ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ(その17)

ユーゴ戦争:報道批判特集《特別緊急連載》

「角が立つ」恐れて歪む平和論の矯正法

2000.5.5

 夏目漱石が「山を登りながら考えた」名文句を、わがワープロの当用綴りにすると、「知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。とかく、この世は住み難い」となる。

 ユーゴ「空爆」反対運動においても、私は、「ここでもまたか」の苦い想いで、この格言を噛み締めている。その苦い想いの中心には、私が、本シリーズで何度も強調した「ラチャク村『虐殺』事件」の報道と、その後の経過の反芻作業が陣取っている。

 この件では、ユーゴ「空爆」反対を唱えた勢力の中にさえ、「ユーゴスラヴィアにおける報道によれば」とし、実は、ウォーカー停戦監視団の団長こと、アメリカのゴロツキ外交官の言を、そのまま鵜呑みで「虐殺」と垂れ流し、何度も報道していながら、その後はこの件で沈黙を守り、素知らぬ顔の組織、個人が、ゴロゴロしているのである。

「1周年の締め」が遅れに遅れた個人的事情

 しかし、その苦い想いと、反芻作業の結論を、文章に綴り、インターネットで発表するのが、非常に遅れてしまった。その事情を、最初に述べたい。

 本シリーズは、(その16)以後、書き加える時間の余裕がないままに過ぎていた。(その16)は、「ユーゴ侵略vsチェチェン侵略&カスピ石油パイプライン」と題したのだが、「ユーゴ侵略」そのものへの批判、さらには報道批判の締めにはなっていなかった。そこへ読者から本年3月末に「1周年の締めを」と促された。ユーゴ「空爆」開始は昨年3月24日だった。ところが、本年3月の中旬に、私自身が、ユーゴ「空爆」と比べれば掠り傷でしかないが、有史以来最高、飛散数が極端に跳ね上がった「杉花粉」の大量爆撃を受けた。例年のルーティン治療では間に合わず、急性鼻炎が悪化し、発熱、一週間もの抗生物質投与の危機に晒された。そこでやむなく、別途、その方の「杉花粉・根絶キャンペーン」の泥沼戦争に突入したため、さらに遅れた。

米元司法長官クラーク現地ヴィデオ日本語版完成

 その間、ユーゴ戦争に関して何もしなかったわけではない。日本語版、『NATOの標的~ユーゴ“空爆”の実態』(VHS:30分。3000円)のヴィデオを、湾岸戦争以来の「民衆のメディア連絡会」の仲間の協力を得て完成することができた。原作は、私が、昨年7月31日のニューヨーク「独立戦争犯罪法廷」参加した際、そこから持ち帰ったものである。

 アメリカの元司法長官、ラムゼイ・クラークと、彼を代表とする国際行動センターのスタッフは、空爆下の現地を訪れた。同行して撮影した取材班、同センターのプロジェクトのピープルズ・メディアが、昨年6月に編集を終え、同センター主催の上記集会で上映した。私は、その会場で、このヴィデオの原作を買い求めたのである。

 日本語の「声の協力」は、元ラジオ日本のアナウンサーでユーゴの子供らの救援運動をしている安藤八重子、元TBS劇団の声優、明石一である。2人は、ともに労働争議の経験者であり、同じく労働争議経験者の私と、合わせて3人は、ともに、元民放労連の組合員である。スタッフとして協力してくれたのは、湾岸戦争以来の関係の民衆のメディア連絡会の仲間であるが、皆が皆、映像関係のプロである。質素だが一流の仕事として完成できたと自負している。

大小のメディアに拒絶されながらも着実に広がるヴィデオ

 この日本語版ヴィデオは、完成直後、民放労連のバックアップで結成されているメディア総合研究所主催、3月4日の「メディアと政治」シンポジウムの会場で発売を開始し、そこで7本売れた。以後も着実に広がっている。3月末には、日本におけるユーゴ「空爆」開始1周年に因む数ヵ所の集会で、このヴィデオが何度も上映された。ユーゴの子供らの救援運動の組織でも、何十本単位で普及に取り組んでいる。

 しかし、このヴィデオは、まず、視聴者数わずか数千の「ペイしない」日本のCSで放映を拒絶された。ただし、単独の作品としての拒絶ではない。このCSの放映拒否の経過は、上記の民衆のメディア連絡会の例会で詳しく報告された。

 要約すると、昨年10月に山形市で国際映画祭があった。その企画の1つとして、民衆のメディア連絡会が中心となって結成した市民制作ヴィデオの流通組織、VIDEOACT!のプログラムが組まれた。それを見た「スカイパーフェクトTV/750ch」の『Jドキュメント50』のチャンネル担当者から、3か月で13本の1時間枠、「ワンクール」の申込があった。担当者は気軽に「内容は任せる」という主旨の口約束をしたそうだが、最終段階でスポンサ-が予定表だけを見て、つまり題名だけで判断して、『NATOの標的~ユーゴ“空爆”の実態』を含む半分以上の作品を拒絶した。VIDEOACT!の有志スタッフは、スポンサ-が認める作品群の編成をも議論したが、それでは運動の主旨に反するとの意見が大勢を占めて、断念した。スポンサ-は凸版印刷マルチメディア事業部である。

 私は、「断られついで」の試しにNHKにも電話をして、民間作成のヴィデオを受け付ける部署があるかと聞き、「メディア展開部」とやらにコピーを郵送してみたが、あっさりとした「不採用」のお手紙付きで、立派な封筒に入って返送されてきた。これが日本のメディアの実態である。

 このヴィデオは、品川区にあるユーゴスラヴィア連邦共和国大使館でも上映された。3月28日、「空爆」開始1周年の記者会見集会が開かれたのだが、残念ながら、このヴィデオ上映は正式のプログラムではなかった。大使出席の会見開始までの時間に、ロビーに置かれた普通のサイズのテレビ受像機で写したもので、初めから終りまで続けて観た人は非常に少なかった。それでも、それ以前に大使が贈物にするとのことで、3本のコピーを官費で買ってくれたりしているから、何等かの影響は与えることができるだろう。

さらに詰めた議論の場の構築についての私の覚悟

 また、その間、私の個人的な提案が紆余曲折を経て受け入れられ、大衆集会だけではなく、詰めた議論をする場の準備も始まっている。ただし、私は、そういう議論の場の「言い出しっぺ」が自分だと大袈裟に宣伝する積もりはない。

 実行委員会への出席も誘われているが、参加しても、オブザーヴァーの立場に身を置く予定である。実務を引き受けても、こなし切れないし、自分なりの役割を、情報収集と分析に定め、限定しようと思っている。幸いなことに、上記のヴィデオが目の前の実物の実績となるので、新たな実務を引き受けなくても、それほど肩身の狭い想いをしなくて済むだろう。

 ただし、理論的な面では、決して妥協せず、遠慮のない意見を述べる予定である。つまり、今回の冒頭に記した「知に働けば角が立つ」ことを恐れず、「世間は住み難い」状況をも覚悟しているのである。

 私が仕掛ける予定の厳しい議論と、その前提となる諸々の実情への批判については、次回に、まとめて記す。

 基本的な考えのみを記すと、「角が立つ」ことを恐れて歪むような平和論では、現実の戦いの役には立たないということである。徹底的な議論を避けるような「ブリッコ」運動は、結果として、単なる反対派、反主流派、野党、事実上は負け犬に終始するのである。私は、この教訓を、労働組合運動、特に、その争議団時代に、身体で学んだ。争議の実践の場では、「仲間内で傷口に塩をなすり込むような議論をしなければ勝てない」と言われ、言い合ったものである。それで崩壊するような軟弱な運動なら、もともと、勝ち目がないのである。無理して形だけ継続するよりも、ゼロから再構築した方が、勝算がある。

 おそらく、物議を醸すことにもなるだろうが、私は、これこそが、唯一の「『角が立つ』ことを恐れて歪む平和論の矯正法」にもなると、確信しているのである。

以上で(その17)終わり。(その18)に続く。


ユーゴ連載(その18)悪魔化謀略を見抜けず反省せず惚け通す厚顔無知
連載:ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ一括リンク
週刊『憎まれ愚痴』53号の目次