『電波メディアの神話』(9-8)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 8

奴隷制大農園主・初代大統領ワシントンの背信

 ペインの運命はここでチェ・ゲバラの場合とはすこしちがってくる。ペインは容易には死ななかった。

 パリの獄中からペインは、アメリカのかつての戦友ワシントンに救援をもとめるが、いまやイギリスとの友好関係の方をおもんずるアメリカ合衆国の初代大統領は、無言のままだった。恐怖政治がおわって釈放されたペインは『理性の時代』をアメリカとフランスで出版する。ワシントンにふたたび手紙をだしたが、またも返事がえられない。そのことへのいかりもあり、独立後のアメリカの政治の腐敗状況や、大統領の世襲制を主張するような副大統領のジョン・アダムスのうごきを批判するために、のちに加筆して公開する。

 「あえていいますが、アメリカへの奉仕の度合いにおいて、あなたが私以上に私心がなかったとか、情熱的だったとか、忠実だったとはいえません。あなたの働きが私の働き以上に効果的だったともいえないようです。アメリカ革命が達成されたあと、あなたは故国にあってその成果を享受し、私は新たな困難の中に飛びこんでいきました。私はアメリカ革命が生みだした諸原理を広めたかったのです。時は移り、あなたはアメリカにあって大統領となり、私はフランスにあって囚人となる。あなたは腕をこまねき、友人を忘れ、沈黙を守った」

 「アメリカ政府行政部のすさまじいまでの腐敗・裏切りの度合いを知っていたら、私は、リュクサンブール投獄中の私に対するワシントン氏の冷淡な態度に戸惑うこともなかったでしょう」(『市民トム・ペイン』訳注)

 ワシントンが三選を辞退したのちの大統領選挙では、後継をねらう副大統領のジョン・アダムスを、ペインの盟友トマス・ジェファソンがやぶって二代目の大統領となる。ペインの手紙はその政争にもつかわれた。

 アメリカにもどったペインをジェファソン大統領はあたたかくむかえる。しかしペインは、『理性の時代』を理由に宗教をないがしろするとみなされ、ワシントンへの非難をも理由に「裏切り者」として狂信者たちから迫害されたりする。


(9)奴隷制反対の筆をふるったペインの葬列に二人の黒人