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随時追加「編集長日記風」

木村愛二の生活と意見

2000年6月分

6.2(金) 「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」の実物の所在と背景事情(?)
6.7.(水) 「失敗」をデータベース化して分析する科学技術庁の方針
6.17(土) 1960年安保論議から『正義の人々』(アルベール・カミュ)再読に至る
6.22(木) 「我は生き彼女は逝きし六月の……」歌詠みが目の前にいた昨晩
6.23(金) 1986年初版の『パズル・パレス/超スパイ機関NSAの全貌』で軽い皮肉
6.26(月) ガス室で絡む半可通の医者はドイツだけでなく日本にもいるのだ
6.29(木) 開店休業「21世紀アメリカの世界戦略」に軍事問題研究会の援軍

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6.29(木)
開店休業「21世紀アメリカの世界戦略」に軍事問題研究会の援軍

 6.30(金)改訂増補。

 湾岸戦争でも、その10年前からの準備を立証する米議会資料の存在(複製を3,000円で頒布中)を知って、やんぬるかな。ユーゴ戦争でも同じ思いの繰り返し。今度こそはと年頭に決意し、ホームページに項目を設け、まずは過去の教訓の整理から始めたものの、春先には杉花粉症、さる6.15には1960年安保49周年ロフトプラスワン集会と、個人的な関わりが強烈な問題が続き、3月から完全に開店休業状態となっていた。

6.28.軍事問題研究会のテーマが「21世紀の米戦略目標」

 早く何とかしなければと気には止めつつ、湾岸戦争とカンプチアPKOの時の経験から、まずは浜松町のアメリカン・センターに行って議会記録を調べようかなどと、心積もりだけが溜まっていた。そこへ、今月の6月6日、軍事研究会の桜井宏之さんから、何度目かの研究会の誘いが届いた。桜井宏之さんは40歳前後の感じのやや年嵩の若者で、昨年の夏、アジア記者クラブのユーゴ問題集会で知り合った。インターネットを駆使して、かなりの情報を収集しているようだった。届いたチラシを見ると、テーマが「21世紀の米戦略目標」となっている。「しめた!」と早速参加を申込み、昨晩、神楽坂の会場に出掛けた。本日、電話で了解を得たので、以下、この研究会の宣伝まで行ってしまう。

国防長官の諮問に「21世紀国家安全保障委員会」が研究報告

 日本でも、いくつかの新聞記事が出ていたが、アメリカの国防長官の諮問機関、「21世紀国家安全保障委員会」が研究報告をしている。3回に分けて報告をまとめる予定だが、昨晩の研究会では、その2回目の報告書(SEEKING A NATIONAL STRATEGY)を中心として、桜井さんが解説し、元外交官などを交えた談論風発の討論、二次会となった。
 この種の英文資料を入手したい方は、以下の方法で入会し、資料のコピー申し込みをして頂きたい。会費は、今年の1月から12月の1年分となっている。

 定期購読:年3,500円。ニュースレター配布。掲載資料コピーサービス。
 賛助会員:年5,000円。上記の他、会所蔵資料のコピーサービス。調査依頼。
 正会員:年10,000円。上記以外のサービス(詳細は会に問い合わせ)。
 入金先:郵便振り込み口座番号・00110-1-44399
 加入者名:軍事研究会
 TEL&FAX: 03-3778-3724

 私は、今年がすでに半分過ぎているので、とりあえず今年は賛助会員となることにし、次の資料を申し込んだ。

1.上記の2回目の報告書(Seeking a National Strategy)
 英文17頁。1000円。PDFファイル700円。
2.その1回目の報告書(New World Coming: American Security in the 21st Century, Major Themes and Implications)
 英文9頁。600円。PDFファイルも同じく600円。
3.上記の根拠となる調査・分析(New World Coming: American Security in the 21st Century, Supporting Reseach and Analysis)
 英文150頁。4,000円。PDFファイル2,500円。

社会理論学会にも入会するぞ!

 アメリカの議会関係資料は、日本と比べれば各段の差で公開されている。ただし、量が多すぎて、新聞などの報道では、ほんのツマミ程度となる。日本人の記者自身が本当に理解しているのかどうかにも、甚だ疑問がある。まともな研究発表は皆無である。長文の資料を読みこなし、関係資料の裏付けによって、きたるべき21世紀のアメリカ世界戦略を予測するためには、相当の覚悟が必要である。インターネット共同作業の仲間を募る。
 これも幸いなことに、専修大学や筑波大学を中心とする「社会理論学会」から入会の誘いを受けている。こちらも、さる5月27日に筑波大学で研究会を行い、その中心テーマが、やはり、「21世紀アメリカの世界戦略」となっていた。この日、私は、50年振りの中学校の同窓会があって、参加できなかったのだが、この方の報告は近く印刷物で入手できる予定である。まだ送金していない年会費5,000円、思い切って送るぞ!

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6.26(月)
ガス室で絡む半可通の医者はドイツだけでなく日本にもいるのだ

 以下、本日に至るまでの数日間に展開されたネット「本多勝一研究会」退会の経過である。とてもマニアックな脱線の多い同研究会で、天然痘による原住民衰滅の問題が出たので、ついつい助言してしまった。それが、密かに夢見ていた退会に繋がり、ああ、実に清々してしまったのである。なぜ密かな夢だったかというと、この研究会発足には、私の『週刊金曜日』、実質的には本多勝一に対する名誉毀損の損害賠償の訴訟が、誘因として大いに関わっていたから、簡単に抜けるわけにはいかなかったからである。以下、若干の校正、通信情報を省略の他は、原文のまま再録する。

 木村愛二です。

 私が『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(1974. 鷹書房)の続編として、ほぼ書き上げ、周辺事情の変化で寝かせたままの原稿では、つぎのようになっています。

「コイ民族 [註:ヨーロッパ人がホッテントットと名付けた遊牧が中心の民族]の 敗北・・・・・・ケープ地方へのオランダ人の侵入は容易になった。・・・・・・『天然痘・・・・・・それらの病気に対して彼らは何も抵抗できなかった』。しかし、ここにも疑惑・・・・・・。南アフリカについては、決定的な材料はない。ところが、全く同時代に、ポルトガル人、フランス人、イギリス人が、原始的な細菌戦争をくりひろげていた事実がひろく知られている。ポルトガル人はブラジルで、フランス人はケベックで、イギリス人は北アメリカで、天然痘菌をしみこませた毛布やハンカチ、布地をプレゼントして、征服地を拡大していた。時には、天然痘がなおったばかりの宣教師を、神の名の下に原住民の村に派遣していた」

 私はいつも、文献リストや索引を仕上げの段階でつくるので、今押し入れから出した原稿には、出典が記されていませんが、いわゆる定説による記述です。以上。

 これに対して、次のmailが届いた。

差出人 : 西村 有史 "pwaaidgp@poem.ocn.ne.jp"
宛先 : "hondaken@freeml.com"
件名 : [hondaken:1697] Fw: [hondaken:1692] Re: 天然痘
送信日時 : 2000年 6月 20日 (火) 4:58 AM

 どこの誰がいった「定説」かは知らないが、このような歴史も医学も無視したような仰天のうわごとはいわない方がいい。
 天然痘の病原体はウイルスである。「天然痘菌」なるものはこの世に存在しない。 ジェンナーが「牛痘の原因と効能に関する研究」を執筆したのが1798年、スペインによるインカ帝国の征服が1500年代半ばだ。どうすればこの世に存在しない菌を使って、ありもしない知識を駆使した細菌戦争をする能力が当時のヨ−ロッパあったというのか。それとも天然痘の病原体が細菌だという「定説」を持ち出すのか。一応私も医者の端くれだから、万が一他のメンバーが勘違いをされると困るのでコメントさせていただく。西村有史。

 これに私は、一応、穏やかに答えた。

 木村愛二です。

 出典の資料は、おそらくウィルスをも「菌」として記したものではないでしょうか。天然痘の患者の「オデキ」に感染力があることは、ウィルスの発見を待たずに知り得たはずです。冷静に御考え、お調べ下さい。以上。

 実は、この「冷静に御考え、お調べ下さい」には、相手の出方を熟知した皮肉が潜んでいたのだが、案の定、次のmailが即座に出現した。

「天然痘菌」はウイルスのことだとは気がつきませんでしたね。失礼ながらウイルスと細菌の区別をご存じでしょうね。こんないいかげんなことをいう人の「定説」を私なら信じませんが。
 ところで19世紀初頭にすばらしい仕事をしたゼンメルワイスという医学者のことを知っていますか。かれは産褥熱が人から人に感染する病気であること、予防可能な病気であることを発見した先駆者ですが、生きているあいだは、患者の膿に感染性の物質が含まれていることを認めない医学界から無視されて、失意のうちに死んでいます。
「天然痘の患者の「オデキ」に感染力があること」を知りうる立場には、16世紀当 時の人間はなかった。これは以上より論証し得たものと考えます。
 なお天然痘は密接な人と人との接触で感染するものであり、毛布などを通じた感染は成立しません。
 与太をとばす前に「冷静に御考え、お調べ下さい」。 西村有史

 そこで、しめたとばかりに、返事と同時に退会を申し出た。

 木村愛二です。

 西村さんが医者であることと、本多勝一と同様に、非常に感情的な言い掛かりを付ける趣味の方であることは、ガス室問題で熟知しております。私は医は算術者などではないのですが、常識的に医学の歴史ぐらいは知っています。アレルギーで裁判もやりましたが、ほんの少し古い文献でも、チリダニの糞が原因物質と判明しない時期には、ハウスダストを黴と記したりしています。その揚げ足を取る人は知りません。

 一応、平凡社の百科事典を見ると、濾過性病原体(ウィルス)を普通の細菌から分類するようになったのは、1930年代からのようです。それ以前には、天然痘菌と記していても間違いとは言えません。

 瘡蓋の件では、子供の鼻に患者の瘡蓋を入れて早めに感染させた方が軽くて済むという方法があったということでした。もともと、なぜ、どうやって、天然痘が伝染したのでしょうか。私が中国からの引き揚げの時期に読んだ『大地』という中国のことを書いた小説には、「あばた」の渾名の男がでてきますが、この方法が効きすぎて「あばた」になったと説明されていたと思います。

 なお、管理人の方にお願いしますが、このところ多忙なので、枝葉末節の議論は時間の無駄でもあり、このmailinglistの御努力には感謝しつつも、退場の手続きをお願いします。以上。
 
 本日、プロヴァイダーから退会手続き終了の知らせが届いた。そこで、管理人に御礼を申し上げると同時に、一応のコメントをした。

 木村愛二です。

 本日、本多勝一研究会からの退会手続き終了の知らせを受けました。これは、その受領確認のお知らせの目的と同時に、失礼ながら、わがホームページの「日記」に入れる予定で記します。

 実は、私、今年の初めにも、aml,pmnを退会しました。ともに参加者が数百人、合わせて毎日数十のmailが届くMLで、ガス室問題で執拗にからむオタクが多くて困っていました。愚者と言うよりも狂人を相手にするのは時間の無駄と思いつつも、他の若い友人に失礼と思われてはと考えてズルズル付き合っていたところ、実に無礼な「返品」などと称する物理的攻撃を受け、35万円の玩具が壊れ(幸い2万円そこそこで修理完了)たのを好機として退会し、大変気楽になっていたところでした。今回も管理人をやられた皆様には深く感謝しつつ、都合の良い退会の理由ができたので、安心しています。

 なお、西村さんは、このML以前に、「あの」『週刊金曜日』の投書欄で、私に噛み付いてきたので、軽くいなして置いたのでした。今回、「菌」とは何ごとか、「ウィルス」を知らぬかとばかりに笠に掛かって襲ってきたのは、その宿怨のなせる業なのでしょうか。もともと、ガス室問題で騒ぐインターネット・オタクには、この種の半可通の威張り屋、口喧嘩マニア、17歳ならバスハイジャックの類が多いのです。手許の研究社の英和辞典には、virus warfare 細菌戦争、同じく研究社のラテン語辞典のvirusの項目には、種痘液、〜vaccinosum 痘菌、とあります。「菌」は現在も決して禁句 [これはワープロ駄洒落] ではないのです。私が見た資料は、多分、当時何冊か出た「アメリカ侵略」問題の本でしょう。そこに「天然痘菌」と訳されていたのでしょう。多分、私は、そのまま引き写していたのです。
 伝染経路の件では、専門的に調べるまでもありませんでした。平凡社の『世界百科事典』の「種痘」には「天然痘患者の膿を予防接種する人痘接種法が、世界各地で行われだした」、「ジェンナー」には「それまでは人痘をうえつけて」、「天然痘」には「空気感染のほか、汚染衣類などを介する間接感染もある」と明記されています。

「医者の不養生」と言いますが、「医者の不勉強」の方は患者にとって恐るべきことです。ドイツでも、この手の「不勉強」医者たちが、ガス室神話の守護神になっています。私は、腰痛とアレルギーで、医者の言うことには素直に従わない方が良いことを悟り、それ以来、健康を増進しています。呵々。皆様も、お元気で。

 さあ、これから就寝前の散歩に出掛ける。時間の無駄を省くことが、長生きの秘訣なのである。

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6.23(金)
1986年初版の『パズル・パレス/超スパイ機関NSAの全貌』で軽い皮肉

 私はインターネット馴れ初め以来、若い友人たちが勧める市民運動向けプロヴァイダー、JCA-NETに参加している。この組織関係者は、案にたがわず、まるで本を読もうとしない。それでいて、いや、それだからこそ、まんまとシオニスト・ロビーのそのまた三下奴の日本の大小メディアにまでコロリと騙されたまま、私の「ガス室の嘘」論に逆らったりする連中が多い。だから、今回、少し軽い皮肉を咬ますことにした。以下、本日受領の下段mail(若干省略)に対するわが皮肉愚痴mail(若干増補)である。

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木村愛二です。

 news4を頂きましたが、このエシュロンとかの件では、日本語訳が1986年初版、原著が1982年初版の『パズル・パレス/超スパイ機関NSAの全貌』(A Report on America's Most Secret Agency)や、その他の秘密情報機関の関係資料の存在を指摘し続け、かなり前にJCA-NETのMLにも流し、わがHP『憎まれ愚痴』にも入れてあります。エシュロンとかで、いまごろ驚いている人が多いのに驚いています。パソコンはいじれても本を読まない人が増えて、権力はとても気が楽になっていることでしょう。

 スパイ機関が非合法の情報入手を図るのは当たり前のことですし、私は民放労連が様々な刑事弾圧を受けた時代に組合活動や非公然の政治活動などをしていたので、以来、常に盗聴されているという前提で行動しています。いまさらビクビクするよりも、むしろ、権力やメディアによって形成された「常識」を徹底的に疑い、せめて盗聴の対象となるような活動を積極的に行うことの方を、推奨いたいます。

 以上。

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差出人 : JCA-NET News desk "owner-newsrelease@jca.apc.org"
送信日時 : 2000年 6月 18日 (日) 9:12 PM

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国際通信監視システム《エシュロン》に関する

国際シンポジウムのお知らせ
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【JCA-NET からのお知らせ】
JCA-NET は国際的なNGOの電子ネットワークである APC (進歩的コミュニケーション協会)の日本正式メンバーとしてインターネットを活用して国境を越えた市民活動を支援します。
JCA-NET
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町 3-21 三錦ビル3階B
Web URL: http://www.jca.apc.org/
電子メール: office@jca.apc.org
電話: 03-3291-2875
FAX: 03-3291-2876
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電話、ファックス、e-mailねこそぎ盗聴されている!!
恐怖の国際通信監視システム《エシュロン》を知っていますか?
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 コードネーム[エシュロン」とよばれる国際的な通信監視システムを知ってますか? 米国の国家安全保障局(NSA)を中心に、イギリス、オーストラリアなど西側の情報機関が作っている大規模な盗聴ネットワークです。電話、ファックス、電子メールなどありとあらゆる通信を、地上も通信衛星含めて盗聴し、監視するシステムです。98年の欧州議会で「エシュロン」による市民へのプライバシー侵害が明るみにでて大きな批判を浴び、現在米国でも連邦議会が問題にし、プライバシー団体が裁判に訴えています。

 日本も「エシュロン」と深い関わりがあります。三沢基地に「エシュロン」のための傍受施設があることがわかっているほか、昨年成立した盗聴法も「エシュロン」と何らかの関わりがあるのではないかとの疑惑も浮かんでいます。

 私たちは、イギリスで「エシュロン」問題と警察による電子メール盗聴の問題に取り組んできた専門家の方たちを招いて、「IT革命」の裏側で着々と進んでいる諜報機関や警察による違法な市民監視の状況を検証します。そして、今後のプライバシーとネットワーク社会と日本政府および G8 の進める IT 政策の問題点に迫ります。

と き 7月18日(火)午後6時15分〜
ところ シニアワーク東京地下講堂
(JR飯田橋駅7分、ホテルエドモンド隣、03-5211-2307)

講 演(題目は仮)

「恐るべき世界的盗聴網・エシェロン」
ダンカン・キャンベル
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英国のテレビプロデューサー。「エシュロン」による欧州での監視の実態を最初にレポートしたジャーナリスト。欧州議会などで、諜報機関によるプライバシー侵害にかんして証言するなど、「エシュロン」問題についてこの人の右に出る人はいない。

「ヨーロッパに広がる通信監視の実態」
クリス・ベイリー
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進歩的コミュニケーション協会(APC)のメンバーで英国で労働運動をインターネットでネットワークするLabourNetを主宰する一方、インターネット上の権利を守るための国際的な活動を牽引し、警察による電子メール盗聴のための装置設定をプロバイダに義務づける英国盗聴法反対運動にもかかわるネットワーク・アクティビスト。

「韓国における電子監視と市民の闘い」
オ・ビョンイル
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韓国の市民運動/NGOのための進歩ネットワークセンターのスタッフ。進歩ネットワークセンターは、国民を電子的に管理しようとした電子住民カード制度 撤廃運動に参加、撤廃を勝ち取ったあと、政府による通信検閲の干渉や企業による妨害と闘っている

主  催  JCA-NET(市民活動のための通信NGO)
http://www.jca.apc.org/
協賛団体   進歩的コミュニケーション協会 (Association for
Progressive Communications, APC)
http://www.apc.org/
      ネットワーク反監視プロジェクト(NaST)
       http://www.jca.apc.org/privacy/
      盗聴法の廃止を求める署名実行委員会
参加費     1000円
問い合わせ  電話 03-3291-2875 JCA-NET 事務局
電子メール office@jca.apc.org

この集会にもセミナーなどの企画があります。詳しい情報、取材などの申し込みは JCA-NET 事務局まで(電話 03-3291-2875、
owner-newsrelease@jca.apc.org)

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6.22(木)
「我は生き彼女は逝きし六月の……」歌詠みが目の前にいた昨晩

 昨晩、6.21.18:45〜21:15、民衆のメディア連絡会の例会が中野商工会館で開かれた。講師は「人権110番」の千代丸健二さんで、演題は「無法メディアとわたりあう方法/オウム事件報道の裏側」だった。一時、肝臓を患っていた千代丸健二さんだが、迫撃取材のヴィデオも写し、相変わらずの過激さで、並み居る若者の度肝を抜いていた。

 終了後には、いつものように格安料金の大衆酒場、「赤ひょうたん」での懇親会。私の目の前には千代丸さんと並んで最長老の会員、山中正剛さんがいた。二人とも私より年長である。冗談が大好きの山中さんは「93歳」と何度も自称したが、確か、73歳のはずである。元成蹊大学の社会学教授で、昨年の例会では「テレビCMがつくり出す高齢者像」の題で話してもらった。その元になったのは、いくつかの記事で取り上げられた昨年、1999年3月の研究、B4判で16頁の「『広告の中の高齢者像」に関する調査研究報告書〜テレビCMの内容分析〜」であった。
 昨晩は、旧知の千代丸さんとの再会もあって、いつも以上に御機嫌で、歓談が続く内に、突然、天井を睨んで朗誦を始めた。「我は生き彼女は逝きし六月の……」
 私が、「それ、朝日の歌壇の歌でしょ。……六月の今年も雨は沛然と降る」と続けた。周囲にも同じ短歌を、さる6月14日の朝日新聞夕刊の記事で知っていた仲間がいた。一同ガヤガヤ。ところが、中山さんは、「これ、私の歌」と胸を張って、ますます御機嫌。私が、「何か、野蛮なペンネームでしたね」と言ったが、ご本人は、その時のペンネームを覚えていない。一同、つい最近読んだばかりの記事なのに、やはり覚えていない。本日、記事で再確認した。以下、この歌を大見出しに使った記事の冒頭のみを再録する。

「朝日新聞の短歌の欄には六月になると。ある人を悼む投稿が増える。
  我は生き彼女は逝きし六月の雨は今年も沛然と降る(1999年、世路蛮太郎)」

 私は、わが『憎まれ愚痴』読者からこの記事の切抜きをもらったので、さる2000.6.15.新宿ロフトプラスワンにて上映した自作ヴィデオ「1960.6.15./40年目の真実/語り手:木村愛二]の第一次改訂増補版に、この記事を加えていたところだった。以下、その一部を抜粋する。

「……樺美智子の遺影を配して、いくつかの想い出の歌を紹介していた。やはり、殉教者の扱いである。……確かに当日の夕刻から、初夏に特有の激しい雨が降った。……私も当日、議事堂の構内に入ったのだが、この前後の時期だけの闘争参加者だったので、詳しい背景事情については無知だった。しかし、歴史的かつ衝撃的な場面の目撃者として、この際、いくつかの謎解きに挑み、己の目で見た事実の背後関係を己なりに調べ直し、解釈し、遺言として残さざるを得ない気持ちに駆られた。謎には、小状況の謎もあり、大状況の謎もある」

 私は、上記の短歌を見た時、同年代の詠み手なのかなと思ったのだが、山中さんは当時、「教授団」の一員として国会デモに参加したいたのだった。やはり、その後の人生に強烈な影響を与えた事件だったと言う。その内、私の謎解きにも協力してもらおうと思う。

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6.17(土)
1960年安保論議から『正義の人々』(アルベール・カミュ)再読に至る

 さる6.15.ロフトプラスワンの出し物、「1960年安保闘争40周年記念/『右』も『左』も掛かって来い/激論!『国士』総結集!21世紀の日本を語る」の企画と主役の出演で、不眠不休とまではいかないが、前日から徹夜で自作のヴィデオを仕上げるなど、ついつい悪乗りで、無理を重ねてしまった。日記どころではなかった。その件はまた詳しく記すが、昨日、武蔵野市立中央図書館から『カミュ全集5.』を借り出した。
 なぜかというと、ロフトプラスワンの「激論」で、「暴力」の是非が問題となったからである。私の微かな記憶では、学生演劇でカミュがロシアのテロリストを題材とした戯曲、『正義の人々』を上演したのは、1960年安保の前だった。『正義の人々』のキーワードで検索すると、図書館の地下の「書庫」に入っている『カミュ全集5.』が出てきた。注文し、しばし待ち、受け取って、めくって目次を見ると、確かに『正義の人々』が入っていた。
 自宅に戻ってから、今度は、押し入れの中の「古い物」とマジックで大書したダンボール箱をひっくり返すと、『正義の人々』のプログラムがあった。やはり、1958年の五月祭での上演だった。私の名前は、「スタッフ」の中の「舞台美術」の2番目に記されているが、詳しくは「大道具」だった。
『正義の人々』の原題は、Les Justesである。私は、もっと素朴に「正しい人々」と訳したい。実録に依拠した戯曲なのだが、時代は第一次ロシア革命の1905年、革命社会党の行動隊の物語である。周到に計画したセルゲイ大公の馬車に爆弾を投ずる暗殺予定の当日、「詩人」の渾名の学生、カリャーエフは、大公の隣に子供がいるのを見て、爆弾を投げることができなくなった。その後の激論の末、再び志願したカリャーエフは、今度は独りで馬車に乗っていた大公の暗殺に成功する。カリャーエフは逮捕され、死刑となる。
 この実在の歴史的人物、カリャーエフを主役とする「心優しき殺人者」たちの矛盾に満ちた物語を、カミュは、当時流行りの「不条理」のドラマに仕立て上げた。「正しい」とは何か。今の私にとっては、易しいようでいて、「とかく世間は住みにくい」現実の社会生活の場では、ますます難しさを増す問題なのだが、ともかく、自分たちの「存在」に気付いてしまった人類集団にとって、いわば永遠の矛盾の課題の中心であろう。
 私は、すでに、暴力には絶対反対、若者を煽っては、その命を危険に晒す左も右も同じ「指導者」こと、悪賢い年長者には要注意として、他人ではなく自分の命を賭ける「塾年・非武装・無抵抗・平和部隊」を提唱している。その私から見れば、ロフトプラスワンに招いた自称「左翼」の若衆親分たちの立論は、未熟もいいところだった。それでも、人前で、あまり露骨に批判するのは逆効果と考え、いささか遠慮し、遠回しの発言に止めた。ここでも、あまりドギツイことは言わない。私も、少しは狡くなったのである。
「塾年・非武装・無抵抗・平和部隊」について、まだの方には、ぜひとも「木村愛二の政策提言」を見て頂きたいと願う。
 明日の18日には、またまた、カンダパンセなどと「長崎ちゃゃんぽんカタカナ語」に変名した神田神保町の元「労音会館」で行われる社労党とやらが主催の「樺美智子追悼集会」に参加して、さらに悪乗り取材を続ける。これも宿命である。その想いを入れ込んだ自作ヴィデオも、改訂増補して、台本を入力し、ネット販売の予定である。今からmailの予約注文を受け付けることにする。

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6.7.(水)
「失敗」をデータベース化して分析する科学技術庁の方針

 ああ、またもや、体制側に遅れを取ったかと膝を叩いて慨嘆、となり掛けたが、すぐにこの衝動は消え失せた。この「慨嘆」癖は、長年の習慣が抜け切れない反射神経のなせる業、いわば組み込みの自動的発動ソフトによる動作なのであって、この熟練ソフトを完全に消去し切るのは難しいだろう。だから、それも「良し」とする。衝動が消え失せたのは、理性的と称される新皮質の部分に形成された「虚心坦懐」判断ソフトの業であろう。最近の私は、体制だの反体制だのと、肩肘張るのは止めることにしているである。

「あの科学技術庁」奴が洒落たことをしやがって

 ああ、と感じた記事は、「『失敗をデータベース化』/科技庁、来年度から/技術開発など再発防止」(『日本経済新聞』2000.6.6.夕刊)である。私は、昨年の東海村臨界事故以来、大型ロケットH2の打ち上げ失敗に引き続き、この春の杉花粉症問題でも研究予算の主管官庁としての責任を問い、「あの科学技術庁」の悪口を散々に書き続けてきた。その、「あの科学技術庁」が、「長官の私的諮問機関」「21世紀の科学技術に関する懇談会」の報告に基づいて、「『失敗学』として体系づける研究会を組織する」というのだ。
 長官こと、中曽根弘文は、私の表現では「あのアメリカごますり『女衒』(ぜげん。女を遊女に売る周旋を職業とした者)」の息子なのではあるが、親は親、子は子なのだから、暫く様子を見ることにしよう。いずれにしても、読売新聞グループの独裁者、元A級戦犯、元警視庁特高課長、正力松太郎(拙著『読売新聞・歴史検証』参照)が、アメリカの意を受けて核兵器製造の隠れ蓑として創設した原子力委員会、のちに改名、科学技術庁が、生き残る手段は、これしかないのかもしれない。

野球やサッカーにも劣る自称平和主義組織への慨嘆

「慨嘆」し掛かった理由は他でもない。きたる6.15.には、新宿歌舞伎町の激論酒場、ロフトプラスワンにて、1960年安保闘争40周年記念の「告白」をする予定なのだが、ここでも、やはり、いわゆる「安保反対!」「アンポ・ハンタイ!」の掛け声ばかりが勇ましかった日本の自称平和主義「組織」、自称平和主義「者」を、ことごとく敵に回す覚悟で臨むことにしているのである。
 詳しく論ずる必要もない。野球やサッカーと比較すれば、実に簡単なことなのである。失敗の総括なしには、つぎの試合の勝利は不可能なのである。簡単なルールがあって、観客が、そのルールだけでなく選手の力量も熟知しているスポーツの場合には、負けたチームの監督はボロクソが当然なのだ。
 ところが、ほんのちょとしか複雑ではないのに、政治の世界となると、グチャラグチャラの弁解が、平気で罷り通る。改選の議席数で勝負が決まる面もあるが、万年野党の自称平和主義「組織」となると、数で負けるのは当然、悪いのは体制側、と居直り、決して「『失敗をデータベース化』しようなどとはしない。それどころか、「失敗」の責任を追及する反対派を、あらゆる手段で追い落としたりまでするのである。
「お山の大将、われ一人」と歌われる遊びを、最近の子供は知らない。遊び道具のなかった戦後の一時期、空き地に土を盛り上げて小山を作り、日が暮れるまで、突き落としごっこをしたものである。あの遊びは、実に、実に、本能に深く根差す遊戯だったのだ。

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6.2(金)
「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」の実物の所在と背景事情(?)

 本日午前11時、先日も記した『続・現代史資料6.軍事警察』(1982.2.26.高橋正衛・解説、みすず書房)所収「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日記」の実物の所在について、やっと電話の確認ができた。
 なぜ私が、この確認を求めたかというと、上記の本のどこを見ても、同「陣中日記」の実物の所在場所が判明しなかったからである。当然、私は、出版社に電話をしたが、この問題が分かる編集者が、たったのひとりで、しかも、外出中のことが多く、なかなか掴まらなかった。
 その間、「凡例」で「種々の資料の閲覧についての便宜をたまわった防衛研修所図書館」とある「防衛研修所図書館」にも問い合わせた。同図書館は恵比寿駅近くにあり、私は、一度だけ訪れたことがある。ところが、104で電話番号を探すと、まったく出てこない。仕方なしに防衛庁に問い合わせると、何と、「研究所」に変わっていた。研修よりも研究へとテーマが広がったからだという。やっと電話番号が分かって聞くと、蔵書目録には載っていない。ついでに確かめたら、防衛庁が保管している資料については、正式な目録作成、一般公開以前にも、研究者には見せていたという。「法務部」の記録だから、一応、最高裁の図書館にも問い合わせたが、やはり、持っていない。

入手の経過の背後に複雑な事情?

 そういう経過で、やっと本日、担当者が掴まえることができたのである。立場を名乗り、主旨を話すと、快く教えてくれた。まず、解説者の高橋正衛は、みすず書房の編集者だったが、昨年物故していた。代わりを引き受けた編集担当者によると、同「陣中日記」の実物は「みすず書房が保管している」とのことである。
 上記の本の「凡例」などに実物の所在場所の記載がなかった理由は、ことの性質上、さらには解説者としての名前も出した編集者の物故という事情もあり、当然のことながら、確答を得たわけではないのだが、どうやら、実物の入手経過が複雑だったことにあるらしい。個人が戦後も密かに所蔵し続けていた公文書や「日記」類の入手の背後には、遺族などの複雑な事情が潜んでいる場合が多い。この「日記」が辿った運命も、そのようなことらしいのである。しかも、「殺人」「強姦」などの犯罪の判決文には、上記の本では伏せ字にしている氏名が明記されている。一般公開が難しい性質の記録でもある。

「極秘」資料を残した法務官は2.26.事件にも関与

 上記の本の冒頭には13点のモノクロ写真が収録されている。そのまた冒頭が、この「陣中日誌」の表紙であり、おそらく黒い筆字で、真中に「陣中日誌」、左下に「小川法務官」とある。右側に薄く写っているから朱色の筆字で書き加えられたと思われるのが、「第十軍法務部」と「中支那方面軍軍法会議」であり、左上の「極秘」である。
「小川法務官」について、上記の本の「資料解説」では、つぎのように記している。
「小川関治郎は、甘粕正彦憲兵大尉を裁いた軍法会議(第1回、大正12年10月8日)の判士、2.26.事件では、真崎甚三郎大将裁判(判決、昭和12年9月25日、無罪)の裁判官である」(p.xxxiv)
 本人が記した「第七号軍法務部要員」の一覧表では、小川自身の「戦時職」が「第七号軍法務部長」、「現職」が「陸軍高等軍法会議法務官」、「官等」が「陸軍法務官高等官二等」と記されている。
 別途、「資料解説」全体の総括として、単に「解説」とある部分の最後に、「手帖[中略]に鉛筆で書かれた個人日記」の一部が紹介されている。「吾々文官ハ差別待遇ヲ受クルコトナキニアラズ。[中略]実際邪魔アツカイセラルルハ事実ナリ」など、興味津々のメモなのだが、電話で話した編集担当者によると、この「個人日記」も、今年の夏には公刊の運びである。
 以上、この「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日記」については、普通の軍の公式記録とは違って、1982.2.26.以前には、いかな研究者でも探索不可能だったことが判明したわけである。

南京攻略参加の少将の手記を紹介した『諸君!』記事

 しかし、早くから、日本の軍人自身による記録の存在が確認されていた。実に奇妙なことには、その記録の内のひとつの存在については、かの厚顔無知なる言論詐欺師、「南京大虐殺」なる「お得意」大袈裟キーワードの造語者、天下の朝日新聞記者(当時)、本多勝一ではなくて、まったく逆に、その本多勝一の「百人斬り」、また聞き、鵜飲み、裏付け調査なし報道を、痛烈に批判した鈴木明の「『南京大虐殺』のまぼろし」(『諸君!』1972.4)の方に、つぎのように紹介されていたのである。
「第十六師団の佐々木到一少将の残した手記があり、これは戦争中発表されることを予期しないで書かれたものだけに、数少ない資料として珍重されている。[中略]佐々木少将の(日本人によって書かれた、恐らく唯一の一級資料)よく使われる資料の一節に、『部隊をまとめつつ前進、和平門にいたる。その後浮虜ぞくぞく投降し、数千に達す。激昂せる兵は上官の制止もきかばこそ片っぱしより殺戮する。[後略]」(p.182,187)
 つまり、鈴木自身は南京事件を頭から否認していたわけではなくて、資料が少ないことを指摘していたのであった。記事の題名に「まぼろし」と付けたのは、おそらく編集者なのであろうが、その「まぼろし」の意味も、記事を克明に読めば、本多勝一の「百人斬り」報道が「まぼろし」という批判だったのである。
 上記のように、鈴木が「恐らく唯一の一級資料」とまで書いてしまったのは、勇み足でははあるが、1972年のことであって、その10年後の1982年になって、さらに「稀有」な法務官による公式記録が出現し、かつ28年後に当たる本年、2000年には、その法務官の「個人日記」が公表の運びとなるのである。
 この際、「歴史見直し研究会」代表を名乗る私としては、本多勝一流の裏付け調査なしの「また聞き」のヨタ話はもとより、その逆に、本多勝一らの揚げ足を取る「草野球の酔っ払い観客の場外乱闘」紛いの「売らんかな議論」をも含めて、ひとからげに退治し、正確な資料に基づく冷静な歴史見直しが行われることを、切に希望する。


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