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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第6章5

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第6章5) 巨大な土塁

 デヴィドソンは、ウガンダ西部、すなわちイシャンゴ文明の故地に近接する地点で発見された、「土塁の巨大なシステム」に注目し、この遺跡を、「アフリカ最大で、世界でも最大に属するもの」と表現している。

 彼は、この土塁の重要性を強調するに当って、それが「楕円型」をなしている点を指摘する。すなわち、ローデシアの大ジンバブウェの城壁と似ている、というのである。そして、「ローデシアと同じく、ここも広範囲な採鉱と、溶鉱の地域であった」といっている。

 しかし、この遺跡に金属文化の証拠があることは、必ずしも、この土塁の建設開始の年代を、金属文化開幕以後である、と決定する材料にはならない。

 たとえばモートンは、イベリア人が残した巨石文化遺跡について、「現在の土塁は、かなりあとの、主に鉄器時代に起源をもつものであるが、しばしば新石器時代の下層をもっている」、という事実を指摘している。沙漠化などの特殊な事情がない限り、多くの文明中心地では、人びとは遺跡の真上で生活を続けてきた。だから、そこに何層もの歴史がかくされているのは、まことに当然至極のことである。

 またもし、このウガンダの土塁が、鉄器文化以後のものだとしても、今度は、鉄器文化の起源についての考え方が問題になってくる。ただひとついえることは、このウガンダ西部という地点は、ルヴェンゾリの大爆発の灰、もしくは溶岩流をかぶった範囲にはいっている。それゆえ、地上にある土塁は、紀元前6000年以後のものであることは、確かであろう。

 土塁の築かれた目的は、この周辺の牧畜民の生活から考えると、家畜を中にいれる、大きな屋敷の方式を、発展させたものと思われる。城砦都市の遺跡といってよいだろう。しかし家屋は土壁だったと考えられる。そして事実、地表からは、全く姿を消している。正式の発掘をすれば、もっとよくわかるようになるだろうが、まだ、そういう報告はないようだ。  牧畜との関係については、シーニーが、土塁の中から、「家畜の頸にさして地をぬきとるのに用いられた特殊なヤジリ」が発見されたと書いている。マサイ民族などが使っているのと、同じ種類のものだろう。わたしは、宗教的な儀式に使われたのではなかろうか、と考えている。

 では、どんな人々が住んでいたのだろうか。伝説は残っていないのだろうか。

 ウガンダ人は、この土塁、または城塞都市をきづいたのは、巨人たちだといっている。他の国の場合とちがって、ウガンダから、となりのルワンダ・ブルンジその他には、いまも二メートル以上の巨人が何十万人もいるのだから、この伝説には、リアリティーがでてくる。

 さて、このウガンダの遺跡は、かつてのイシャンゴ文明と、ほぼ同じところにあった。ところが、イシャンゴ文明と対応するナクル文明の周辺にも、古代遺跡が、さらに大規模な分布をみせている。

(第6章6)灌漑農場へ進む ┃