとめました。チェチェンニュースも、客観報道というよりは、かなり、自己主張の激しいものになってきています。まあ、こんなニュースレターもあっていいのではないかと。ご感想を聞かせてくださると嬉しいです。こちらまで。admin@chechennews.org

2003.10.06 アーカイブス/田中宇氏の解説記事をリンク

99年から2000年前半にかけて「田中宇の国際ニュース解説」で配信されていた記事をリンクしました。読む甲斐のある記事だと思います。

2003.10.01 ふたつのチェチェン共和国憲法の和訳を公開

チェチェン共和国には、1997年に民主的に選挙されたマスハードフ政権と、1999年にロシアの傀儡として設置されたカディロフ政権の二つの政府が存在します。そして今年3月に新しい憲法をロシア側がチェチェンに押し付けたことにより、憲法も二つ存在することになりました。今後の広範な議論に備えて、二つの憲法を公開します。仮訳をしてくださった今西昌幸さんに感謝します。

チェチェンニュース:チェチェン憲法を比較するもご一読ください。

2003.09.30 並河萬里写真財団のイベントを追加

島根県松江市の、並河萬里写真財団による展覧会の情報を追加しました。チェチェン関係の美しい写真が30枚も展示されます。展示のキャプションは、チェチェン人考古学者の支援も受けつつ準備され、かなりの充実度。山陰地方の方はぜひご覧下さい。

2003.09.23 チェチェンニュースを更新

チェチェンのことをカバーしていると、学生の頃に夢中になった映画「未来世紀ブラジル」を思い出します。巨大な官僚機構と、夢見がちな(趣味は妄想の)小役人の戦いを描いた映画です。チェチェン戦争も、権力の立場に立てば、合理的な行動も見られます。チェチェン戦争がエリツィンの辞任を安全にし、プーチンの大統領就任のための潤滑油の役割を果たし、強権を発動することでロシア全体を安定させたので、これはこれで必要な戦争だと思っている人は、西側にも大勢います。IMFなんかには特に大勢いるんじゃないでしょうか。

もちろん、94年からかぞえて20万人くらいの民間人が殺害されていることをまったく無視すればの話です。要は、「あとは野となれ山となれ」という無責任な精神が存在していると思うのです。その時さえよければいい、という発想(こんな安易なものが発想と呼べるかどうか怪しいのですが)があるために、カフカスの植民地の問題は300年も先送りされて来ましたし、チェチェン人の生命などは最も軽いコストと思われています。こんなやり方で解決するわけがないだろう。

第二次チェチェン戦争が始まって今日でちょうど4年が過ぎました。チェチェン戦争はロシアの嘘偽りと陰謀から始まっていますから、たいがいの欺瞞については尻尾が見えてきました。後世このチェチェン問題は、徹底的に愚かなロシアの植民地政策の帰結として評価を受けるでしょう。日本の政府や一部の報道機関がどう言ってロシアの立場を擁護したか、あるいは言うべきときに言わないことで支持したか、証言できるように準備をしなければなりません。記憶し、批判的に発言することが私たちに求められています。

そんなわけでチェチェンニュースをどうぞ。

2003.09.19 リンク/プリマ人権ニュースを追加

平明な英語でロシア全体の人権状況を速報し、チェチェンもバランスよくカバーしているプリマをリンクに追加しました。

2003.09.18 ロシア/チェチェンの平和と相互関係に関する条約

第一次チェチェン戦争の終戦後まもなく結ばれた条約を和訳しました。重訳御免。現在のチェチェンに対する攻撃は、条約の精神に明らかに反していますから、プーチン大統領としてはその存在自体忘れたいでしょうね。この条約がその後どう扱われたのかについては、別の記事「忘れられてはならないこと」が触れています。

なお、条約の前文にある「対等な関係」というのは、今後の目標としての位置付けで、直ちにチェチェンとロシアが対等な主権国家であるということを示してはいないものと考えられます。これについて、マスハードフ大統領はインタビューで、次のように語っています。

「チェチェン共和国とロシア連邦の相互関係を規定する主要文書に調印するようにボリス・ニコラーエヴィッチ・エリツイン氏を説得することができなかった。それができていれば、ロシアとの間に正常かつ近代的な関係を確立することができ、誰の益にもならない血みどろの戦争を回避できた」

2003.09.17 マスハードフとドゥダーエフの写真を追加

マスハードフとドゥダーエフの写真を、人名ノートのトップに追加しました。

2003.09.12 「テロとの戦争」の文脈におけるチェチェン問題

よく知らない人からは、全員がテロリストであるかのように思われてしまうチェチェン。これには一昨年の9月11日からの情勢の変化が強く影響しています。基礎情報のページに、簡単なまとめをしました。リンクも追加。友好組織のインドネシア民主化支援ネットワークです。

2003.09.11 チェチェン戦争を考えるビデオ上映・討論会

チェチェン平和運動のなかで最古参のNGO、市民平和基金主催の討論会が行われます。くわしくはイベント情報をどうぞ。

2003.09.11 日記をとること

手書きで日記をつけています。自分の生活のことも、チェチェンのことも書くのですが、誰にも見せず、なるべく主観的に書きます。「私はこの事をこう見ている」と、他者を気にせず綴るうち、考え方や、感じ方の一片が見えてきました。自由に記録することで、自分をとりまく、事態の推移/心の動きが対照できるようになり、<自分にとっての歴史>が編まれてゆきます。

また、独自の視点を確保することで、世界のどこか片隅に自分がいるのではなく、世界が自分の周囲にあると気づいて、立場は大きく変わりました。もちろん、日記は誰もが書くことができ、チェチェン人のような少数民族にとっても、歴史を持つ資格があります。それはまず読まれるべきだと思い、友人たちと、チェチェンの歴史に関する本を作っています。ご期待を。

2003.09.10 地雷による死亡者が最も多いチェチェン

毎日新聞によると、地雷禁止国際キャンペーンは、昨年対人地雷によって死傷した1万1千人のうち、チェチェンでの死亡者が5000人以上に上ると発表。軍人を含むものかどうかはわかりませんが、これから調べます。

で、とりあえずICBLのサイトを調べたところ、こういう記述でした。「地雷廃絶国際キャンペーンの2003年次報告書によると、前年中のチェチェンにおける対人地雷と不発弾による死傷者数は5695人。うち938人が子どもで、死亡者は125人にのぼる。」大人の死亡者数は不明。根拠はとりあえず、独立派のチェチェン政府筋、のようです。

2003.09.09 リンクを追加

東長崎機関/コーカサスコーナーと、RFE/RL Crisis In Chechnya を追加しました。

2003.09.05 チェチェンニュース1000通に迫る

Vol.03 No.32 2003.09.05を発行しました。5通から始まったチェチェンニュースも982通です。 イベント情報: ノアの人びと 初公開映像に見るチェチェンの民衆

2003.09.03 トップページの変更について

各種イベントの情報を提供しやすくするため、トップページのレイアウトを変更しました。さらなる改良のご要望はこちらにお寄せください。

2003.09.03 「ロシアは死者を呼び招かず」

プリスタフキンロシアの作家プリスタフキンがあっちでもこっちでも話題となっている今、この文章は人の眼にふれる場所になくてはならない気がしました。第二次チェチェン戦争はじまって間もない2000年の早春、パリの亡命ロシア人の墓地を訪問したプリスタフキンは、48年前に世を去った文人イワン・ブーニンの記憶と、戦争の泥沼にある現在のロシアの間を往復します。チェチェン戦争にロシアの闇を見出す、文人の眼。

2003.08.29 ユーラシアに、今こそ平和の一大運動を

寺沢潤世上人チェチェン平和運動の先覚者、日本山妙法寺の寺沢潤世上人からの手紙が、ファックスで届きました。主に韓国を歩かれたあとの便り。私も、せめて万分の一の働きをしたいものであります。滝のような汗が・・・。

撮影:山口花能

2003.08.28 ノアの人びと
初公開映像に見るチェチェンの民衆

子どもの物語にあらずちょうど1ヶ月後の9月27日、チェチェン関連の映像を見る会が開かれます。テロ事件しか報道しないマスコミは、「チェチェン人は残虐なテロリストだ」といったクレムリンの作り話に荷担していると言っても過言ではありません。そこからは誇り高く、勤勉で、礼儀と名誉を尊ぶ、信仰心の篤いチェチェン人の実像は見えてきません。チェチェン人は自らをノフチ-「ノアの人びと」と呼びます。神が堕落した世界を怒りの大洪水によってリセットしたとき、神の忠実な僕として唯一生き残ったノアの直接の子孫であるという自負心が、チェチェン人の心の中には流れています。これまで日本では公開されてこなかった3つの映像作品からチェチェン人の心意気を探ります。

2003.08.27 ルドニック・ドゥダーエフ/人名ノート

チェチェンの親ロシア治安機関のチーフ、ルドニック・ドゥダーエフについての情報を追加。ついでにインデックスの整理と、全体の配列を50音順に変更しました。

2003.08.22 チェチェン報道の現在/各紙論説を短評 その1

チェチェン問題をめぐる、主要紙の論説を短評します。まず8月19日の朝日新聞の社説から。

2003.08.20 イベントカレンダー

カレンダー今年の秋は、チェチェン関係のイベントが盛りだくさんなので、カレンダーを作りました。しばらくはアムネスティ・インターナショナルのチェチェン人スピーキングツアーで一杯です。詳細は追って。

2003.08.19 後を引かない狂気

2000年3月に、ロシア軍のユーリー・ブダーノフ大佐は、チェチェンの少女エリザ・クンガーエヴァ(18歳)を拘束した後、自分のテントで輪姦して絞殺し、軍警察に逮捕された。この事件について、2002年の5月の時点で、ロシアの雑誌ノーヴォエ・ブレーミヤに掲載された記事。

2003年7月27日にブダーノフ大佐は10年の刑を言い渡されたのだが、8月12日の Agenstvo politicheskikh novostei (政治報道局)によれば、ロシア国防省筋のある人物は、この刑期が、プーチン大統領と軍の間に事前に取り交わされた合意に反するものだと話した。もともとプーチンは軍に対して、犯行当時にブダーノフ大佐が心神喪失の状態にいたという理由で、最終的には地方の精神病院に送り、ほとぼりが冷めた頃に釈放すると内示していたらしい。 novosti は、「ブダーノフの刑期が、チェチェンでの大統領選挙以降に見直される可能性は否定できない」と結んでいる。http://www.jamestown.org/pubs/view/chw_004_030_004.htmいったんは刑が決まったブダーノフだが、今後の動きにも注意しなくてはならないらしい。この事件は、ロシア軍における不処罰の慣習の一例を示している。

2003.08.18 友達増えました

最近知り合った人々をリンクに追加しました。

2003.08.17 チェチェンとその周辺のアピール

7月31日の寺沢上人のお話を聞く集いの際、会場では若い平和/人権活動家からの活動紹介がありましたので、ご紹介します。チェチェン問題については、アムネスティ・インターナショナル。そして、チェチェンとよく似た状況が展開されているインドネシア・アチェの問題を追及しているインドネシア民主化支援ネットワーク。爽やかな企業イメージとは裏腹に、労働者の殺害も含めた苛酷な人権抑圧をしているコカコーラ社製品の不買運動については、益岡賢さんのレポートがありました。

2003.08.15 失われた教育の場をとりもどすために

現在発売中の「婦人の友」9月号に、チェチェンの子どもを支援する会の鍋元さんの記事が掲載されています。ぜひお買い求め下さい。また、下斗米伸夫氏の記事はチェチェン問題を詳細に解説しているので、意見交換のよい材料になると思います。

■戦争と子どもたち
失われた教育の場を/鍋元トミヨ
イラク・戦争の爪痕/アグネス・チャン
■いま世界で
チェチェン紛争の現在/下斗米伸夫

2003.08.15 アンテナ張ってます

チェチェンに関する情報源の更新状況が一目でわかるようにアンテナを作りました。ブックマークすると便利と思います。当分日本語/英語の情報源についてフォローします。

2003.08.12 バサーエフ、モズドク自爆攻撃の責任を認める

忙しくて気づかずにいましたが、バサーエフがモズドク自爆攻撃について関与を認めた模様。だいたい予想通りの展開です。つぎつぎ事件は起こるものの、パターンはそう多くなく、今のところは同じことの繰り返しです。追記:8月1日の軍病院爆破事件ではなく、6月にバスが爆破された事件です。どうしてこう紛らわしいタイミングなのか?

2003.08.09 国連のテロ支援リスト入り?

チェチェン独立派のバサーエフ司令官の国連安全保障理事会のテロ支援リスト入りというニュースを踏まえ、一般メディアには載らないであろう情報を提供します。テロ支援リストについては、2月に同様の事件がありました。また、これまでも指摘していますが、ロシア側にテロリストと名指しされているシャミーリ・バサーエフは、実はロシア側に育てられてきたという背景があります。

2003.08.09 プリスタフキン関係のグッドニュース

アナトーリー・プリスタフキン原作の小説「コーカサスの金色の雲」の映画版「金色の雲は宿った」が、ついに10月に上映されます。NHK-FMでのラジオドラマとあわせ、今年の秋はプリスタフキンづいています。アルフズールの部屋もそろそろ更新しなくては。 FMシアター
シリーズ「ロシア・ユーラシアの現代文学」

第4回 10月4日 プリスタフキン原作「コーカサスの金色の雲」(予定) 映画上映会

10月18日 プリスタフキン原作「金色の雲は宿った」
中央区、ワーカーズサポートセンターにて。

2003.08.02 「チェチェンのテロ」の図式

チェチェン近隣のモズドクで爆破事件がありました。かなりの犠牲が出そうです。チェチェン人の仕業かどうかわかりませんが、ロシア側は早くもそう発表。こういう事件については「モスクワ劇場占拠事件はロシアの挑発だった」にて論考しました。

2003.08.02 チェチェン人とロシア人は共存できるはず

昨日もチェチェン近隣で爆破事件がありました。かなりの犠牲になりそうです。事件前に寄せられた、読者討論への投書。今、ロシアでは一面的な報道が強まるとともに、チェチェン人憎しの感情が広がっている。けれど、モスクワ留学時代の経験から、ロシア人・チェチェン人の共生は可能だと信じている。実際の見聞に基づいた貴重な意見。

2003.07.31 寺沢潤世上人のお話を聞く集い

おかげさまで、盛況のうちに終わりました。参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

2003.07.31 チェチェンニュース Vol.03 No.30 2003.07.31

題して、被告席のピースメーカー。

今この時、ロンドンの法廷で、ひとりのチェチェン人が被告席に立っている。アフメド・ザカーエフ。チェチェンの穏健派指導者、マスハードフ大統領の代表で、ロシアとの和平交渉を任されている。昨年12月にロンドンに到着した際、ロシア側の引渡し要求によって拘束され、イギリス司法の審問が続いている。つぎつぎ繰り出されるロシア側の薄弱な証拠に唖然。

2003.07.25 チェチェン戦術航空図

もしもアメリカがソビエトと戦争をしていたら、こういうものが必要になったにちがいありません。テキサス大学図書館にあるチェチェンと周辺地域の地図のインデックスを作りました。この地図はCIAと米軍の資料で、版が古くなったので無料公開したのだと思います。CIAなど嫌いですが、資料としては使えます。ダゲスタン版 もあります。

2003.07.24 チェチェンニュース Vol.03 No.29 2003.07.24

「白いストッキングの狙撃兵」から、「黒衣の寡婦たち」へ。今年5月のロシアの雑誌ノーヴォエ・ヴレーミャの記事。捏造された「国民投票」で、80%以上のチェチェン人が「ロシア内に留まることに賛成した」というロシア側発表が世界中に伝えられたことで、チェチェンの人々は発言権を失いました(これについては、日本も含め、報道機関の責任が重いと思います)。考えてみると、こうしてチェチェン人が政治権力を奪われた以上、どんなことが起こってもおかしくありません。

2003.07.19 基礎知識

「チェチェン紛争とは何か?」を再編集しました。以前より論旨が明確になったのではないかと。

2003.07.18 「ロシア・CISの不安定要因」研究会発足

シンクタンクの日本国際フォーラムで、チェチェン問題を含む研究がスタートしました。思わずひるむ広範囲な研究。

2003.07.14 グッドニュース

アナトーリー・プリスタフキン原作の小説「コーカサスの金色の雲」が、NHKのFMシアターでラジオドラマ化されます。作品については、アルフズールの部屋をご覧下さい。以下はチェチェンニュースの地獄耳により判明。 FMシアター/シリーズ「ロシア・ユーラシアの現代文学」

第1回 9月6日 ルイトヘウ「クジラの消えた日」 第2回 9月20日 アイトマートフ「最初の教師」 第3回 9月27日 イスカンデール「大きな家の大いなる1日」(『チェゲムのサンドロ おじさん』より) 第4回 10月4日 プリスタフキン「コーカサスの金色の雲」(予定)

2003.07.13 ユーラシアからの手紙

日本のチェチェン平和運動の先覚者であり、団扇太鼓を手にユーラシア各地を歩いて平和祈念を続けている日本山妙法寺の寺沢潤世上人からの手紙。年間4〜5通届いているので、今後はここで紹介します。なお、今月14日以降上人が帰国されるので、お話を聞く機会を作りたいと思っています。関心のある方は編集室までお知らせください。

2003.07.11 アルカイダとチェチェン

ところで、アルカイダはどこに行ってしまったんでしょう。去年、ワシントンポスト紙は、チェチェン共和国アメリカ駐在代表、リョマ・ウスマノフ氏の投書を掲載しました。「敵」が作り出されるとき、いつもチェチェン人が引き合いに出されます。「アルカイダ」という言葉が、別の何かに置き換えられるだけなのです。

2003.07.09 バサーエフのこと/人名ノート

チェチェン関係のテロ事件が起こるたびに犯行声明を出し、まるでハマスのような役割を1人で引き受けているのが、シャミーリ・バサーエフ野戦司令官だ。バサーエフは中東で軍事訓練を受け、「国際テロネットワーク」の一部だとの報道がよくされるが、アブハジア紛争において、ロシア軍事情報部(GRU)の直接の訓練を受けていたことは常に省略される。

2003.07.07 プリマコフからみたチェチェン戦争/人名ノート

ロシア指導部の中ではチェチェン介入に慎重だったプリマコフ元首相の情報を追加。ふたたび浮上するベレゾフスキー人脈・・・

2003.07.06 チェチェンニュース Vol.03 No.26 2003.07.06

モスクワ、コンサート会場での爆弾事件の、くわしい背景解説を試みました。

2003.07.06 「チェチェンのテロ」に見られるパターン

事件の起こるときは立て続け。モスクワで爆弾事件がありました。チェチェン人の仕業かどうかわかりませんが、ロシア内務省はそう発表しています。こういう事件については「モスクワ劇場占拠事件はロシアの挑発だった」にて論考しました。

2003.07.05 チェチェン『大統領選挙』の根拠

ロシアのプーチン大統領は、チェチェンでの「国民投票」の結果にしたがって、チェチェンの大統領選挙を10月に行うと発表しました(時事通信による)。ロシアが主導した国民投票の政治的な欺瞞については、MdM(世界の医療団)の発行したリリースに詳しいので、そちらをご参照ください。

同じくフランスものですが、ルモンド・ディプロマティーク日本語版も、この件を扱っています。ふたたび紹介。

2003.07.04 石油はチェチェン戦争の本質ではないと思う

チェチェンを見守ってきた日本人商社員の意見。チェチェン戦争は、石油のない昔から続いてきた。この弾圧の原因は、他にもとめるべきではないか?

2003.07.01 石油利権や「統一国家」に、いかに立ち向かうか

インドネシア、アチェ問題に関わっている編集者からの意見。チェチェン問題とアチェ問題には、よく似た構図があるかもしれない。

2003.06.27

「読者討論」をはじめました。

読者の皆さんからの意見と、編集者の返事をまとめました。ご意見、ご感想をお寄せください。

2003.06.27

「読者討論」をはじめました。

読者の皆さんからの意見と、編集者の返事をまとめました。ご意見、ご感想をお寄せください。

2003.06.23

チェチェンの二重世界

フランスの雑誌ルモンド・ディプロマティーク日本語版により、チェチェン問題の記事が配信されました。わかりやすい内容です。

2003.06.23

チェチェンニュース Vol.03 No.25 2003.06.23

チェチェン戦争は誰にとって必要な戦争なのだろう。

2003.06.19

イングーシの辺境から〜 一族を祭る塔が倒れるのはなぜなのか?

過去記事から再掲載。考古学者、ヤン・チェスノフがつづった、イングーシでの研究現場の様子。チェチェン・イングーシの民族のシンボルである「塔」が、「史跡を戦車の隠れ家に使う連中」によって破壊されつづけている。復興の希望はあるのか?

2003.06.12

チェチェンニュース Vol.03 No.24 2003.06.12

本号以降で、チェチェン独立問題について考えてみます。

2003.06.11

将軍たちはチェチェンから撤退を考えている

モスクワのフリー軍事評論家、パーヴェル・フェリゲンガウズルの情勢分析。現在から見ると予測は外れてしまいました。この論文に書かれたようなロシア軍内部の厭戦気分もあると思うのですが、それはフェリケンガウゼルの周囲の、開明的な軍人たちの特有の空気なのでしょう。大半の軍人はチェチェンを金儲けの場と見なしているのが現実。

2003.06.07

消滅しかけている美しい魂 〜 グルジアに逃れたチェチェン難民

日本山妙法寺の寺沢潤世師は、2000年3月、グルジアの寒村を訪れた。そこには、ともし火のようなチェチェンの心があった。静かな感動のエッセイ。
チェチェン民族のすべての世代が、民族存亡の危機を体験した。チェチェンの子供たちは、その無垢の心に親たちの嘆きを、怒りを、悲劇を、絶望を、全身全霊込めて記憶に刻み込んでいく。 それは民族全体の記憶の深淵に沈殿し、伝承されつづける...

2003.06.05

チェチェン紛争概説

アムネスティ・インターナショナル総会での、チェチェンニュース発行人の講演記録をアップロードしました。熱いです。
「チェチェン問題が何であるかを一言で論じることは大変にむずかしいのですが、ひとつの見方として私が強調したいのは、200年以上の歴史の中に刻み込まれた、抑圧と非抑圧の関係の発火点が、現在のチェチェン戦争だということです・・・。」

2003.06.01

年代記を追加

昨年8月以降、今日までのデータを追加しました。当サイト独自の力技。

2003.05.30

チェチェンに送られる兵士は孤児

イズベスチア紙によると、これまで200人以上のホームレスの孤児が、ロシア陸軍に兵士としてスカウトされているという。ロシアにおける児童虐待状況が明らかに。アーカイブに再録記事を追加。

2003.05.28

チェチェンの子どもを支援する会、報告会

チェチェン難民支援報告会の模様をアップロードしました。世界から無視されているチェチェン人ですが、少しでも助けることはできるはずと思いました。たとえ地球の反対にある日本からでも。

2003.05.25

基礎情報、年代記の最初の部分、1991年の内容を増補。これから、過去の新聞報道の網羅的収集を行います。更新目標は週1回。

2003.05.24

チェチェン難民報告会、無事に終わりました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。

2003.05.22

アーカイブス、「モスクワ劇場占拠事件はロシアの挑発だった」を追加。チェチェン以外の場所で発生するほとんどの「テロ事件」には、チェチェン人ではなくロシアの特務機関の影が常にちらついている。新たに報道された事柄を追加しつつ再掲載。このサイトの課題は、一見小さな取るに足りないことを、忘れないこと

2003.05.21

当方のリクエストにこたえて、RIAノーボスチ通信からロシアのプーチン大統領の年次教書が届いたので掲載。チェチェンに関係するところは太字にしてあります

2003.05.21 チェチェンの野戦司令官、北部地方での自爆攻撃について犯行を声明

ロシアの軍人とともに、多数の民間人が死傷する事件が起きたのち、チェチェンの独立派政府が関与を否定し、のちにバサーエフが犯行声明を出すパターンは、去年10月のモスクワ劇場占拠事件以来続いている。チェチェン独立派内部での不調和があらわれている。「戦えば犠牲は20万人で済む。戦わなければ皆殺しにされる」と話したチェチェン人がいた。94年からの10年近い戦争の中でチェチェンの普通の人々は追い詰められている。バサーエフのような過激派野戦司令官が自爆攻撃を企図する構図は、しばらく続きそうだ。

2003.05.20

イベント情報 チェチェン難民報告会がいよいよ今週末。難民の置かれている状況に関心のある方はぜひご参加ください。

2003.05.15

アーカイブス、「忘れられてはならないこと」を追加。チェチェンのマスハードフ政権のサイトに掲載された短いエッセイ。大統領本人が書いたのではないかと思うほど、彼の立場をよく表している。

2003.05.14

イベント情報 マスコミの報道しない北朝鮮の姿/-北朝鮮報道に対するメディアリテラシーを学ぶ-を追加しました。北朝鮮もチェチンに劣らず、正確に報道されていない。辺境から世界を読み直す試み。

2003.05.14

何が悲しいと言って、ロシア関係機関に対する「自爆テロ」は世界に報じられるのに、毎日ロシア軍に不当逮捕され、失踪し、無残な遺体で発見されるチェチェン人のことがほとんど知られていない。報道にも需要と供給があるなら、この不公平は、私たちが選んだのだろうか?

2003.05.13

考えてみると、12日に爆破事件があったズナーメンスコエは、チェチェンの北端に位置し、完全なロシアの制圧地区といわれてきた。ロシア政府はしぶしぶ受け入れていた欧州安全保障協力機構(OSCE)の事務所を昨年12月一杯で追い出したばかりだが、その事務所も、ほとんど戦闘のなかったズナーメンスコエ。ロシアのチェチェン支配の脆弱さがよくわかる事件になった。

2003.05.12

5月9日からこちら、チェチェンでは爆弾による攻撃が相次いでいる模様。 日本では「イスラム武装勢力によるテロ」と報じているが、チェチェンで起こっているのは明らかに「戦争」で、民間人多数を巻き込んでいる。だからこそ、交渉による平和的解決が必要だと思う。この点を世の人がミスリードしてしまわないか、心配。最近採択されたという「新憲法」についてはMDMのリリース参照。

2003.05.19

人名ノート、マスハードフについて補足。今月9日にも爆破事件のあったナドテレチヌイ地区はマスハードフの地盤だった。爆破があったズナーメンスコエから、マスハードフのテイプのある Zebir-Yurt との距離は20キロ強。ただし生まれたのはカザフスタン。砲兵出身だから、物事を論理的に考えたり、計算するのは得意なはず。そのかわり直接会った人からは、やや面白味に欠ける人だったとも聞く。

2003.05.11

アーカイブス、アッラ・ドゥダーエヴァのインタビューを追加。「チェチェンにも恐るべき卑劣漢はいる。けれども、どうしてそういう人々のために全チェチェン人が苦しまなければならないのか?」という彼女の声を、私たちは真剣に聞くべきだと思う。「対テロ戦争」の一つの現実。

2003.05.09

チェチェンニュース Vol.03 No.21、5月1日のモスクワ爆弾事件の捜査打ち切りについて、書き落としていたので追加しました。このところモスクワの陰謀にかかりきりで、チェチェンの状況がややおろそかに。報道を通した、人権状況のモニタリングというのも大切だと思うんですが、誰かやりません?

2003.05.08

トップページにサイト内検索窓をつけてみました。

2003.05.08

イベント情報「グローバル化のなかのインドネシア———スハルト以後の改革・民主化を振り返る」を追加。仲間の団体(とこちらが勝手に思っている)、インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)が主催。ワヒド前大統領を呼んでしまうなんて、すごい。

2003.05.08

チェチェンニュースVol.03 No.21 を格納

2003.05.06

人名ノート、ドゥダーエフについて補足。最近手元の資料を整理しているので、更新が増えています。

2003.05.05

人名ノート、ウラジミール・プーチン大統領を増補。「プーチン、自らを語る」ナターリヤ・ゲヴォルクヤン、扶桑社、2000年をもとにしていますが、この本を読むとプーチン大統領が、この時点でいかにチェチェンを知らずに戦争していたかがよくわかる。ルイプキンについても少々補足。

2003.05.04

イベント情報、イラク緊急報告会と、紛争予防e-シンポジウムを追加。寺沢潤世師と伊藤憲一教授が参加して、テーマが「テロリストか自由の戦士か?パレスチナ、チェチェン、その他紛争地域における平和の実現」とは、濃すぎます。

2003.04.30 バクーからの通信/チェチェンの子どもを支援する会ワーカーより

鍋元です。4月中旬から、アゼルバイジャン共和国に、難民支援のため滞在しています。今日のバクーはいきなり冬に戻りました。ここにも「暑さ寒さも復活祭まで」という言葉があります。知り合ったチェチェンの女性に、聞きたいことをぶつけてみました。難民たちが戦争をどう考えているか、一端がわかって興味深いです。

2003.04.29

チェチェン人権状況報告 4月18日に、チェチェン人ジャーナリストのルスラン・イサーエフは、次のように報告した。「現在もっとも危険な場所はグロズヌイだ。ここでは毎日戦闘と爆破が続いていて、ロシア軍の<掃討作戦>のために毎日犠牲者が出ている。数日前にも、スタロプロミスロフスキー地区で二人の死体が土中から掘り出された。ロシア軍の掃討作戦で拘束された、近郊の村人だった。15日には、機関銃でめった撃ちにされた3人の遺体がグロズヌイ郊外で発見された。なぜか、うち一人はロシア人の子どもだった」

2002.04.27

アーカイブス、ロシア下院議員、セルゲイ・コバリョフへのインタビュー再掲載。94年以来チェチェン問題をみつめ、行動してきた政治家として、コバリョフ議員はチェチェンのマスハードフ大統領との和平交渉のほか、実際の選択肢がないことを主張してやまない。

2002.04.22

アーカイブス、パトリック・タイラーのベレゾフスキーへのインタビュー再掲載。重要なのは96年から3年間の戦間期、ベレゾフスキーがバサーエフを通じてチェチェンに干渉していたこと。

2002.04.22

アーカイブス、チェチェンのシャミーリ・バサーエフ野戦司令官のインタビュー記事を再掲載。この人はしかし、どんな人なんでしょうね。

2002.04.21

アーカイブス、チェチェン共和国のマスハードフ大統領のインタビュー記事を再掲載。チェチェンから見たこの戦争の姿とは。

2002.04.21

アーカイブス、駐日ロシア大使館のリリース(2002.02.20)を再掲載。

2002.04.19

チェチェン国民投票は侮辱国際NGO、メデゥサン・ドゥ・モンドによる報告を追加

2003.04.19

チェチェンニュースVol.03 No.17 を格納

2003.04.16

人名ノートにイリアス・アフマドフチェチェン外相を追加

2003.04.16

チェチェンニュースVol.03 No.16 を格納

2003.04.16

サイトを整理しています。リンク切れにご注意

2003.03.30

チェチェンニュースVol.03 No.15 を格納

2003.03.26

チェチェンニュースVol.03 No.14 を格納

2003.03.22

チェチェンニュースVol.03 No.13 を格納

2003.03.20

チェチェンニュースVol.03 No.11、No.12 を格納

2003.02.28

チェチェンニュースVol.03 No.10 を格納

2003.02.28

チェチェンニュースVol.03 No.09 を格納

2003.02.26

チェチェンニュースVol.03 No.08 を格納

2003.02.24

人名ノートベレゾフスキー、ルイプキン、コバリョフ、ドゥダーエフについて補足

2003.02.22

チェチェンニュースVol.03 No.06 を格納

2003.01.25

チェチェンニュースVol.03 No.05 を格納

2003.01.18

イベント情報チェチェン問題についての講演会(大田区)を追加

2003.01.18

チェチェンニュースVol.03 No.04 を格納

2003.01.12

チェチェンニュースVol.03 No.02、No.03、を格納

2003.01.08

小泉首相訪ロに向けた要請文を発信しました

2003.01.05

イベント情報第2回チェチェン難民支援報告会 を追加

2003.01.05

チェチェンニュースVol.03 No.01を格納

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