「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その4
本多勝一の焦り-南京大虐殺に関する大嘘

1997.4.18. 提訴
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
『週刊金曜日』本多勝一徹底批判「偽」市民派の正体を見破る42頁

原告本人陳述書 4

読みやすくするため、区切りなどを入れています。

お断り:その3の内容が当初よりのミスでその2と同内容ですが、現在訂正不能です。その4が中途から始まりますが、ご了承ください。

本多勝一の焦り-南京大虐殺に関する大嘘

12、被告・本多勝一は当初、私の現場確認終了を待ち切れず、「連載」を焦っていた

 被告・本多勝一の主張は、以上のように、私の仕事に俗論的なケチを付けるために、前述のように、「取材」から「大取材」へと、お得意の俗耳に入りやすいデマゴギー用語の乱発をエスカレートしているのですが、当初には、私が、「一応、アメリカの研究所の実態と『ガス室』の現場だけは見て置きたい」という態度表明をした際には、まったく逆に、非常に不満な面持ちを見せたのです。

 なぜかといえば、訴状にも記した被告・本多勝一による「連載」の「申出」が行われた時期には、正式な週刊誌としての出発以前に有料見本の「月刊」を出しながら予約料金を振り込ませていた『週刊金曜日』が創刊一周年を迎え、一年契約の読者の多くが以後の予約振り込みに応じないという危機的状況に直面していたからです。しかも、折から、被告・本多勝一も準備書面(一)で認めざるを得なかったように、本人談によると五〇億円を達成した予約料金の獲得の中心となって努力した初代編集長の和多田進の辞任などの暗い状況が続いていました。

 被告・本多勝一は、そのような状況の中で、商業的に「当たる企画」の早期掲載を切に求めていたのであり、その焦りの色の濃さには、私もいささか驚いてしまったほどでしたが、その間の事情については、本陳述書の最後に、被告・本多勝一準備書面(二)への反論として一括して詳述します。

 なお、被告・本多勝一は、準備書面(一)(二)でともに、拙稿の「連載計画」の存在を否定していますが、これまた驚きいった虚言の羅列なのです。準備書面(二)では新たに、拙稿が「持ち込み原稿と称される原稿である」との虚言を吐いていますが、これも訴状で記したように、「たまたま別人に渡す予定が外れたために所持していた」ものを被告・本多勝一に「見せた」だけなのに、被告・本多勝一の方が大袈裟に額の位置にまで持ち上げて、連載を申出たのであって、私としては、被告・本多勝一の飛び付き方が、むしろ異常に思えたほどの事情だったのです。その経過については、別途また詳述します。

13、南京大虐殺に関して、被告・本多勝一は人前で発言する資格のない大嘘つき

 被告・本多勝一は、『噂の真相』(98・2)の連載個人名コラム「悪口雑言罵詈讒謗講座・第36回・論争について(その一)」(甲第35号証の2)において、次のように主張しています。

「私は南京については自分で現地調査を四回やり、証人たち数百人を取材しました(注1)。その私に対して、文春を主舞台に南京大虐殺を否定する人々が?活躍、し、雑誌『諸君!』『文藝春秋』などで八〇回ちかく私を攻撃し、単行本をたくさん出しました。一人の記者の仕事を『大手出版社』が二〇年にもわたってここまで攻撃しつづけた例は、世界でも稀有なことではないかと思います。

 ……〈注1〉結果は最近刊行された『南京大虐殺』(朝日新聞社)に集大成されている」

 ところが、右のような「文春」による「攻撃」のきっかけとなったのは、被告・本多勝一の「南京」における「取材」による朝日新聞連載記事(甲第36号証)ですが、この記事(71・11・5夕刊)は、のちに詳述するように、日本刀による「百人斬り競争」などという技術的には全く不可能な話を、あたかも事実であるかのように得々として報じたものであり、その自称「取材」の驚くべき粗雑さもさることながら、むしろ、こちらの方が「世界でも稀有なことではないかと思」われるほどの非論理的記事構成の典型的な見本だったのです。

 被告・本多勝一は、右記事でも衒学的に〈注1〉を付していますが、論争のきっかけとなった右の朝日新聞連載記事(甲第36号証)にも、〈注1〉〈注2〉があります。ところが、これを自慢の単行本(甲第37号証)に収録した際には、読者に対して何の断りもなしに、長い長い〈注4〉(甲第37号証、三二四頁19行~三二六頁12行まで、写真入りで合計34行)を書き加えているのです。

 最初の記事を見ていない読者は、当然、この〈注4〉が最初からあったのだと思い込む仕掛けになっています。

 この〈注4〉は、『東京日日新聞』(現毎日新聞東京本社の前身)の「昭和一二年一二月一三日付紙面」「記事」とその説明であって、ここに初めて、右の「朝日新聞の連載記事(甲第36号証)」の中の「日本でも当時一部で報道されたという有名な話」の記事の現物が出現するのです。

 被告・本多勝一は、「この有名な話」の現物の確認すらせずに、かなりニュアンスの違う伝聞のみによる記事を発表しました。

 その記事作りの粗雑さと政治性の露骨さを、直後に「文春」が発行した一九七二年一月号の『諸君!』掲載記事「朝日新聞のゴメンナサイ」(甲第38号証)で嘲弄的に指摘されたのですが、以後、お得意の「悪口雑言罵詈讒謗講座」型レトリックによって居直りを策しました。

 この居直りのキーワードとして被告・本多勝一が利用したのは、同じく『諸君!』(72・4)掲載の鈴木明による批判記事「『南京大虐殺』のまぼろし」(甲第39号証)の題名の字句の一部の「まぼろし」でした。

 被告・本多勝一は、この題名の主旨をねじ曲げて、「文春」が「南京大虐殺」の全体を「まぼろし」だと主張してキャンペーンを張ったかのように宣伝し始めたのですが、私自身が、この件で多数の友人知人に問い質したところ、驚いたことに、そのほとんどすべてが「南京大虐殺まぼろし論」に関する論争の存在については、私自身と同様に薄ぼんやりと知ってはいたものの、鈴木明が執筆した右記事そのものを読んだものは誰一人としていなかったのです。

 ところが実は、鈴木自身は、南京侵略の際の日本軍による虐殺の事実を否定してはおらず、その記事の冒頭で、右の「朝日新聞の連載記事(甲第36号証)」と、自分がマイクロフィルムから「発見」した右の『東京日日新聞』記事とを子細に比較し、被告・本多勝一の記事作りの粗雑さを徹底的に検証していたのです。

 鈴木は、私と同業種の東京放送で調査部に所属していました。被告・本多勝一による右朝日新聞連載記事のような「裏取りなし」記事作りを批判するのが、鈴木の中心的な執筆意図であったと見受けられますので、直接電話で聞いてみたところ、やはり、その通りでした。その後、本人談によれば、「本多氏などのことまるで気にせず」、一〇年を費やして、南京事件に関する中国の文献を原語で読み通し、その一次資料の全体像を紹介する新著を準備中とのことです。被告・本多勝一らの「南京事件調査研究会」は、これらの一次資料を見てもいないそうです。

 右記事(甲第39号証)の題名中の「まぼろし」とは、決して「南京大虐殺」という事件そのものが「まぼろし」だという意味なのではなくて、むしろ、<被告・本多勝一流の検証不足の「ガセネタ」の横行によって、歴史の実像が見え難くなっている現状への批判を基調とするものでした。

 なお、鈴木明は、この他に『諸君!』(72・8)に「向井少尉はなぜ殺されたか」(甲第40号証)と題する記事をも発表しており、この記事によれば、鈴木の執筆動機には、戦後の中国における粗雑な戦犯裁判で死刑に処せられた向井敏明少尉(当時)の未亡人らの無念の想いを知ったが故に、右『東京日日新聞』記事をでっち上げた戦前の「親方日の丸」御用記者らに対して抱いた疑いと、そのような記事作りの悪習に対する強い批判とが加わっているようです。

 右の鈴木明による断続的な連載記事や、その後に発表された著書『「南京大虐殺」のまぼろし』(甲第41号証)などの批判的文章を、もっとも克明に読み、その主たる論点を一番詳しく知っていたのは、鈴木に批判された当人の被告・本多勝一その人に他なりません。

 ところが、被告・本多勝一は、自分が犯したお粗末至極な「裏取り」なしの「ガセネタ」「発表報道」「冤罪報道」の誤りを素直に認めるどころか、「文春」が世間的には「右寄り」と見なされているのを奇貨として、あたかも自分が正しい侵略戦争批判の記事を書いたのに対して、「右寄り」で体制派の反動的な「文春」が「虐殺全否定」のために攻撃を仕掛けてきたかのように装いを凝らし、いわゆる「左」の、しかし不勉強な自称「平和主義者」たちをだまし続けてきたのです。

 もちろんのことですが、被告・本多勝一にだまされて協力したアカデミー業者の教授たち、マスコミ業者の自称ジャーナリスト、司法業者の弁護士などにも、責任の一半を問う必要があります。

 被告・本多勝一は現在、「この『大論争』は大虐殺否定派の敗北に終り、いま彼らがしがみついているのは、『中国で言われるほど多数の虐殺ではない』とする『数』の問題だけ」(甲第35号証の2)と称しています。私は決して「文春」に依拠するマスコミ業者の歴史観に同調するものではありません。しかし、前出の朝日新聞連載記事(甲第36号証)で被告・本多勝一が〈注1〉に引用している洞富雄『近代史の謎』の「三十万人、あるいは三十四万人説」に関しては、被告・本多勝一と一緒に「南京事件調査研究会」に加わっている笠原十九司(当時も現在も宇都宮大学教授)ですらが、『日本近代史の虚像と実像』3(89・11・17、大月書店)所収の論文「南京大虐殺の真相」(甲第42号証)の最後に、「狭義の南京大虐殺においてならば、三〇万人虐殺説も再検討する必要があろう」という慎重な表現で、数についての明言を避けて始めているのが現状です。

 これらの右往左往の「研究」のすべても、先のような鈴木明の一次資料に関する一〇年掛かりの研究による労作が発表された以後には、一斉に、やり直しを余儀なくされることでしょう。

 被告・本多勝一がお得意のレトリックで、ひとまとめに「大虐殺否定派」と呼んで攻撃の対象にする人々の主張にも、かなりの違いがあります。完全な「否定派」は、実の所、もともと、ごくごく少数の「政治屋」のみでした。敵をできるだけ「悪魔化」して自分を正義の化身に見せかける手法は、今の今、イラク爆撃を扇動して自分のセックス・スキャンダルを揉み消そうと苦心中の超々大国アメリカの大統領、クリントンによっても駆使されているのですが、この種の下劣なキャンペーン・テクニックが、私自身にも向けられている現状に関しては、清々しかるべき登山の藪漕ぎで野糞を踏み付けてしまったような不愉快感を拭い得ません。

14、戦争を煽った悪質な「新聞記者」の嘘を「事実」と言いくるめる「無資格」ポーター

 被告・本多勝一はさらに、自分の「ガセネタ」報道の居直り弁明として単行本(甲第37号証)の段階になってからの〈注4〉の中に、次のような新たな「情報」を付け加えました。

「月刊誌『丸』の一九七一年一一月号には、この第三報(右東京日日新聞記事を)送稿した鈴木二郎記者が、両少尉から取材したときの状況を『私はあの?南京の悲劇、を目撃した』として、報告している。さらに月刊誌『中国』(徳間書店)の一九七一年一二月号では、野田少尉が故郷の小学校をたずねて、このときのことを語った自慢話が、直接聞いた志々目彰氏(中央労済組織推進部)によって紹介されている。それによると、野田少尉は次のように語っている。

『実際に突撃して白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない。占領した敵の塹壕にむかって「ニーライライ」とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出てこちらにやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る。百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ』」

 もはや多言を要しません。被告・本多勝一はここでも、ただただひたすらに(多分、善意の支持者からの通報による)「情報」を、そのまま書き写し、意味ありげに連らねて見せているだけにすぎません。耳糞ほどの批判精神も見受けられません。行間から透けて見えるのは、ご都合主義、俗論便乗主義の「御用記者根性」のみです。

「送稿」しただけの鈴木の回想に編集部が付けた「目撃」という表現が、あたかも「百人斬り競争」の「目撃」であるかのようなニュアンスで書き写されています。「シナ兵はバカだから」などと語った傲慢な駆け出し軍人の「ヨタ話」を、まるで事実の証言であるかのように書き写しています。これはまさに、科学的犯罪捜査などの実績を無視した検証無しの「ガセネタ」記事の典型です。もしも本当に「並ばせておいて片っぱしから斬る」といういわゆる「据え斬り」だったとしても、日本刀は、二、三人で刃こぼれし、血糊が付いて使いものにならなくなります。私は若い頃に、「荒木又衛門」とかいう名の剣客が「三六人斬り」をしたという講談について、物理的に不可能だと論評した記事を読んだことがあります。

 江戸川柳にいわく、「講釈師、見てきたような嘘を言い」

「百人斬り」などという講談風の「ヨタ話」を、日本刀に関する専門家に何も聞きもせずに、そのまま記事にすることからして、江戸落語長屋の金棒引き程度の仕業でしかないのに、それをさらに恥の上塗りしているのが、自称「新聞記者」こと被告・本多勝一の「仕事」なのです。

 自称「新聞記者」こと被告・本多勝一の先輩に当たる引用文中の「鈴木二郎」は、毎日新聞東京本社人事部の調査(甲第43号証)によると一九〇七年生れ、一九三一年入社、当時は社会部所属、論争後の一九九六年に死去)も、右東京日日新聞記事を連名で執筆した浅海一男(同右によると一九〇九年生れ、一九三二年入社、当時は社会部所属、論争後の一九八八年に死去)も、明らかに好戦的記事で戦争を煽った「戦争犯罪人」です。メディアの政治犯罪を追及し続けてきた私に言わせれば、自分の身を危険にさらすことなしに戦争を煽った連中の戦争犯罪人としての罪は、オッチョコチョイの軍人たちよりも重いのです。しかも、戦後になって、自分の過去の行状については口を拭ったまま、アッという間に「アメリカ民主主義」の提灯を持って走り回ったともなれば、これは「悪質」な累犯というほかありません。被告・本多勝一は、以上の二人の先輩に関しての「証人としての信憑性」を何ら確かめようともせずに、ただただひたすらに都合の良い「情報」を、そのまま書き連らね、その「情報」によって読者を誘導し、自己の「ガセネタ」の正当化を図ろうとしたのです。

 しかもさらに被告・本多勝一は、浅海一男を、この論争の経過を我田引水型にまとめた共著『ペンの陰謀』(甲第34号証)に引き込み、「当の記者が証言しているのだから真実なのだ」という主旨の屁理屈をこねる材料に使っています。

 私に言わせれば、浅海一男は、当時もでっち上げ記事を書いておきながら、その記事のせいでオッチョコチョイの軍人が中国で処刑されそうになっているのに、「同記事に記載されてある事実は右の両氏より聞きとって記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません」(甲第40号証)などという白々しい「証明書」の送付にしか協力しなかった人非人です。被告・本多勝一は、その人非人を白昼堂々、自分が犯した「ガセネタ」犯罪を覆い隠すための共犯者として引き入れているのです。

 この種の、被告・本多勝一やその二人の先輩のような、ただただひたすらに「情報」を書き写す「記者」のことを、業界では、「レポーター」(報告者)をもじって、「ポーター」(運び屋)と呼んで嘲ります。運送業に働く人々が聞いたら不愉快になる差別的表現ですが、それはそれとして、しかも、その「運び」の目的が、「ガセネタ」報道の居直り作業ともなれば、これは「戦争犯罪人」の先輩記者たちに輪を掛けた「ワル」の所業と言うほかありません。


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