『電波メディアの神話』(2-4)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第二章 「公平原則」の玉虫色による
民衆支配の「奇術」 4

「不偏不党」を守れと力説する大学教授

「不偏不党」に関しては数年前におどろいたことがある。メディア論を専門的とする某教授(大学教員とする方が正確だろう)が、新聞の現状を批判する趣旨の新聞投稿のなかで、「新聞は不偏不党を守れ」という趣旨で力説をしていた。どう読んでも「不偏不党」の歴史を知ってのうえでの論議とは思えない文脈であったが、その後、ある新聞労組の集会に参加したところ、そこの労組役員がやはり「不偏不党」を絶対的に正しい立場だと思いこんでいるのがわかった。ただし、かれらの主張の趣旨そのものは不当ではなかった。メディアが政府発表どおりの報道ばかりしているので、それに抗議し、「不偏不党」の立場を守れともとめる趣旨であった。

「不偏不党」の四文字は、たとえば手元の岩波書店の国語辞典では「どの主義・党にもくみせず、公正中立の立場をとること」と説明されている。いかにももっともなことのようである。だがこれを、新聞が守るべき基準であるかのように論ずるとなれば、そこにも大変な問題がひそんでいるし、歴史的事実に照してみると、さらに誤解もはなはだしいことなのである。または、誤解ではあっても「不偏不党」の立場を守れと要求されるほどに、現在のメディアが露骨な体制擁護をしているといえばいいのであろうか。

 たしかに「不偏不党」の字面そのものは「どの主義・党にもくみせず」であり、先の辞典の注釈の前半はそのとおりのよう思える。だがまず、実際にそういう立場がありうるのかという疑問もあり、ましてや言論をこととする新聞が、裁判所の建前のような「公正中立の立場をとること」をめざすのは、はたして正しいことなのかどうかが問われなければならない。理論的には、こういう立場はありえないのである。しかも実際に、歴史的事実経過から判断すると、「不偏不党」が新聞社の編集方針として唱えられるようになったのは、政府のみならず暴力をこととする右翼団体までがくわわった圧力に、新聞社が無残きわまりない姿で屈伏した結果だった。


(5)米騒動と日本新聞史上最大の筆禍「白虹事件」