『電波メディアの神話』(9-1)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

終章 送信者へのコペルニクス的展開の道 1

自らを組織してこそ本物の電波メディア主権者

 最後に一番重要な問題は市民の組織化である。日本だけでなく世界中の個々の市民がオランダの市民ににならって、まずは電波の主権者としてのみずからを組織しなおすことである。それなくしては、真の言論の自由も平等もないし、「四年に一度だけだまされる権利」とまで酷評されている現代の議会政治を改革する可能性もみいだせない。

 理論的には電波メディア主権の「地動説」確立が必須条件である。しかし同時に、市民の側からの自主的な運動なくしては、いかなる理論も自己満足におわり、独善からさらには偽善に堕落する。数の上でも圧倒的多数の市民が同時に、理論的にも確信をもって組織運動にたちあがることが必須条件だ。それなしには、国家独占資本総体のメディア独占への、あくなき衝動をおしとどめることは不可能である。メディアはいまや国家独占資本による政治支配を維持するための最大の武器なのだ。

 私自身はというと、一九八八年に不当解雇事件を裁判所の職権和解で解決して日本テレビ放送網(株)を退職した。現在は一市民の立場である。ジャーナリスト会議やPKO法違憲訴訟の会の運営委員になったり、そのほかにも数えきれないほどの市民運動組織に参加している。本書の内容と一番密接にむすびつく活動は、湾岸戦争をきっかけに結成された民衆のメディア連絡会」(年会費二千円)の世話役である。

 この会は、すでに第五章で紹介した一九九一年末の「民衆のメディア国際交流91」を成功させたのち、参加者の有志十数名から再出発したもので、以後、毎月の例会などをつみかさね、現在百数十名へと会員数をふやしている。意識的な会員拡大運動は一切していない。月一回弱の例会とニューズレターの発行だけで、ひとづてに知った市民や企業所属のジャーナリスト、研究者がみずから連絡をとって参加してくるのである。


(2)湾岸戦争からつづいて発展する「民衆のメディア連絡会」