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「チェチェン戦争は、権力の汚い陰謀」
アッラ・ドゥダーエヴァへのインタビュー

記事について

アッラ・ドゥダーエヴァは画家である。あるロシア人によれば、「アッラは詩も書く。いつかそれをテレビで聴いたことがある、とてもすてきな詩だった」と言う。毎日、ロシアの治安部隊の掃討作戦が荒れ狂うチェチェンに、詩や絵が好きな、このロシア人女性は住んでいたのだ。

96年に、第一次チェチェン戦争でジョハル・ドウダーエフ(初代大統領)が爆殺されて間もなく、その妻であるアッラが行方不明になったというニュースがあった。 彼女はロシア人ということだったので、ロシア側に拉致されて、どんな拷問にあっているのか、と身のすくむ思いでニュースを追っていると、モスクワ近辺の父親のもとに身を寄せているようすが、写真つきでコムソモールスカヤ・プラウダに載った。ジョハル・ドウダーエフはすごみのある情熱的なコーカサス美男だったが、アッラは激しいとか、南国的という感じより、もっと静かな上品な雰囲気が印象的だった。

それに、独立チェチェンの頭目の夫人という重々しさがなく、普通のチェチェンの女性たちのように、ネッカチーフの結び目を首の後ろに作ってかぶっていた。ロシアからポーランドに追放される前の記者会見でも、ほとんど無表情に、自分の命が救われていることには感謝していると言っただけだった。 ロシアに対して有益になるようなことも一切言わず、ロシアを非難する言葉も言わなかったと記憶している。

チェチェン独立派としての発言、アピールは一切なかったわけだが、誇張のない毅然とした態度、最低限の抵抗と譲歩のバランスが、感動的だった。チェチェンの抵抗運動を表立って支える活動をしているという話は聞かない。彼女はそういう活動家ではないのだろう。近く、バクーで直接アッラに会った知り合いが帰国する。さきのロシア人とともに、話を聞くのを楽しみに待っているところだ。(2003.05.02 T.K)

初出:ノーヴァヤガゼータ 2000.07.31
聞き手:ガリーナ・アッカーマン

パリ郊外、ヴィントリスルサン市。古い駅舎が劇場代わりになって、「アビニオン演劇祭には行かないぞ」というスローガン。アンチ演劇祭の若い演劇人たちだ。アビニオン演劇祭は観光客誘致の呼び物にすぎなくなった。本物の演劇は社会の硬直化、固定観念と闘うべきだ。若い演出家ドミニク・ドルミエもこの反乱者の一人である。彼の仕事は、チェチェン文化の紹介。ロシアが行っているジェノサイドに対する、抗議の夕べの企画。アッラ・ドウダーエヴァの絵画展で幕が開く。展覧会のあとで、このインタビューをとった。

ガリーナ・アッカーマン(以下GA): ドウダーエフ・ジョハールとの出会いは?

1967年。自分は20才で、教育大学の版画科の学生でした。父はロシアのカルーガ市郊外の軍事都市にいて、夏休みにそこへいったとき、士官会館のダンスの夕べで、夢のように美しい眼の若者がダンスに誘ってくれた。私たちは意気投合して、彼は好きな詩を暗唱してくれた。レールモントフを。彼自身、レールモントフのロマンチックな主人公のようだった。

GA: どんな人でしたか?

彼がモラル、義理というようなことを話しだしたので、私は驚いた。チェチェン人は民族として共通のモラルがあり、氏族としてのモラルがある、子どもが産まれれば氏全体で育て、子どもの時から自己犠牲、高潔さ名誉というものを教え込まれる。私がチェチェンに行ってみると、小さな男の子たちまで、礼儀正しく、あなたの両親は元気にしているかなどと、会ったこともない親類のことまで訊いてくれたもの。その後知ったことだけれども、氏族の誰かが病気にでもなれば、そのことは全ての親類が知らされて、病院や家に、お見舞いが品物やお金で届けられる。チェチェンの家では、不意のお客をもてなすことができるように、必ず一人分の食事を、お鍋やフライパンに残しておくの。

GA: ドウダーエフはソ連軍の将校でした。彼は信心があったんでしょうか?

チェチェンで宗教が死滅したことは決してありません。老人たちは必ず祈りを捧げてきた。ジョハールはもちろん、ソ連軍に勤務しているときに宗教的な戒律を守ってきたわけではないけれども、心の底では信心をしていた。大統領に選出され、メッカの巡礼を果たしてからは、規則正しく日に五回の祈りを守るようになりました。

GA: ワハビズムについてどう考えていますか?

今回の戦争の前にパキスタンに行って来たルスラン・ゲラーエフは、よその国ではこんなに戦闘的なワハビズムではないと語ってくれました。アフガンだけは、チェチェンと同じで、対立をあおるために様々な特殊部隊の工作として攻撃的なワハビズムが広められている、と。ワハビストたちは チェチェンの民族文化を破壊しようとして、劇場を閉鎖し、祝祭を禁じ、法事さえさまたげるようになった。老人たちは、ワハビズムがチェチェンの伝統や、チェチェンの風習を破壊しようとしてると非難しています。

GA: 不愉快な質問かもしれませんが、なぜその高邁なモラルのあるチェチェン人が誘拐などするようになったのでしょうか?

ドゥダーエフが大統領だったときには、こんなことは起きなかった。ドゥダーエフの甥と、もう一人のチェチェン人は、第一次チェチェン戦争のとき、バムートで100人以上のロシアの捕虜を警護し、面倒をみていた。その後、ロシア軍の爆撃から守るために山へ避難させたので、破片で死んでしまったのはそのうちの四人だけ。こうしてロシア人を守るのはあたりまえだった。

ベレゾフスキーが、ジャーナリストを救出するのに大金を払ったのは悪い前例を作ってしまったんです。誘拐は、仕事のないチェチェン人にとっても、「敵」のイメージを蔓延させるためにあらゆる努力をそそいでいるロシアの特殊部隊にとっても割の良いビジネスだということになった。チェチェンには、モスクワ、ペテルブルグ、キスラボドスクなどで誘拐された人々がはこびこまれるようになりました。何千キロも離れたチェチェンに運び込んで来るなんて、ロシアの警察、交通警察、連邦保安局などの協力なしにできるとは、とても考えられない。もちろん、チェチェンにもおそるべき卑劣漢はいます。けれども、なぜその人たちがいるからといって、全民族が苦しまなければならないの?

GA: ドゥダーエフは、エリツィンのことをどう考えていたのでしょう?

エリツィンは、民主化を進めたくても、それを邪魔する様々な人々に取りまかれていると、ジョハールはみていた。エリツィンは「豚のような連中に甘い汁を吸われている」と言っていたことがけれど、ジョハールもそう見ていたということ。ジョハールは、終戦したらチェチェン民族絶滅を企てた戦争犯罪人を裁判にかけるつもりだった。エリツィンは、その犯罪人リストの最後にあがっていた。ジョハールは、「この汚い戦争を許してしまったということでエリツィンが入っている。この戦争で彼はなんの得もしていない」と説明していた。得をしたのは武器を売り、チェチェンの家々を略奪し、それを復興すると称して儲けた連中だと。

GA: バサーエフを知っていますか?どう思いますか?

シャミーリは、自分のしたことを反省していると思う。チェチェン民族にどれほど不利なことをしてしまったか、もう理解している。チェチェン民族も理解し、彼を許していると思います。チェチェン人は人道的な人たち。自分の息子たちを死にに行かせた時にも、バサーエフのために祈りを捧げていた。マスハードフがバサーエフを追い出さなかったのは正しかった。あの上内戦などしている時ではなかった。チェチェンで許されないのは、裏切り行為だけ。

GA: ドゥダーエフの死後、どのように生活してきたのですか?

私は大変な苦労をしてロシアを脱出しました。二年間トルコに滞在し、マスハードフの代表を務めて、その後グローズヌイに戻って、マスハードフが大統領になったときどんなに苦しい状況だったかがわかったわ。彼は大地が焦土と化し、地雷原となり、建物は破壊し尽くされ、不具者や孤児、老人、老女を大量に抱え込んで、そこで大統領になった。町を復興し、人々が食べていけるようにしなければならなかった。

指揮官たちは怒って、それぞれが自分の手柄に対する褒美をほしがっていた。でも褒美にあげるものは何もなかったの。大統領選挙のとき、多くが大統領になろうとした、それがどれだけ重大な責任を持つものかも理解せずに。バサーエフはそのとき32才。彼らはあまりに若すぎた。

GA: あなたはマスハードフに同情を寄せているようですね?

マスハードフの強さは、彼が弱いと言うことにあると思う。彼は野戦司令官たちにいつも譲歩してきた。財務大臣になりたい?それならおまえにその地位をやろう。誰とでもそうやってきた。彼は子どもたちになんでも与えてやる、優しいお母さんみたいなもので、お尻をたたくのはできないのよ。でも、そのおかげで、ロシアがあんなに夢見ていた内戦は起こさせなかった。

マスハードフ政権をつぶそうとして、ドウダーエフは生きていて、どこかでまだ傷を治療中だという噂が流された。わたしと小さな息子のジョーギにも、ジョハールはまだ生きていると宣言するように説得された。そうすればマスハードフが正式の大統領ではなくなるから。

GA: あのうわさは嘘だったんですか?

ジョハールの眼を閉じてやった人を直接知っているし、彼の死体も見たわ。どこに埋葬されているかも知っているけれど、彼の墓が荒らされるのが怖いので、秘密にしている。しかし人々はジョハールをとても愛していて、彼が戻ってくれればと思っている人はたくさんいる。

GA: ここに展示されている絵の日付を見ると、この困難な数年間描きつづけていたのですね?

グローズヌイやイスタンブールで、大きな個展も開きました。私の作品にはだんだんスーフィー風が強くなってきている。これはワハビズムに対抗する物です。ワハビズムは対立、分裂。スーフィズムは知恵、詩、世界の美しさです。神は一つですがそこに至る道がたくさんある。キリストを信じ、アラーを信じているからといって、それが互いに殺し合ってはいけません。恐ろしいことです。世界でもまさに宗教的な境目、その前線での緊張がたかまっているんですから。

GA: あなたは九九年の暮れに、空爆の中グローズヌイを脱出したとおっしゃいましたが、この戦争はどう終結するでしょうか?

これは果てしなく続くかもしれません。勝利はないんですから。ロシアとチェチェンの国民が分け合う物は、何もありません。これは権力の、汚い陰謀なんです。