デカメロン序章 3の丸:電波メディア「学界」批判

1998年5月1日の開設以来、この間を訪れたのは あなたで****人目です。
(このページは開設当時の表現を残しています。)
1998.4.30.入力。
『電波メディアの神話』(木村愛二、緑風出版、1994)より抜粋。
基本的主張の初出は『テレビ腐食検証』(テレビ文化研究会、汐文社、1980)

 この丸は、私が27年半というまさに半生を過ごしたテレヴィ放送業界を中心として、いわゆるメディアの世界に関する理論なるものが、いかにデタラメで体制寄りであるかを、徹底的に暴く意図で築いたものです。前後関係が分かりにくい部分があれば、ぜひとも、拙著『電波メディアの神話』をお読み頂きたい。若干の付け足しをしましたが、次の丸をダブルクリックで選んで下さい。

その1。学界嫌い事始め

 日本史でいえば、大和朝廷の天皇の墓と称されている古代遺跡を発掘せずに、「歴史」を教えているなどという破廉恥な国は、日本だけである。それなのに、大声を挙げて宮内庁を批判する教授がいたと聞いた試しがない。いわば腰抜けの集まりである。⇒全文を読む

その2。学説公害

 真正面からの挑戦状 / 「不偏不党」「公平」「公正」「中立」のまやかし / 「希少性神話」「公平原則」礼拝 / 「天動説」から市民主権の「地動説」確立へ / 壮大な知的大冒険への旅立ち
 ここで展開する放送の歴史と理論は、これまでに日本のアカデミズムが放送に関して流布してきたものとは、およそ正反対の主張からなりたっている。あまたの証拠をつきつけて、いわゆるアカデミズムの教えを「学説公害」と断定し、長年のあやまちをあらためよと要求し、人生をかけたたたかいを宣言するための真正面からの挑戦状である。 ⇒全文を読む

その3。周知の「ナレアイ性」

 「味方にすべき人だから、批判して敵に追いやってはいけない」という趣旨の忠告をうけて唖然としたものである。
 批判すると敵においやるというのなら、その相手が右であろうと左であろうと、隣の人をおいやらないため、そのまた隣の人、そのまた隣、そのまた隣と、とどのつまりは一番はしっこまでつづいて、金魚の糞のような無批判の連鎖ができあがってしまうではないか。それでは厳密な学問などができるわけがない。 ⇒全文を読む

その4。当局見解の守護神殿

「模範答案」のすべてを丸暗記する能力
 ジャーナリズム論に関係する象牙の塔では、一貫して「当局見解」が神話的に奉戴されつづけてきた。いや、象牙の塔こそが、「当局見解」を守護する神殿なのである。
 電波メディアの基本的理論に関して当局見解を疑う批判的な研究や著作は、いささかおこがましいが拙著を除けば皆無である。これまでにも何人かの学者先生が、「理論」という言葉がまじった放送に関する書物をだしているが、この基本に関するかぎり当局発表そのままの「通俗解釈」、つまりはローマン・カソリック教会型「天動説」の延長でしかない。ましてや、放送の歴史に関しての基礎的知識すらなしに書かれた活字メディア人間の無責任な文章などは論外である。 ⇒全文を読む

その5。学説公害の徹底的暴露

当局発表鵜呑み「学説公害」オンパレード / 著名大学教授や著名評論家らの社会的役割 / 国際的にも非常に遅れた放送の歴史的研究 / アメション・ザアマス型のジャーナリズム論
 理論構築に万全を期すための必須の前提は、まず、電波メディアに関する「学説公害」の正体の徹底的な暴露にある。
 私は、自己流の自称「愚直調査」方式で、手当り次第に関連する資料を調べ上げた。その結果、放送の歴史と理論に関するいくつかの意外な埋もれた事実を発見し、いわゆるアカデミズムの教えとは相反する独自の意見を発表した。その中心的主張は、「電波メディア神話」、とりわけその創世紀の「希少性神話」の告発にあった。最初が間違っているから、そのあとは当然、ボタンの掛け違えとなっている ⇒全文を読む

その6。独占と非民主的な社会主義?

 ラディオというメディアが登場したのは、戦争と革命、反革命の波が荒れくるう世界的な大騒乱時代の真最中だったのである。
 「それぞれの国でのあらわれかたに相違があったとしても、当時の政治状況の根底にはやはり、ロシア革命との対抗関係があり、体制の浮沈をかけた思想闘争があった。だから、国家独占資本総体の意志を体現して、言論機関としてのラディオ放送は、最初から意図的に独占されたのだ ⇒全文を読む

その7。ジャーナリズム本来?

「ジャーナリズム」の語源 / メディアと言論の根本に潜む人権と人類史の深渕
 「ジャーナリズム性善説」の基本構造は、アメリカの歴史に発している。にもかかわらず日本に輸入される際には、歴史の発端が消え失せてしまった。日本では、あたかも人類史はじまって以来の神話のごとくに、「ジャーナリズム性善説」がまかり通っている。これも呆れた話だ。 ⇒全文を読む


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