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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第7章6

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第7章6) 近代の偽証

 古代エジプト人が、黒色人ではなく、コーカソイド(白色人系)であると主張する学者たちは、全く何らの証言も、物的証拠も、提出していない。

 では、なにをしたか。まず、誤訳、もしくは曲訳をした。

 ディオプは、フランスの文化人類学界の権威、R・モーニーが、ギリシャ語のメラゴス(黒い)を、ブリュン(褐色)と訳した文献をそのまま引用している、と指摘している。わたしも念のために、ギリシャ・英語辞典を調べてみたが、メラグ、またはメラノを頭部にもつ単語で、褐色の何々、とされているものは、ひとつもない。明確にブラック、またはダークである。黒い、または暗い、の意味しかない。ギリシャ人自身が、褐色だったのだから、彼らが黒い、というのは、まさに黒いのである。

 もうひとつの問題は、はなはだ微妙である。

 ヘロドトスは、コルキス人がエジプトの遠征軍の一部である、と断定したが、その理由には三つある。第一に、コルキス人とエジプト人の相方が、その事実を認めたこと、第二に、両者とも「色が黒く、紙が縮れていること」、第三に、両者とも「昔から割礼を行なっていること」である。

 ところが、一般に流布されているヘロドトスの『歴史』には、明らかに、後世の学者の加筆がある。というのは、ヘロドトスの文章にかぎらず、古代の書物は、筆写によっていたため、異文が多いし、後世の校訂、注釈が本文にまぎれこむ例が多い。それがこの場合に微妙なニュアンスのちがいを、つくりだしている。

 わたしがそのように断定する根拠は、たった三つの日本語訳をみただけでも、そうとうなくいちがいがあるからだ。以下、該当する個所だけを並べてみたい。

A「色が黒く、髪が縮れていることであるが、もちろんそれだけでは何の証明にもならない。そのような特徴をもった人種は他にもいるからである」(松平千秋訳、筑摩書房版) B「色黒くしかも毛がちぢれているだけではなく(ほかにもこんな人種はいるから、これだけでは何の意味をも成なさない)(青木巌訳、河出書房版) C「皮膚は黒く、髪はちぢれている(といっても他の諸民族(ネーション)がそうであるほどそんなにもひどくない)という事実によっており」(貫名美隆訳、理論社、『アフリカの過去』)

 さて、ギリシャ・ローマ時代には、カッコ入りの文章は、全く存在しなかった。散文といえども、また歴史書といえども、文学として取扱われていた。

 ヘロドトスは、うたがいもなく、「色が黒く、髪の毛が縮れており、しかも、割礼の習慣を持っている」、としか書いていなかったのだ。これに、挿入句を加えることも誤りなら、ましてや、勝手な解釈を割りこましてはならないのは、当然のことである。

 とくに、最期の文例、「そんなにひどくはない」、というのは、古代エジプト人の肌色、髪の毛が、一般の黒色人ほど、「ひどくはない」という意味である。「ひどい」というコトバは、「非道(ひど)い」の当て字もあるくらいで、語感も好ましくない。資料集『アフリカの過去』は、イギリス人のデヴィッドソンが編集したのだから、おそらく、イギリスでは、こういうテキストが公式に認められているのであろう。この挿入句は、たとえ無意識で書かれたとしても、意図的であり、改ざんに近い。

 イギリス人の歴史学者、人類学は、この、改ざんに近い挿入句入りの、ヘロドトスの『歴史』を、そのまま受けとっているにちがいない。デヴィッドソンでさえ、疑問をさしはさんでいないのだ。彼は、「『黒い』といっても、批判の多いこの一節から、かりにも『人種問題』の結論を立てるのは軽卒であろう」、と注記している。しかし、「結論」をさまたげるための意図をもった後世の注釈を、唯一の論拠とするような「批判」は、全く論外である。

 さて、後世の加筆は、やはり、その当時のナイル河デルタ地帯の住民が、相当に混血し、人種形質に変化をきたしていた事実とも関係がある。目の前の、近代のエジプトの住民の印象と、黒色(ニグロ)人は、奴隷の種族であるという先入観念が、すべてを支配している。では、過去を復元する方法はないものだろうか。数字的に、後世の混血を証明することはできないものだろうか。

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