聞き書き『爺の肖像』13

●13 九州2

 九州には1、2年いた。「いじめ」にあい、喧嘩ばかりしていたわけでもない。遊びと実益を兼ねて近所の子供たちと山芋掘りに行ったりした。道具は手製である。敗戦時処理に困った旧日本軍の鉄砲などが埋められていたのを掘り出して、手頃なのを鍛冶屋で叩いてもらって道具にしたのである。長い立派なのを掘り出せばちょっとした英雄であった。まだまだ食糧難の続いていた時代であった。

 こんなこともあった。

 その頃に子供用の自転車はそうはない。一般庶民の子供は大人の自転車に無理矢理乗るのが当り前だった。大人用の自転車も今のような形ではない。ハンドルとサドルを1本の鉄棒が繋ぐもので、かなりの高さの横棒を跨いで乗るので女性にも不向きである。ハンドル、サドル、ペダルを結ぶ鉄棒が三角形になるので、上の棒を跨がず三角形に片足を突っ込んで自転車から上半身が片方に生えたような格好でペダルをこぐのを「三角乗り」と言った。

 爺は兄の自転車に乗ろうとしていた。三角乗りではなく、跨ろうとしたようである。遊び仲間の年長の子に従い、乗るための足場を石で積み上げていた。統制が取れていなかった。まだ爺が大きな石を抱えているのに、相方が手を離してしまい小指が挟まれた。あっという間に先が潰れた。痛い。痛いが、親に言うとこっぴどく叱られる。爺は赤チンをつけポケットに手を突っ込んで指を隠して痛いのを我慢した。

 親が気がついた頃には小指が少々短くなっていた。

(オヤジ、と呼ばれる年頃の今、揉め事の際に爺が黙って手を差し出せば、先方が勝手に解釈して引き下がってくれるかもしれない。少々半端な長さではあるが。)

聞き書き『爺の肖像』14 東京