ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ(その4)

ユーゴ戦争:報道批判特集《特別緊急連載》

情報収集と分析に当たっては「味方」をも疑え

1999.8.6

 1999.7.31。私は、炎暑(摂氏36度)のニューヨーク市を訪れ、「NATOを裁く独立国際戦争法廷」に参加した。開廷前から終了に至るまで、すべてをヴィデオ収録してきた。本誌でも別途、「ユーゴ戦争特集」の単発記事によって報告を続ける。本連載の方では、それ以前からの経験と、さらには法廷前後に垣間見た部分的な事実を手掛かりとして、アメリカの市民運動における情報収集と分析の状況を、一応、論じてみることにする。

 時系列では逆になるが、具体例の最初と言うよりも唯一無二の課題として、最新の「ラチャク村『虐殺』報道」を取り上げると、「NATOを裁く独立国際戦争法廷」を準備中の国際行動センターでは、フランスでの放送による疑惑報道、ドイツにおける「強い苛立ち」報道の存在についての短いコメトが得られた。この2つは、私にとっての新情報だったが、基本的な情報収集と前後関係の分析においては、私の方が優っていた。

 簡単に言うと、日米ともに、市民運動の情報収集と分析の能力、理論的水準などに、それほどに決定的な差は見られない。場と量の違いはあっても、質的な差と言うべきほどの問題ではない。この件で「私の方が優っていた」のは、私が、「ラチャク村『虐殺』報道」を目玉に取り組んでいたからに他ならず、このことは、私の持論の「脳ミソは個人所有」理論の正しさの証明でもある。組織の大きさは質を保証しないのである。そこから出てくる基本思想は、「情報収集と分析に当たっては『味方』をも疑え」となる。

 特にアメリカとの関係を改めて考えてみると、私がこの10年程関わってきた「湾岸戦争」「カンプチアPKO」「ホロコーストの嘘」「ゴラン高原出兵」などは、すべて、アメリカの世界政策に深く根ざしていた。だから、上記の評価基準、「情報収集と分析の能力、理論的水準」などを、具体的事例に基づいて比較検討することは、他の問題以上に容易である。

 具体的には、別途「ユーゴ戦争特集:Racak検証(19):仏疑惑報道をN.Y.国際行動センターも感知」に記した。同センターは、パリ発情報で、基本的な疑惑報道の存在を感知していたのである。

 しかし、それは、パリ在住の仲間が訳して送ってきたE-mail情報であって、ホームページに入ってはいるものの、記事の実物のコピーは所持していなかった。また、私が日本の『読売新聞』(1999.1.24)記事で知りえた仏3紙の内、『ル・フィガロ』『ル・モンド』の2紙だけで、『リベラシオン』は入っていなかった。パリ在住の仲間は、『リベラシオン』記事の存在に気付かなかったのかもしれない。

 私は、上記の法廷開催の2日前に同センターを訪れて、上記のE-mail情報の存在を知り、そのコピーを受け取り、次には、私の方が、持参したユーゴ当局の英文『日報』(Servey.1999.1.16)を示して、その当事者発表としての重要性を指摘した。対応した事務局のサラ・スローンは、一応頷いて、私が「どうぞ」と言うと即座にコピーを取ったが、それほど深く重要性を認識したようには見えなかった。2日後の法廷でも、この『日報』は、物的証拠としては生かされなかった。もっとも、7.31.という日程は、いわば開幕式典でもあったから、それほど深い議論が交わされてもおらず、今後の各地での法廷開催に期待をつなぐしかない。

 私自身は、法廷の当日、成り行き次第では、ブロークン・ジャパングリシュで、実物コピーを多数振り上げて論ずる覚悟もしていたのだが、日本の市民運動の場合と同様のテンコ盛りプログラムが押しに押して、会場発言の時間は短くなり、しかも、司会者が「会場からも」と言うや否や、サッと手を挙げたり、立ち上がって踊りながら司会者の注意を引くような熱心な発言希望者が溢れていて、これはとても無理と断念した。

 サラには、もう1つ、日本の共同通信の記事に出てくるラチャク村の死体の鑑定結果発表を説明した。本誌では、次のURLに入っている。

 Racak検証(5)Racak共同全配信、裁判所規定入手
 http://www.jca.apc.org/~atlmedka/ron-25-kyo.html

(1999.8.7.訂正。上記URLの記事は、共同通信記事の全文入手の予告記事でした。記事そのものは、下記のURLに入っています)

 Racak検証(9)共同通信「ラチャク村」事件配信状況
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-25-nif.html

 この記事の重要性についても、物静かなサラの顔色からは、やはり、重要性を認識したという気配は読み取れなかった。他にも何人かに、この鑑定結果発表の記事の話をしたのだが、いかにも市民運動家らしく頷き、さもありなんという風情で、別に驚くでもなく、かなり「スレている」感じがした。

 一番素直に「ギクリ」という感じの厳しい表情を見せたのは、あるフリーの映画制作者だった。彼とは、最後の打ち上げレセプションで誰かに紹介され、メディアの話をしている内に、彼の方が、『パナマ侵攻』の映画を作ったと語った。

「えっ!」と私は本当に驚いた。「日本ではNHKが放映したが、あれか。アカデミー賞を取ったろ?」と聞くと、嬉しそうに頷く。

「あれなら、私は、すぐにNHKに電話して聞いた。アメリカでは放映されなかったが、スペインで放映したので知ったと言ってた」

「アメリカでもTBSが放映した」

「でも、大手(main stream)は放映しなかったろ」

「うん」

 彼は、いささか不満な顔を見せたが、私が内容をほめると、ご機嫌になった。

 その彼だからこそ、「ラチャク村『虐殺』報道」の物語を理解し、強い興味を示したのであろう。私は、彼に、同様の打電が、AP,UPI,AFPなどにも残っているのではないかと示唆しておいた。こちらでも、ホームページの検索で入手できるのかもしれない。共同通信の国内配信記事はniftyの有料頁に入っていたのである。

 これは、いわば同時進行の疑惑調査報告である。私は、サーフィングが下手だから、興味と実力のある読者の協力を仰ぎたい。

以上で(その4)終わり。次回に続く。


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