チェチェン総合情報


チェチェンニュース Vol.03 No.17 2003.04.19

発行部数: 923部

■チェチェンで何人目が消されたか?〜ユシェンコフとチェチェン人の死をめぐって〜

●機能しない国連人権委

4月16日、ジュネーブで開かれている国連人権委員会は、チェチェンでの人権問題について、主にロシア政府の責任を追及する内容の決議を否決した。チェチェン問題を憂慮する関係者の間では、国連人権委員会に対する関心は下がる一方。2001年にチェチェン問題についての決議が採択されたものの、その後は毎年否決されつづけているからだ。

●チェチェンで発見された2,879人の遺棄死体

この直前の14日、ニューヨークタイムズとル・モンドに、チェチェンの親ロシア政権が、モスクワに送付した「報告書」についての暴露記事が掲載された。これによると、2003年に入ってからだけでも70件の殺人、126件の誘拐、19件の行方不明が報告され、52体の遺体がばらばらになって遺棄されていたのが発見された。この3年間の親ロシアの非常事態省の記録では、2,879人の遺棄死体が、49箇所で掘り出されたという。昨年1年間にチェチェンで殺害された人数は1,314人にのぼる。

NYT/ Crime Reports Defy Russian Claims of Greater Calm in Chechnya
http://www.nytimes.com/2003/04/14/international/europe/14CHEC.html

カディロフ行政長官を中心とする親ロシア政権は、ロシア軍のチェチェン侵攻による副産物だ。しかし、チェチェン人への虐待と虐殺が発見されるたびに、同じチェチェン人から突き上げられ、基盤が弱まる。今回の報告書は、連邦中央に対して現状を報告することで、状況を改善させたいという願いのにじみ出たものだろう。ロシアのヤストルゼムスキー大統領補佐官は、この報告書の存在については「ダーとも、ニエットともお答えできない」という立場だ。

ロシア検察庁のフリジンスキー副長官は、「残念なことに、多数の人々が行方不明になっているのは事実だ」としながらも、「そのうちある部分は、チェチェンの独立派が誘拐している。遺棄された遺体を照合すべく努力中だが、民間人かそうでないかはまだわからない」と発言。翌15日、チェチェン親ロシア政権のハミードフ副首相は、暴露された報告書の存在を否定しつつ、第一次、第二次のチェチェン戦争における行方不明者数は2,500人以上に上るとした。

消されたのは3千人前後なのか、それともチェチェン人たちの言うように10万人以上なのか。うち、どれだけが兵士で、民間人なのか。報告書が述べている人数は、発見された遺体の統計と、誘拐され、行方不明になった人々の家族の申告を元にしている。最低限言えるのは、「チェチェンでは、ここ3年間で、2800体以上のチェチェン人の遺体が遺棄された。その多くは民間人と思われる」ということだ。

●ユシェンコフの死をめぐって

4月17日、モスクワで、セルゲイ・ユシェンコフ下院議員が何者かに射殺された。ユシェンコフ議員は、人民代議員時代から10年以上の任期を務め、議会の安全保障委員会のメンバーだった。ここ9年間でロシアで殺された議員は同議員で9人目になる。いずれの事件も解決していない。

モスクワタイムス/ Liberal Russia's Yushenkov Shot Dead:
http://www.themoscowtimes.com/stories/2003/04/18/001.html

午後6時、少なくとも2人の犯人が、車を降りて自宅のアパートに入ろうとした議員の背中に4発の銃弾を打ち込んで殺害した後、現場に消音器のついたピストルを捨てて逃げた。警察当局は「プロの犯行とみて間違いない」としている。何人かの関係者の証言では、議員がビジネスに関わっていないことから、そういった面での恨みによるものとは考えられない。ユシェンコフのあとには、妻と25歳の息子、19歳の娘が残された。

同じ会派「自由ロシア」に属するユーリー・ルイバコフ議員は、暗に、政府が犯行に関与しているという見方を示す。「ユシェンコフは、1999年のアパート連続爆破事件への、連邦保安局(FSB)の関与を追っていた。この事件は明らかに、政治的な意図による暗殺だ」 問題のアパート連続爆破事件は、チェチェン人による犯行と断定され、ロシア軍によるチェチェン侵攻のきっかけになった。いまだに犯人は特定されず、逆に当初から、ロシア連邦保安局の関与が疑われつづけている。この事件の犠牲者は300人以上にのぼる。

アパート連続爆破事件:
http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/archives/1999moskva.htm

ユシェンコフ議員は、2001年にはセルゲイ・カバリョフ下院議員やエレーナ・ボンネル女史らとともに「チェチェン戦争終結と平和構築委員会」に参加し、和平交渉を通じたチェチェン戦争の終結をアピールしている。

チェチェンとモスクワで、この4年間にいったいどれだけの人命が、チェチェンを巡って失われたことか。死亡者数ひとつで当局者が右往左往する事実は、それだけチェチェンで都合の悪いことが起こっていることを示している。本当の人権状況が国際社会に漏れた場合の影響は計り知れない。また、立法府の議員が次々暗殺され、すべて未解決というモスクワの状況は異常だ。

チェチェンの大統領であるマスハードフは、最近のインタビューで「チェチェンで戦争を続ければ、ロシアは崩壊する」と答え、和平交渉の準備があることを重ねて表明した。確かにチェチェン問題は、ロシア社会の根幹を揺さぶりつづけている。(2003.04.19 大富亮/チェチェンニュース)

朝日新聞/ロシア大物下院議員が射殺される モスクワで :
http://www.asahi.com/international/update/0418/007.html

ロイター/ユシェンコフ議員の殺害現場写真:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030418-00000670-reu-int.view-000

■MdMプレスリリース/「国民投票は許しがたい悲惨な結果」

4月10日、国際NGOのメドゥサン・ドゥ・モンド(MdM)は、3月に行われたチェチェン国民投票についてのプレスリリースを発行した。MdMはチェチェンに監視員を派遣し、かなり具体的に報告している。一部を紹介。

「メドゥサン・デュ・モンドの調査員は、その他にも多くの不正を確認・目撃した。3月23日午前10時のラジオニュースで、ペルヴォマイスカヤ通りの第7学校に設けられた投票所前には、投票を待つ長い列ができていると報道していたが、5分後に現場に到着してみると投票所前には武装した警備員しかおらず、投票所内にも4-5人の投票者がいただけだったと報告している。さらに、スタロプロミスロフスキ地区の投票所選挙委員会直属の立会人は、有権者が同投票所へやってきた有権者は300人弱であった旨、委員会に伝えたが、夕方の公式発表による同投票所での投票者数は2,185人となっていた。メドゥサン・デュ・モンドの調査員に同行したチェチェン人たちは、今回の投票の馬鹿らしさを証明するために、意図的に複数の投票所で何回も投票してみた」

MdMプレスリリースの全文と連絡先:
http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/archives/pr20030410mdm.htm

MdM:
http://www.medecinsdumonde.org/japan/

■チェチェンの子どもを支援する会/ニュースレター発行

4月10日、日本のNGOのチェチェンの子どもを支援する会が、ニュースレターを発行しました。ダウンロードも可能ですので、次のURLでご覧下さい。

チェチェンの子どもを支援する会:
http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/

ニュースレター「あるふずーる」:
http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/newsletter/news001.pdf