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『新潮45』(1996.7)

オウム帝国の正体【完結編PART3】

闇に葬られた警察情報


第2章 供述

 この取引疑惑から1年後に発生したのが坂本弁護士一家殺害事件である。

 この事件は、早川紀代秀被告ら実行犯グループが自供し、その供述通り3人の遺体が発見された。また、今年[1996]3月12日に東京地裁で開かれた中川智正被告の第4回公判をはじめ、一連の坂本事件の公判で、被告たちが犯行を大筋で認めたことで、事件の真相は解明されたかに見えるが、果してそうだろうか。

 本誌はこれまで再3にわたり、坂本事件が抱える数々の疑問点を指摘してきたが、それらは公判段階に至った現在でも、必ずしも解決していない。

 実は、この事件に関しても“闇に葬られた警察情報”があった。

 それを明らかにする前に、坂本事件の疑問点について振り返ってみよう。詳細な検証は、本誌1995年8,11月号で行っているので、ここでは要点だけを記す。

 第1の疑問は何と言っても、坂本宅の鍵はなぜ、開いていたかということだろう。

 中川被告らに対する検察側の冒頭陳述によると、早川被告ら6人は1989年11月2日深夜から1日未明にかけ、静岡県富士宮市の富士山総本部で麻原被告から坂本弁護士殺害の指示を受け、3日午前中、2台の車に分乗して出発。途中で地図や背広を買い、同日夕、坂本宅付近に到着した。

 メンバーはこの日が祝日であることを忘れていたため、早川被告ら2人が坂本弁護士が電車で帰宅するはずのJR洋光台駅前に、岡崎一明被告ら4人が坂本宅付近の路上に、それぞれ車を停めて見張った。

 坂本弁護士の帰宅が遅いため、岡崎被告は午後9時ごろ、坂本宅の様子を窺い、玄関ドアが施錠されていないことに気づき、早川被告に無線で連絡した。早川被告は坂本弁護士が家族とともに自宅にいる可能性が高いと考え、公衆電話で麻原被告に報告した結果、深夜になってから家族とともに殺害するように指示された。そこで実行犯グループが相談し、犯行時刻を4日午前3時と決め、無施錠のドアから坂本宅に侵入した。その際、故・村井秀夫幹部は事内に手袋を置き忘れ、早川被告はポケットに手袋を入れてあることを失念し、素手のままであった……というものだ。

 この冒陳を読む限り、6人の犯行はとても計画的だとは思えない。

 まず、メンバーが誰一人、下見しておらず、祝日さえ認識していなかったのに、坂本弁護士がなぜ、在宅中だとか帰宅すると決めつけられたのかとの疑問がある。

 実際、坂本一家は3日から2泊3日の予定で、四国に旅行に出掛けるはずだった。たまたま坂本弁護士と息子の龍彦ちやんが風邪気味だったため、2日前に中止しただけで、在宅していたのは偶然であった。

 次に、現場での見張りだが、両崎被告ら4人は坂本弁護士宅近くの路上に駐車していたとしているが、坂本宅付近の道路は皆、狭くて一方通行が多いうえ、生活道路として意外と交通量がある。

 しかも、タ方6時から夜9時という車の通行が多い時間帯に、大の男4人がビッグホーンのような大きな車に乗っていたら、かなり目立っただろう。それどころか、通行妨害でトラブルさえ発生する可能性が高い。ところが、近くに駐車していた京都ナンバーのワゴン車を目撃した人はいたのに、ビッグホーンの目撃情報は皆無なのである。

 そして、いよいよ問題の鍵についてである。冒陳では岡崎被告が午後9時ごろ、坂本宅の様子を窺って、初めて無施錠状熊が分かったことになっている。鍵がかかっていなかった理由については、「就寝の際、自宅の玄関ドアの鍵は施錠されていなかった」としか触れておらず、はっきり分かっていない。

 ただ、そう記されている以上、こじ開けた形跡などはないのであろう。

 坂本弁護士は同僚に、わざわざ電話をかけて「鍵をしっかりとかけた方がいい」と注意しており、妻の都子さんの几帳面な性格からしても、自宅のドアの鍵をかけ忘れることはまず、考えられない。

「龍彦ちやんに添い寝してうたた寝したのではないか」との説も、同じ冒陳で、都子さんがネグリジェ姿で絞殺されたことが明らかになっており、考えにくい。

 例えば、坂本一家がついうっかり、鍵をかけ忘れて就寝したのだとしても、実行犯グループは、坂本一家がたまたま風邪のために旅行を中止して家におり、たまたま鍵をかけ忘れた日に襲撃したことになる。

 しかも、岡崎被告がたまたま、その事実を発見したのだから、計画性云々のレベルではなく、3重の偶然が重なった犯行としか言いようがあるまい。

 実行犯は、坂本一家が旅行に出掛けていたとしたら、何日も坂本宅の前で待機するつもりだったのか。もし、ドアが施錠してあったら、ドアや窓を叩き割って侵入したのであろうか。

 もう一つ気になるのは、岡崎被告から無施錠の報告を聞いた早川、麻原両被告がなぜ、坂本弁護士の在宅を確信したのかだ。普通は無施錠と聞けば、家族は在宅していても坂本弁護士は掃宅していないとか、外出時にかけ忘れたと考えるはずである。

 それに、仮に午後9時段階では鍵が開いていたとしても、その後かけられてしまう可能性もあるはずだ。

 実際、早川被告の「やるなら今だと言ったら、麻原に『3時を待って侵入しろ』と言われた。鍵がかかっていたらどうしたらいいかを尋ねると、麻原は『大丈夫だ。玄関のドアは開いている』と答えた」という供述が、いつの間にか消えているのも不可解だ。

 早川被告は「そんな馬鹿なことはないだろう。どうぜ、鍵がかかっているから、今夜は中止だとタカをくくって、村井とともに手袋を付けずに行った」とも供述しており、これらの供述内容の方がよほど自然であり、説得力がある。

「この連中が本当にやったのか?」

 第2点目は、坂本夫妻が自宅で殺害された際、実行犯グループとかなり争ったと見られるのに、周辺の住民が物音ひとつ聞いていなかったり、事件現場に争った跡がほとんどないという疑問だ。

 冒陳によると、6人は寝ていた坂本夫妻の上に馬乗りになり、殴る蹴るの暴行を加えている。激しく抵抗する坂本弁護士の両足を押さえ付けていた早川被告は、途中で蹴飛ばされ、後ろに倒れて鏡台にぶつかり、その反動で鏡台が襖に当たって、襖が外れたほどである。

 一方、都子さんは村井幹部の指に噛みつき激しく抵抗。村井幹部の指から流れ出た血が畳に付着し、龍彦ちやんは泣き出すなど現場はかなりの惨状だったようだが、隣家も階下の住民も、全く気づいていない。

 プレハブのアパートに暮らした経験者はよくご存じだと思うが、ドアの開閉や子供が走り回る音でさえうるさく聞こえるものだ。ましてや夜中の3時に、これほどの騒ぎがあれば、地震が起きたと思うほどではないか。

 それも、隣家の主婦は「その日は午前3時ごろに起きて、赤ん坊にミルクを上げていたが、何の物音も聞こえなかった」と証言しているのだから、いかにも奇妙だ。これもたまたま聞こえなかったのだろうか。

 さらに、冒陳は、実行犯のうち5人が坂本一家の死体をそれぞれ布団やタオルケットでくるみ、外に運び出し、アパートの階段を下りる際には靴音を立てないように注意して、車の後部に乗せた、という。

 だが、アパートの階段はいくら注意深く昇り降りしてもギシギシと音を立てるし、幅80センチしかないドアから、小太りの坂本弁護士の死体を布団でくるんで遅び出すのは至難の業。後日、同僚弁護士たちがモデルになって実験してみたが、重くて数人がかりでなければ運べないし、壁や家具に何度もぶつけ、大きな音がしたという。

 それに3人も殺害し、しかも、かなり争ったとなれば、とにかく直ぐに逃げることを考えるのが犯罪者心理であろう。血の付いた布団を遅び出さなければならなかった事情を考慮しても、遺体を1人ずつ担ぎ上げて車に運び、布団だけ別に運搬した方がずっと効率的である。

 また、冒陳では、岡崎被告が坂本宅寝室内に付着した村井幹部の血痕などを浴室にあったタオルで拭き取ったり、早川被告が倒れたために外れた襖を元に戻すなど、最後にチェックしたことを明かしている。

 ところが、中川被告が肌着に付けていた教団のバッジであるプルシャが寝室内に落ちていることには気づかず、しかも、そのプルシャの存在は、最初に坂本宅を実況検分した神奈川県警の警察官さえ見落としているというのだ。その警察官は鑑識係であり、他の警察官以上に現場の状況には目が届くはずであった。

 また、捜査当局がプルシャから指紋を採取したところ、発見者である坂本弁護士の母さちよさんらの指紋しか検出されず、中川被告の指紋は出ていないのだ。

 さらに、坂本宅の電話の呼び出し音がオフになっていたが、岡崎被告をはじめ誰もオフにしたと供述した者がいなかった。

 ところで、冒陳は犯行時、寝室内は豆電球しかついておらず、薄暗かったとしている。そこに、村井幹部と早川被告が素手のまま乱入したのだ。襖は外れ、血痕は飛び散り、指紋が付いているかも知れない室内を、両崎被告は豆電球の薄暗い中でチェックしたのだろうか。

 それにしては、捜査当局の現場検証では実行犯たちの指紋も血痕も発見されず、せいぜい襖や敷居の傷と敷物がめくれていた程度でしかなかった。その状況は、相当綿密に事後処理したことを物語っているが、それなのにプルシャが落ちていることには気づいていない。この綿密さと杜撰さが同居した現場は、いったい何を意味するのであろうか。

 事件を担当した神奈川県警の捜査員は、こう明かす。

「捜査本部は各容疑者を取り調べた際、坂本弁護士一家が住んでいたアバートの模型を作り、それを示しながら進めた。ところが、彼らの供述はかなりいい加滅で、殺害の手順も計画性はなく、行き当たりばったりといった感じだった。供述内容はいずれも、あいまいで2転3転するし、辻棲が合わないことも多かった。正直言って、この連中が本当にやったのかという印象が強かった。中川以外は皆、小柄で腕力もなさそう。空手の有段者とされた新実にしても、本当は8級だったからね」

 これらの疑問点や矛盾点を解決するにはたった1つのケースしかない。

 現場を下見したり、信者たちの犯行を見届け、現場の事後処理を行うための別働隊がいた、という想定である。

 本誌はこれまで、暴力団員らによる犯行支援グループの存在を指摘してきた。

 また、付近住民の目撃情報や、坂本宅から来客用の湯飲み茶腕がなくなっていることなどから、3日夜8時過ぎに、坂本宅に来客があったとの説を提示している。

 重複するので詳述しないが、その来客が別働隊の一員なら、鍵や電話のミステリーに説明がつく。拉致・監禁を専門とするメンバーが支援すれぱ、事後処理などは完壁にできるはずだ。

 プルシャについては「暴力団員が後で教団から莫大な資金を脅し取るために、わざわざ落としてきた」という暴力団幹部の証言を紹介している。

 冒陳が示すように、麻原被告が宗教法人の認証を得た直後ゆえ、教団のトラブル発覚を防ぐために、坂本弁護士一家を殺害したとしたら、何よりも犯行に細心の注意を払うばずである。

 公安関係者の中には「麻原は早川、岡崎ら幹部たちの忠誠心を試すために、殺人を命じた。坂本事件の共犯になることで離反、逃亡の可能性を断ち切った」との見方を取る人もあるが、いずれにぜよ、犯行の失敗はもとより、教団関与の発覚だけは避けなければならなかったはずだ。

 それを、こうした“成り行き任せ”的な行動を取る信者たちだけに任せられるだろうか。麻原被告が並行して、何らかの善後策を講じた可能性が高いのではないか、と見る方が自然であろう。

 そうした観点から坂本事件を検証してみると、随所に暴力団の影がチラつくことが分かる。

 例えば、坂本弁護士宅付近で目撃された京都ナンバーのワゴン車が京都の暴力団関係者の所有で、坂本一家の死体遺棄の際、富士山総本部でも目撃されていたこと。さらには、オウム真理教との関与が囁かれている組長の隠し口座に、坂本事件の後、オウム関係者と見られる人物から約5億円が振り込まれたとの情報もある。

 そして、これらの話は単なる情報ではなく、実は、別の事件で逮捕されていた暴力団幹部が詳細に供述し、調書まで取られていたのである。

 因みに、その幹部は、私が数年前にインタビューした人間とは違う。もう1人、極秘の情報を告白した人物がいたのだ。

 それが、2つ目の封印された警察情報であった。

「あれはオウムの金だよ」

 この幹部は、山口組の中でも“武闘派”として知られる組の中心メンバーの1人で、その系列の下部組織を率いている。本人もなかなかの“武闘派”歴を誇る半面、経済事件を得意とし、別の宗教団体とのバイプ役も果すなど「切れ者」として知られている。現在は、オウムとは関係ない別の傷害事件に関与したとして実刑判決を受け、東日本の刑務所に服役中の身だ。

「この幹部は、逮捕された傷害事件に関して誤解を受け、上部組織とトラブルになり、組織内で難しい立場に置かれていた。そのため一時は生命の危険を察知し、かなり神経質になっており、取り調べに対しでも一切答えなかった。だが、出所後の身の振り方にほぼメドがついたんで、ようやく口を開いたんだ」

 捜査幹部は、そう明かす。

 その供述によると、幹部は1990年2月ごろ、上部組織の組長の親族で、その組織のフロント企業の社長でもある男性から「オウムを手伝わないか。あそこはカネになるぞ」と持ちかけられた。幹部は当時、資金繰りに苦しんでおり、喜んで引き受けた。その際、社長は「坂本事件は、実はウチがやったんだ。今や、オウムはカネの成る木だよ」と明かしたという。

 だが、約2ヵ月後、社長が数百万円を持って幹部の元を訪れ、「あの話はなかったことにしてくれ」と言ってきた。理由を聞いたが、「答えられない」の一点張りで、その切羽詰まった表情から、かなり危ない話ではないかと感じたらしい。

 実際、上部組織の組長からも直接、「オウムのことは、決して口にするな」との指示があった、というのだ。

 その幹部はこんな供述もしている。

「その儲け話が潰れた前後、今度は上部組織の企業舎弟が乗り回していた車のダッシュボードの中に、エロ写真などと一緒に、どこかのアパートを撮影した数枚のポラロイド写真が入っているのを見つけた。何か儲け話のネタではないかと思って、企業舎弟を問い詰めたら、坂本弁護士宅のドアや全景、局辺の様子であることを認めた。また、ダッシュボードに、同じ風景を撮影したビデオテープも入っていた」

 また、この幹部がしばらくして上部組織の本部詰めを担当している時、上部組織の組長と麻原被告、それに別の宗教団体幹部が、本部近くのゴルフ場で密談するとの話を漏れ聞いた。組長の警護が本部詰めの重要な仕事であるため、その日程や場所を組長に確認しに行ったら、「今日は護衛はいらない」と言われたという。

 この件について、幹部は「麻原という男は盲人なのにゴルフをするのか、と変に思ったのでよく覚えている」と捜査員に話している。

 さらに、この幹部は1990年4月、前出のフロント企業社長の銀行口座に、オウム真理教がら約5億円が払い込まれたことを知った、とも供述している。

 知り合いの組員がオウムから受け取って入金しており、多額なカネに興奮し、「銀行から預金小切手を貰って帰ってきた」などと話していたからである。

 しかも、幹部が社長周辺にそれとなく尋ねると、何と、社長自身が「あれはオウムの金だよ」と明かしたというのだ。

 さすがに、社長はそれ以上は説明しなかったが、幹部は「麻薬の代金にしては金額が大き過ぎる。きっと坂本事件のお礼だなと思った」と、捜査員に話している。

 捜査当局は、これらの供述内容が極めで具体的であるうえ、論理的に矛盾がなく信頼性が高いことから重視した。ただ、この幹部が上部組織とトラブルを起こしているため、慎重に裏付け捜査を進めた。

 周辺の聞き込み捜査などから、上部組織の組長と麻原被告らの3者会談が行われたことも突き止めたし、社長が持っている都内の銀行支店の口座を割り出し、オウム関係者からの入金も確認できた。

 また、坂本宅のポラロイド写真を積んでいた車は、上部組織のフロント企業の社長が所有していることも判明した。

 さらに、坂本弁護士宅付近で目撃された京都ナンバーのワゴン車の所有者が、この幹部の上部組織と関わりがあり、坂本事件の直前、そのフロント企業周辺に駐車していたことも分かった。

 しかも、そのフロント企業には早川、新実被告らが出入りしていたのである。

 まだある。

 驚くべきことには、この幹部が勢力を持っていた地方で、村井幹部を刺殺した徐裕行服役囚との接点が出てきたのだ。

 徐服役囚が村井暗殺を引き受けた動機の1つは、多額の借金と見られているが、捜査当局の調べによると、その借金の原因となったイベント失敗の舞台となった場所がその地方であった。

 そのうえ、捜査当局が徐被告のバックにいると見ていた別の暴力団組長の拠点がすぐ近くにあり、接触があった可能性が出て来たのである。

 その組長こそ、捜査当局が「多額の報酬で村井暗殺を請負い、徐の借金の裏保証をする代わりに、暗殺を行わせたのではないか」と睨んでいた人物であり、供述した幹部とは同じ組織の系列であった。

 さて、このようにオウム真理教と暴力団を結ぶ捜査は着実に進展し、照準は絞られつつあったかに見えた。

 ところが、この捜査は突然、打ち切られてしまった。

「いよいよ、坂本事件の真相究明ができると張り切っていた矢先に、暴力団関与説を唱えていた幹部や捜査員が次々と、人事異動で捜査から外されたり、発言を封じられるようになったんだ。内部でつい、暴力団の話でもしようものなら、上司から『今さら何を言い出すんだ。あれはオウムに決まっているだろう』と一喝される始末だ」

「現場の捜査員の間では『暴力団を叩き演す絶好のチャンスなのに、どうして止めるんだ』との声が高かった。直属の上司は我々の話を理解してくれ、意見具申してくれたようだが、かなり上の方の考えらしく、どうにもならなかったらしい」

 現場の捜査員たちからは、こうした不審や不満の声が漏れたが、上層部の方針は変わらなかった。

 神奈川県警磯子署の坂本事件捜査本部は既に、昨年[1995]11月に解散している。打ち上げ式では、未だに「本当にあれでいいのかな」と漏らす捜査員もいたという。

 これだけの有力情報がなぜ、封印されてしまったのであろうか。


以上で第2章終わり。下記の第3章に続く。

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