木村愛二の生活と意見 2001年4月 から分離

マルクスの鬼っ子の典型・赤軍派批判から社会主義とは何ぞやの問い直しへ

2001.04.01(日)(2019.8.7分離)

 先月末、今や417名が参加する民衆のメディア連絡会の電子手紙広場に、「連合赤軍27年目の証言」の書評が転載された。私は早速、以下の手紙を送った。


送信日時 : 2001年 3月 29日 木曜日 11:56 PM
件名 :Re: マルクスの資本論って

 海賊版『学習資料・五ヵ国語資本論』制作発行者の木村愛二です。

 最近、いわゆる既成左翼の腰抜け振りが誰の目にも見え見えであるゆえか、いわゆる外地からの「帰還」騒ぎもあり、私が半気違いと呼ぶ無反省または反省不十分の暴力集団、赤軍派が代用品のごとくに、狭い疑似左翼市場に登場しています。歴史的な経過をご存じない若者が、またもや騙されるいけないので、一言します。

 私こと、元日本共産党の党歴30年の二重秘密党員経験者は、自らの闘争経過の抜本的な見直しのためにも、すべてまとめて、カール・マルクス以来の暴力革命主義者、つまるところは権力主義者の系譜に対する徹底的批判を開始しました。いわゆる赤軍派は、私が学生時代、1960年安保闘争に参加した時期に、日本共産党の中央委員会と対立し、共産主義者同盟、ブントを結成し、安保闘争を敗北と総括した直後、四分五裂した学生集団に由来しています。彼らも実に無責任な連中でした。

 私は、マルクスの基本的な誤りは、階級闘争の教条化にあり、彼自身は労働の経験なき知識人であるにも関わらず、「労働者階級」を革命の主体として位置付け、自らの権力意識を満足させるために階級間の憎悪を煽ったことにあると考えています。同様に職場の労働の経験も無く、労働組合運動とは完全に無縁だった赤軍派は、その典型的な鬼っ子です。

 興味のある方は、わが電網宝庫内の下記を御覧下さい。
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/marx-hihan.html
 [2001.4.1.追記:この分を含めた上記連載(その06)を同時に入力]

 これに対して、かつてのヴェトナム戦争当時に、「ベ平連」の略称で知られる新左翼運動を担った吉川勇一さんから、返答があり、その最後の言葉、「社会主義国の敗北は、政治的敗北にすぎず、経済的には同じ土俵で勝負しようと言う挑戦なんだという視点が必要だと思います」、だけを手掛かりに、私がまた返答した。


送信日時 : 2001年 3月 31日 土曜日 12:15 PM
件名 : Re: 社会主義国の敗北

 先のわが電子手紙、「マルクスの資本論って」を、豪速球と自称するのは、内心忸怩ですが、どこかから感情的な反発を受けるかもしれないと思っていたところでしたので、Kikkawa Yoshiyukiさんの返球に感謝します。実は、先にも、わが電網宝庫連載、マルクス批判の宣伝をしたのですが、そこで、4月1日、四月馬鹿をも顧みず、いわゆる社会主義とは何ぞや、の再考を求める予定でした。

 この連載では、千年紀を意識し、人類史全体に及ぶ見直しを意図しているのですが、その見直しの視点の基本には、言葉の独り歩きの吟味と、実際の歴史上の事実関係の吟味を設定しています。「社会主義」に関しては、言葉自体の原義の吟味もありますが、昨年、「アソシエ」を名乗る集団の仲間から、彼らの理論的な支えとなっている専修大学の栗木安延さんの「カール・コルシュ」研究論文(専修経済学論集1998.7)を頂きました。1923年にあえなく敗北を喫したドイツの武装革命政府で法相になったこともあるコルシュは、カウツキーにもマルクスにもレーニンにも批判的で、「戦後の労働者自主管理思想の源流」との評価も有る様です。具体的には、労働者生産協同組合の発想です。

 私は武装革命を好みませんが、「労働者自主管理」の歴史的な原型を、たとえば、フランス革命期の「職安」型地域的組織に求めています。その時代には、社会党も共産党も、まったく存在していなかったのです。私は、当時もギロチンを多用していた権力主義的な「左翼」政党が、その後も、労働者の自主的な組織を草狩り場にして、歪め、崩壊させたとさえ考えています。

 フランスの実例についての私見は、わが電網宝庫の下記の頁にあります。
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos-06.html