『電波メディアの神話』(9-10)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 10

人間と市民の権利宣言の基本に立ちもどる議論展開を

 最後にもう一度、メディアと市民の権利の関係を考えなおしてみたい。

 私は「電波メディア主権」という考えを提唱し、それをすべてのメディアにおよぼそうとよびかける。なぜならば、市民のメディア主権が確立されないかぎり、言論の自由、人権の擁護と確立は不可能だからである。

 第二次世界大戦がおわった直後には、世界中が恒久平和実現への情熱にかりたてられた時期があった。一九四八年一二月一〇日に国連の第三回総会で採択された「世界人権宣言」は、その情熱の具体化であり、そこにはつぎのような人権と言論の自由に関する歴史的な字句がきざまれていた。

 まず前文にはこうある。

「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」

「言論および信仰の自由」

「達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」

 第一九条にはこうある。

「すべての人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見を持つ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」(『世界人権宣言』の訳による)

 ここで指摘された「あらゆる手段」こそがメディアの機能の問題である。

 歴史的にみると、活字を一本づつひろった技術段階の時代の言論の自由が、一七七六年一月一〇日にフィラデルフィアで『コモン・センス』の発行を可能にし、アメリカ人に独立への決意をうながした。『コモン・センス』でペインは、「イギリスの立憲政の構成部分」を「二つの昔ながらの専制の卑しい遺物と新しい共和政の素材との混合物」として、つぎのように分解して説明する。

「第一は、国王個人が体現している君主政的専制の遺物。

 第二は、貴族院議員が体現している貴族政的専制の遺物。

 第三は、庶民院議員が体現している新しい共和政の素材であり、イギリスの自由はこの議員たちが備えている美徳に支えられているのである」(『史料が語るアメリカ史』の訳による)

 ただし、「庶民院議員」の「美徳」という評価は、あまりにも理想主義的で、あまかったといわざるをえない。だがこれも時代の制約というしかないだろう。

 『コモン・センス』がフィラデルフィアで発行され、熱狂的なベストセラーとなってから半年後の一七七六年七月四日には、おなじフィラデルフィアでひらかれた大陸会議で「独立宣言」が採択された。起草委員会の中心メンバーだったトマス・ジェファソン(のちの第二代大統領)は上流階級の出身だが、『コモン・センス』の発行以前からペインと親しい仲だったし、ペインの人柄からつよい影響をうけていた。

「独立宣言」にはこうある。

「すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追及が含まれている。またこれらの権利を確保するために、人びとの間に政府を作り、その政府には被治者の合意の下で正当な権利が授けられる。そして、いかなる政府といえどもその目的を踏みにじるときには、政府を改廃して新たな政府を設立し、人民の安全と幸福を実現するのにもっともふさわしい原理にもとづいて政府の依って立つ基盤を作り直し、またもっともふさわしい形に権力のありかたを変えるのは、人民の権利である」(『史料が語るアメリカ史』の訳による)

 一七八九年八月二六日にはアメリカ独立宣言の影響のもとで、フランス国民議会が「人間と市民の権利の宣言」を採択する。その前文にはこうある。

「国民議会を構成するフランス人民の代表者たちは、人権についての無知、忘却あるいは軽視のみが、公衆の不幸および政府の腐敗の原因であることにかんがみ、人間のもつ譲渡不可能かつ神聖な自然権を荘重な宣言によって提示することを決意した」

 第一〇条にはこうある。

「いかなる者も、その主義主張について、たとえそれが宗教的なものであっても、その表明が法によって確立された秩序を乱さないのであれば、その表明を妨げられてはならない」

 第一一条にはこうある。

「思想および主義主張の自由な伝達は、人間のもっとも貴重な権利の一つである。それゆえいかなる市民も、法によって定められた場合にはこの自由の濫用について責任を負うという留保付きで、自由に発言し、著作し、出版することができる」(『資料フランス革命』の訳による)

「市民=視聴者」ではなくて「市民=電波メディア主権者」の意識を確立した市民個々人が、この「人間と市民の権利の宣言」でうたわれた「人間のもっとも貴重な権利」を、あらゆるメディアに対して主張することを、私は痛切にもとめる。

 体制側はいま、マルチメディアが「双方向機能」だなどとおおげさに宣伝し、無理を承知で売りこんでいる。だがその前に、人権の擁護と言論の自由の「双方向機能」こそが追及されなければならない。光ファイバ網がなくても、やる気がありさえすれば双方向の意思疎通はいますぐにでも可能である。まず最初にそれを実現すべきなのは既存の大手メディアである。まずそれをやって見せてからでなければ、あらたなメディアについての「バラ色の夢」などをかたっても信用すべきではない。現状をそのままにしてあやしげな構想をたかく売りつけようとする相手には、「まずここで飛べ!」と命じてみることだ。


[資料1]椿・前テレビ朝日報道局長の発言[全文]