木村愛二の生活と意見 2000年6月 から分離

1960年安保論議から『正義の人々』(アルベール・カミュ)再読に至る

2000.6.17(土)(2019.6.7分離)

 さる6.15.ロフトプラスワンの出し物、「1960年安保闘争40周年記念/『右』も『左』も掛かって来い/激論!『国士』総結集!21世紀の日本を語る」の企画と主役の出演で、不眠不休とまではいかないが、前日から徹夜で自作のヴィデオを仕上げるなど、ついつい悪乗りで、無理を重ねてしまった。日記どころではなかった。その件はまた詳しく記すが、昨日、武蔵野市立中央図書館から『カミュ全集5.』を借り出した。

 なぜかというと、ロフトプラスワンの「激論」で、「暴力」の是非が問題となったからである。私の微かな記憶では、学生演劇でカミュがロシアのテロリストを題材とした戯曲、『正義の人々』を上演したのは、1960年安保の前だった。『正義の人々』のキーワードで検索すると、図書館の地下の「書庫」に入っている『カミュ全集5.』が出てきた。注文し、しばし待ち、受け取って、めくって目次を見ると、確かに『正義の人々』が入っていた。

 自宅に戻ってから、今度は、押し入れの中の「古い物」とマジックで大書したダンボール箱をひっくり返すと、『正義の人々』のプログラムがあった。やはり、1958年の五月祭での上演だった。私の名前は、「スタッフ」の中の「舞台美術」の2番目に記されているが、詳しくは「大道具」だった。

『正義の人々』の原題は、Les Justesである。私は、もっと素朴に「正しい人々」と訳したい。実録に依拠した戯曲なのだが、時代は第一次ロシア革命の1905年、革命社会党の行動隊の物語である。周到に計画したセルゲイ大公の馬車に爆弾を投ずる暗殺予定の当日、「詩人」の渾名の学生、カリャーエフは、大公の隣に子供がいるのを見て、爆弾を投げることができなくなった。その後の激論の末、再び志願したカリャーエフは、今度は独りで馬車に乗っていた大公の暗殺に成功する。カリャーエフは逮捕され、死刑となる。

 この実在の歴史的人物、カリャーエフを主役とする「心優しき殺人者」たちの矛盾に満ちた物語を、カミュは、当時流行りの「不条理」のドラマに仕立て上げた。「正しい」とは何か。今の私にとっては、易しいようでいて、「とかく世間は住みにくい」現実の社会生活の場では、ますます難しさを増す問題なのだが、ともかく、自分たちの「存在」に気付いてしまった人類集団にとって、いわば永遠の矛盾の課題の中心であろう。

 私は、すでに、暴力には絶対反対、若者を煽っては、その命を危険に晒す左も右も同じ「指導者」こと、悪賢い年長者には要注意として、他人ではなく自分の命を賭ける「塾年・非武装・無抵抗・平和部隊」を提唱している。その私から見れば、ロフトプラスワンに招いた自称「左翼」の若衆親分たちの立論は、未熟もいいところだった。それでも、人前で、あまり露骨に批判するのは逆効果と考え、いささか遠慮し、遠回しの発言に止めた。ここでも、あまりドギツイことは言わない。私も、少しは狡くなったのである。

「塾年・非武装・無抵抗・平和部隊」について、まだの方には、ぜひとも「木村愛二の政策提言」を見て頂きたいと願う。

 明日の18日には、またまた、カンダパンセなどと「長崎ちゃゃんぽんカタカナ語」に変名した神田神保町の元「労音会館」で行われる社労党とやらが主催の「樺美智子追悼集会」に参加して、さらに悪乗り取材を続ける。これも宿命である。その想いを入れ込んだ自作ヴィデオも、改訂増補して、台本を入力し、ネット販売の予定である。今からmailの予約注文を受け付けることにする。