随時追加“編集長日記風”

木村愛二の生活と意見

2004年2月分

2004年2月10日(火曜日)

「戦車の向こう側の映像」を撮る報道写真家の広河隆一と2度目の遭遇は疑問沸騰で電網検索の古代史迷宮入り(その2)

 本日の日記風は、前月末の以下の「古代史迷宮入り(その1)」の続きだから、(その2)となる。

 この間、自衛隊のイラク「派遣」を巡る集会に参加する機会が増えた。私は、宮本武蔵流の武者修行、「道場破り」を公言しており、あらゆる傾向の場に顔を出す。

 あるブント系の集会では、、偶々、話のついでに、旧知のいささかヒステリックな典型的、独善的な「市民活動家」が、こともあろうに私に対して、「何で日本人はパレスチナやイラクの人に同情しないのか!」と、叫ぶように詰め寄ってきた。

 私は、気軽に答え、かねてからの持論を、語ってやった。

 「ほとんどの日本人は、パレスチナとかアラブとか言われると、あの、全共闘時代のブント系の思い上がった赤軍派の暴力、殺人を想い出す。危険だから、近寄りたくなくなる。パレスチナやイラクの人は気の毒だ。そういう連中が反戦を云々して、そこらをうろうろしている内は、日本の平和運動は、とうてい一般大衆には支持されない。パレスチナやイラクの人は救われない」

 実は、その「市民活動家」も、「そういう連中」の金魚の糞なのである。地元のブント系地方政党の市議選の落選候補者である。

 広河隆一が早稲田のブント系の学生運動家上がりであることは知る人ぞ知る事実だから、前回と今回の日記風にも、ブント系の思い上がった赤軍派の暴力、殺人が、影を落としているが、その導入部、「つなぎ」として、前回の日記風の中から直接関係する主要な箇所を抜粋すると、以下である。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/turedure-04-0130.html
随時追加「編集長日記風」 木村愛二の生活と意見 2004年1月分-2
2004年1月30日(金曜日)
イスラエル場所違い論の『聖書アラビア起源説』共訳者で写真家の広河隆一と2度目の遭遇は疑問沸騰で電網検索の古代史迷宮入り(その1)
[中略]
 広川隆一は、『マルコポーロ』廃刊事件の直後、1995年の夏頃に、アジア記者クラブが、私と問題記事の筆者の西岡昌紀を講師とする例会を開いた時に、参加していたが、何も言わなかった。
[中略]
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4794203330.html
聖書アラビア起源説:紀伊國屋書店
(セイシヨアラビアキゲンセツ )
聖書アラビア起源説
[原書名:DIE BIBEL KAM AUS DEM LANDE ASIR im Rowohlt Verlag GmbH ]
ISBN:4794203330
313p 19cm(B6)
草思社 (1988-12-24出版)

・サリービー,カマール【著】・広河 隆一・矢島 三枝子【訳】
[中略]
 広河隆一への「疑問沸騰」の最新版を、まず記すが、上記の「:紀伊國屋書店」の説明の通りに、『聖書アラビア起源説』は、「広河 隆一・矢島 三枝子【訳】」なのである。手許の実物にも、そう印刷してある。

 ところが、検索すると、や、や、や、となってしまったのである。以下の「PROFILE 広河隆一」の「著書一覧」の中の《訳書》の説明には、共訳者の「矢島三枝子」の名前がないのである。広河隆一だけが訳者ということになってしまっているのである。

(2004.02.10.追記:以下の「PROFILE 広河隆一」の「広河 隆一 著書一覧」には、別途、《共著・編著》の項目もある。そこでは、レバノン極私戦 (立松和平共著)、四番目の恐怖 (広瀬隆共著)悲劇が進む (広瀬隆共著)、龍平の未来 エイズと闘う 19 歳(川田悦子共著)、原発・核 3 原発と未来のエネルギー (豊崎 博光共著、ナターシャ チェルノブイリの歌姫(手島悠介共著)となっているのだから、「共訳者」を記さないのは「方手落ち」であり、不自然なのである)

---------- 引用ここから ----------
http://www.hiropress.net/2003/
DAYS JAPAN -創刊準備室便り-
新雑誌『 DAYS JAPAN 』
[中略]
http://www.hiropress.net/profile/
■ PROFILE 広河隆一
[中略]
広河 隆一 著書一覧
[中略]
《訳書》
[中略]
聖書アラビア起源説 (サリービー著) 草思社 1988
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 では、矢島三枝子という女性は、過去も現在も存在したいなかったのかと言うと、過去の存在は、本の奥付にも残されているし、現在も、以下の電網情報があるのである。

---------- 引用ここから ----------
http://i-debut.org/opinion/m_disp.asp?code=2215
Opinion>>編集スタッフ
編集スタッフは7人の侍からはじめましょう!
[中略]
■ミリアム/矢島三枝子 idebutプロジェクト発起人。
好きなテーマ:人、対話法、異文化、ユダヤ、自然農法家、地球緑化のフィールドワーク、ウソップ物語etc.
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

(2004.02.10.追記:『聖書アラビア起源説』の「訳者はしがき」では、「矢島がユダヤ人の文化に身をおいた経験がある」との自己紹介がある。だから今も、「異文化、ユダヤ」が、彼女の守備範囲になっているのであろう)

 広河隆一への「疑問沸騰」は、非常に多い、しかも複雑なので、今月(今では先月の1月のこと)は、以上で終わりにして、来月(今では今月の2月のこと)の日記風に続きを記す。

と、ここまでが前回である。

 さて、また再び、今月の2月10日に話を戻すが、「『聖書アラビア起源説』の真の訳者は、誰なのか。私は、今、自衛隊のイラク「派遣」を巡る騒動の最中、超多忙で、これ以上の詮索に時間を裂く余裕はない。しかも、本日は、もうすでに終了しているだろうが、広河隆一・責任編集、新雑誌『 DAYS JAPAN 』創刊前夜祭とやらが、開かれたはずなのである。

 私は、この写真雑誌の宣伝状況に関しても、行き掛かり上、いささか憎まれ愚痴るしかないのだから、実に因果な話なのである。

 以下が、その新雑誌『 DAYS JAPAN 』と、広河隆一の自己紹介である。以下のごとくに、ずらずらと「実績」を並べられると、私は、ちっとも驚かないが、たいていの人は、「うへっ」となってしまって、文句を付けることなど、思いも及ばないだろう。以下、長々しいことを、覚悟して見られたし。

---------- 引用ここから ---------- 
http://www.hiropress.net/2003/

DAYS JAPAN -創刊準備室便り-
新雑誌『 DAYS JAPAN 』

  世界を視る、権力を監視する写真中心の雑誌
  2004年3月20日 創刊予定
  雑誌の内容、購読予約申し込みはこちらから
● メール配信
メールアドレス:
登録
● インフォメーション (2003/12/15 更新)
● 広河隆一プロフィール
● 著書一覧
● オリジナルプリント
● ごあいさつ
● 2001 ~ 2002 年

http://www.hiropress.net/profile/

■ PROFILE 広河隆一
ひろかわ りゅういち

フォトジャーナリスト
ビデオジャーナリスト
Photo by Mana Ichikawa
★ 略歴
1943 年 中国天津市に生まれる 2 歳のとき日本に引き揚げる
1967 年 早稲田大学卒業後、イスラエルに渡る
1970 年 帰国。以後、中東諸国を中心に海外取材を重ねる
1982 年 レバノン戦争とパレスチナ人キャンプの虐殺事件の記録で、よみうり写真大賞受賞
1983 年 IOJ 国際報道写真展大賞・金賞受賞
1989 年 チェルノブイリとスリーマイル島原発事故の報告で、講談社出版文化賞受賞
1993 年 写真集「チェルノブイリから~ニーナ先生と子どもたち」で産経児童出版文化賞受賞
1998 年 「人間の戦場」(新潮社) で日本ジャーナリスト会議特別賞受賞
1999 年 「チェルノブイリ 消えた 458 の村」(日本図書センター) で平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞
2001 年 「チェルノブイリ 消えた 458 の村」で「さがみはら写真賞」受賞
2002 年 「パレスチナ 新版」(岩波新書)で早稲田ジャーナリズム大賞受賞
2003 年 写真記録「パレスチナ」(日本図書センター)で日本写真協会賞年度賞受賞
2003 年 写真記録「パレスチナ」(日本図書センター)で土門拳賞受賞

★ 主な写真展
1994 年 コニカプラザにて「地球の現場を行く」写真展を開催
1996 年 コニカプラザにて「チェルノブイリと地球」写真展を開催
1998 年 銀座ニコンサロンにて「アウシュビッツとチェルノブイリ」写真展を開催
2001 年 新宿ニコンサロンにて「激動の中東35年」写真展を開催
2002 年 コニカプラザにて 「激動のパレスチナ」写真展を開催
2003 年 銀座ニコンサロンにて 第22回土門拳賞受賞作品展「広河隆一写真展」を開催
広河隆一 アフガン / パレスチナ / チェルノブイリ 写真展事務局主催で1991年から2002年まで、日本全国で800回以上の写真展を開催

● ノンフィクション、写真集、小説、訳書など多数執筆
「核の大地」「戦火の4都市」「龍平の未来」「チェルノブイリと地球」「人間の戦場」「チェルノブイリ 消えた 458 の村」など多数。

● 日本テレビ、NHK を中心にチェルノブイリ、中東などの報道番組を多数制作発表
 最初の作品は1984年の日本テレビ系「ドキュメント84 母と子の帰れぬ祖国―アウシュビッツとパレスチナ難民キャンプ」
 その後中東、核関係を中心に、日本人の源流、首狩りの人々ナガ、電磁波、ハザール帝国などおよそ60本の番組を制作。
 最近のディレクター作品ではテレビ朝日「素敵な宇宙船地球号 - はばたけ命の翼 (チェルノブイリ、村人とコウノトリの物語)」

● チェルノブイリ子ども基金顧問(2003年7月に代表を退く)
 2000 年にチェルノブイリ救援の功績としてウクライナ大統領、国会議長から感謝状を贈られる
 2001 年にベラルーシから国家栄誉勲章 (フランシスコ・スコリナ勲章) を授与される

● パレスチナの子供の里親運動顧問(1999年に代表を退く)
● 日本写真家協会(JPS)会員
● 日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員 世話人代表
 
広河 隆一 著書一覧
《ノンフィクション》
ユダヤ国家とアラブゲリラ 草思社 1971
パレスチナ 幻の国境 草思社 1976
ベイルート大虐殺 三一書房 1983
パレスチナ 岩波新書 1987
チェルノブイリ報告 岩波新書 1991
沈黙の未来 新潮社 1992
エイズからの告発 徳間書店 1992
日本のエイズ 徳間書店 1993
中東共存への道 岩波新書 1994
チェルノブイリから広島へ 岩波ジュニア新書 1995
チェルノブイリの真実 講談社 1996
裁かれる薬害エイズ 岩波ブックレット 1996
薬害エイズの真相 徳間文庫 1996
パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で 草思社 1998
原発被曝 講談社 2001
パレスチナ新版 岩波新書 2002

《写真集》
奪われた国の子どもたち
 パレスチナ・ドキュメンタリィ写真集 第三書館 1979
ベイルート 1982 社会思想社 1982
パレスチナ (世界の子どもたち) 偕成社 1986
ギリシャ (世界の子どもたち) 偕成社 1986
ヨルダン (世界の子どもたち) 偕成社 1986
核の大地 講談社 1990
パレスチナ 瓦礫の中のこどもたち 徳間書店 1991
ニーナ先生と子どもたち 小学館 1992
戦火の四都市 第三書館 1992
チェルノブイリと地球 講談社 1996
人間の戦場 新潮社 1998
チェルノブイリ 消えた 458 の村 日本図書センター 1999
原発・核 2 チェルノブイリの悲劇 日本図書センター 1999
パレスチナ 瓦礫の中のこどもたち 徳間文庫 2001
写真記録 パレスチナ
 第 1 巻『激動の中東 35 年』
 第 2 巻『消えた村と家族』 日本図書センター 2002
広河隆一 写真集
アメリカはイラクで何をしたか     あごら 2003
岩波フォトドキュメンタリー
「世界の戦場から」シリーズ第 1 作
反テロ戦争の犠牲者たち 岩波書店 2003
 
《マンガ》
AIDS 少年はなぜ死んだか 講談社 1993
AIDS2 講談社 1996
AIDS
「薬害エイズ」告げられなかった真実 講談社 1996
 
《小説》
破断層 講談社 1987
講談社文庫 1990
 
《共著・編著》
燃える石油帝国イラン 第三書館 1979
奪われた国の子どもたち (写真集) 草思社 1982
光と影のエルサレム (写真集) 草思社 1982
レバノン極私戦 (立松和平共著) 河出書房新社 1984
パレスチナ・現在と未来 三一書房 1985
ユダヤ人とは何か 三友社出版 1985
ダイヤモンドと死の商人 三友社出版 1986
四番目の恐怖 (広瀬隆共著) 講談社 1988
革命伝説 アイビーシー 1989
悲劇が進む (広瀬隆共著) 講談社 1991
龍平の未来 エイズと闘う 19 歳
(川田悦子共著) 講談社 1995
原発・核 3 原発と未来のエネルギー
(豊崎 博光共著) 日本図書センター 1999
ナターシャ チェルノブイリの歌姫
(手島悠介共著) 岩崎書店 2001
 
《訳書》
ユートピアの思想史 (ベルネリ著) 太平出版社 1972
ソヴェト・コミューン (ウェッソン著) 河出書房新社 1972
イスラエルからの証言 (ランゲル著) 郡出版 1982
誰がユダヤ人か (オール著) 話の特集 1984
聖書アラビア起源説 (サリービー著) 草思社 1988
パレスチナ難民の生と死
 ある女医の医療日誌
 (ポーリン・カッティング著) 岩波書店 1991
《ビデオ》
チェルノブイリの真実〈VHS〉 講談社 1996
[後略]
---------- 引用ここまで ---------- 

 はいっ、これはまた、大変な「実績」である。ブント系の学生運動家上がりでも、量だけなら、かなりな「仕事」をしている連中が、かなりいるが、広河は、その筆頭格であろう。

 彼は、上記のごとくに1943年生まれとなれば、私よりも6歳年下の勘定になるが、以上のごとく、ずらずらと「実績」を並べられると、この点は繰り返すが、たいていの人は、「うへっ」となってしまって、文句を付けることなど、思いも及ばないだろう。しかし、そこは、同等以上、中身では遙かに質の高い実績を有する自称『憎まれ愚痴』編集長、「嘘」発見名探偵、その他諸々の私は、ちっとも驚かないし、遠慮もしない。

 いや、むしろ、遠慮するわけにはいかない。影響力のある相手に関してほど、その影響力に比例する強い警告を発しなくては、わが言論の存在価値はないのである。また敵を増やすかと思いつつも、「俺がやらずに誰がやるか」、となってしまうのである。

 まずは上記の自己紹介の内、以下の部分を再度、注目されたい。

---------- 引用ここから ----------
 最初の作品は1984年の日本テレビ系「ドキュメント84 母と子の帰れぬ祖国―アウシュビッツとパレスチナ難民キャンプ」
---------- 引用ここまで ----------

 つまり、広河は、1984年という時点で、「アウシュビッツ」、つまりは、「ガス室」によるユダヤ人「大量虐殺」、「民族殲滅」、云々とされた問題にかかわっていたのである。

 写真が専門なのだから、ユダヤ人(とされる)の死体の映像も使ったのであろう。少なくとも、知らぬはずはない。

 これは、史上最大、最悪の映像詐欺なのである。実はアウシュビッツではなくて、ドイツの中心部から見れば反対側のベルゲン・ベルゼンで、主に発疹チフスで死んだ収容者の死体が、アウシュビッツ「ガス室」大量虐殺のイメージアップに使われてきたのである。私は、テレヴィ放送局にいたから、テレヴィ映像の詐欺、悪用の実例を沢山知っている。この写真の悪用は、その前駆的な症状なのである。

 江戸川柳に曰く、「講釈師、見てきたような嘘を言い」、であるが、一応は本物の映像に、違った説明を加える場合、騙し方は、さらに巧妙になり、その影響は大きい。

 以下の拙訳、『偽イスラエル政治神話』では、自らもユダヤ人、イスラエル国民でもある新聞記者、作家のトム・セゲフが、「イスラエル国家の創設をイデオロギー的に正当化した要素」として、「ジェノサイド」を挙げる文章を引いている。「ジェノサイド、ホロコースト、ショア」は、「意味論または語義論の戦争」(Semantics War)の鍵言葉の典型なのである。

---------- 引用ここから ---------- 
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-21.html
『偽イスラエル政治神話』(その21)
2章:20世紀の諸神話(その9)
3節:"六百万人"の神話/ホロコースト(その1)

《ジェノサイド…個々人の絶滅による一民族の組織的破壊》(『ラルース辞典』)

《ジェノサイドは、聖書の物語の神の約束を真似て、イスラエル国家の創設をイデオロギー的に正当化した要素の一つである》(トム・セゲフ『七番目の百万人』93)

 ナチがユダヤ人に加えた虐待を定義するために、三つの用語が、しきりに使われている。ジェノサイド、ホロコースト、ショア[訳注1]である。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 さらに最初の前回の日記風の抜粋の内、以下の部分を、再度、上記の「最初の作品」の表題、「ドキュメント84 母と子の帰れぬ祖国―アウシュビッツとパレスチナ難民キャンプ」と見比べられたい。

---------- 引用ここから ---------- 
 広川隆一は、『マルコポーロ』廃刊事件の直後、1995年の夏頃に、アジア記者クラブが、私と問題記事の筆者の西岡昌紀を講師とする例会を開いた時に、参加していたが、何も言わなかった。
---------- 引用ここまで ----------

 『マルコポーロ』廃刊事件は、ホロコーストが嘘と主張した記事に対するシオニストの前代未聞の猛攻撃によって引き起こされたのである。「中東専門家」の広川隆一は、このことの意味を知らぬわけがない。だから、「お忍び」風に潜り込んで、状況を偵察していたのである。

 ホロコーストが嘘という主張は、現在の「偽」イスラエルにとっては、最も都合の悪い説なのである。この説を唱えたために、シオニストに殺されたり、半殺しの目にあった歴史に直し論者は、非常に多い。『マルコポーロ』廃刊事件以後の私も、その連中の攻撃に曝され、戦い続けてきた。

 さらに、『聖書アラビア起源説』について再論すると、この本の内容は、古代の伝説的なユダヤ人国家が、現在のパレスチナにではなくて、サウジアラビアにあったのだというで説であり、現在の「偽」イスラエルにとっては、都合の悪い説なのである。

 しかも、広川隆一は、離婚したフランス国籍のユダヤ人の元妻、広河ルティ著、『私のなかの「ユダヤ人」』(集英社、1982)の内容も、熟知しているに決まっている。この本の主要部分は、世界の「ユダヤ人」の大半が、古代のユダヤ人の直系ではなくて、ユダヤ教に帰依したカザールだということである。これも、やはり、現在の「偽」イスラエルにとっては、都合の悪い説なのである。

 以上の3つの「偽」イスラエルの嘘を知りながら、むしろ、逆の動きを続けている広川隆一は、やはり、「偽の友」の典型的症例を示している。

 そこでさらに繰り返す。もともと彼は、早稲田大学時代の全共闘世代とやらで、いわゆるブント系、革命的共産主義者同盟の流れの一つ、「社青同」解放派とやらの証言によると、「仲間」だったのだそうである。どの派閥か否かは、あまり興味はない。似た寄ったりの「虎馬」を抱える不気味な連中である。

 私は、ブント系を生んだ日本共産党の陰湿な官僚主義の犠牲者として、日本共産党にも徹底批判を加えているが、そこから飛び出したブント系も、似たり寄ったり、「半気違い」として批判している。

 こういう連中が群れたら、ろくなことはない。すでに、新雑誌『 DAYS JAPAN 』とやらに参加するらしい連中の仲には、アウシュヴィッツ大好き、ポルポト派の大虐殺大好き、ユーゴ戦争のアルバニア「難民」大好き、「恐怖」の化け物屋敷の写真を撮っては、「私は良い子」と宣伝して回る平和売人の阿呆どもが、ぞろぞろ群れている。

 テレヴィ映像の嘘の影響も大きいが、マイナー風の偽善系左翼の「向こう側の映像」と称する「憎悪商品」、「恐怖商品」を売りまくる自称平和主義者、平和売人、peacemonger、憎悪商人、hatemongerの「偽の説明の映像」も、ホロコーストの嘘の脅迫を最大の典型として、実に困ったものなのである。

 最後に、以下の「広河隆一と2度目の遭遇は疑問沸騰」の現場に話を戻す。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gendaisi152.html
第152回現代史研究会
テーマ:「反テロ戦争と新しいメディア“Days Japan”に問われるもの」
日 時: 2004年1月24日(土)
     13:00~17:00
場 所: 明治大学・駿河台校舎・12号館2103教室(12:00開場)
     JR御茶ノ水駅下車・徒歩5分
会場案内 http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
論 者: 広河隆一(ジャーナリスト)、その他
参考文献:広河隆一著『パレスチナ』、『中東 共存への道』、
     『世界の戦場から 反テロ戦争などの犠牲者たち』(いずれも岩波書店)など
資料・通信代など  500円
顧 問: 塩川喜信・岩田昌征・田中正司・内田 弘・生方 卓・岩田 弘・岡本磐男・
    (廣松渉・栗木安延) 
主 催: 現代史研究会
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 この主宰団体、現代史研究会も、ブント系である。私は、一昨年、911自作自演説の講師を努めたから、まあまあの幅広い組織と評価しているが、やはり、思い込みが強い、独善的なところがある。

 たとえば、案内の葉書には、「テーマ」の後半の「新しいメディア“Days Japan”」の説明はなかった。会場で配布されたチラシを見て初めて、これから創刊される写真報道月刊誌のことだと分かったのである。

 この日の司会者は、会場の教室の世話役で、明治大学の教授だった。専門はヘーゲル哲学とのことで、何度も会って、直接の会話もしている。いわゆる理論家風なので、別にブント系とかの危険性は感じない好人物である。

 この司会の教授は、最初に、パレスチナ報道に関して、大手メディアが伝える「戦車のこちら側」の映像だけでなく、「戦車の」向こう側」の映像云々と、集会の意義を述べた。

 私は、映像は所詮、表面しか映さないのだし、どちら側の映像にも出てこない「真相の深層」が最も重要と心得ているから、この「集会の意義」には、疑問を呈したかった。映像報道で、「代用品」、「偽物」、「紛い物」をあてがわれた「平和愛好市民」は、それ以上を求めなくなるから、かえって、危険なのである。

 ところが、主宰者の意向は不明だが、最初に、案内のプログラムには記されていなかった別人、Hが、長々とパレスチナの「悲惨な状況」未編集ヴィデオを映し、1時間以上もしゃべったのである。

 案内には上記のごとく、「論 者: 広河隆一(ジャーナリスト)、その他」とあったのだから、Hは「その他」なのであろう。話が違うとは言いにくいが、初めて名前を聞く弁士が最初に1時間もしゃべるというのは、初めての経験だった。「その他」は普通、途中で加わる「コメンテーター」とかで、主役ではないのである。

 この始まり方も不自然だったが、その後に広河が登壇し、最初に、「一人で4時間しゃべるのは大変だから、Hさんに頼んで云々」と、実におかしなことを言ったのである。広河の名前で参加した客には失礼な話ではないか。

 私は、前述のごとく、この現代史研究会で一昨年、編著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)の共著者、三浦と一緒に講師を引き受け、途中で参加表明があったマッド天野を加えて、3人で弁士を努めた。

 私は、司会も兼ねたが、4時間は短かった。質問を受け、少しは会場の参加者の意見も求めるのが習慣だから、できれば講師は1人でやりたかった。他でも、そういう時間の使い方をして、4時間ぐらいは、あっという間に過ぎてしまうものである。

 どうにも広河の態度は解せない。最後に、広河が司会者の教授に、これも実に不自然に、「これで良いですか」と聞き、司会者が「会場の質問を受ける時間を」と言って、それが10分しか残っていなかった。これもまた不自然であった。普通、事前の打ち合わせで、後半は会場の質問、意見云々と、主宰者側の希望を伝えるものなのである。

 私は、「道場破り」常習犯であるが、それでも質問の挙手の気合いが遅れて、しまったと思うことが多いので、この時は、10分しか残っていないという非常事態ゆえ、さっと手を挙げて、短く質問した。

 わざわざ持参して行った『聖書アラビア起源説』を持ち上げて示して、「矢島三枝子と一緒に訳された聖書アラビア起源説云々」と、その後の経過を質問したのである。広河は、「イスラエルでは、この問題は複雑で云々」と、事情は良く知っている口調で一応は答えたのだが、どうもすっきりしなかった。

 この質問の時点では、上記の「PROFILE 広河隆一」の《訳書》の項目に、共訳者の矢島三枝子の名前がないことを、私は、知らなかったのである。

 翌日、私は、電網検索を始め、そこから、「広河隆一と2度目の遭遇は疑問沸騰で電網検索の古代史迷宮入り」となるのであるが、これまた複雑なので、(その2)は以上とし、(その3)を予定することにする。

 以上。


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