緊急提言 平和のために血を流す覚悟
NGO(非政府組織)・熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊結成

初出:『フリージャーナル』23号(1994.7.8)
一部改訂:1998.9.17.
追記:2001.10.18.

「自分は何をするのか」/実践なき理論は無力

 湾岸戦争からカンプチア PKOにかけて、平和憲法に関する講演や討論に何度も接した。だが、いずれも、満足とはほど遠い内容だった。不満足の基本的な原因を率直にいうと、発言者の実践の姿勢が第一の問題である。

 私自身は昔から執筆だけでなく、学生運動、労働組合運動、政治活動で、文字通りに身体を「動かす」方だったし、その果てには「地獄を見てきた」と評される解雇反対闘争まで16年半も経験した。それでも懲りずに、「湾岸平和訴訟」(戦費90億ドル支出違憲など)でも原告になり、口頭の本人陳述、2時間ほどの証言をした。裁判所の前でビラを撒き、宣伝カーのマイクを握って訴えた。その後のカンプチア出兵に際しては「 PKO法違憲訴訟」で原告および運営委員になったし、現在も「ゴラン高原出兵違憲訴訟」の原告、事務局メンバーになっている。

 だからと言って、別に、オレは苦労しているとか、世のため、人のために自分を犠牲にしているなどと言うつもりではない。むしろ、そんな独りよがりは、すべて偽善だとさえ考えている。しかも、そのような私自身の人生経験から生まれた思想の正しさは、最近の「自己中心の遺伝子」説の確立によって、完璧に証明されている。

 ビラまきの最初は「ビラまき3年、ガリ8年」時代だ。デモは健康にいい。いずれも、いわゆる60年安保以来続けてきた行動パターンの延長だから、一向苦にならない。むしろ、こうした街頭行動でストレスを解消しているといってもいいだろう。

 文章を書くか、室内で講演するだけという日本的文化人パターンは、想像するだけでも不健康で、とても付き合いきれない。1960年安保の時期には、フランスの知識人の物真似で、「アンガージュマン」などという下手な発音の「参加」の提唱が盛んだった。だが当時の日本の多くの知識人にとって、下手な発音の物真似は所詮、付け焼き刃でしかなかったのだろう。当時のような行動参加が継続している人は非常にまれである。

 私は PKO法審議の国会にほとんど連日通ったから、私の脳ミソのシワの中には、そこに誰の顔が見えたか、あるいは見えなかったかという映像情報がタップリ蓄えられている。

 もちろん私は、 PKO法審議中の国会に顔を出さなかったという理由だけで、実践の欠如だと決め付けたり、そういう学者文化人の発言をすべて認めないなどというような、偏狭な立場を取るつもりはない。人それぞれに健康状態とか、行動のスタンスの取り方とかがあるものだ。特に、かつてのような社会党・共産党の共闘体制が不可能になって以来、街頭行動に加わりにくい事情が倍加したのも事実である。そんな状況をも合わせ、街頭行動に参加しない論者を頭から無視はしない。その証拠に、そういう論者の講演会などにも参加し、そこで聞いた話を大いに参考にしている。

 だがしかし、どの論者の話を聞いても不満足であり、展望が見えてこない。その理由は至極簡単である。考え方の参考にはなるが、今後の指針になるような行動の提起がないからである。私にとっては今、自分が何をすればいいのかが、最大の問題なのだ。だから、結局、私にとっては、自らの実践に裏付けられた行動提起がない理論は、結論部分を欠いており、不十分ないしは無力なものでしかない。

若者の命を当てにした「平和論」はすべて欺瞞

 さて、きたる1994年11月3日、文化の日こと日本国憲法発布記念日に、こともあろうに「あの」、ヤクザ拡張販売で最大部数を誇る読売新聞が、新たな憲法改正論を発表するとホザイテいる。

 読売新聞社長のナベツネは、政治部記者時代にナカソネやコダマなどと組んで恐喝まがいの政界裏工作をやり、その事実が露見した際には、机の上にナイフを刺して居すわったという典型的なヤクザ記者上がりだ。正真正銘のゴロツキである。

 私は、拙著『マスコミ大戦争/読売vs TBS』で、その前後の事実をさらに追及し、「公開質問状」として読売新聞の広報部長に渡してある。社屋の前でビラもまいた。新著『電波メディアの神話』でもナベツネを「ゴロツキ」と明記した。

 これでも沈黙しているのなら、次には「腰抜け」と書く予定だ。ところが、「この」腰抜けのナベツネが「あの」政界のゴロツキのイチロウなどと呼応して、憲法改正論をブチマクリ、それをどのメディアも文化人もまともに批判できないというのが、情けない日本の現状だ。

 しかも、ある程度はまともで善意と思える「平和論」の中にさえ、子供の読解力でも憲法違反が明白な「自衛隊」を、結局は容認する論議が出てきた。

 もう一つの流れとしては、日本は憲法通りに非武装にし、国連警察軍に個人参加すればいい、という論議もある。

 だが、失礼ながらこれらの「平和論」も要するに、平和を守るために「武力が必要」だという点で、ナベツネらと選ぶところがなくなるのだ。しかも、最大の問題点は、それらの軍事力または警察力を肉体的に担うのが、誰かということである。

 ナベツネらのゴロツキはいうにおよばず、たとえ善意であっても、他人の、しかもほとんどの論者の場合、自分よりも若い、時には自分の子供や孫の世代の若者の命と引き換えに、自分は安全な書斎にこもりながら、「平和」を論じていることになる。一体、それでいいのだろうか。

 沖縄の「ぬちどぅ宝」はかなり知れ渡った。命とは、誰にとってもたった一つの、貴重この上ない宝物だ。だから、私の考えでは結局、若者、多くのG7経済大国においては失業すれすれの立場の若者の命を当てにすることになる「平和論」は、右であろうと左であろうと、欺瞞にすぎなくなる。

自分の命を賭ける「非暴力主義」の可能性

 後に残るのは、憲法の条文通りに非武装、自衛隊廃止、「世界に憲法9条を広めよう」などという主張である。

 ところが、この論議では、民族紛争などの最中にある人々への即効性がない。すくなくとも、そういう批判が成立する。そこで、各種の自衛隊容認論なり、国連警察軍必要論が現れるのだ。

 以上、紙面の都合上、思いっきり省略したが、各種の議論、または理論を総合的に考慮した挙げ句、標題の通りに、自らの「血を流す覚悟」を定め、「非武装・無抵抗」の平和行動を提起することにした。「熟年」が何歳以上かは、各人の判断に任せ、性別は問わない。

 ガンディーの「非暴力」思想の真似だと考えられても結構である。

追伸:具体的な説明

1998.6.4.かねてからの断片的口頭補足説明の書き下ろし。

  上記の「自衛隊容認論」の具体例としては、当時、総合雑誌『世界』に書いた木村晉介弁護士、「国連警察軍必要論」の具体例としては、弓削達らがいた。

 だが当時は、あえて名を挙げて上記のごとく、「若者の命を当てにする『平和論』は、右であろうと左であろうと、欺瞞」と指摘するのも憚られたので、特に個人名は記さなかった。

 湾岸戦争後に、ある(名を忘れた)雑誌で、ヨーロッパで第一次大戦後に提案されたという妙案を見た。簡単にいうと、武力行使を決定する議員が先頭に立つという法律を作れというのであるが、これは、おひゃらかしの珍案でしかない。  それを見た時に、自分が安全圏に止まることを前提に平和を論ずること自体、詭弁、欺瞞ではないかと気付いたのである。

 その種の、口先だけの努力で平和が実現しそうな、「干戈無用」を説いた「お釈迦様でも気が付くめえ」とでも言えるほどの妙案が簡単に見つかるようなら、誰も、この何千年、苦労はしなかったはずである。  社会を変えてという議論も「百年河清を待つ」である。

 私の説の「熟年」の標準は、当時、60歳以上で、子供が独立したのち、男女差別なしであった。もちろん、子供を作りたくない人、できない人もいるから、その場合は、当然、その個人の意志で平和部隊参加の資格を認める。若くても希望があれば、後方支援部隊などへの参加を認める。

 すでに当時、カンプチアでも一緒になった日本山妙法寺の僧侶たちは、ほぼ同様の行動を取っており、直接話した何人かは、私の案に喜んで賛同してくれた。

 その後、紛争地区で身を挺して反体制の政治家などの生命を守る活動を続けている国際組織、Peace Brigade Internationalの存在を知った。実際にスリランカでの活動を経験した若い日本人によると、非武装のガードマン役である。G7の国籍があると、襲撃した場合には国際問題になるので安全なのだという。G7を笠に着るようで、何か居心地の悪い話だが、役に立つことは確からしい。

 行動としては、命懸けという悲壮感ではなくて、むしろ、事前の宣伝も派手な、賑やかな楽隊付き、騒々しい江戸ヤクザ風の「止め男」ならぬ「喧嘩止め男女部隊」を提案したい。

 費用は当然、まずはカンパだが、大手を振って国に請求しよう。もしかするとシルバー何とかの夢も花咲き、参加希望者が溢れるかもしれない。

2001.10.18.追記:

 とは言っても勿論のこと、国が出費に応ずるはずはないから、請求権を主張しつつ自前で必要経費の全部を調達する覚悟を固めなくてはならない。しかも、たとえば、最近の9.11.アメリカ重大事件以後の事態の展開は目まぐるしかった。

 こういう時に、即座にアフガニスタンに飛び、空爆開始以前に、それなりの人数でカブールの要所にデモンストレーションを繰り広げ得るだけの組織的実力を養って置かないと、企画倒れとなってしまう。  


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