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| 「独占と権力の対応」 三、旧体制側の計画性と組織性、企業ファシズムの位置づけに注意 |
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ただし、中曽根が「戦後三七年の総決算」といったように、旧体制の反動的な復活には、それなりの計画性、組織性があったことを見落してはならないでしょう。敵もサルものヒッカクものです。 安保闘争以来を考えただけでも一冊の論文になってしまいますから、東京総行動の開始以来の特徴的な動きを挙げてみましょう。 六○年代に「燎原の火のように……」という歌、がありましたが、 ……………………………………………………………………………………… 一点の火花が燎原を焼き尽すのを防ぐには燎原を湿らぜればよい。 ……………………………………………………………………………………… この発言は、東京総行動が開始された年のものですが、独占と権力は、すでに一九七○年の日米安全保障条約改定期を前に、ふたたび六○年安保闘争の再現を許さぬ決意で七○年代戦略を策定。「七○年暴力革命」説の謀略宣伝をも駆使して、東京・大阪をはじめとする「革新自治体」の奪還を図りました。 労働組合を「湿らせる」ための対策にもいくつかの段階はありますが、一貫した戦略は目本型企業別組合にありました。この発想は、すでに戦前からのもので、反動派の切れ者として知られた床次(とこなみ)内務大巨が「タテ型組合」の育成を提唱したと伝えられています。この「タテ」は、現在の産業別(実状は企業別組合の業種別・法律別連合体)ですらなく、いわゆるヨーロッバ型の地域別(横断的)「ヨコ」型組合に対しての、企業別組合でした。 戦後日本の労働官僚は、元をただせば旧内務官僚です。そして、彼等はCHQとすら争って、戦後の企業別組合へのレールを敷きました。GHQの当初の組織化方針では、現場労働者のみが組織対象でしたが、日本の労働官僚は、職制層をも含めるように主張し、現在のような職制支配組合の仕掛けを埋め込んだのです。「企業ファシズム」と呼ばれる事態は、当然の結果として生れたのです。そして、一般には傾向が良いとされている単産ですら、大部分は「本工主義」を克服できず、同種産業内の中小・下請・社外・臨時への組織力に乏しいのが現状です。「燎原を湿らせる」反動的努力は、インフォーマルなどの職業集団が活用されているとはいえ、基本的には一握りの本工組合員を買収し、脅すことで完了するのです。 GHQはまた、警察官の労働組合結成を許可する方針も示していましたが、日本の労働官僚と内務・警察官僚は、これを握りつぶしました(『占領戦後史』竹前栄治)。 さて、以上のような独占と権力の戦略が労働運動全体の右傾化に成功しているかのように見えながら、一方では東京総行動と、地域的に展開され産業別にも一定の巻き返しをはかった争議団の運動が、着実な成果を挙げました。一九七四年の第一三回東京争議団総会議案では、「第四章/東京総行動と東京争議団」を設け、一九七二年六月二○日に始まる「反合理化全国統一東京総行動」以来の闘争経過と教訓を、くわしく総括しました。報知系三単組や大映の争議が、かってない成果を収め、組合の統一という重要な巻き返しにさえ成功しました。三菱樹脂・高野争議のような「ひとり争議」が、組合の支持を断たれはしたものの巨大な守る会運動に支えられ、地区労の支援を受け、「三菱資本と闘う仲間の連絡会議」という資本別共闘の先駆までなして、資本の思惑を越えた闘いを発展させました。 そこでまた、独占側のエ−スが登板します。 ……………………………………………………………………………………… 一九七五年一○月・経営法曹全国大会 ……………………………………………………………………………………… この「平岩報告」とそれをめぐる討論の要旨は『日経連タイムス』一○月三○日号に掲載され、東京争議団第一五回総会議案にも特別に収録されました。ところがその中間の一九七六年六月に浜田精機の一円玉振り込み闘争への刑事弾圧が起きたのです。「経営側の毅然たる態度」とは、三菱銀行本店が鉄のトビラを固く閉して交渉を拒否し、警察を動員することでした。 それだけではなく、この一九七六年の議案書には、司法反動の進行状況も色濃く映し出されています。敗訴の激増と審理の遅延です。すでに一九七四年には、青年法律家協会(青法協)ヘの名指しのアカ攻撃が掛けられ、宮本裁判官の再任拒否や青法協加盟の修習生への裁判官任官拒否といった事態が相次いでいます。それが、労働事件の判例に効き目をあらわし始めたのです。 |
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