「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その2
提訴以後の被害状況-本多勝一の「脅迫」

1997.4.18. 提訴
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
『週刊金曜日』本多勝一徹底批判「偽」市民派の正体を見破る42頁

原告本人陳述書 2

読みやすくするため、区切りなどを入れています。

提訴以後の被害状況-本多勝一の「脅迫」

二、提訴以後に発生した被害状況

 私は現在、本件の核心部分に当たる「ガス室」の存否に関する主張を、インターネットのホームページとメーリングリストによる通信の交換によって展開していますが、そうしている理由の中心には、本件誹謗中傷記事の流布以後、活字メディアにおける発表の場が著しく狭められたという事実があります。

 本件提訴以後にも、先方から依頼を受けて執筆した例もありますが、その内の二例を挙げると、次のような状況が生じました。

1、『エコノミスト』(97・5・20)掲載記事「これでは米国に勝てない和製メディア戦略のお粗末」(甲第68号証の1)の場合

 この記事の執筆依頼を電話で受けたのは本件提訴の準備中の一九九七年[平9]四月初旬でしたが、当然、その時にはすでに本件誹謗中傷記事が『週刊金曜日』に連載された後だったので、それを理由として原稿をボツにされたのでは無駄な骨折りになりますので、私の方から依頼電話の主である担当の毎日新聞記者に、「新聞記者として名の知れた本多勝一氏とガス室問題で争っている立場」を表明し、それでも良いのかと確かめました。それは構わないという返事だったので執筆し、掲載されましたが、その後、担当記者に「何かなかったか」と聞いたところ、やはり、元気のない声で、「社内から『なぜガス室を否定するような執筆者を選んだのか』という意見が出た」との返事でした。以後、同誌からは原稿依頼がありません。

2、『週刊新社会』(97・8・15)掲載記事「特高の親玉『読売』乗っ取り」(甲第68号証の2)の場合

 この記事は、私が発起人の一人である「民衆のメディア連絡会」(約三五〇人)の例会で知り合った記者の依頼で執筆したものですが、この場合も同紙関係者から右と同様の意見が出たとのことで、以後、同紙からは原稿依頼がありません。

3、『週刊金曜日』(97・9・19)「ドイツ刑法130条違反で木村愛二氏を告発[後略]」(甲第9号証の11)、

同(97・9・12)「木村愛二氏をドイツ検察局に告発・会見」(甲第9号証の12)の場合……内容指摘。

記者会見関連資料(甲第21、22、25号証)、同記事(甲第23号証の1~5)の場合……内容指摘。

右行為に疑問を呈する記事(甲第24号証の1)の場合……内容指摘。

 この場合は特に、朝日新聞(甲第23号証の4)と毎日新聞(甲第23号証の5)の記事を見たもの多く、年来の友人知人からは「何かヤバイ事をしているのではないか」との疑問が寄せられ、その対応として事情の説明をすることで本件に関わる当初の目的を達することができたものの、いわゆる簿大手メディアによる冤罪バッシング報道の効果があり、家族・親族を心配させたりする苦しみをも味わいました。

4、『パンプキン』(97・12)掲載記事「『血みどろ写真』掲載は表現の自由か」(甲第47号証の1)……内容指摘。

 この創価学会系の婦人向け月刊雑誌は、発行部数も少なく、直接の被害はありませんでしたが、私の本の読者からのファックス通信によって記事の存在を知ったものです。

 見れば、筆者は渡辺武達とあります。この私より一世代下の同志社大学教授とは面識がありましたし、その後、渡辺が、民衆のメディア連絡会のメーリングリスト(約二五〇名のインターネット通信グループ)に参加していることが分かったので、その通信で様々な事実確認の誤りを注意したところ、予想に反して大変失礼な対応振りで、現在、これもやむを得ず提訴の準備をしています。

 大学教授とはいっても、昔も御用学者が主流でしたし、最近はタレント型のアカデミー業者とでもいうべき商売人揃いで、世俗的な権威に弱く、その逆に一般人に対しては肩を怒らす軽薄な手合いが多いのです。

 この件では、私にとって最も貴重な時間を浪費し、かつ、さらに誹謗中傷の被害を受ける結果となっています。

三、最も特徴的な最近の事実

 私が、あえて甚大な生活上の苦難を覚悟し、訴訟と言う非常手段に及んだ理由の根底には、すでに私が訴状と準備書面で何度も指摘したような、被告・本多勝一のまったく理不尽な対応振りへの強い怒りがあるからです。私は、本件の名誉毀損・誹謗中傷の事実の発生に関して、この事件の構造の中心をなす被告・本多勝一の長年の実に根深く、かつ忌まわしき個人的動機の存在故にこそ発生したと判断しています。

 しかも私の怒りは、本件審理の過程で被告・本多勝一が、さらに付け加えた大嘘の数々を見るに及び、いやましに高まる一方なのです。特に前出の「連載の計画」の場合は、周囲に何人かの友人がいた場での会話でしたが、酒の席でのことでもあり、細部にわたって記憶してくれている友人はいません。証拠物件はその翌日のファックス通信(甲第20号証)だけですから、被告・本多勝一の否定が嘘であることを立証するためには、被告・本多勝一が天性の嘘つきであることの外形的立証が不可欠となります。

 本件の構造は一見複雑ですが、以下、まずは、本件発生の現場となった『週刊金曜日』の編集長(当時)及び同雑誌を発行する株式会社金曜日の代表取締役でもある被告・本多勝一自身が、本件裁判に関して示した最近の言動におけるいくつかの顕著な問題点を指摘し、それらの問題点からさらにその根源へと溯って、本件発生の基本的な原因を作った編集長(当時)であり、いわば主犯の被告・本多勝一が、長年にわたって世間をたぶらかし続けてきた低水準の虚言癖、さらにはそれを糊塗するために駆使した悪質極まりない与論操作の数々の手口を検証し、左記「悪口雑言罵詈讒謗講座」的用語に慣れ親しむ向きにも理解しやすいように文章を工夫しつつ記し、以て本件の深層構造に関する根本的理解の一助とします。

 前出の「単行本(仮題)」の一章として、仮に表題を付けるならば、「被告・本多勝一のゲッベルス流デマゴギーの動機に忌まわしき過去の『ガセネタ』報道居直りの源流あり」といった感じとなります。

1、私宛てのファックス通信による被告・本多勝一の「脅迫」行為

 被告・本多勝一は、『週刊金曜日』発、私宛てのファックス通信によって、本件訴訟の提訴以後、八か月弱を経た昨年の一九九七年一二月五日の日付けで明らかに被告・本多勝一の筆跡ではない手書きの追伸を書き加えた手紙(甲第31号証)を送り付けてきました。その追伸の手書き文字の筆跡には見覚えがありました。

 そこで私が直接、被告会社に電話をして、追伸を書き加え、かつ発信作業を行ったのは誰かを確かめたところ、案の定、被告会社代表取締役たる被告・本多勝一の社用個人秘書でした。つまり、被告・本多勝一は、この手紙及びこの手紙の原本及び手紙に略名の記載のある自著『南京大虐殺』の私への発送及び発信のすべてを、社用として社用個人秘書に行わせたのであり、その手紙の原本は、「甲第31号証」の右肩記載のように、被告会社の主たる発行物『週刊金曜日』用の文書ファイルに「蓄積」されているのです。

 この手紙の文章は被告・本多勝一特有の意味を限定しにくい悪文の典型ですが、その内、もっとも特徴的に被告・本多勝一の深層心理の状況を示す文句は、次の部分です。

「南京大虐殺について私はこの程度のことを調べました。[中略]木村さんも少なくともこの程度以上の報告を、ご自分の現地取材や体験者取材による結果を中心に書かれることをご忠告申し上げます」

 私は、このたった二行の文章の中に、本件の名誉毀損・誹謗中傷記事の企画と実行に至り、かつまた、その後の居直りと虚言の数々をあえてなした被告・本多勝一の個人的動機が、実に根深く、かつ忌まわしく刻み込まれていると判断します。

 被告・本多勝一はここで、本件の名誉毀損・誹謗中傷記事の企画と実行に関する弁解として、私の「ガス室」に関する調査が、自らの怪しげな自慢の種、「南京大虐殺」に関する「調べ」と比較して、不十分だという屁理屈を組み立てているのですが、この屁理屈の構造の怪しさそのものもさることながら、被告・本多勝一の「南京大虐殺」に関する「調べ」そのものに恐るべき怪しさがあり、しかも、その怪しさとその結果としての悪業の数々、さらにはその隠蔽のために重ねた累犯の数々の当然の帰結として、本件の名誉毀損・誹謗中傷記事の企画と実行が位置付けられるのです。

 なお、本件訴訟の開始以来、被告・本多勝一が、同手紙に記された「南京大虐殺」を内容とする著作集の一部を私に送り付けてきたのは、これが2回目のことです。

 1回目の本の場合には、被告・本多勝一が本件提訴以前に私に投げ付けたことのある文句を、そのまま返上し、被告・本多勝一の仕事は「支持しかねます」という理由を付して送り返しました。甲第46号証は、その時の同文の添え状の書き直し前の分です。

 2回目の本、『本多勝一集「南京大虐殺」』(97・10・5、甲第55号証の1)は、度重なる脅迫の証拠として保存してあります。

 なお、2回ともに、佐川急便による宅配の費用は、「株式会社金曜日」持ちでした。

 おそらく被告・本多勝一は、自分の持ちコラムに駄文を書き連ねたり、手紙添付の著書を私に送り付けたりすることによって、「俺は天下の朝日新聞から著作集を出している大物なのだぞ!」と吠えて脅かしたつもりなのでしょうが私は、この「朝日新聞」をも含めて、日本の大手メディアが、いかにいい加減な仕事しかしてこなかったか、今もまた、いい加減な仕事しかしていないのだという根本問題を長年追及し、詳しい批判的著述を公表し続けてきたのです。この私にとっては、被告・本多勝一のこのような俗物的対応振りは、まさに笑止千万の典型的行為であり、自らの化けの皮を自らの手で剥がしてみせてくれたような、目尻の隅からですら見るに耐えぬ愚挙でしかありません。

 よって、以下の如く、まずは各論的に問題点を解明し、その後に総論的な意見を述べることとします。

2、被告・本多勝一の自称「南京大虐殺をめぐる論争」と本件との関係

 すでに原告準備書面(三)に記したように、私は、「(被告・本多勝一が一九九七年(平9)七月二二日付けの被告・本多勝一準備書面(以下、一とする)によって、拙稿『「ガス室」神話検証』の)『連載の計画』そのものを否認してしてくるなどという驚くべき背信行為を予測だにしなかったので、訴状には詳しい経過を記さなかった」(右の原告準備書面[三])のですが、その「詳しい経過」の一つには、いわゆる「南京大虐殺」問題を主題とする『週刊金曜日』(96・8・9及び8・23)掲載の「南京事件調査研究会」メンバーによる「座談会」連載記事(甲第32号証の1及び2)に対する私の批判活動を頂点としながら、その前後につながる私と被告・本多勝一との間の一連のやりとりがあります。

 このやりとりの前後関係についての説明は、できるだけ簡略にしますが、この一連のやりとりに関しては、提出できる状態のものだけでも膨大な数と量の往復文書(甲第33号証の1ないし50)が残っています。直接の長い会話も交わしており、その時の異常な状況についての記憶は鮮明に残っているで、詳しい証言もできます。

3、「南京事件調査研究会」に関する批判的私見

 右の「南京大虐殺」に関する座談会の連載記事自体に関しては、これまた簡潔を旨とし、『マルコポーロ』廃刊事件、または「アウシュヴィッツ」に関係する部分のみの批判に止めますが、座談会出席者の内、誰一人として、「ガス室」に関する「調査研究」の実績を持っていません。それなのに、『マルコポーロ』廃刊事件に関する俗論的評価を唯一の根拠として、「ガス室」否定論を「南京事件」の「否定勢力」と同一視し、それによって自説を補強しようとするものですから、およそ、科学的な議論とは言い難いのです。もしも善意によるものだとしても、およそ歴史学の専門家として通用する域に達してはおらず、のちに詳述する「味噌も糞も一緒くたにする」類いのデマゴギーに堕していると批判せざるを得ないのです。

「南京事件調査研究会」と称する組織そのものは、「南京大虐殺まぼろし論争(後出)」をきっかけとして結成されたものであり、この組織結成を企画し、その創設に奔走したのは、訴状に記した『週刊金曜日』初代編集長、和多田進ですが、その和多田が編集長を辞任した背景には、被告・本多勝一との不倶戴天の敵同士に至る激しい対立関係がありました。和多田自身は現在、『週刊金曜日』創刊以前から社長を勤めていた晩聲社の立て直しに集中せざるを得ない状況にあるますが、私に対して「本多勝一はジャーナリズム界から追放すべき人物だ」という主旨の激励発言をしています。和多田は、そう断言する根拠について、「いずれ明らかにする」と語っています。その内容には、当然、「南京事件調査研究会」の内幕も含まれています。

 すでに本件で証人として申請した菅孝行は、右「南京事件調査研究会」による主要な出版物、『ペンの陰謀』(甲第34号証)において、被告・本多勝一と共著者の関係にありましたが、「なぜ、南京大虐殺まぼろし論争で本多勝一に味方したのか」という主旨の私の質問に答えて、「当時は何でも右か左かというのが判断の基準だった」という主旨の答えをしています。

 つまり当時においては、実は単に自称「左」、または「心情左翼」と称される読者の確保に熱心な「エセ紳士」こと朝日新聞社の社用で、ヴェトナム戦争や中国文化大革命の情報取りに従事した被告・本多勝一を、それだけで「左」の「ジャーナリスト」だと誤解する向きが多かったのです。

 私自身は、その当時、マスコミ関係の労働組合運動やそれと関連する政治運動に没入していたのですが、学生時代からの友人である菅孝行から右のような告白を受けて、改めて唖然としました。闘争の現場にいた私から見れば、マスコミ関係の労働組合運動やそれと関連する政治運動の場に、一度たりとも顔を出したことのない被告・本多勝一が、やはりほとんど同様の立場の「学者」や「著述家」たちに、「左」だと誤認されるという摩訶不思議な現象が、この日本で起きていたのです。

 結果として、被告・本多勝一の正体を見抜けず、被告・本多勝一が「南京大虐殺」の旗印を確保したがる本音を検証し得なかった自称平和主義者たちが、主観的には善意に発しているのかもしれませんが、私の目から見れば実に不十分な「大日本帝国の大陸侵略史」を物語りつつ、実は、被告・本多勝一の悪業の数々の隠蔽に協力していることになるのです。

4、被告・本多勝一が額に張り付けた二股、いや、三股、四股膏薬

 特に許し難かったのは、右「座談会」(甲第32号証の1及び2)への被告・本多勝一の何食わぬ顔をした列席と、その迎合的発言内容でした。

 被告・本多勝一は、少なくとも、右「座談会」出席以前に、私の草稿を、あくまでも本人の言によればですが、「斜め読み」(甲第33号証の14、4行)はしているのであり、その後も、たとえば被告・本多勝一準備書面(一)の末尾、「被告会社の主張」の最後にも、次のように自ら明記しているのです。

「世界の定説とされている『ホロコースト』を覆すに足るような充分説得力のあるルポ等で原告の説を論証することができるのであれば、『週刊金曜日』に掲載することをも検討する」

 この主張、つまりは、「充分説得力のあるルポ等」による「論証」の可能性を排除し得ない立場と、共同被告の被告・金子マーティンの方が主張するような本件に関する発言そのものをも処罰することを「国際公序」とする同被告準備書面(一)の立場とは明白に異なるものです。その点の矛盾について私は、準備書面(三)において詳述し、釈明を求めたのですが、未だに返答はありません。 被告・本多勝一は、このように二股膏薬、いや、三股、四股膏薬を、額に張り付けて、いざと言う場合の逃げ場を確保しようと苦心惨憺の最中なのです。

 私は、右連載記事(甲第32号証の1及び2)を読んだ時すでに、被告・本多勝一の怪しげな俗論迎合・便乗主義、裏切りの薄汚さに吐き気を催しました。そこで、この座談会出席者全員に対して、一九九六年八月二六日付の手紙(甲第33号証の9)を送り付けたのです。

 この手紙(甲第33号証の9)の中で私は、被告・本多勝一が私の草稿「『ガス室』神話検証」(仮題)を見て、即座に「ぜひ『週刊金曜日』に連載させてほしい」(同2枚目30行)と申し込んだことを事実通りに記していますが、この私の記述に関して被告・本多勝一は、この時期のやり取りでは、「かなり一方的な説明」(甲第33号証の10、4行)と記してはいるものの、何ら具体的な異議を唱えていません。

 その後の本件誹謗中傷連載記事に関するやり取りの中でも、「2年ほど前に片言隻句までとらえ」(甲第33号証の38、16行)といういささか非難がましい表現をしてはいるものの、やはり何ら具体的な異議を唱えておらず、むしろ逆に言うと、「片言隻句」という自分勝手な形容を用いながらも、実は、同主旨の自分の発言の事実を認めているのです。

 すでに原告準備書面(二)で述べたように、被告会社一九九七年(平9)七月二二日付け準備書面第二の二の2《(「連載の計画」なるものが、被告会社編集部において議論されたことはない)》などという主張は、この準備書面で初めて出現したものです。

 前述のように、この間の事情の物的証拠としては、被告・本多勝一発の私宛てファックス通信(甲第20号証)があります。

 その後、確かに、「連載の計画」に対して、編集部内には異論が出たようですが、本件に関しての日本国内の与論を左右する契機となった『マルコポーロ』廃刊発表直後の一九九五年二月八日にも、被告・本多勝一は、私宛てに自筆のファックス通信(甲第49号証の3)を寄越しています。

 私は、この通信記録を、本件誹謗中傷発生以後、『歴史見直しジャーナル』3号(甲第7号証の4)の1頁下段にも縮小コピーで収録しました。私は、また、右ファックスによる要請に応えて、直ちにコンビニエンス・ストアに出掛けて「『レクスプレス』のその論文のフランス語原文」のコピーを取り、ファックス通信で被告・本多勝一に送りました。

 その論文の主要部分については、同じく『歴史見直しジャーナル』3号(甲第7号証の4)の32頁2~3段に収録した『週刊金曜日』(95・3・17)「論争」欄への投書で簡略に触れ、さらに拙著『アウシュヴィッツの争点』(甲第1号証)の一三一頁に訳出しました。「『レクスプレス』のその論文」の主要な主張を要約すれば、次のようなものです。

「アウシュヴィッツ1のたったひとつの火葬場1が、いちばんはっきりした実例だ。[中略]そこにあるものはすべて捏造(または『ウソ』)だ」(甲第1号証、一三一頁6~7行)

 以上の経過から見ても当然のことながら、変わり身の早い、というよりも変わり身の露骨なことでは定評のある被告・本多勝一は、欧米で「ガス室」疑惑がかなりの程度に公然化していることに気付いています。だから、私に対しては人前で「別の意味の歴史改竄主義者」(甲第7号証の6、4頁右3段2~3行)などという誹謗中傷を繰り返しながらも、もう一方では怪しげな二股膏薬、いや、三股、四股膏薬を、額に張り付けて法廷をも侮辱しながら、ノラリクラリと逃げ回っては、世間の様子を伺っているのです。

 この「怪しげな二股膏薬、いや、三股、四股膏薬」の詳細については、さらに後に述べます。


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