一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 90(1997.12.6)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 90
1997年12月6日
東京都千代田区三崎町
2-2-13-502
郵便振替 00120-8-45850  電話:030-910-4140  FAX:03-3386-2203
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


◆本号の記事 ◆


  ヘリ基地反対協から名護市民へのハガキ

 おじいちゃん、おばあちゃんが若い頃、大きな戦争がありました。約20万人、その時の沖縄県民の三分の一の命が奪われました。そんな厳しい時を生き抜いて、戦後一生懸命働いて今の名護市があります。

 「自分達はもういいけれど若い人達を苦しめたくない」そう言っていたおじいちゃん。

 「いくさになったらたいへんよォ」 そう言っていたおばあちゃん。

 わたしたちは思います。

 この平和の時を、静かに流れる日々を、そして愛する名護・ヤンバルを守 りたい、と。

 あなたは?

 投票場に立てば、一人になれます。一 人の人間として誇りを持って、 3反対○ を!

 その一票があなたを守り、家族を守ります。

−12月21日名護が平和の
      発進地になりますように−


「本土なみ」にしたのが歴史的意義?

防衛施設庁へ抗議

 穏やかな秋日和の11月18日、関東ブロックは防衛施設庁と首相官邸に対して要請行動を起こした。名護ヘリポート基地建設をめぐり、穏やかならぬ動きが見えてきたからである。

 要請内容の一つは那覇防衛施設局が11月5日から説明会を開いている建設基本案について。もう一つは21日に政府が沖縄に乗り込んで開く「復帰」二十五周年記念式典について。

 午後1時半、六本木の防衛施設庁前には呼びかけに応えて二十人余りが駆けつけてくれた。今日の交渉相手は三名。いつもゴーマンな態度の普天間対策本部・室長補佐の野中氏、用地施設課の木村氏に加えて、新顔の総務課補佐の蓑浦氏である。

  まず「閣僚でもある防衛庁長官がどのような意味あいで式典に出席するのか?」の質問に「二十五周年ですから」と誠にあっけらかんとした答え。あいた口がふさがらないが、気をとり直して、政府がいう”歴史的な意義を踏まえて“とはどういう”意義“かと続ける。しかし「沖縄がようやく日本に復帰してから二十五年も経ちまして」と、らちがあかない。

 政府にとって歴史的意義とは「復帰」以降、沖縄にも“本土並み”に安保を適用して軍用地の円滑な提供を行ない、米軍基地の安定的使用を保障してきたことに他ならない。そうでなければ「復帰」後60%の米軍基地が減った「本土」に対して、沖縄が13%に止まっていることの説明がつかない。さらには行政・司法・立法の三権が見事な連携プレーで沖縄を組みしいてきたことの説明がつかないだろう。

 その意義を確認した上で”沖縄の二十一世紀に向けた力強い第一歩”とは何を意味するか? 半年遅れのセレモニーに全閣僚を送り込み、税制緩和制度を初めとした振興策をちらつかせながら、銃剣とブルドーザーで造られた基地ではなく日本政府が造る新しい基地を受け入れさせることではないだろうか?

 次に政府の建設基本案について、12日から名護市四か所で住民説明会が行われたが、飛行コースや騒音などについて十分な説明がされていないことを指摘した。これに対する回答たるや「建設受入れ後に詳細を」という全く人をバカにしたもので、住民に対する説明会を再度行うことを強く要請して防衛庁を後にした。

首相官邸前で通行を阻止された

 首相官邸前では例の如く三重四重の警官の壁に阻まれ、やむなく総理府に行くが、ここも一人しか入れないという堅いガード。結局、代表が要請文を手渡して後、記者会見に及んだ。

総理府でも入構を阻止された

(N.Y.)


政府式典に抗議

集会参加者は二千人

 沖縄にて日本政府主催による恥知らずな「沖縄返還記念式典」が断行された11月21日(金)、東京では日比谷野外音楽堂で抗議をこめた「戦争協力を許さないつどい」が開かれました。

 この集会は、照屋秀伝・反戦地主会会長や上原成信・関東ブロック代表を含む市民・労働者・学生・文化人・弁護士・国会議員ら広範囲にわたる総勢50人からなる呼びかけ人による実行委員会が中心となっていました。平日の午後6時開始という時間設定のためか初めは参加者もまばらで、熱が冷めているのが現実かとも思い、このようなことならば関東ブロック独自で開催すべきであったとの感にとらわれました。

 しかしそれはまったくの取り越し苦労に過ぎず、徐々に空席は埋まり、最終的には2000人内外の結集をみました。

 進行も関東ブロック運営委員の瀬底さんが司会者の一方を務め、たんたんとした流れながら熱気が感じられるようになりました。

 各団体からの発言者は、日米新ガイドラインと軍事(有事)立法や名護の海上軍事基地への反対表明、沖縄返還式典に対する異議申し立てなど、いずれも力強い決意でした。

 合間には、全交(働く青年の全国交歓会)による「月桃の花」などの合唱や、かきのはさんの三線演奏もあり、午後7時半には予定通りの閉会へと至りました。

 尚、途中には関東ブロック・上原代表から名護基地反対協議会へのカンパ金要請があり、約40万円程の賛同金が集まりました。

 閉会後、直ちに銀座を抜けて旧国労会館のコースによるデモ行進が持たれました。いつものことながら、道行く人々の反応は鈍く、つくづく国家権力側の巧みな世論操作には関心すると同時に、自分たちの無力さを反省させられました。

 以上、あたりさわりのない感想を書き記してきましたが、本音を述べれば自分自身この大変な時期において意欲が薄れつつあります。この駄文を読まれた方は、私めにお叱りの言葉を。 合掌

(会員 Y.W.)


 関東ブロックへ次のとおりカンパが寄せられ、沖縄現地へ送金しました。ご協力ありがとうございました。


第9回公開審理

「心は曲がっている米軍」

  13施設の強制使用を巡る第九回公開審理は12月2日、那覇市の那覇市民会館で開催、約300人が注視する中で那覇市長の親泊康晴さん、反戦地主の島袋善祐さんらが発言し、「強制使用されて軍用地になっている土地を一日も早く返還してほしい」と強く訴えた。

 まず前回(92年)、前々回(87年)の二度とも発言を後に回されたあげく、起業者・那覇防衛施設局側と癒着した収用委員会によって結局は発言できなかった那覇市長が今回は堂々と発言、「市有地を軍事基地にとられて両側をフェンスに挟まれるみたいにして那覇空港とつながっているのは、やってくる観光客に対しても情けない、いやな感じを与える。しかもこの軍事基地はベトナム戦争や湾岸戦争では沖縄をアジアへの加害者にさせた。広島・長崎とともに那覇は、戦争をしない都市として『ピース・トライアングル』を誓っている(*)。ましてや強制使用しておきながら那覇軍港への米艦船の入港数が年二〇隻程度と遊休化しているとあっては、平和のメッセージを発信した那覇市(**)としてはまったく残念だ。復帰時に返還合意してから二四年も放置してきた国・那覇防衛 施設局の責任は重大だ」と訴えた。


*「『那覇・広島・長崎ピース・トライアングル・サミット 』アピール、1995年6月24日)。

**「生きぬき 築き上げた都市」1995年・沖縄戦終結五十年宣言。


 この後発言した那覇市の都市計画部長も、現在も11%を占めている米軍基地に制約はされながらも、米軍から返還された土地の地主と協議しながら都市計画を策定してきた戦後の復興経過について述べ、「こうした経過からしても、部分返還でなく全面返還によらなければ都市計画も策定が難しい」と強調した。同市の港湾部長も那覇市の金城睦・代理人弁護士も、那覇軍港が遊休化し一隻あたりの莫大な国民の費用は無駄に使われている点を述べたほか、金城代理人は戦後の米軍の「まず自分たちの基地を確保し、残ったところを沖縄人に返すというり方そのものがまったく不当。ブルドーザーによる強奪が、こうして『那覇から始まっていた』ということを忘れるわけにはいかない」と述べた。

 次にトリイ通信所について代理人の内藤功新垣勉両弁護士から発言があり、米軍によるベトナム戦争に関与した同通信所配備の米軍特殊部隊は安保条約の「極東における平和と安全」の範囲を逸脱したもの、等と述べられた。

 その次にキャンプ・シールズについて、代理人の梅田章二三田恵美子両弁護士が発言。新進気鋭の若手・三田弁護士は同基地の反戦地主・島袋善祐さんの土地(沖縄市字知花曲茶原2291)について「同基地への米軍の配備兵力はわずかで軍事的機能はきわめて低い。しまぶん付近の土地も、かつてのかまぼこ蒲はすでになく、倉庫になっていてコーラやセブンアップのびん瓶が積み重ねているだけ。強制使用申請の目的と違って実際にはスポーツ施設になっている。島袋さん自身が昨年、米軍MPの案内で実際に行ってみたが、立ち入っても運営上の支障もなかった。基地は全体が『有機的に一体』と施設局は言うがうそである。それに島袋さんの土地の位置は、施設局の言っている所よりも大幅に東側。比謝川の流れからも、山林への隣接からしても、それにいわゆる旧公図からしてもそれが裏づけられた」と明快に述べた。

 そして次に島袋善祐さんの発言。

 「施設局の言っている所に私は土地を持っていません! 第一、『キャンプ・シールズ』という名は沖縄人のだれにも相談しないで勝手につけたもので、私にはなじみません! 」。しかも施設局は「土地調書を勝手に作成して島袋善裕と書いたが、私は島袋善祐です! 」。「面積も5%増えているが、私の土地を測量する時だけピタゴラスの定理は成り立たないことになる。 市民地球は膨脹しているのか? 」「五〇億円の特別調整金で大田知事は変になった。あの五〇億円は『不幸への招待状』だ! 」「米軍はベトナム戦争で沖縄の基地から発進して枯れ葉剤を撒いた。私のところのバラも枯れ葉剤がかかると萎れてしまった。ベトナムでは今も枯れ葉剤の被害・後遺症が続いている。だから戦争に私の土地を使わせたくない。」

 「(先住民の)インディアンの土地を強奪して以来、米軍は『豆腐を切る』ように国境線をまっすぐにするのが癖になっている。ブルドーザーで道路をまっすぐに作ったが、米軍の心は曲がっている。その点、沖縄の道路は曲がりくねっているが、人の心はまっすぐだ」と。参加者は息をのんで聞き入った。

 次回は12月25日午後一時から。


インチキの地元説明会

絶滅危惧種等は説明せず

  政府は11月18日までに、辺野古・久志・豊原・屋我地・名護・屋部の全6区で政府による海上ヘリ基地の説明会を行った。しかし政府は、住民の「運用形態で米軍に注文をつけられるのか?」などの質問に答えられず、その回答は11月5日に久間防衛庁長官が県と名護市に対して示した「海上ヘリポート基本案」以上のものではなかった。

 さらに驚くべきことに、政府は自らが8月から10月にかけて行った調査で、キャンプ・シュワブ水域・陸域に多くの絶滅危惧種が生息していることが明らかになっているにもかかわらずその事実を住民への説明会で公表していなかった。名護、そして沖縄の環境に大きく影響を与えるこのような事実を隠して、住民への十分な説明をしたといえるのだろうか?

 生物への影響について書かれているのは、11月に普天間飛行場移設対策本部が出した『シュワブ沖調査結果報告書』。そこには政府がキャンプ・シュワブ水域・陸域の現況調査で確認した「特記すべき種」は植物12種、哺乳類3種、鳥類16種、爬虫類1種、淡水魚3種、底性動物4種、昆虫類5種の44種あったことが記されている。それらのほとんどが、県や環境庁のレッド・データ・ブック(絶滅のおそれがある種や希少種を載せた資料)で絶滅危惧種や希少種に指定されている。その中には、国指定天然記念物のカラスバト、県指定天然記念物のコノハチョウも含まれている。

 しかしそれぞれの調査は、わずか数日間のうちに行われている。同調査が示しているように、今回の調査では発見されなかったが、これまでの調査で同地域では国指定特別天然記念物のノグチゲラや国指定特別天然記念物のオキナワトゲネズミなどが生息していることも明かになっている。より緻密な調査が行われれば、さらに多くの希少種がみつかる可能性があるとの懸念を抱かざるを得ない。

 レッド・データ・ブック(県版、環境庁版とも)の委員の池原貞夫琉球大学名誉教授も調査自体を「繁殖への影響を調査しなければ不十分だ」と批判すると同時に、「こうした貴重な固有種が生息している地域に海上基地を建設すること自体が理解できない」と建設を批判している(『琉球新報』97年11月21日)。


闘いの中の名護に行ってきて

とにかく人手が足りない!

 12月2日の公開審理に参加する。年金生活者は航空運賃を無駄にしないように、審理の前後にヘリ基地反対協の仕事を手伝ったり、辺野古へのカンパを届けたり、伊江島へ行って元気をもらって来たりしよう――などともくろむ。

 しかしそれはみごとにはずれる。

 名護にいた七日間は、“忙しい=圧倒的に人手が足りない”の一言に尽きる。忙しくはあったが、怒ることと感動することの多い、充実した日々であった。

怒り

 名護市民が住民投票に際して客観的に判断できるように資料の提供をするのが政府の役割のはずなのに、政府・防衛庁等は、衣を脱ぎ捨て鎧をむき出出しにして名護市民に襲いかかってきている。

 以下、怒りを禁じ得ないこと――。

 2日/秋山防衛事務次官は沖縄の金融機関に賛成票獲得に協力を要請。

 3日/秋山次官、昼食をとりながら名護市長らと振興策について懇談。午後、同内容で活性化市民の会(海上ヘリポート基地建設賛成派の団体)役員と懇談。

 5日/久間防衛庁長官、沖縄県出身自衛隊員や防衛施設局職員に賛成票獲得への協力要請文を送付。

 6日/村岡官房長官、北部一二市町村長と懇談。振興策を示し、その実現はヘリ基地受け入れが前提であることを表明。

 8日以降/那覇防衛施設局職員を名護市に投入、個別訪問をしてヘリ基地と地域振興策について説明。

名護市活性化市民の会の動き

●アルバイトの学生が「賛成に○」という名刺判のカードを通行人に配る。日当千円。●賛成派の市議が牛一頭つぶして飲み食いさせているとの報告。●松山千春(歌手)・橋本聖子(元オリンピック選手)らタレントを呼んで賛成票獲得のための集会を開いたり、岡山ナンバーの右翼の街宣車に活動させておきながら「名護市はいま、よそ者に汚染されつつある」と題するビラなどで、名護市以外からの海上基地建設反対の応援者を誹謗(発行者不明のビラも)。

感動

 金と権力にあかして、これでもかこれでもかと、海上基地建設を進める側に対して、命・豊かな自然と平和を守る側の運動の火は、静かに静かに、そして確実に燃え広がっている。

○「カマドゥー小たちの集い」/ 「カマドゥーー」とは、昔、沖縄の多くの女性たちにつけられた名前。数多くの女 性たちの基地建設反対の声を集めようとスタート。

○「命どぅ宝〜ウーマン・パワーズ〜(やる気ーず)−笑顔で反対!楽しく行動、イェ〜イ!」とパンフやビラを作って配ったり、街頭宣伝をしたり。

○“年寄りも負けていられませんよ”と 、退職教職員が集会を開く。

○反対協の事務所で仕事をしていると、「ご苦労さん、がんばってネ!はい、お弁当!」とおばあちゃんが訪れたり、夕方、仕事や子供たちの食事の世話を終えてきたという感じの青年やお母さんたちが反対票獲得のための電話かけに集まってきたり。

○反対協事務所に詰めている人は、早朝から深夜まで、宣伝の資料を作ったり、街頭宣伝や地区懇談会に出たり、状況を尋ねに来るマス・コミなどの人達と直接・間接に対応したりとフル回転。

○立て看板や街頭での訴えも

 「基地経済で栄えた町はない。事故の起きない基地はない」、「日は東から昇る。名護の夜明けが、東からヘリが昇る、ではたいへん」。あたり前のことがあたりまえになるように反対に○を。「登校する子どもが大人を信じて笑顔で挨拶する姿に接して、ますます基地を阻止しなければと思いました。」「目先の金に目がくらんで良心を売らないで! 美ら島・美ら海を、子どもや孫に残しましょう! 」「海上ヘリポートは普天間基地の代替ではありません! より強化された基地の新設。いまある基地は強奪されたものだが、辺野古沖への新設は名護市民が戦争への協力を宣言することになる!」「美ら島・美ら海に新たな基地はノーの声を! 」「地域振興はヘリ基地のない名護でこそ!」

  雑な報告になってしまったが大きな政府に立ち向かう、小さな市民の活動には圧倒的に金と人手が足りない! カンパとできれば現地に出かけての応援を!


<現地の連絡先>


(運営委員 O.A.)  


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