『電波メディアの神話』(10-1)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

[資料1]椿・前テレビ朝日報道局長の発言[全文]

一九九三年十月二十二日、衆院政治改革調査特別委員会から公表された民放連第六回放送番組調査会(清水英夫委員長)の議事録中、椿貞良.前テレビ朝日報道局長の発現内容は次の通り。

 日時 平成五年九月二一日(火)午後四時~六時

 場所 千代田放送会館・特別会議室

 概要

 第六回放送番組調査委員会は、「政治とテレビ」をテーマとして取り上げた。政権交代という事態が出現した今回の衆議院選挙では、テレビが重要な役割を果たしたとも言われているが、テレビが演じた役割とともに、今後の政治報道のあり方について検討を行った。

 議事は、最初に、外部から見た政治とテレビについて、清水委員長から約十五分の報告、次いで、一連の報道を行った立場から、椿テレビ朝日報道局長の報告が約二十五分あり、これをめぐって意見交換を行った。

〈出席者〉

【外部委員五人】清水英夫・青山学院大学名誉教授(言論法)▼半藤一利・文芸春秋社常任顧問▼小玉美意子・江戸川大教授(マス・コミュニケーション論)▼横川和夫・共同通信論説委員兼編集委員▼渡辺眞次弁護士

【内部委員七人】萩原敏雄・日本テレビ編成局長▼宮本幸一・ニッポン放送編成局長▼古川吉彦・テレビ朝日取締役▼加藤哲夫・関西テレビ編成制作局長▼林原博光・TBSテレビ編成局編成部専任部長(代理出席)▼重村一・フジテレビ編成局長代行兼広報室長(同)▼工藤卓男ニアレビ東京編成局次長(同)

【民放連】松澤経人専務理事

【特別出席】椿貞良・テレビ朝日報道局長一当時)

[開会]

清水 定刻になりましたので、ただいまから第六回放送番組調査会を開催いたします。

 本日は、千代田放送会館で初めての会議でございまして、気分を新たにしてご審議いただきたいと思います。本日のメインの議題は、既にご承知いただいておりますように「政治とテレビ」でございますが、本日は特にテレビ朝日の椿報道局長にご出席いただいてご報告をお願いいたします。

 それでは、早速議題に入りたいと思いますが、「政治とテレビ」の関係について私が記憶したものだけでも、この問題に関するいろいろな論議が今回ほど交わされたことはないのではないかと思うのです。今日はそういうことを、雑誌「放送批評」にお書きになりました小玉委員のレポートもございます。

 そういう、なぜいま「政治とテレビ」というのが問題とされなければならないのかということについて、今日は外部委員のほうから率直な疑問を提出していただきますと共に、内部委員のほうからいろいろな実情についてお教えいただきまして、その後、全員で議論していきたいというふうに思っております。

 それで前回の取り組みと違いまして、外部委員からの報告と言いますか、問題提起として、私が指名されましたので私のほうから簡単に十五分ほどお話をさせていただきたいと思います。

 その後、椿局長にお話をいただきたいと思います。

[報告1]「政治とテレビ」(清水)=略=

[報告2]「政治とテレビ」(椿)

椿 テレビ朝日の報道局長の椿でございます。よろしくお願いします。私はずっと報道の現場にドップリつかっているわけで、他の系列と激しい競争をしている内部の人間でございますので、それが、今回の選挙を含めて、政治の動きについて感じたことを報告させていただきたいと思います。

 一応三つのレジュメを用意してありますので、それに従ってやっていきたいと思います。

 何度か朝日新聞のメディアのページに「変わる政治報道」という記事がありまして、その冒頭に「細川政権は一部では“久米宏、田原総一朗連立政権”とも言われている」と書かれているわけなんですが、私、九月の頭から十日間余り中国へ行っていまして帰ってきて初めて読んだんですが。

 調べてみますと、これ大前さんが半分郡楡(やゆ)を込めて書かれたらしいんですが、言われたらしいんですが。私としましては、細川内閣が“久米、田原連立政権である”ということは非常にうれしいことであり喝采(かっさい)を叫びたいと、(笑い)そういうふうにまず感じております。

 私どもの局のことをしゃべるのはあんまり快しとしないんですが、はっきり一言いましてここ二、三年、私どもが放送しております「ニュースステーション」、それから、久米宏に対する風当たりというのはほんとにひどいんです、はっきり言いまして。もちろんそれは自民党側なんですが、それはまあヒステリックと言うよりは、もう僕はやはり暴力的なものであったというふうに考えておるわけなんです。

 例えば、昨年山下厚生大臣が、「『ニュースステーション』のスポンサーの商品はボイコットすべきである」というような発言がありまして、それ以来いろいろなレベルを通じて、例えば、社長から私の報道局長から、それから政経部長、現場の記者、そういうものに対する風当たりというのは、抗議と言いますかそういうものはもう数えることが出来ないぐらい多いわけなんです。例えば、私どもの前の社長の桑田は民放連の会長でございまして、「去年の事業税の優遇措置を継続していただきたい」という陳情を民放連会長が行く時、「報道局長もちょっとついて来い」と言われてまいりますと、その民放運会長に対する不満じゃなしに、-民放連会長としてもちろん行っているわけなんですが、-出てくる話は「ニュースステーション」に対する不満なんですね。「よく、どんな面下げてここへ来たか」とか、「お願いお願いでなんだ」とか、これは民放連の専務理事もいろいろご経験なさっていらっしゃると思うんですが。立派な自民党の先生方のおっしゃることというのはまったく腹立たしい感じがいたしました。

 そのピークがやっぱり自民党の梶山幹事長が、ご承知のように、テレビに出ようと言って「ニュースステーション」スタジオに来まして、その際、久米宏が、「ずーっと釈然としなかったんですが、この際お聞きしたい」という前を振りまして、「梶山さんが通産大臣の時に、自動車メーカーのトップを集めてニュースステーションのスポンサーを降りることを求めたという報道が一部でありますが、それはほんとうのことですか」というような質問をしたわけなんです。このあとその自民党の梶山幹事長周辺、それから、自民党関係者のわれわれに対する圧力たるやそれはもう大変なものでした。

 私どもの記者はまったく幹事長室への立ち入りは禁止されましたし、「選挙期問中の梶山幹事長の出演は辞退せよ」ということが上から下りてまいりますし、それから、説明に行った政経部長が一時間も放置されて会えないというようなこと、はっきり言いまして、公党の幹事長が行うような行為ではなかったというような印象を私は持ったんです。

 それ以前のことなんですが、郵政省の電波関係の幹部が新任のあいさつで私の社にまいりまして、その際、「自民党が『テレビ朝日のニュースステーションはけしからん』と言っている。『偏向しているからなんとか監督官庁として言わないとだめだ』というふうに言ってきておりますよ。選挙期間中はご注意なさったほうがいいですよ」というふうにもっともらしく警告された場面があるわけなんです。いわば政官界の癒着した、なんと言いますか、われわれに対する、“ニュースステーションたたき”なんて言わないですが、あきれるばかりでした。

 そういう意味で私どもは、はっきり言いまして私、-「私」と言ったほうがいいかもわからないんですが、-「今度の選挙は、やっぱし梶山幹事長が率いる自民党を敗北させないとこれはいけませんな」ということを、ほんとに冗談なしで局内で話し合ったというのがあるんです。もちろんこういうことは編成局長には申し上げてはありません。これは放送の公正さをきわめて逸脱する行為でございまして。(笑い)

 ただ、私どもがすべてのニュースとか選挙放送を通じて、やっぱしその五五年体制というものを今度は絶対突き崩さないとだめなんだという、まなじりを決して今度の選挙報道に当たったことは確かなことなんです。

 田原総一朗さんが「文芸春秋」に書いておりますが、やはり、田原さんが宮沢さんとのインタビューでああいうものを引き出したことは僕は快挙だと思います。おとといのTBSの「報道特集」はまだあのテロップを使っていらっしゃるわけなんですが。まるでテープの画面がこすってこすってすり切れているような感じがしたのを覚えているんですが、あのテープは私どもはすべて民放に開放いたしました。

 ただ、NHKは「欲しい」と言って来なかったんです。これは不思議なことだと僕は思っているんですが。だから、ほかのNHKの政変に関する報道がいま一つ精彩がなかったのはこの辺りに原因があるのではないかと私は考えているわけなんです。

 ご承知のようにテレビはここ数年間、要するに世界の激動と言いますか、世界史的な事件を実に事細かに、たいへんな迫力を持って、それから、感動的にまた伝えてきたと思います。

 ご承知のように、キプロス島で始まった米ソ首脳の協調。それから、東ヨーロッパの共産圏諸国の動き。それから、ベルリンの壁の崩壊。そして、ロシアの一連のクーデターの報道。それから湾岸戦争と。このように第二次大戦の東西対立の枠組みを次々と根底から突き崩すような映像をリアルタイムで家庭の茶の間にずーっと送ってきたわけなんです。それもやはり日本の視聴者はみんなこれを見ていたわけなんです。

 当然のこととして、こういう三年間なり四年間の問に、日本の視聴者はきわめて知的な成長を遂げたと僕は思うんです。その視聴者たちが振り返ってみて、日本の旧態依然とした自社対立のまったく不毛な政治状況に対してこれに不満を持ち、「それは変えないとだめなんだ」と考えるのは僕は当然のことだったと思うんです。

 それと同時に、制作する側も、この五、六年の間に、そういうものに実際に接してやっぱしずいぶん変わってきたし、僕はずいぶん学んできたと思うんです。

 例えば今、私どもの現場で働いている記者、ニュースディレクター、「ニュースステーション」の担当のディレクターとか、「サンプロ」(サンデープロジェクト)の担当のディレクターなどは、まったく五五年体制なんていうのを知らない人たちばかりなんですね。もうこういう連中が大いにやっぱし力をつけてきたと思うんですよ。例えば、テレビ局が今や独自で世論調査が出来ますし、ボイスリンクという機械を使って、視聴者の反応をリアルタイムで番組に反映させることが出来ますし、それからファクスを使って視聴者の声を集めることもできる。そういうものを武器にして実に勇敢に、よく勉強して今度の場合は頑張ったと思います。

 それにしましても、その自民党の守旧派という方々のズレと言いますか、バカさ加減というのはあきれ返るほどうれしかったことは事実なんです。

 例えば、梶山幹事長と佐藤孝行総務会長が並んで座っていまして、何かヒソヒソと額を寄せて話しているとか薄笑いを浮かべている映像を見ていますと、まだ、あの時代劇の悪徳代官と、それを操っている腹黒い商人そのままなんですね。そういうものをやはりわれわれは家庭に送り出すことが出来たし、茶の間一般の受け取る視聴者はそれをはっきりと見てきたわけなんです。

 どこかのコラムが書いているんですが、「梶山さんがテレビに出るのはいいが、この人の口から“清貧の選挙”とか“滅私”なんていう言葉が出てくるとほんとうに顔を見てしまいたくなる。梶山さんが『名を惜しめ』とか『おのれをむなしうするな』などと軽々とおっしゃるんだけれども、どうしてもそんなふうなことは考えられない。テレビジョンというメディアはほんとうに恐ろしいということをやっぱり梶山さんは知るべきだ」と、どこかのコラムが書いていたんですが、実際ほんとうにそう思いました。

 それから、朝日新聞の七月二十四日の社説が、「現実政治が社説の先を行く」という文章を書いているわけなんですが、「『政治なんて新聞の社説のようにわからない、うまくいかない』、こういう言葉が永田町で繰り返されてきたけれども、現実はそんなものではなかったんだ」という、自戒を込めて書いているわけなんですが。やはりここ半年、一般のテレビの受け手と言いますか、送り手はずっと先を進んでいたと思います。

 もちろんその梶山さん、佐藤孝行さんという貴重な存在があり、自民党の敵失もあってきわめてラッキーだったんですが、五五年体制を突き崩して細川政権を生み出した原動力、主体となった力はテレビであると私は確信しています。久米さんもそれから田原総一朗氏も私どものテレビをべースにして、この期問全力投球をしたわけで、その意味で細川政権が“久米・田原連合政権”と言われることについて、私どもは大きな勲章だと思い非常に誇りに思っているわけであります。それが一番目の部分でございます。

 第二にまいります。

 選挙、今度の細川内閣が成立しまして、私どもの自民党を担当していましたベテランの記者に聞いてみたんですが、選挙制度の改革の挫折があって自民党が分裂して、不信任案が通って、それで選挙になって政権交代が行われたんだと。「このうち予測出来たのはどこまでか」と聞いてみますと、選挙制度改革の挫折までしか連中は予測していなかったんですね。これは「実に恥ずかしいことだ」と僕は言ってやったんです。

 五五年体制にドップリつかって、なんかもう、連中はほとんど“政治バカ”になっていたんですね。自分たちのメディアが作っている風が吹いてきていることをやっぱり連中が気がつかなかったということは、きわめてわれわれは反省すべきことですし、なんか皮肉なことだと思うんです。

 毎日新聞の七月二十八日の紙面で、「広告批評」の編集長の島森路子さんが「空気を伝えたテレビ」という記事を書いていらっしゃるんですが、彼女が書いてますように、やはり自民党の両院議員総会のテレビ中継というのが今回の政変を左右したと言いますか、大きなエポックだったと思います。

 もう皆さまご覧になっていて何も説明する必要はないんですが、あそこに出てきました四十三人の発言者が、実にストレートに、政治につきものの権謀術数に満ちたわかりにくい持って回った言い方をしないで、派閥の長を「お前はC級戦犯だ」とか「A級戦犯だ」とか遠慮も気兼ねもなくしゃべっていく。それを梶山幹事長が怒りに震えながら、「総裁を選出する会合のネーミングを変えればいいのかな」と怒鳴っているわけなんですが。

 やはりあれを見ていますと、「ほんとにこの人たちはその時代から取り残されているんだなあ」というような印象を、ほとんどの茶の間の視聴者が持ったと思うんです。あれは自民党のお葬式だったわけなんですね。

 もちろん翌日の新聞もてん末をかなり細かく報道しているわけなんですが、やはり生でああいうものを送り出したテレビにはどうしてもやっぱり勝てないわけなんです。

 要するに、あの場面が政治の新しい風を僕は伝えたし、あのテレビがやっぱり政治の新しい風そのものだったと思うんです。

 田原さんの「文春」の記事に戻るんですが、さきがけや日本新党が選挙のあと、一時自民党に傾斜して自民党と連立政権を組もうとした動きをチェックしたのは、今、清水先生は「NHKの放送討論会だった」とおっしゃいますが、僕は違うと思うんですね。やはりあれは民放の「サンプロ」であり、その前にあるフジテレビの番組だったと思うんです。

 これはきわめて、-これはあんまり編成局長には私、申し上げてなかったんですが、-六月の終わりの時点から私どもの報道は、「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」というような、-指示ではもちろんないんです、-そういうような考え方を報道部の政経のデスクとか編集担当者とも話をしまして、そういう形で私どもの報道(放送?)はまとめていたわけなんです。それがいま吹いている“政治の風だ”というふうに私は判断し、テレビ朝日の報道はそういうふうに判断をしたわけなんです。

 もちろん、こんなことは編成局長にご相談しますと、これはもうたちどころに怒られることがわかっておりますので、まったくこれは編成局長には相談しておりません。そういう形で私どもはあの一連の報道をいたしました。

 ご承知のように、衆議院選挙、例えば、海江田さんとか栗本慎一郎とか、もう事前の準備もなしに当選しましたし、それから、奈良の高市早苗さんとか簗瀬進さんなんていうのは、かつての政治状況では当選などまったく及びもつかなかったと思います。これは、彼らの当選はもちろんテレビのお陰です。

 それから、新党とさきがけと新生党の三つを合わせて百三議席になって社会党を上回る勢力になったのも、これも僕はテレビの報道の結果だと思います。

 それは皆さまもご覧になっていてそういう印象を持たれたと思うんですが、例えば、細川さんもお殿様みたいに飴蕩(たいとう)と悠然たる風格があるし、羽田さんは政治改革一本やりできわめて誠実でまじめな印象があるし、武村さんはムーミンパパで、どれも明るくて、なんか弱々しいけれどもウソはつかないし、きわめてフェーバブルな好ましい印象をみんなが持ったと思うんです。

 ところが、自民党の梶山静六および佐藤孝行に代表される連中のイメージというのは、それは料亭であり、カネであり、なれ合いであり、談合であり、恫喝(どうかつ)だったと僕は思うんです。で、どちらがいいか、どちらに軍配を上げるかは僕はやはり自明ではなかったかというふうに判断しています。

 今度の衆議院選挙では、民間放送・民放の当選速報のミスがございました。今、清水先生のご指摘のあったとおりです。候補者の数にしまして十人、延べ十七人のミスをしております。そのうち私どものANN系列はワーストワンでございまして、六人のお手つきをやり三分の一を占めているわけで、きわめて不名誉な記録でありまして、恥ずかしく大いに反省をしておるんですが。

 これもまったく私見なんですが、まるで新聞が鬼の首を取ったように威張って、「テレビ朝日が六つも間違えた、日本テレビは四つも間違えた」とか、そういう報道をすることは僕はないと思うんですよね。

 というのは、テレビは時間の流れをやっぱし伝えていくもんであって、その流れを伝えていく過程によって間違いがあればそれは当然訂正していくわけですから、そういうことは僕は恐れる必要はないと。そういう意味で、清水先生のおっしゃるように、“誤報”とは僕は取らないわけです。これは強がりを言うわけじゃございませんが、“予測のミス”だというふうに僕は判断しているわけなんです。これまで申し上げたことは非常に雑駁(ざっぱく)でいろいろとご批判を受けることはわかるんですが、確かに、政治家というのはきわめてトリッキーですし、政治はもっとシビアなことはよくわかっています。でも、一九九三年のあの時点においては私たちは「十分にやった」という自負を持っています。

 なにしろテレビはやっぱし政治を面白くさせたんですから、それと同時に、視聴者の意識というものはたいへん高くなっていると思います。大体、マイクを向けますと、視聴者のほとんどが田原さんが言っているようなことをやっぱしみんながしゃべるわけですから、これは僕は大変なことだというふうに思います。

 最後に、テレビの政治報道は当然変えていかないとだめだと思います。細川さんが総理大臣になって最初の記者会見があったわけで、その時、細川さんは立って質問に答えていくわけですね。ところが、質問する記者はベタッといすに座ったまま質問しているんです。それでこれは、こんなおかしいことはないです。僕は、かつてクラブの記者に厳しく注文したんですが、やはり当然立って質問をすべきであって、なんていうか、自分たちが正しい情勢を、状況をつくり出しながら、それに対応できないような記者の姿があそこにあるんですね。「これはもう絶対にだめだ」というふうに、私はうちの政経部長以下に厳しく警告いたしました。

 それから、「オフレコの取材はするな」というふうに言い渡しています。それから、「派閥の取材も必要はない」と、「懇談に出る必要もない」というふうに言ってあります。「どうしても夜回りに出るんだったら、8ミリのホームビデオを持って行って、夜回りの状況をそれに写して持って帰って来い。それを放送しましょう」と、これは絶対に実現させたいことであります。

 私もずっと昔、国会を担当していまして、最初、野党記者につけられまして社会党クラブに入りまして、社会党クラブというのは朝の十時半になると、国対委員長が来まして国対の会見をやるんですが。それに対してカメラを入れたんです。そうしましたら新聞から、-もちろん新聞だけではなしに、-ほかの電波の仲間からも総スカンを食いまして、私はその場で除名になった記憶があるんですが。やはり映像とか音にならないような取材は政治報道の場合、してはならないというふうに僕は決めていきたいと思うんです。

 ニュースソースを明らかにすることの出来ないような懇談というのがいままでずーっと横行していたわけなんですが、僕は完全に政治報道の質を落としたと思います。例えば、オフレコとか、懇談の場所に出ていますと、記者はずいぶん偉くなったような顔をするんですね。だから「それは錯覚だ」と言うんですが。

 例えば、派閥のいろんな情報のメモを局長にも見せないような不坪(ふらち)な連中がいまして、そういうのは五五年体制が崩壊するとともに私は配置転換をすべきだというふうに考えているんです。要するに、普通の生活者の目線と言いますかスタンスで政治記者の取材にあたらないとだめなんです。記者の意識を変革する、改革するいちばんいい時期が今来ていると思います。そうしますと、長時間の労働とか拘束時間が解消されるわけで、これはうちの労務からもほめられるというふうに考えております。

 それから、記者クラブに外国のプレスをもっと入れないとだめだと思います。いままでの会見というのは教えていただくというような感じなわけで、記者会見の場で堂々と相手に論戦をする必要が今あるわけで、それは外国プレスを入れることによって日本人記者がさらに資質を向上させることができるんだと私は思います。

 それから、政治家が出る番組をますます増やしていきたいと考えます。自民党の新井将敬氏がどこかの新聞で書いておるんですが、「テレビの討論会は議会と同じだ」と言っていましたが、これはきわめて至言だと思います。ただし、「私どもは中立な立場で整合性を求め、発言機会の公平さを重視する」、これはNHKも書いておるんですが、そういうようなNHKの立場は採りません。やっぱし聞きたい点をいかに掘り下げていくかということがそれが視聴者が求めていることだというふうに私は考えます。

 選挙が終わりました翌日のゴールデンタイムに私どもは、二時間の田原総一朗の激論特集を組みまして、同じ時間にNHKも同じ種類の番組を組んだわけなんですが、テレビ朝日のほうが視聴率が高うございました。私どもの番組は決して公平ではなかったんです。むしろ、「公平であることをタブーとして挑戦していかないとだめだ」というふうに私は考えます。いくら政治家がトリッキーであっても、ずーっと映像をだますことはできないということが私の信念です。

 それから、「テレビのワンシーンは新聞の一万語に匹敵する」というのも私の信念です。そういう立場でこれからの政治報道をやっていきたいと思います。それから、私ども今、まずやらないとだめなことは、議院証言法の再改正を求めることです。民放連の放送委員会としまして、間もなく具体的な申し入れをする予定であります。

 私の報告は以上です。


[意見交換での椿前局長発言]

 司会(清水) どうもありがとうございました。

 意見交換(十二人の委員の意見交換は匿名で記載されている。略)

 司会 メインスピーカーの椿さん、どうぞ。

 椿 やっぱしこんな大変な会でございますので、それなりの意気込みを持って私はしゃべらせていただきます。(笑い)

 公正であるということ、そのフェアネスの考え方というのが当然時代とともに動いていると思うんです。動いていなくちゃ僕はだめだと思うんです。

 はっきり言いまして、今度の選挙に関する限り、今度の一連の選挙運動報道に関する限り、「われわれはやっぱし五五年体制を突き崩さないとだめなんだ」というところに視点を置いてものを作っていったわけですから、そういう意味合いからいけば、例えば、何度も何度も私は文句を一言われ、それから「赤旗」にも書かれたんですが、やはりああいう場面で、共産党に対してその公正な時間を、公正な機会を与えることはかえってこれはフェアネスでなくなるというふうに僕は判断するわけなんです。

 それと同じように、例えば「自民党から別れた特定の候補者に肩を入れすぎる報道をしたじゃないか」というのも、当然、それがいちばんの今度の焦点であり、連中はやはりいちばん“時代の風”と言いますか、今吹いている風を受けて出ているわけですから、その連中に対する時間が増えるということは、僕はかえってそれはフェアネスであることだというふうに考えるわけなんです。

 それから、それはもちろん報道局長がいろんなものを選考してやっていくわけではございません。例えば今度のその一連の報道について、例えば、さきほどからあまり問題になりませんでしたが、恐らく皆さま気付いていらっしゃると思うんですが、「小沢一郎氏のけじめについてはそんなにやらなくても構わない。なにがなんでもやっぱりその五五年体制を突き崩すようなそういう形の報道に視点を置いていこう」ということも、それは非常にフェアネスじゃないかもわかりませんけれども、私どもは報道局の現場でやはりみんなと話をして、それから絶対的な空気がそういうふうに流れているという判断をして、だからああいう報道の仕方を取ったわけです。

 それから、Jさんのおっしゃったように、姿勢は明確にすべきだということはよくわかります。例えば、これから私どもが直面するのは、特に「ニュースステーション」が直面するのは、今度の小選挙区制、要するに、政治改革に賛成するかどうかの問題。それから、続いて消費税について、かつては反対の先鋒(せんぽう)に立ったけれどもこれはどういうスタンスを採るかというのは、これは当然われわれはかなりギリギリの選択をせざるをえないと思いますが。

 そのあたりはきちんと明確な姿勢を取って僕は報道していかないとだめだと思います。

 さきほど出てまいりましたが、別に局として、旗幟(きし)鮮明にするということは僕はある時期どうしても必要なことだといま思っているわけなんですが、それが例えば放送法の公正さの問題とかそういうものを引っ掛かるんだかもわかりませんし、また、編成局長を悩ますことになりますので、ここではこれからの課題としてわれわれが考えていこうと思うんですが。

 民間テレビも、それはあらゆることに公平であってあらゆることにいい顔をして報道していくような時代では僕はなくなってきたんではないかと、そんな感じをいま強く持つわけなんです。

 なんか雑駁(ざっぱく)なお答えの仕方ですが、そんな感じをいま持って皆さまのご意見を拝聴した次第でございます。

 それからもう一つ、僕は、日本の視聴者はそんなにバカではないと思うんです、はっきり言いまして。例えば、メディアが変に偏向するなんてことは、僕は日本の視聴者のチェックとそれからバランスというものから見てありえないというふうに僕は感じます。日本の視聴者というのはやはりかなり賢明になったし、いろいろ国のことがきちんと判断できるような時代になってきていると、そんなふうに僕は感じます。

 司会 どうもありがとうございました。

 私の見るかぎりに、いままでの調査委員会の中で最もコントルバーシャルな会であったのではないかと思います。その問題提起を椿さんがしていただいて、ありがとうございました。

 (意見交換つづき略)

 司会 それでは、大体時間が六時になりました。公正さの問題が今日は中心になりました。

 結局、要するに多メディア時代の公正とは何かということが、実はまだあんまり議論されていなかったというそういうことを今日は実感いたしました。

 ですから、日本のメディアというのは昔から不偏不党・公正中立というのが何か神託のように受け取られてきたのですが、一つ一つメディアがそういう公正中立を目指すというと、みんな同じようなメディアになってしまうので、多メディア時代にあっては、やはり局の特色があっていい、あるいはメディア相互の論争があってもいいんではないか。そういう、-あるいはメディアの中の論争があってもいいんではないか、そういうふうに、要するに、非常に複雑な過程の中で公正さというのが実現していくのではないかなあと、そういうふうに感じたわけであります。(『朝日新聞』一九九三年十月二士二日付より)


[資料2]椿・前テレ朝長証人喚問の主な内容