杉花粉症は “外交 行政 産業” 環境公害だ!(その20)

編集長の毒針:緊急課題!

杉花粉被害放置政策に猛然反撃の独立反乱!
“杉林焼き払い放火作戦”開始宣言!

学閥が牛耳る無間地獄「医は算術」博士の術策

2000.6

 目、鼻、喉、胸、さらには財布、などなど、杉花粉の爆撃の痛みに引き裂かれ、耐え兼ね、ごくごく少数の良心的な医師や薬剤師の存在を知りながらも、あえて、「医は算術」とか、「薬九層倍」とか、「生かさず殺さず業界」とか、悪口を並べていた最中、2000.4.18.『日本経済新聞』に、小さな囲み記事が載った。

「医は算術」の月収は百数十万円の調査結果

 見出しは「医師の月収は勤続15年110万円/民間調べ」である。「民間の調査会社」として記されているのは「産労総合研究所」であるが、「産労」は「産業労働」の略であろう。実は、私が長年在籍した日本テレビ放送網の近くに「産業労働調査所」があった。結構、長く複雑な歴史を持つ組織である。そこに「産労・労組」があり、私の長期の不当解雇撤回闘争をも支援してくれた。各種調査を専門的に行い、さまざまな専門雑誌を出していた。

 この記事の「産労総合研究所」が、あの千代田区の産業労働調査所の流れかどうかは分からない。だが、私は、あの十数人の組合員の顔を想い浮かべては、懐かしい気分に浸った。私の争議でも、「産労」前から出発、「日テレ」前で流れ解散、決起集会、といった行動を、何度もやったのである。

 さて、同記事によれば、「同研究所は協力を得られた全国百六十の民間病院について、昨年六月の賃金を調べた」のであるが、「勤続30年で132万円」とか、「院長の月収は194万円、副院長は146万円」とか、「病院の規模が小さいほど月収が高くなるのも特徴」とか、ともかく私の月収の1桁上、あれよ、あれよの、結構な商売である。

 ただし、「ベッド数百未満の小さな病院に勤める医師の月収は、ベッド数五百以上の大病院に勤める医師の1.9倍」だというのだが、それでもなお大病院で働く医師が多い理由については、特に記されていない。

 私には大病院で働く医師の友人がいる。その理由を聞いたこともある。大病院、特に有名大学の付属病院で働くのは、研究の便宜もあるが、実は、社会的地位に魅力があるからである。教授とか、研究所の高官とか、業界の支配的地位に接近できるからである。つまり、業界の権力の座である。当然、この業界でも、旧・東京帝国大学、現・東京大学の地位は高い。

東大物療内科のディーゼル排気ガス研究に異義あり

「木村さん、東京大学の教授なんて、信用しちゃ、いけませんよ!」

 と、突然、激しい口調で言われたのだが、場所は立食パーティの席上、知人友人多数の混雑の中でのことだったので、会話は続かなかった。だから、この突然の発言の直接の理由は分からず、そのまま、20年ほどが過ぎた。突然の発言者は、当時も旧知の千代田区では近隣の仲間の平凡社労組の書記長で、『世界大百科事典』の編集者だった。

 彼も東大卒、私も東大「卒」(カッコを付けた理由は別途記す)、ただし、学部は、医学部でもなく、法学部でもなく、昔は就職口が少なかった文学部だし、ヤクザなメディアの世界に就職したのだし、どちらも、教授コースのガリ勉型ではない。彼の方が10歳ぐらい若いはずだ。突然の発言に至る詳しい事情は分からなかったが、多分、東京大学の教授、様、様、に原稿執筆を依頼する仕事の上で、相当程度に不満が鬱積していたのだろう。

 日本の3悪とか、4悪とかに必ず入る「東京大学」の教授、様、様、に関する風評は、むしろ、定評である。東大卒の肩書きは、普通の世間では、何かと言えば、憎まれたり、嫌われたり、いびられたりする格好のネタになる。東大「卒」の肩書きを迷惑に思い続けてきた私などの自由人型の人種にとっては、わずらわしい限りである。彼の不満も、別に珍しいものではない。

 その後、同じく平凡社労組の書記長になったこともある年下の友人に、この話をして、「教授もいい加減なら、教授の肩書きで書かせたり、出演させたりして儲ける商売のメディアも、いい加減だ。最近は、もっと捻って、イイコックラ加減というらしい」などとゴチたところ、相手もケラケラ笑って、何度も、大きく頷いた。

 東大卒の官僚型の人種の学閥支配は、政界、官界、業界、教育界、マスメディア、その他、あらゆる中央集権組織に貫通している。それらのすべてに関わりを持つ医療業界も、当然、例外ではない。むしろ、一番、怪しい業界が、この白衣の巨塔である。

 てなことで、杉花粉症の「政治学」調査の過程でも、私は、この怪しい背景を気に懸けていた。東大の物療内科が、ディーゼル排気ガスと杉花粉の関係を熱心に研究した件についても、その研究の基本的な意図に疑いを抱いてきた。杉花粉症の患者の立場から見れば、天然痘の場合のように、原因物質の杉花粉の絶滅に全力を挙げるのが、本当の医学の在り方なのであるが、東大病院の物療内科は、まったく、その方向を打ち出していない。少なくとも、結果として、逆の効果を導き出している。

杉花粉症「発見者」の名も文献も示さない「学閥」医学博士

 以上の疑いを胸に秘めつつ、簡略な調査を開始したところ、早くも、唖然、吐き気のするよな「学閥」医学博士の存在が、明らかになった。まずは、その発見に至るまでの経過を、短く綴る。

 4月末からは、「花粉は10以下で少ないでしょう」の予報になったが、わが自称名探偵の予測の通りに、まだまだ花粉は、ボチリ、ボチリと散り、そこここに舞っていた。そう言うと、「見えないはずがだが」、などとオチョクル向きもあるだろう。ところが、私の場合、防塵眼鏡を掛けずに外出すると、目の結膜が、チクリ、チクリと痛み出す。つまり、「結膜」センサーによる探知が可能なのである。

 杉花粉の飛散状況については、年初から、開始の時期が「早まるでしょう」の予報だったが、開始が早いから終了も早いとは言えない。むしろ基本的条件として、杉の葉が生い茂り、雄花が増え、花粉が未曾有の大量生産状況となっているのだから、飛散期間全体が長くなるに違いないと、わが自称名探偵は、予測したのである。もちろん、東京都のデータを睨んだ上での「自力シミュレーション」による予測だから、科学的な観察の結果である。

 なお、本シリーズは、web雑誌『憎まれ愚痴』の体裁を整えるために、他のテーマをも入力する必要上、1週間の休載となったが、杉花粉症問題の材料不足だったわけではない。むしろ、逆で、この間も、花粉問題についても資料収集には努めていた。新しい「発見」もある。

 さて、時は2000.5.6.大型連休も最後に近付いた土曜日、収集した資料の中に、双方ともに講談社、紛れもなく元戦犯企業から出た「杉花粉症」関連本が、2冊あるのを発見した。この双方に、かなりの量と質の類似点があった。

 まずは、その題名などを、資料リスト風に記す。

『文明とアレルギー病/杉花粉症と日本人』井上栄、講談社、1992.4.25.

『笑うカイチュウ/寄生虫博士奮闘記』藤田絋一郎、講談社、1994.9.20.

 すでに、自称「寄生虫博士」藤田絋一郎のデタラメ振りについては、本シリーズで暴いた。杉が生えていない東南アジアの子供と、日本の子供を比較していたのである。ところが、藤田絋一郎の本よりも2年前に出ていた井上栄の本にも「寄生虫」問題が記されていた。しかも、井上の方が、いわゆる学術風で、詳しい。

 はてな、と思って、奥付の著者略歴を見ると、双方の経歴が、東大は東大だが、付属病院ではなくて、「東京大学伝染研究所(現・医科学研究所)大学院」で共通している。藤田の本には参考文献リストがない。お粗末至極である。井上の方には、巻末に「参考になるかもしれないものを、以下に挙げておく」という但し書き付きで、わずか30ほどの文献が記されている。

 ところが、題名にも副題として「杉花粉症」と記し、本文にも、「1963年春、[中略]斉藤洋三は、日本で初めて杉花粉症患者の発生を発見するのである。[中略]この報告は日本の医学界にとって衝撃的であった」(p.10-11)などと記しているのに、文献には斉藤洋三の論文も単行本も、まったく挙げていないのである。いかにも、斉藤洋三が執筆した文献が「参考になる」“ものではない”と言わんばかりではないか。斉藤の紹介に、「東京医科歯科大学耳鼻科医局から日光の診療所に派遣された独身の若き医師」などと記しているのことにも、違和感を覚える。なぜか。その理由は彼自身が、上記の引用部分の直後に記している。

 曰く、「杉花粉症[中略]の研究は、今まで主として耳鼻科医によって行われてきた。[中略]異なった視点から杉花粉症に挑戦してみる価値はあるだろう、と考えた。[中略]杉花粉症患者が最近増加したことの背景には、人間側の大きな変化があるような気がする」(p.11-12)。

 つまり、井上は、杉の植林などの最近の事態を詳しく追及し、その結果としての杉花粉激増に基本的な原因を求めた斉藤らの研究に、あえて、疑問を投げ掛ける役割を選んだのである。藤田も同様である。井上や藤田の著書の文脈は矛盾だらけであるが、それはさておき、患者の立場からすれば、ともかく、一刻も早く、杉花粉の激増を阻止してほしいのである。「異なった視点から」の「挑戦」は、その後にしてほしいのであるが、井上や藤田は、結果として、患者の切ない願望を踏みにじっているのである。私は、「この人でなし!」と罵る。

「ノミのキンタマ八つ裂き博士」に騙されるな!

 井上も藤田も、双方ともに医学博士の肩書きだが、私には、医学博士の友人知人が多いから、こんな肩書きだけでは、決して騙されない。学位論文の作成と審査の過程についても、家庭の事情で大学に残るのを諦め、セメント技師になった私の父親が、定年後に工学博士号を得て教授にもなっているから、直接の見聞をしている。医学博士になった親族からも研究の細部を聞いたことがある。

 博士論文は、当然のことながら、新しい問題に挑まなくてはならない。主要な問題は出尽くしているから、最先端の研究をすれば一番良いのだが、それは難しい。通常は、権威の指導に従い、特殊で未開拓の微生物に関する実験などをして論文の体裁を整えると、認めて貰えるのである。これが「学閥」の秘訣でもある。

 だから私は、戦前に流行った「デカショ節」の一節、「どうせやるなら、チッサイことなされ、ヨイヨイ!」の次の句をもじって、「ノミのキンタマ八つ裂き博士」と呼んでいる。つまり、研究課題として選んだ「ノミのキンタマ」については、「八つ裂き」までしているから、おそらく世界で一番詳しい可能性があるのだが、他の問題にも通暁しているかどうかは、まったく保障の限りではないのである。試みに、医学博士の肩書きを振り回す連中に、何を研究したかを聞いてみると、私の「憎まれ口」の意味が理解できるであろう。大抵は困った顔になる。ほとんどが、「何々の発見者」などとして、歴史に記されるような研究ではないのである。

 井上の著書の奥書きから、執筆当時の地位だけを紹介しておくと、「国立公衆衛生微生物学部長」兼「国立予防衛生研究所部長」となっている。つまり、厚生省の管轄下の国家公務員であり、私の分類学では、ほとんど「薬九層倍」の薬屋の手先の一味である。当時は52歳の井上の唯一の単行本らしい『文明とアレルギー病/杉花粉症と日本人』への批判は、次回に予定する。

以上で(その20)終わり。(その21)に続く。


(その21)主犯を匿った学閥が花粉飛散予測の首魁という皮肉
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