連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言(その2)

ファシズムと紙一重の『一枚岩』

1999.1.8 WEB雑誌憎まれ愚痴連載

 前回の地区党大会の経験の続きである。

 地区党大会の採決で、私一人が「保留」に手を上げたのは、開闢以来のできごとだったらしいが、この採決の仕方も、これまた一般人どころか、一般党員のほとんどが知らない仕掛けになっていた。ここで仮に名付けると、「国際共産主義的手法」によるものだったのである。

 とはいっても、コミンテルンだのコミンフォルムだのという、舌を噛みそうな名前の赤い雲の上の組織の歴史を、わざわざ紐解くまでのことはない。

 第1の特徴は、議案の「挙手採決」を議長が提案すると、総会屋顔負けの熟練で間髪を入れず「異議なし!」の声が響き、即座に、そのように執り行なわれることである。

 これは、あまり珍しい現象ではないが、やはり「民主主義的」とは言い難い。

 第2の特徴は、その後の「挙手採決」の順序である。「反対」「保留」「棄権」「賛成」の順で議長が挙手を求めて、最後の「賛成」の手が挙がった途端に、議長が大声で、「圧倒的多数により可決」と宣言し、ここぞとばかりの万雷の拍手となって終るのである。

 この手法は一般には見られないし、上記の「国際共産主義的手法」の核心にふれる現象だから、その論評は、そう簡単ではない。

 まずは世間常識を確認するが、普通の世間の挙手採決では、「賛成」「反対」「保留」「棄権」の順で議長が挙手を求めて、その度毎に議事運営委員などが挙げた手の数を集計する。場合によっては全部の集計の記載が終わるまで休憩を取ったりして、再開後に議長が結果を報告する。

 議長が「ただ今から採決の結果を発表します」などと言い、静かに数字を読み上げ、最後に、「よって可決」とか、「よって否決」とか宣言する。すると、賛成か反対か、どちらでも、自分の意見が通った方が拍手したりするのである。

 それでも、「万雷の拍手」という光景は、あまり見掛けない。普通の世間では、負けた方への想いやりも必要だからである。

 勝った方が負けた方に、「負けて悔しい花一文目!」などと野次ったりする習慣は、聞いたことはないが、そうやると少しは明るくなるかもしれない。呵々。

 さて、私が、たったの一人で「保留」に手を挙げた時、会場は、シーンと静まり返った。それ以前の誰も手を挙げない「反対」挙手ゼロの時にも、普通の世間の会議よりは静かだったのだが、その静かさがさらに深くなって、皆が息を止めたような雰囲気になった。

 これは、実に不気味な雰囲気なのである。特に、たったの一人で手を挙げた本人の私にしてみれば、まるで縛り上げられてギロチンの前に立たされているような気分になった。 200人ほどがギッシリと会場を埋めているのに、まさに針一本落ちても響くほどの静けさなのである。このような状況で本人が覚える圧迫感は、実際に経験してみなければ分からないだろう。実に恐ろしい孤立感なのである。

 ただし、私には、一定の経験があり、覚悟があり、ある程度のことは予期していたから、心臓が止まることはなかった。

「経験」というのは、たったの一回の民放労連大会での経験と、その後の経過である。

 日本民間放送労働組合、略称「民放労連」は、当然のことながら、戦後の民放設立以後に結成されている。それも、戦後日本の初期の労働組合全国組織の大分裂以後、朝鮮戦争以後のことであるから、総評=社会党の、いわゆる55年体制の枠外で成長し、政党支持自由の方針を掲げていた。1960年安保改定反対闘争以後には、同じくその時期に党勢を急速に延ばした日本共産党の影響を受ける組合員が増えた。

 国際交流の盛んな時期には、ソ連や中国に行く組合幹部が多くて、「あちら」の風習を取り入れる傾向が出た。その一つに、上記の「挙手採決」に関する「国際共産主義的手法」があったのである。

 私は、現役で民放労連日本テレビ労働組合(これが正式名称)の執行委員だったころには、必ず代議員として民放労連の大会に出席していたから、記憶に間違いはないと思うのだが、その時期に、たったの一度だけ、上記の「挙手採決」に関する「国際共産主義的手法」が採用されたことがあるのだ。

 細部までは記憶していないが、おそらく議長団の中に、上記の手法を現地で見て感激した代議員が入っていたのであろう。

 その時にも、非常に異様な雰囲気になった。しかし、その後、民放労連の内部で、「あれはファッショ的」という評価になり、以後、一度も復活しなかった「はず」である。この「はず」の正確な検証はしていないが、まず間違いないと思う。

 いわゆる「左翼」を、いわゆる「右翼」のファッシズムと一緒にするとは、けしからんと感じる人もいるに違いない。ところが、日本ではファッショという言葉が、イタリアのムッソリーニと一緒に記憶されているものの、実は、古くは労働組合の名称にも入っていたのである。和イ辞典で「ファッシズム(イタリアの国粋主義・国家社会主義)」などと説明しているイタリア語の「ファッシズモ」の語源は、ファッシオ(fascio)であり、本来は「束」「結束」「固まり」「一団」の意味なのである。

 だから、左だろうと右だろうと、過度の「結束」、たとえば「一枚岩の団結」などを強要する組織は、言葉、または概念の本来の意味で、間違いなしに「ファッショ的」なのである。すでに崩壊した「本家」のソ連がそうだった。

 もともとソ連の真似事の「挙手採決」などに理論的根拠があるはずもない。日本共産党は、末期のソ連共産党を「修正主義」、中国共産党を「教条主義」と批判していた。それなのに、本家の崩壊後も後生大事に儀式の真似事だけは続けるというのなら、さらに古い「本家」の中国では過去の遺物の「元号」を、未だに強要し続ける骨董趣味の天皇制と、いったい、どこが違うのか。日本共産党も、民放労連に見習って、即刻、上記のような異様な「結束」を強要する悪習を廃止すべきである。

以上で(その2)終り。次回に続く。


(その3)「ギヨチニズム」の根源に「理論」崇拝の矛盾
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