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『新潮45』(1996.7)

オウム帝国の正体【完結編PART3】

闇に葬られた警察情報


第3章 圧力

「公安警察は、八王子のアジトで潜伏中の私たちの行動を監視していました。逮捕後に取り調べられた時、『捜査報告書』で人の出入りや服装のチェックも正確であることが分かった。それなら、私が都庁職員の方の指を飛ばす前に逮捕して欲しかった。悪いのは私だし、すべての責任は私たちにある。声高に『宗教弾圧』というつもりはないが、どうしてもっと早く、捕まえてくれなかったんでしょうか……」

 5月21日、東京地裁で開かれた中川被告の第5回公判で、中川被告は泣きながら、そう意見陳述した。

 この言い分はあまりに手前勝手であり、賛同できないのは当然だ。捜査当局は必ずしも、オウム真理教の実態をすべて把握していた訳ではないから、それだけで徒に捜査手法を批判すべきではない。ましてや、被告側が捜査当局に対して文句を言うなど、見当違いも甚だしい。

 ただ、結果論的に言えば、公安当局の泳がせ捜査が、事件の発生防止に繋がらず、新たな被害者を生み出したことは紛れもない事実である。

 ところで、公安当局はいったい、いつの段階でオウム真理教に容疑を抱き、教団を監視下に置いて内偵捜査に乗り出したのであろうか。

 1994年9月、宮崎県の旅館経営者がオウム信者に拉致・監禁されたと宮崎県警に告訴した。これを受けて警察庁は密かに、全国の警察にオウム真理教に対する捜査を指示しており、この辺りが正式な内偵捜査の始まりとされている。

 ただ、公安当局は松本サリン事件直後から、オウム真理教がサリンを製造しているのでばないかとの情報を得て、教団の内偵授査を続けてきたと言われている。

 当時、第1通報者の会社員を調べていた長野県警に、それを知らせなかったのは、いかにも公安的手法と言わざるを得ない。

 捜査員たちは密かに、上九一色村の住民たちに接触したり、麻原被告をはじめ教団幹部の同行や都内のアジトを監視したり、信者を懐柔して、教団内部やその局辺にS(情報提供者)を養成するなど、時間をかけて捜査を進めてきた。

 Sは一般の在家・出家信者だけでなく、教団幹部にも及んでおり、最低でも5,6人はいたと見られている。また、公安当局の捜査員が少なくとも数人は潜り込んでいたようで、上九一色村の教団施設に対する強制捜査の時、神奈川、静両県警ではテレビの中継に映った信者の中に、同僚の顔を発見して驚きの声を上げたケースがあったという。

 昨年[1995]11月29日、名吉屋地裁で開かれた大内早苗被告の第3回公判に検察側証人として出廷した元教団幹部、満生均史被告は突然、「宗教関係を調べている“ある人”から頼まれて、松本サリン事件などオウムについて調べた。スパイ行為をして、スパイ容疑をかけられた」と告白し、関係者に衝撃を与えた。

 満生被告は依頼主を問われ、「名前は言えない」ど答えているが、その後の公安関係者のあわてぶりがら、満生被告は公安当局のスパイだった可能性が高いと見られている。

 スパイと言えば、1994年暮れから1995年1月にかけて出回り、話題を集めた「松本サリン事件に関する1考察」と題する怪文書がある。

「サリン事件はオウムである」と断言したこの文書の作成者は、未だに不明だが、捜査当局やマスコミの間では、公安関係者が書いたとする意見が強い。

 1994年暮れ段階で、松本サリン事件がオウムの仕業であると知っていた者は、麻原被告をはじめ犯行の実行グループなどごく少数の教団関係者だけであろう。

 しかも、サリンの化学的な説明から上九一色村の教団施設内の情報、宮崎県の旅館の経営者拉致事件、オウムとロシアの関係まで言及しており、教団上層部でもそう簡単には書けない幅広い内容になっている。

 そうなると、複数の教団内部情報に捜査情報を加えて、公安関係者が書いたとしか思えない。つまり、その時点で公安当局のSがあれだけのレポートを書くほどの調査をしていたことになる。

 満生被告も法廷で、自ら松本サリン事件を調査し、内部レポートを作成した1人であることを認めている。

 この怪文書は、公安当局が警察庁上層部の消極姿勢に対し、マスコミを巻き込んで決起を促したものと見られている。

 オウム真理教に対する強制捜査の方針が決定されたのは、昨年[1995]1月の国松孝次警察庁長官と吉永祐介検事総長のトップ会談であり、そこで摘発時の適用法令や取り調べ体制など具体策の協議に入ったと言われている。もし、怪文書が公安関係者の手によるものだとしたら、公安当局の奇策がまんまと成功したことになる。

 だが、逆に、公安当局が早い段階で、松本サリン事件とオウムとの関連をキャッチしていたなら、河野さんに対する“冤罪”はもとより、仮谷さん殺害、地下鉄サリン事件の発生を防げたのではないか、との見方も出てくる。

 公安当局がこうした情報を掴みながら、警察首脳の了解が出ないからと言って、わざと麻原被告の荒唐無稽な思想やカルト集団の狂気を面白おかしく書くことに、能力と時間を割いていたのは、あまりにも情けない。

 なぜ、警察当局はもっと早く、オウム真理教の摘発に乗り出さなかったのか。

池田暗殺を狙った八王子サリン事件

 昨年[1995]11月、故・村井幹部の元妻らによるサリン製造事件の初公判で、オウム真理教が3年前、東京都八王子市の創価学会施設周辺で、池田大作名誉会長を暗殺しようとしてサリンを2回まいたが、失敗したとの事実が明らかにされた。

 冒陳によると、麻原被告は1993年10月中旬、かねてより教団と敵対関係にあると考えていた宗教団体関係者をサリンで暗殺しようと計画。土谷正実被告らに製造を、村井幹部らに実行を指示した。

 冒陳では実名が伏せられているが、宗教団体関係者とは、創価学会の池田名誉会長のことであった。

 村井幹部は新実智光被告とともに11月中旬と12月中旬の2回、農薬用噴霧器などにサリンを詰め、トラックに乗せて八王子市内で噴霧したが、失敗に終わった。

 3回目は1994年1月の予定で、大量に散布する計画だったが、サリンの製造が間に合わず延期された。この時、量産されたサリンが後に、松本市でまかれることになったのである。幸い、計画は失敗に終わったものの、その意味では、松本サリン事件ではなく、八王子サリン事件になっていたかも知れないのだ。

 ところが、この公判には提出されなかった捜査報告書がある。ここにも、封印された警察情報が存在したのだ。

 その報告書を見ると、創価学会は2回目に襲撃された後、警察に被害届を出していたことが分かる。

「被害者は創価学会青年部員で、1993年12月17日深夜から翌18日未明にかけ、八王子市の創価学会施設『牧口記念会館』付近で警備業務に当たっていたと申告している。18日は創価大学で、池田氏も出席して、べートーベンの『第9』の演奏会が開かれる予定になっていたためだと言っている。その青年部員が18日午前3時前後に、牧口記念会館前の道路を白っぽいトラックが暴走していったのを見つけ、追跡しようとしたが見失った。彼はその直後から、視野が狭くなり、身体がだるくなるなどの症状を訴え、しばらく自宅で休養していたようだが、数日経っても治らないので、眼科で治療を受けたんだ」

 捜査幹部は、そう説明する。

 創価学会ば青年部員が突然、体調を崩した原因が分からなかったため、何者かによる嫌がらせではないかと見て、被害届を出した。しかし、これが実は、オウムによる池田名誉会長の暗殺計画だったのである。

 警察当局はこの被害届をあまり重視しなかった。被害の原因が分からなかったし、ましてサリンの存在など知らなかったから止むを得ないという弁解も、分からない訳ではない。が、警察当局はほとんど、捜査らしいことをしていない。この段階で徹底的な現場検証が行われ、もしサリンを検出するようなことになっていれば、その後の展開はかなり違ったものになっただろう。

 警察庁幹部は、こう語る。

「身内を庇う訳ではないが、あの八王子の状況で地元警察署を責めるのは、いくら何でも酷だ。しかし、我々が宗教法人が絡んだ事件に対し、かなりナーバスになっていて、慎重に行ぎ過ぎたことは事実だ。その後のオウム真理教に対する内偵捜査でも、次第にオウムが恐ろしい団体であることが分かってきたが、宗教法人ゆえに手が出しにくかった。でも、仮に警察が宗教団体の情報収集をしていることが発覚したら、それだけで、宗教界はもちろん、マスコミや世論から『官憲による宗教弾圧だ』とか『信教の自由を侵すな』との批判を浴びたに違いない」

 この幹部に限らず、警察幹部は皆、宗教団体が絡んだ捜査の難しさを強調する。だが、オウムに対する捜査の遅れは、果してそれだけの理由だろうか。

 確かに、一連のオウム事件では、マスコミをはじめ、世論、裁判所でさえ過剰反応しているところがある。

 マスコミの場合、それが裏目に出て、公安当局の情報操作にまんまと、乗せられてしまった感は否めない。公安当局による泳がせ捜査や微罪・別件逮捕、リークによる情報操作などに行き過ぎを感じても、マスコミ側がそれらを批判するのは、難しい状態であったことは事実である。

 地下鉄サリン事件のようなテロ事件がいつ、再び発生するか分からないという恐怖心と、「大量無差別殺人を犯したオウムは絶対、許せない」という感情から、世論が警察の強権発動を認知したからだ。

 マスコミも警察情報に頼らざるを得ない現状から、それに追従してしまったように感じるのは私だけだろうか。

 だが、警察当局による情報操作に乗せられ、当局の発表を鵜呑みにして、その裏側で着々と進められている強引なストーリー展開を見過ごしてはならない。

1つに繋がる「3つの警察情報」

 本稿では、3つの封印された警察情報を紹介してきたが、これらは、オウム真理教の犯罪行為が1980年代後半かから始まっていたことを示している。

 麻原被告は、自身の野望と狂気を10年近くにわたって募らせ、少しずつ実現させようとしてきた訳だ。

 その過程で、オウムに絡む利権を狙い、その突進力を利用しようとした輩がいたことは間違いあるまい。

 本誌が再3にわたり指摘した暴力団や政冶家、外国勢力などである。

 捜査当局は、政治や外交問題という厚い壁に阻まれ、こうした“闇の勢力”に対しては無力であった。

 それは、警察という組織に幾つかの問題点が内在していたからである。

 1つは、一握りの国家公務員上級職のエリート官僚が警察組織を支配していることだ。彼らは他の省庁同様に、警察庁長官を頂点にして、激しい出世競争を展開しており、失敗を恐れて消極的になる傾向が見られる。また、政治家などの権力者に弱い。

 2つ目は、組織の硬直化である。都道府県警同士の横の繋がりは薄く、広域事件の捜査に度々失敗している。

 第3点は、組織内の各セクションや、都道府県警の間の縄張り意識が強いことだ。特に刑事と公安は同じ捜査部門ながら、その体制や手法に大きな隔たりがあり、激しいライバル意識を持っている。

 さらに、各都道府県警内でも出身地ごとの派閥が形成されているケースが多い。

 1例を挙げれば、警察庁と警視庁は建物は隣同士だが、お互いの連携は必ずしもうまくいっていない。半面、警察庁は長官の出身地派閥の警察本部と“いい関係”になるとされている。

 冒頭に紹介した上司も、その意味から全国に腹心や子飼いの部下を大勢抱えていた。特に当時、神奈川県警に強い影響力を持っていたとされる。

 実は、その腹心たちの一部がオウム真理教に対する捜査に有形無形の“圧力”をかけているフシが見られるのだ。

 前章で、坂本事件の捜査方針に絡んで、警察上層部が現場の捜査員の暴力団関与説を真っ向から否定したため、暴力団ルートの捜査が打ぢ切りにならざるを得なくなったことを紹介した。

 現場の捜査に横槍を入れた上層部の背後には、何人かの警察官僚や、その意を受けたOBらの影がチラついている。その中には、冒頭に記した上司の女性スキャンダルを尻拭いしたとされる腹心の名前も上がっていた。

 そして、その“圧力”の系譜を辿っていくと、第1線の捜査員が「かなり上の方の考えらしい」と嘆いた通り、次第に警察組織の頂点に近づいていくことが分かる。

 それだけではない。

 例えば、この上司は、出身地派閥の関係で大物政治家らとも繋がりがあった。

 そうした中に、オウム真理教との関与が囁かれる団体に関わったり、ロシアや北朝鮮の利権絡みで名前が浮上した人もいるのだ。

 さらに、腹心たちの中には、風俗産業やパチンコ業界との関係から、暴力団や在日朝鮮人などとの繋がりを指摘される人たちもいる。

 どうやら、3つの封印された警察情報は1つに繋がっているようである。

 オテム真理教、暴力団、政治家、そして警察組織……。それぞれの点を結んだ延長線上に、オウム事件の「真実」が潜んでいる気がしてならない。

 そして、そこはまさに、“闇の世界”そのものなのである。

(いちはし ふみや・ジャーナリスト)


以上で終わり。次に関連記事リンクあり。

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2003.1改訂