『電波メディアの神話』(2-3)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第二章 「公平原則」の玉虫色による
民衆支配の「奇術」 3

無自覚または中途半端な「不偏不党」論議

 戦前の「公共性」については、当時の放送の実態が周知なので論ずるまでもないだろう。

 現行放送法では「不偏不党」という用語の方が「公平」よりもさきにでてくる。しかも、この用語がメディアの世界に登場した歴史的事実そのものが、日本における「公平原則」の政治的本質の見事な説明になるので、これをさきに紹介しよう。

「希少性神話」からみちびきだされた「公平原則」に、なぜかひっそりとよりそう古めかしい漢文風の四文字、「不偏不党」、これが第一のキーワードである。

 この用語の歴史的問題点は、メディアの研究者には周知の事実である。

 歴史をたどれば簡単に、新聞にはじまった「不偏不党」の毒素が放送にもただちに注入され、国家権力ないしは国家独占資本によるマス・メディアへの、真綿で首をしめあげるような手かせ、足かせ、首かせの役割をはたしてきたことが明瞭になる。ところが、ここでも驚いたことに、そこまでせまろうとする意欲をみせた論評は「ほぼ皆無」だった。

 もう一度強調しておきたい。椿舌禍事件報道であれだけ書きたてられた重要なキーワードの意味の謎をとくために、核心的な歴史的事実にさかのぼろうとした努力は、「ほぼ皆無」だったのだ。メディア論が専門の研究者なら、うすうすは事情を知っているはずなのに、みながみな、日本ないしはアメリカの現行放送関連法規の掌のうえでの議論のみに熱中しているかのようであり、なぜかだれ一人として日本の言論史の裏側のドス黒いカラクリをあばく勇気をふるおうとしなかったのだ。

 歴史的事実にさかのぼる努力を「ほぼ皆無」としたのは、わずかに『アエラ』(93・11・1)の事件特集の最後に、「金看板の起源/『不偏不党』は敗北宣言だった」があるからだ。しかしこのたった一ページ分の記事内容のほとんどは、これからくわしくのべる大阪朝日の筆禍事件にさかれており、ページの欄外左肩にきさまれた「テレビ/歴史」という項目表示に相当するようなテレヴィないしは電波メディアの「歴史」に関する記述は皆無」だった。それではせっかくの歴史発掘も生きてはこない。また、たった一頁の割りつけでは、最初から意をつくすことが不可能だ。非常に残念なことだが、とりあげ方も取材の努力も中途半端で、表面をなでるだけに終わっていた。のちにその危険をくわしくのべるが、これでは、現状のままの大手によるメディア支配を許したままで、「公平原則」廃止へと世論を誘導する策略とえらぶところがなくなる。


(4)「不偏不党」を守れと力説する大学教授