東京地方争議団共闘会議「独占と権力の対応」

総行動11年の原点に立ち返って教訓を学ぶ

[1983.12.10-12.東京地方争議団共闘会議:第22回総会議案書]
[第3章(続)私たちをめぐる動き:副議長・法廷闘争対策担当・木村愛二執筆]

三、旧体制側の計画性と組織性、企業ファシズムの位置づけに注意

2000.11.4 WEB雑誌『憎まれ愚痴』60号掲載

 ただし、中曽根が「戦後三七年の総決算」といったように、旧体制の反動的な復活には、それなりの計画性、組織性があったことを見落してはならないでしょう。敵もサルものヒッカクものです。

 安保闘争以来を考えただけでも一冊の論文になってしまいますから、東京総行動の開始以来の特徴的な動きを挙げてみましょう。

 六〇年代に「燎原の火のように……」という歌、がありましたが、


 一点の火花が燎原を焼き尽すのを防ぐには燎原を湿らせればよい。
  ~一九七二年/高橋警察庁長官(当時)~


 この発言は、東京総行動が開始された年のものですが、独占と権力は、すでに一九七〇年の日米安全保障条約改定期を前に、ふたたび六〇年安保闘争の再現を許さぬ決意で七〇年代戦略を策定。「七〇年暴力革命」説の謀略宣伝をも駆使して、東京・大阪をはじめとする「革新自治体」の奪還を図りました。

 労働組合を「湿らせる」ための対策にもいくつかの段階はありますが、一貫した戦略は日本型企業別組合にありました。この発想は、すでに戦前からのもので、反動派の切れ者として知られた床次(とこなみ)内務大巨が「タテ型組合」の育成を提唱したと伝えられています。この「タテ」は、現在の産業別(実状は企業別組合の業種別・法律別連合体)ですらなく、いわゆるヨーロッパ型の地域別(横断的)「ヨコ」型組合に対しての、企業別組合でした

 戦後日本の労働官僚は、元をただせば旧内務官僚です。そして、彼等はCHQとすら争って、戦後の企業別組合へのレールを敷きました。GHQの当初の組織化方針では、現場労働者のみが組織対象でしたが、日本の労働官僚は、職制層をも含めるように主張し、現在のような職制支配組合の仕掛けを埋め込んだのです。「企業ファシズム」と呼ばれる事態は、当然の結果として生れたのです。そして、一般には傾向が良いとされている単産ですら、大部分は「本工主義」を克服できず、同種産業内の中小・下請・社外・臨時への組織力に乏しいのが現状です。「燎原を湿らせる」反動的努力は、インフォーマルなどの職業集団が活用されているとはいえ、基本的には一握りの本工組合員を買収し、脅すことで完了するのです。

 GHQはまた、警察官の労働組合結成を許可する方針も示していましたが、日本の労働官僚と内務・警察官僚は、これを握りつぶしました(『占領戦後史』竹前栄治)。

 さて、以上のような独占と権力の戦略が労働運動全体の右傾化に成功しているかのように見えながら、一方では東京総行動と、地域的に展開され産業別にも一定の巻き返しをはかった争議団の運動が、着実な成果を挙げました。一九七四年の第一三回東京争議団総会議案では、「第四章/東京総行動と東京争議団」を設け、一九七二年六月二〇日に始まる「反合理化全国統一東京総行動」以来の闘争経過と教訓を、くわしく総括しました。報知系三単組や大映の争議が、かってない成果を収め、組合の統一という重要な巻き返しにさえ成功しました。三菱樹脂・高野争議のような「ひとり争議」が、組合の支持を断たれはしたものの巨大な守る会運動に支えられ、地区労の支援を受け、「三菱資本と闘う仲間の連絡会議」という資本別共闘の先駆までなして、資本の思惑を越えた闘いを発展させました。

 そこでまた、独占側のエースが登板します。


一九七五年一〇月・経営法曹全国大会

『労働争議に伴う違法・不当な圧力手段とその対策~弁護士・平岩吾~(要旨)
「最近、労使紛争に際し、暴力その他違法不当な圧力行使の事例」か増加している。

《企業の場を利用しない圧力手段》

(1) 国政調査権の利用(略)
(2) 行政官庁の利用(略)
(3) マスコミの利用(略)

(4) 親会社、金融機関、取引先への圧力利用
 組合側には近時、占拠戦術に代って親会社等へ圧力をかける手段が一番効果的であるとの考えがある。
 親会社が子会社の労使関係に責任を取らなければならないのば、労務管理上の支配関係かあって子会社に不当労働行為など労使紛争か起きた場合のみである。使用者概念は、労組法七条(不当労働行為)各号により異った判断がなされるべきで安易な拡大は許されない。
(討論)組合側は法律論でなく戦術論として採用しでいるようであるか、一部にその効果をあげている事例がみられることか問題であり、経営側が不当な圧力に屈せず毅然とした態度を示すことか重要だ。

(5) 私生活領域への圧力(略)

《企業の場を利用する圧力手段》(略)


 この「平岩報告」とそれをめぐる討論の要旨は『日経連タイムス』一〇月三〇日号に掲載され、東京争議団第一五回総会議案にも特別に収録されました。ところがその中間の一九七六年六月に浜田精機の一円玉振り込み闘争への刑事弾圧が起きたのです。「経営側の毅然たる態度」とは、三菱銀行本店が鉄のトビラを固く閉して交渉を拒否し、警察を動員することでした。

 それだけではなく、この一九七六年の議案書には、司法反動の進行状況も色濃く映し出されています。敗訴の激増と審理の遅延です。すでに一九七四年には、青年法律家協会(青法協)ヘの名指しのアカ攻撃が掛けられ、宮本裁判官の再任拒否や青法協加盟の修習生への裁判官任官拒否といった事態が相次いでいます。それが、労働事件の判例に効き目をあらわし始めたのです。

以上で「三」終わり。「四」に続く。


四、《新ニッポン》ファシズムの正体、司法反動の恐怖の土台を暴く闘いを

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