沖縄県収用委員会 第9回審理記録

那覇市港湾部長・宮城真助


当山会長:

 どうもありがとうございました。続きまして、那覇市の代理人、港湾長の宮城真助さん、お願いします。

宮城真助:

 那覇市港湾部長の宮城真助でございます。那覇港湾施設の土地の所有者として意見陳述をいたしました那覇市長の陳述に補足して、那覇港港湾施設の整備等にとって、この那覇軍港が支障があるものとして、継続使用に同意できないという内容で、意見陳述をしたいと思います。

 沖縄県は、わが国の南西端に位置しており、那覇を中心とする半径2000キロメートルの中に台北、上海、ソウル、マニラ、北京、香港と東アジアを中心とする主要都市がほとんど含まれていて、その地理的特性を活かして、国内最南西端の航空路の要衝となっております。それは国内にあっては札幌、仙台、福島、羽田、小松、名古屋、大阪、岡山、広島、高松、松山、福岡、大分、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、奄美、与論の各空港と結ばれております。国外にあっては、香港、ソウル、台北などの国際線を有しております。また、県内にあっては久米島、宮古、石垣、南・北大東島、粟国島、慶良間なども含まれておりまして、那覇空港における年間の乗降客数は860万人をこえ、国内にあっては利用者数で、上位に位置する空港であります。

 このことは、海運においても同様なことがいえることでございます。すなわち、県都としての本市は、交通体系にも要衝を占めているということでございます。

 このように本市は、那覇空港と、那覇港という空と海の玄関口を有する拠点であり、その持つ意味は極めて大きいものがあるわけであります。そのような中にあって、県内の生活物資のほとんどを、取り扱っている那覇港の港湾取扱貨物量は県経済の発展に相まって、年々増大しており、日本復帰前年の1971年、昭和46年には362万トンであった貨物量が、1981年、昭和56年には、683万トン、1991年、平成3年には、903万トンとなっています。ちなみに去年の1996年、平成8年では940万トンにも達しております。日本復帰前年度と比べますと、約2.6倍にもなっております。これを岸壁の雑貨換算利用水準で見ますと、全国的な標準が、岸壁1メートル当たり、1000トンに対しまして、那覇港では岸壁1メートル当たり、1700トンと標準の1.7倍にも達しております。このような限界に達している那覇港の現状でございます。

 また、埠頭用地におきましても、その狭隘なため、貨物と船客の出入りも、輻輳しております。貨物も効率輸送や船客の安全確保も困難な状況にございます。さらに那覇港には那覇市沿岸漁港那覇地区漁協船籍の漁船に加えまして、近年の余暇時間の増大に伴いまして、沖釣り、ダイビング、遊覧等へのサービスを図るための遊魚船等が増加しております。これら小型船への対応にも苦慮している那覇港の現状でございます。

 一方、那覇港湾施設は、市長の意見陳述にも述べました通り、完全に遊休化している事実は周知の通りであります。具体的に申し上げますと、前回、1992年の際も、那覇港湾施設の収用裁決以降の米軍艦船の利用数は1992年が16隻、1993年も同じく16隻、1994年が18隻、1996年が18隻、という数字が示していますように、明らかに遊休化した状態にあると、言わざるをえません。

 以上、述べましたようなことから、今後益々、増大する港湾取扱貨物への対応や、余暇時間の増加に伴う海洋レジャーへの対応など、港湾機能の整備拡大は、単に本市の問題にとどまらず、本県全体の急を要する課題であることは明らかであります。このような観点から、遊休化している那覇港湾施設を早急に返還し、先ほど、意見陳述しました都市計画部長の那覇港湾跡利用計画と歩調をあわせて、本市本県の海上交通体系の整備促進を図る必要がございます。

 したがいまして、本件土地の継続使用は、県民市民の利益にはつながらないものと考えております。

当山会長:

 はい、ありがとうございました。それでは代理人の金城睦さん。


  出典:第9回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉


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