沖縄県収用委員会 第9回審理記録

親泊康晴


当山会長:

 みなさん、こんにちは。これより第9回公開審理をはじめたいと思 います。はじめに、私より、収用委員の紹介をいたします。

 私が会長の当山尚幸です。わたくしの右側から、西賢祐委員。比嘉堅委員です。わ たくしの左側から大城宏子委員、浦崎尚彦委員です。なお、渡久地政美会長代理およ び上間瑞穂委員は、都合により本日は欠席しております。 審理進行についてご協力についてお願いがあります。意見陳述者はわたくしから指 名いたしますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べない ようにしていただきたいと思います。審理記録作成のため、意見陳述者はマイクを使 用して、起業者那覇防衛施設局の方は、職名および氏名、土地所有者等は自己の権利 に係る施設名および氏名を言ってから、意見陳述をお願いします。

 本日の審理がスムーズに進行でき、多くの方が意見陳述できるよう、審理に参加し ているみなさんのご協力をお願いいたします。

 本日の審理の進め方ですが、まず那覇港湾施設に関する意見を聞きたいと思います 。そして、トリイ通信施設、そして、キャンプシールズに関する意見を聞きたいと思 います。

 それではまず、最初の那覇港湾施設について、土地所有者、那覇市長親泊康晴さん 、よろしくお願いいたします。

那覇市長・親泊康晴

 那覇市長の頼泊康晴であります。

 那覇軍港に市有地を有する立場から、30万那覇市民を代表いたしまして意見陳述を行いたいと思います。

 私は今回の与えられた公開審理の意見陳述に先立ちまして、申し上げておきたいこ とがあります。

 兼城賢二前沖縄県収用委員会会長に関してでありますが、兼城前会長は、今回の沖 縄県収用委員会の公開審理にあたって、全身全霊を傾けて初期公開審理の運営をなさ れました。審理半ばにして、お亡くなりになられたことに対しまして、謹んで哀悼の 意を表したいと思います。

 兼城前会長が切り開いてこられた、真摯で民主的な収用委員会の公開審理が、この ように開催されていることに対しまして、市民の生命と財産の安全を守ることこそが 行政責任者に与えられた最大の責務であると自覚をしている立場の者として、収用委 員会の皆様方に対し、あらためて敬意を表しますとともに、今後とも民主的な運営に 心がけていただくようにお願いを申しあげまして、那覇軍港に関する意見の陳述を行 いたいと思います。

 今回の県収用委員会の公開審理開催に当たりまして、今年の2月21日に行われた 第一回公開審理の際に、私は発言の機会が与えられました。その中では基本的な意見 は申し上げてきたつもりではこざいますが、本日は、那覇市がどうしても那覇軍港を 早期に返還させて、跡利用に向けての道筋を描きたいとの思いで、各論的な面も含ん での意見陳述を行います。そのために、那覇市の関連する部署の担当職員からも意見 を申し上げますのでよろしくご配慮のほどをお願いを致します。

 那覇市は「復帰」以来、一貫して米軍用地への提供をお断りをして参りました。こ のことは、一昨年の3月段階で、那覇防衛施設局長に対して、「意見書」を提出いた しました。そこでは幾つかの理由を挙げて、強制使用とその手続きに対して反対を表 明いたしました。

 その理由といたしまして、まず、「平和都市づくり」を目指している我が那覇市の 理念とは相容れないと申し上げました。次に狭隘な那覇市の現状からして、那覇市有 地は市民生活の阻害要因となっており、都市経営上からしても容認できないと申し上 げました。

 次に、戦後この方、那覇市の都市計画を阻んできた米軍基地の存在というのは、都 市計画行政を拒んできたのであり、また那覇軍港周辺が、空港と合わせて、陸上交通 の要衝でもあり、それらの点からも早期返還を望んできたところであります。

 次に、那覇軍港の存在が那覇港の整備を阻害しているということを申し上げます。 現在、那覇港には3つの埠頭があります。つまり、那覇埠頭、新港埠頭、つまり安謝 新港、そして泊埠頭ですが、那覇市は空路だけでなく、海路におきましても県内の中 心的役割を担っております。国内外の航路だけにとどまらず、沖縄県が島嶼県ということで、県内のほとんどの離島を結ぶための拠点としての港湾があります 。ところが、従来の船舶需要の増加だけにとどまらず、最近では遊漁船の増加も非常に著しく、既存のバースでは追いつかない状況にある訳であります。このことを考えましても、那覇軍港の早期の返還が待たれるのであります。

 収用委員や会場の皆様にもお配りを致してありますが、この数字は、最近の10年 間の、那覇軍港における米軍船舶の出入港数であります。一部には凹凸はありますが 、年々、数が低下してきていることが御理解いただけると思います。最近5年間の平 均ですと、わずか18隻程度であります。年にして18隻と言いますと、月平均にお きましては、1.5隻でしかありません。百歩も千歩も引いて考えましても、遊休化状態にあり、那覇軍港の役割はすでに終息したのではないかと思います。特に、思いやり予算も、ここまでくると、ほとんど無駄使いという感じがしないでもありません。海洋県である我が県の立場から致しましても、海上の交通体系の整備というのは急務であります。その点から致しましても、那覇軍港の早期返還が求められています。

 以上、都市計画的な部分と港湾そのものに関しまして、簡単に私の方から申し上げ ましたが、のちほど、那覇市の都市計画部長と港湾部長から補足をさせますので、詳 しく申し上げる時間をいただきたいと思います。

 続きまして、経済的な面から申し上げたいと思います。

 ご案内のように、本県は、戦前ですと、細々ながらも立派な農業県でありました。例えば、農家一戸当たり平均にいたしまして、5.8反の耕地があったのが、戦後はある時期から3.5反に激減をいたしております。この、ある時期というのが、米軍による強制接収で あることは明らかであります。

 最近ではマンゴウなどの果実類や花卉園芸類が順調に県外に出荷されていますが、 先ほども申し上げましたように、米軍基地が沖縄の美味しいところを占拠している状 態であり、本来ですと有利に進むべき亜熱帯農業が阻害されている状態にあるわけで あります。サトウキビ生産やパイン生産は、一時期ほどの勢いはありません。

 こういうふうな農業生産にかわって、大さくクローズアップされているのが、いわゆる観光産業であります。 いまでは沖縄の基幹産業の中軸を占めていると申し上げてもよかろうかと思います。昨年の統計におきましては、年間におきましては350万人を超える観光客が沖縄 を訪れており、今年はそれを上回る数字が確実視されております。最近の傾向におきましては、全国的に、公立学校の修学旅行で飛行機使用が可能となったために、次々と沖縄に修学旅行で訪れるようになっているのであります。これを、年間にして、約 17万人に及んでおり、近い将来には25万人くらいに達するだろうと言れれており ます。このことは、沖縄が独自の歴史文化を有していることに加えて、また一面、自然についても触れる機会が多いと言うことがあるようですが、何よりも沖縄が平和学習に適しているということであります。全国から訪れるほとんどの高校生が、沖縄戦の実相に触れる学習の場を設定しています。加えて、沖縄の米軍基地の存在についても学習をしているのであります。

 ところで二年前に、地元新聞社と朝日新聞社、それにアメリカのハリス社の三者合 同の世論調査が発表されたことがありました。そのときの本土側の沖縄に対するイメ ージは、「米軍基地の存在」ということでした。それ以前の同様な調査結果は、「青 い海、青い空」でした。随分と異なった結果であります。「沖縄というと、米軍基地 」というイメージが定着しているように思えます。このことは、言葉を変えて申し上 げますならば、「沖縄は危険」だということにならないでしょうか。

 かつて、沖縄のイメージとして、「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に 沖縄がある」というのがありました。この言葉というのは、著名な写真家が、おっし やったことですが、確かにそのようにイメージされた時期がありました。

 よく若い人たちが、沖縄の米軍基地のフェンスは見慣れた光景であると言ったりし ます。実に哀しい表現でありますが、これが観光客などの沖縄を訪れる方々からです と、やはり沖縄のフェンスだらけの風景には驚きがあるはずです。

 さきほど、「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」というこ とを申し上げましたが、このことを、今、今日的に置き換えてみますと、その光景が 那覇市内にあります。

 現在、沖縄を訪れるお客さんは、そのほとんどが那覇空港に第一歩をしるす訳であ ります。そしてタクシーとかバスで那覇市内に入ります。沖縄への第一歩でもありま す。国道332号線を、那覇空港方面から、奥武山公園方面に車は進む訳であります 。そこで目に付くのは、いったい何でしようか。右側に自衛隊のフェンスが続きます 。そして左側には、那覇軍港のフェンスが明治橋を越えるまで続きます。つまり、沖縄を訪れる人々は、フェンスとフェンスの間をかいくぐるようにして那覇の街へ入ってくるのであります。これが沖縄の第一印象というのではあまりにも哀しい現実ではありませんか。観光産業にとりましても、マイナス要因でしかありません。

 沖縄の経済面から見ても、那覇軍港の存在というのはマイナス以外の何物でもあり ません。また、今後、県がすすめている国際都市形成構想におきましては、那覇港が 果たす経済的な役割は重要なものであり、その点からも早急の返還を望むものであり ます。

 沖縄を訪れる方々に見ていただきたいのは、けっして軍事基地ではありません。ど ちらかといいますと、沖縄の文化や、また自然をご覧いただきたいのです。沖縄観光 の魅力は、沖縄独自の文化であり、独自の自然であります。沖縄の人々は、古えより 、家の床には武の象徴である刀ではなく、沖縄の文の象徴である、三線(さんしん) を飾ってきました。これは沖縄の誇りでもありました。沖縄には武は似合いません。 米軍基地も似合いません。

 那覇軍港は、戦後すぐに米軍基地としての役割を背負わされてきた訳であります。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東湾岸戦争の目撃者でもあります。ベトナム戦争の時に は、緑色の迷彩色の戦車や軍用車両が、また中東湾岸戦争の時は砂漠色の迷彩色をし た戦車や軍用車両がフェンス越しに見ることが出来ました。いずれの戦争でもアジアの多くの民衆が犠牲となったのであります。いずれの戦争 も沖縄から出撃していった米軍が一方の当事者でした。

 いまから2年前の1995年6月24日に、広島市長、長崎市長に那覇へおいでい ただきました。「那覇・広島・長崎ピース・トライアングル・サミット」という催しでした。その 年は、沖縄戦終結50年の節目の年でした。広島・長崎にとりましても、原爆投下50年の大きな節目の年でもありました。この年には国会でも「50年決議」がなされ ましたが、私たち3人は、那覇市民、広島市民、長崎市民だけにとどまらず、全国民 、そしてアジアの民衆に対して、共同のアピールを行いました。収用委員や会場内の 皆さんにもお配りを致しておりますが、ここでは明確にアジアの皆さんと正面から向き合っての内容をアピールしたつもりであります。

 私たちは、単に被害者の立場だけではない。私たちには重大な加害者の立場がある ということです。

 一部、読み上げてみます。

 「被爆体験」や「沖縄戦体験」を考えるときに忘れてならないことは、アジアに対 する侵略と植民地支配の事実です。
過去の過ちを、心から謝罪します。
 過去を深く知り、誠実に過去と向き合ってこそ、より遠くまで未来が見通せるので はないでしようか。
 アジアの人達と歴史認識を共有し、確認しあう作業が進められています。他人の痛 みを痛みとして感じることのできる想像力や相互の文化を尊重しあう勇気が、国を越 えた交流の輪をおし広げ、新しい時代のとびらを開く力になる、と私たちは確信をい たしております。

 那覇市民には日米安保条約に関してのさまざまな考え方があります。ここではその 問題にはあえて触れませんが、しかしながら、最近の日米安保の再定義、「戦争のた めのマニュアル」と英語では訳されております。新ガイドラインは、いずれも沖縄に おける米軍の動きは、すでに以前から実践されていることだらけではありませんか。 再定義にしろ、ガイドラインの見直しにしろ、沖縄の全国化であります。

 さきほど、「那覇・広島・長崎ピース・トライアングル・サミット」について触れ ました。沖縄から出撃した米軍はアジアの民衆を苦しめ続けておるわけでありますが 、私は、那覇市長として、那覇軍港をそのようなことに使って欲しくない、絶対に使 って欲しくないと考えています。那覇は、かつて琉球の頃から貿易港として栄えてき た都市です。港は戦争のために使用されるべきではありません。

 第一回の公開審理で申し上げましたが、那覇軍港が1974年1月30日の第15 回日米安全保障協議委員会で返還が合意されてから、8,423日が経過していると 申しました。第一回の公開審理が2月21日でしたから、あれから数えますと、8, 700日を超えると言うことになるわけであります。

 私は、これまで機会あるごとに関係省庁や関係機関に早期解決を訴えてまいりまし た。「努力している」という返事は聞けますが、現に解決をしておりません。返還合 意から24年近くが経過している現実を直視すべきではないでしょうか。

 収用委員、それに会場内の皆さんは、フィー・タイトル(fee title)と いう言葉を覚えていらっしゃいますでしょうか。絶対的使用権、あるいは永代借地権 、とも訳されています。プライス勧告のなかで、アメリカ軍が無期限に必要とする土地について、地料の一括払いをするというものでありました。県民全てが激しく抵抗した制度でした。しかしながら、今日の米軍用地確保のための法制度と比較してみた場合、形は変わっても、沖縄県民としては、やはり絶対に容認できない内容であります。

 23年間にもわたる那覇軍港問題の放置というのは、アメリカ民政府の政策よりも 、もとるものだと言わざるを得ないのであります。

 最後に申し上げます。沖縄ではありふれた言葉ですが、基地のない平和な島で私た ちは暮らしたいと願っております。

 以上のことを申し上げまして、私からの意見陳述といたします。どうもありがとう ございました。

当山会長:ありがとうございます。それでは、次に都市計画部長高嶺晃さん。


  出典:第9回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉)


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