電波メディア「学界」批判

その4。当局見解の守護神殿

1998.4.30

「模範答案」のすべてを丸暗記する能力

 ジャーナリズム論に関係する象牙の塔では、一貫して「当局見解」が神話的に奉戴されつづけてきた。いや、象牙の塔こそが、「当局見解」を守護する神殿なのである。

 電波メディアの基本的理論に関して当局見解を疑う」批判的な研究や著作は、いささかおこがましいが拙著を除けば皆無である。これまでにも何人かの学者先生が、「理論」という言葉がまじった放送に関する書物をだしているが、この基本に関するかぎり当局発表そのままの「通俗解釈」、つまりはローマン・カソリック教会型「天動説」の延長でしかない。ましてや、放送の歴史に関しての基礎的知識すらなしに書かれた活字メディア人間の無責任な文章などは論外である。

 放送というメディアの性質は、きちんと順序を立てて考えさえすれば、そんなにむずかしくはない。だが、「通俗解釈」の聞きかじりで間にあうほどの簡単なものではない。まちがった「通俗解釈」、実は「当局見解」の「地動説」的大衆欺瞞政策を下敷きにしたままの「通説」のつなぎあわせでは、もしその後の論理展開がいかに正しくても、結果は一八〇度反対側をむいた誤解または欺瞞におわる。

 私はここで「学者先生」という刺激的なことばを意識的につかっている。この人たちの責任は重大だからだ。「著名大学教授」でもいい。ただし別に、教授とか助教授とかいう肩書きの職業にある人物を、すべて否定的に判断しているわけではない。それなりに評価できる先輩も友人もいる。だが、おそらく日本だけではなく世界中で、著名大学教授の権威を利用する傾向がよわまるどころか、むしろつよまっている現在、あえて厳しく指摘せざるをえない。

 学者先生だけではなく、その肩書きで読者をひきつけようとする大手メディアの編集者とかプロデュサーにも責任がある。たしかに、著名大学の教授とか助教授とかになるには、それなりの知識が必要である。だから、急場の間にあうところがある。しかし実際には、20歳前後の子供に基礎的教養をほどこすだけが本来の仕事ではないか。特に日本の官学の場合、大学院から研究室の助手、講師、助教授、教授という象牙の塔専門コースのエリートがおおい。だからその主流には、放送とかジャーナリズムとかの分野にかぎらず、専門の仕事の最先端ではたらいたことのある実務経験者がきわめてすくない。私はむしろ象牙の塔専門コースの経歴の人々を気の毒にさえ思っている。もちろん、実務経験があれば、それで万能ともいえない、どちらにしても、本物の専門家として通用するかどうかは、本人の日常普段の努力にかかっているが、個人差がおおきいと思わなければならない。 いずれにしても肩書きだけで判断するのは危険である。

 しかも、権威の高い著名大学で無事に出世するためには、「模範答案」のすべてを丸暗記する能力と、先輩がたれ流してきた「学説公害」に無駄な疑問をいだかない性格の持主の方が有利なのである。