【これまでの活動の記録(集会の様子など)】
2012年
- 4月20日(金)ガッティンナラン!沖縄差別4・20集会ー「復帰」40年・サンフランシスコ条約60年ー
●辺野古新基地建設反対 ●普天間基地の即時閉鎖・返還・県外・国外移設 ●オスプレイ配備反対 ●高江ヘリパット建設反対 ●与那国島への自衛隊配備反対 (参加人数450名)
「復帰」40年の節目の今年、政府は沖縄現地で”復帰40年周年記念式典”を大々的にやろうとしています。しかし政府による沖縄差別は40年たった今でも変わりません。辺野古への新基地建設、高江へのヘリパット建設、そして南西諸島へ自衛隊配備強行と、沖縄の軍事要塞化をさらに推し進めようとしています。このような政府の沖縄差別に基づく沖縄への基地押しつけを許さず、沖縄と「本土」の連帯をさらに強め、大きな闘いのうねりを作り上げ、日米両政府による沖縄軍事化を打ち破るべく集会を持ちました。
- 沖縄からお招きした前宜野湾市長 伊波洋一さんは、「1952年対日講和条約と旧日米安保条約発行で、沖縄が日本から切り離され、沖縄の基地、空は米軍のものになった。沖縄差別は今も続いている。1973年4月「外務省機密文書”地位協定と考え方”で外務省は米軍の特権を微に入り細に入り解説している。外務省は国民ではなく、米軍の守り手になっている」。と資料を基に語られました。
- 政府、防衛省は北朝鮮の”人工衛星打ち上げ”通告に対して、北朝鮮からの「人工衛星打ち上げ」公開への招待を拒否し、「ミサイル発射だ」と言い張り、その脅威ををことさら宣伝し、これ見よがしに沖縄島、石垣島、宮古島にPAC3の配備を強行しました。これは南西諸島防衛に名を借りた自衛隊常駐の地ならしだということは誰が見ても明らかです。日本軍が沖縄に陣を張ったことにより、沖縄地上戦で沖縄の住民の3分の1が非業の死を遂げました。今回防衛省は950名あまりの自衛隊員を沖縄に派遣しました。政府、防衛省は二次大戦で犯した暴挙を再び繰り返そうとしているのです。直ちに自衛隊の南西諸島配備を断念させなければなりません。今日、緊急の行動にもかかわらず同じ思いを持った人々が防衛省前に駆けつけ、政府、防衛省の暴挙を止めるため抗議の声を上げました
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*日本最西端の島・与那国島でしか製造されない酒 ”花酒”の話
泡盛を造る過程で最初に出来るのが、非常に透明度の高い60度(泡盛でいちばん度数が高い!、今までで最高は75度。しかし最後の一杯に
嫌味が残り、泡盛愛飲家の多くは、最後の1滴までだいじにするので製品として世に出せなかった。残念!)の花酒だ。コップに注ぐとパーッと
花が咲いたようになるところからそう呼ばれているそうだ。
この酒を造って77年、崎元酒造所は1927年(昭和2年)、与那国の親類縁者が集い創業を始めた、与那国最古の酒造所だ。しかし売り上げを
度外視した酒造りがわざわいし、仲間が次ぎ次ぎに手を引き、ついに崎元家(崎元初さん)だけになってしまった。そこで何とか花酒の文化を
残そうとの思いから1971年(昭和46年)崎元酒造所として再スタートした。今も昔からのシンプルな酒造り、直釜製法で丁寧に製造している。
この酒造の代表代行が崎元俊男さんだ(現与那国町町議)。酒造りの話になるといろいろエピソードを織り交ぜ身振り手振りで熱心に話す。
彼の話を聞いた人は皆ファンになってしまうと言う。
もっと花酒やその文化のことを知りたい、本当のことを知りたい、花酒”与那国”を呑んでみたくなった、崎元俊男さんの話を聞きたい等など
の人,,下記のページへどうぞ
崎元酒造所公式ホームページ、崎元酒造所泡盛娯楽j部、崎元酒造所美ら島物語、崎元酒造所琉球泡盛・花酒販売(通販オンライン
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