連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言(その16)

「渾名はクレムリン」による告発も拙劣な偽善

1999.4.16 WEB雑誌憎まれ愚痴連載

 前回まで長々と「ルーマニア問題」の資料を紹介してきた。当時の告発者の「元赤旗ルーマニア特派員」については、旧知の友人たちから得た「渾名はクレムリン」との情報をも差し挟み、どちらも同じ官僚主義者というコメントを加えては置いたが、それでも、私が、この元特派員の方の肩を持つかのように誤解する向きがあるかもしれない。

 そこで、まず、一番重要な問題点を指摘して置く。それは「時期」の問題である。

 宮本顕治のルーマニア訪問は、第1回が1971年、第2回が1978年である。この2度とも、共同声明を出した。

 元特派員は、1984年に「離党を通告」した。

 日本共産党は、1987年にもルーマニア共産党と共同声明を出した。

 元特派員は、1990年3月4日付けの週刊誌『サンデー毎日』、1990年5月号の月刊誌『現代』に告発記事を発表した。

 上記『サンデー毎日』記事は、「総力特集『仁義なき衆院選』完結編」の一部だった。記事は「総選挙の結果はご存じの通り。日本共産党は大いに苦戦した」で始まっていた。つまり、元特派員は、1971年から知っていたことを、19年後、「離党を通告」した以後でも6年後、日本共産党が総選挙で大きく後退して以後に、週刊誌と月刊誌に発表したのである。双方ともに、いわゆる商業雑誌である。それまでは何をしていたのか?

 私という批判主体の方の「時期」で言うと、1972年から1988年までは、日本テレビ相手の不当解雇撤回闘争中であった。争議以前には首都圏の民放関係の日本共産党の「総細胞」の総細胞長や「党委員会」の委員長や、千代田地区委員会の労働組合対策部や東京地区争議団共闘会議の日本共産党グループの指導部(LC)などもやっていたから、『赤旗』の主要記事は一応読んでいた。「ルーマニア共産党との共同声明」に関しては、事情がよく分からないものの、宮本顕治の晩年の焦りで危なっかしいなという感じを抱いていた。

 当時も、私は、中央委員会などと意見が違うことがあれば、規約に基づいて権利を行使し、意見書を提出していた。正面から喧嘩腰で論争を挑んだこともある。その私から見れば、元特派員は、ごく少数の外信部員らしか知り得なかった重要な事実について、外電を訳してデスクに送る程度の「なまぬるい活動」しかしていないのである。それを官僚主義者の上司で自分よりも若い現衆議院議員の緒方靖夫に怒られて、ケツをまくるでもなく、子供がすねるように「離党通告」して、その後、6年も沈黙していたのである。

 この腰抜け奴!

 日和見主義者奴!

 便乗売り込み主義者奴!

 この種の怪しげな「善人」「正義の味方」気取りの連中を考える上で、私は、日本共産党の「科学的社会主義」などという言葉の遊びよりも、イギリスで最初の共和制を実現したピューリタン革命(1640-1660)期の思想の代表作『リバイアタン』(Leviathan,1651)の著者、ホッブズ(Thomas Hobbes,1588-1679)の「万人の万人に対する戦い」、さらには「人は人に対して狼である」という喝破を推奨する。

 そして、閑話休題。偽善に飽き飽きしたところで、一服の清涼剤と、今後の議論の参考のために、それらのイギリスの思想潮流に通じていたはずの中野好夫の短文を紹介したい。


悪人礼賛

(1949.10)

 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との2つにつきる。

 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。悪人というものは、ぼくにとっては案外始末のよい、付き合い易い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な人間に決っているし、それに悪というもの自体に、なるほど現象的には無限の変化を示しているかもしらぬが、本質的には自らにして基本的グラマーとでもいうべきものがあるからである。悪は決して無法でない。そこでまずぼくの方で、彼らの悪のグラマーを一応心得てさえいれば、決して彼らは無軌道に、下手な剣術使いのような手では打ってこない。むしろ多くの場合、彼らは彼らのグラマーが相手によっても心得られていると気づけば、その相手に対しては仕掛けをしないのが常のようである。

 それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。

 かりにぼくがある不当の迷惑を蒙ったと仮定する。開き直って詰問すると、彼らはさも待っていましたとでもいわんばかりに、切々、咄々としてその善意を語り、純情を披瀝する。驚いたことに、途端にぼくは、結果であるところの不当な被害を、黙々として忍ばなければならぬばかりか、おまけに底知れぬ彼らの善意に対し、逆にぼくは深く一揖して、深甚な感謝をさえ示さなげればならぬという、まことに奇怪な義務を員っていることを発見する。驚くべき錦の御旗なのだ。もしそれ純情にいたっては、世には人間40を過ぎ、50を越え、なおかつその小児の如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいるのだ。だが、40を越えた純情などというのは、ばくにはほとんど精神的奇形[ルビ:モーローン。註]としか思えないのである。

註 [2001.6.8.]:原語はmoron。ギリシャ語の「愚か」に由来し、わがiMac内臓の小学館ランダムハウス辞書には、「【1】 (一般に)愚か者,ばか,まぬけ.【2】心理「軽度精神薄弱者. 【3】性的変質者.」とある。
(2002.11.22差換変更。別掲載記事で変更したものを反映し忘れていたため)

 それにしても世上、なんと善意、純情の売り物の夥しいことか。ひそかに思うに、ぼくはオセロとともに天国にあるのは、その退屈さ加減を想像しただけでもたまらぬが、それに反してイアゴーとともにある地獄の日々は、それこそ最も新鮮な、尽きることを知らぬ知的エンジョイメントの連続なのではあるまいか。

 善意から起る近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。無文法にある。警戒の手が利かぬのだ。悪人における始末のよさは、彼らのゲームにルールがあること、したがって、ルールにしたがって警戒をさえしていれば、彼らはむしろきわめて付合いやすい、後くされのない人たちばかりなのだ。ところが、善人のゲームにはルールがない。どこから飛んでくるかわからぬ一撃を、絶えずぼくは恟々としておそれていなければならぬのである。

 その意味からいえば、ぼくは聡明な悪人こそは地の塩であり、世の宝であるとさえ信じている。狡知とか、奸知とか、権謀とか、術数とかは、およそ世の道学的価値観念からしては評判の悪いものであるが、むしろぼくはこれらマキアベリズムの名とともに連想される一切の観念は、それによって欺かれる愚かな善人さえいなくなれば、すべてこれ得難い美徳だとさえ思っているのだが、どうだろうか。

 友情というものがある。一応常識では、人間相互の深い尊敬によってのみ成立し、永続するもののように説かれているが、年来ぼくは深い疑いをもっている。むしろ正直なところ真の友情とは、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性をもつものではないのだろうか。

「世にも美しい相互間の崇敬によって結ばれた」といわれるニ-チェとワーグナーの友惰が、僅々数年にしてはやくも無残な破綻を見たということも、ぼくにはむしろ最初からの当然結果だとさえ思えるのだ。伯牙に対する鍾子期の伝説的友情が、前者の人間全体に対するそれではなく、単に琴における伯牙の技に対する知音としてだげで伝えられているのは幸いである。伯牙という奴は馬鹿であるが、あの琴の技だけはなんとしても絶品だという、もしそうした根拠の上にあの友情が成立していたのであれば、ぼくなどむしろほとんど考えられる限りの理想的な友情だったのではないかとの思いがする。

 友情とは、相手の人間に対する9分の侮蔑と、その侮蔑をもってしてすら、なおかつ磨消し切れぬ残る1分に対するどうにもならぬ畏敬と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の可能があるのではあるまいか。10分に対するベタ惚れ的盲目友情こそ、まことにもって禍なるかな、である。金はいらぬ、名誉はいらぬ、自分はただ無欲でしてと、こんな大それた言葉を軽々しく口にできる人間ほど、ぼくをしてアクビを催させる存在はない。

 それに反して、金が好きで、女が好きで、名誉心が強くて、利得になることならなんでもする、という人たちほど、ぼくは付合いやすい人間を知らぬのだ。第一、サバサバしていて気持がよい。安心して付き合える。金が好きでも、ぼくに金さえなければ取られる心配はないし、女が好きでも、ぼくが男である限り迷惑を蒙るおそれはない。名誉心が強ければ、どこかよそでそれを掴んでくれればよいのだし、利得になることならどんなことでもするといっても、ぼくに利権さえなければ一切は風馬牛である。これならば常に淡々として、君子の交りができるからである。

 金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早くおぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえれば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。しかも情ないことに、そうした警戒をしておいて、後になってよかったと思うことはあっても、後悔したなどということは一度もない。

 近来のぼくは偽善者として悪名高いそうである。だが、もしさいわいにしてそれが真実ならば、ぼくは非常に嬉しいと思っている。ぼく年来の念願だった偽善修業も、ようやく齢知命に近づいて、ほぼそこまで到達しえたかと思うと、いささかもって嬉しいのである。

 景岳橋本左内でないが、ぼくもまた15にして稚心を去ることを念願とした。そしてさらに20代以来は、いかにして偽善者となり、いかにして悪人となるかに、苦心修業に努めて来たからである。それにもかかわらず、ぼく自身では今日なお時に、無意識に、ぼくの純情や善意がぼくを裏切り、思わぬぶざまな道化踊りを演じるのを、修業の未熟と密かに深く恥じるところだっただげに、この定評、いささかぼくを満足させてくれるのだ。

 もっとも、これはなにもぼくだけが1人悪人となり、偽善者たることを念願するのではない。ぼくはむしろ世上1人でも多くの聡明なる悪人、偽善者の増加することを、どれだけ希求しているかしれぬのである。理想をいえば、もしこの世界に1人として善意の善人はいなくなり、1人の純情の成人小児もいなくなれば、人生はどんなに楽しいものであろうか、考えるだけでも胸のときめきを覚えるのだ。その時こそは誰1人、不当、不法なルール外の迷惑を蒙るものはなく、すべて整然たるルールをまもるフェアプレーのみの行われる世界となるだろうからである。

 されば世のすべての悪人と偽善者との上に祝福あれ!

 私は、以上のような本音の人間観察、自己評価の上に立つことなしに、唯物論だの社会主義だのと正義の味方面して論じるのは、偽善に他ならないと思う。ルーマニア問題の深層にも、この偽善が潜んでいたのだ

以上で(その16)終り。次回に続く。


(その17)緒方批判:2度目の本部出頭に初の「旅費支給」
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