東京地方争議団共闘会議「独占と権力の対応」

総行動11年の原点に立ち返って教訓を学ぶ

[1983.12.10-12.東京地方争議団共闘会議:第22回総会議案書]
[第3章(続)私たちをめぐる動き:副議長・法廷闘争対策担当・木村愛二執筆]

五、いまこそ下からの共闘の正念場、真の統一の思想が問われている

2000.11.4 WEB雑誌『憎まれ愚痴』60号掲載

 しかし、相手のある闘いです。やみくもの結集だけでは、足元をすくわれます。最近の弾圧事件を分析すると、単産だけ・単組(支部)だけで、とりわけ重要な地区労との連携なしに、はだかで突出した闘いが、見事にねらわれています。闘い方の法律上の正しさだけでは、弾圧をまぬがれることはできません。要求が正しいというだけでは、許されません。方針の字面が政治的に正しいとしても、実践的に通用せず、行動面での能力がなければ、本当に正しいとはいえません。

 東京争議団一三年の痛切な教訓は、「統一」という用語の真の意味とその実践につきる、といっては過言でしょうか。

 結論からいうと、あえて「統一」なり「統一戦線」という字句そのものに拘わる必要はありません。歴史的事実でみると、フランスで政権まで樹立した人民戦線(フロン・ポピュレール)は、「民衆による前線」の意味で、「統一」という字句を含んではいません。「統一戦線」(ユナイテッド・フロント)と通称されるものには、労働者の階級的な統一や反ファシズムの統一戦線まであり、実態は複雑です。労働者階級が人口の七割を占める日本で、労働者階級の統一、そのための労働組合運動の統一の重要性が、ますます決定的になっていることは、論を待ちません。

 肝心なことは、労働者だけであれ諸階層と一緒であれ、思想や利害関係の異なるもの同志が、ともに闘うということです。労働組合運動でいえば地評や地区労の場で、おたがいの立場を知り合い尊重し合い、そこで結ばれた信頼関係をもとに、共同行動を組むことです。その積み重ねなしに、抽象的な「統一」という字面だけで、それが実現するかのように錯覚したり、むしろ誤解を拡大するようなことがあってはなりません。

 生コン弾圧事件でも、東京地評を中心にすえた共闘会議の結成が、決定的な役割を果しました。沖電気争議でも、画期的な共闘会議が結成されました。これらの共闘会議の運動は、歴史的な文化遣産ともいえるものです。われわれの先輩が、血のにじむ努力で築いた「民衆の前線」であり、下からの統一のあり方なのです。それらの積み重ねの上に、東京総行動があり、地区総行動、資本別共闘、産業別総行動、課題別共同行動などの発展があるのです。

 いま、東京総行動開始以来の争議団の運動を振り返り、総会議案書を続けて読み直してみると、それが独占と権力の動きを素直に反映し、対応していることに驚かされます。逆にいうと、独占と権力は東京総行動を中心とする反合理化闘争に、機敏な対応を示しているのです。

 中小企業「近代化」と称するスクラップ政策の下で、倒産・破産を乗り越えて闘わざるをえなかった労働者、単産からも単組からも支援を得られずに守る会に唯一の仲間づくりの場を見出していた活動家たち、それらの先輩たちの闘いの基盤となったのが地区労(区労協)でした。安保共闘の伝統に輝く地域共闘でした。この地域からの、つまりは下からの統一した運動の伝統と基本なしには、勝利は獲得できません。伝統の地区労運動を生彩あらしめるのは、真の統一と勝利を求める争議団の任務です。単に一時的な動員数の多少で、現象にまどわされたり、基本を忘れてはなりません。

以上で「 五」終わり。「六」に続く。


六、「使用者概念」云々の「不当労働行為」、「ひとり争議」の新発生と組織化の課題

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