ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ(その9)

ユーゴ戦争:報道批判特集《特別緊急連載》

アルバニアがコソボ併合:米予測21世紀地図

1999.9.10

 マジックペンによるらしい乱暴な手書きの太い矢印が、ヨーロッパの地図の「コソボ州」の真ん中から、アルバニアの真ん中まで引かれている。その右に並んだ手書きの線が真下へ伸びて、そこに四角の白い紙片が貼られている。手書風の細文字で3段。

 アメリカのワープロ文字には、様々な種類があるし、他の部分を見てもサイズが揃っているから、多分、ワープロ入力のコピーであろう。

 他にも、アジア・オセアニア、北米の地図がある。掲載紙は『ロサンゼルス・タイムズ』(Los Angeles Times.1992.8.25)。詳しい解説記事もある。4頁の長大記事である。この記事の存在と位置付けについて、私は、すでに6年前月刊雑誌『噂の真相』に記し、下記の単行本に収録、増補していた。


拙著『国際利権を狙うPKO』(緑風出版、1994.1.20.p.125-136)

第7章/「国土分割」を予測していた
アメリカ国務省の地理学者

[中略]

緩衝地帯設置はCIA戦略「裏シナリオ」の読みの内か

[中略]

『週刊新潮』(92.12.24/31)「米国の『秘密文書』が証明したカンボジア『分断』構想」によると、すでに『ロサンゼルス・タイムズ』がアメリカ国務省作製の21世紀カンプチア分断予想地図をリーク報道していた。[中略]

総選挙後にもまた、「国土分断」の裏シナリオが急浮上

[中略]

「国土分断」の動きは、総選挙後にも現れた。[中略]

 私は先に述べたように、「カンプチア分断」の可能性とアメリカの戦略を指摘した(噂の真相93.4)。もちろん、細部までの予測はできなかったが、「カンプチアPKOの力学を冷静に分析」した結果の判断であった。

 その際の判断材料の一つに使った「アメリカ国務省作成の21世紀カンプチア分断地図」(同)に関しては、執筆直後に原資料の『ロサンゼルス・タイムズ』の実物コピーを知人から提供された。手掛りになった『週刊新潮』(92.12.24/31)には『ロサンゼルス・タイムズ』の日付が入っていなかったのだが、実物のコピーを見ると、なんと、『週刊新潮』報道より4ヵ月も前の昨年[1992]8月25日付けであった。日本の国会でPKO法が成立した6月15日から数えると、2ヵ月と10日後であり、カンプチア派遣の自衛隊本隊が出発した10月13日から数えると、1ヵ月と22日前になる。つまり、PKO法は通過したものの、日本各地で自衛隊の出発反対の運動が繰り広げられていた頃だ。あの暑い夏の最中に、太平洋の反対側のアメリカでは、カンプチアが東西に分断されるという予測地図が報道されていたのである。

 しかもこの「The Outer Limits? 」(外側の境界?)と題する記事は超々巨大で、4ページに及ぶ大特集であった。カンプチアだけではなく、世界中の民族紛争地帯が大規模な変貌を遂げるという想定である。たとえばブリテン諸島では、スコットランドが独立し、北アイルランドはアイルランドに合併されている。作成責任者のアメリカ国務省主任地理学者の詳しいコメントもある。「いささか過激」と自認してはいるが、それなりに材料を揃えて分析していたようだ。

『ロサンゼルス・タイムズ』は、アメリカ西部の言論界を代表する最古参紙であり、東部のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストと互角に張り合う、政治的な最有力紙である。アメリカで最大の人口を誇るカリフォルニア州は、共和党の保守派王国であり、ニクソン、レーガン両大統領の選挙地盤だった。州都はサクラメントだが、ロサンゼルスは最大の都市であり、押しも押されぬアメリカ西部の経済的政治的中心地である。

『ロサンゼルス・タイムズ』の超々巨大記事の存在を、なぜ日本の大手紙は見逃したのか、または知りながら、わざと報道しなかったのかという重大な疑問もあるが、それはさておこう。ここでの基本的な問題点は、アメリカ国務省の主任地理学者らが、なぜか不吉な予測を一年前に出していたという事実だ。彼らの予測では、21世紀には「カンプチアはメコン川に沿って東カンプチアと西カンプチアに分割されている」(同地図説明)のだ。

 さて、目の前の20世紀末の現実に立ち戻ると、カンプチア総選挙の結果を不満とするプノンペン政権の副首相チャクラポンらが、6月12日に東南部のスパイリエン州で、「カンボジア東部七州に自治区を設立」と宣言していた。この「東部7州」はピタリ、メコン川の東側部分に当たる。「東カンプチア」にほかならない。3日天下で終わったにしても、アメリカ国務省の分析通りの国土分断の力学が働いていたのである。[後略]


 次には、すでに本誌でも指摘した「地域紛争」に関するアメリカ国防総省の「作戦計画」と「国防計画指針」、さらには、それらを操るCIAの「Aチーム」と「Bチーム」の存在である。


拙著『湾岸報道に偽りあり』(汐文社、1992.5.28.p.1-7)

はしがき

[中略]

 湾岸戦争の余震は今も続いている。今春早々、ニューヨーク・タイムズは2度にわたり、アメリカ国防総省(通称ペンタゴン)作成の内部文書をスクープ報道した。2月17日には「今後10年に7つの地域戦争を想定した作戦計画」、続いて3月8日には「アメリカの第一の戦略目標は、新たなライバルがふたたび台頭するのを阻止することである」という趣旨の「国防計画指針」である。これらの計画は、アメリカが世界中の「地域紛争」に国連を飛び越えて介入する方針を露骨に示したものとして、日本の大手メディアでも報道され、世界的な反響を呼んでいる。

 本書の第9章で決定的な証拠を指摘するが、アメリカの「世界憲兵」復活への道は、突然はじまったものではない。すでに十数年も前から着実に準備されてきた。公開文書による研究も暴露も可能であった。湾岸戦争も突然起きたものではなかった。私自身、やっとこの一年半の歳月をかけて確認したことだから、誰をも責める資格はない。歴史の歯車は、えてしてこんな「報道されざるブラックホール」の引力によって、強引に折り曲げられてきたのかもしれない。そう痛感しているだけだ。[中略]

 ジョージ・ブッシュが元CIA長官(1976.1.30~1977.3.9)だったことの意味は、本文中でも追及するが、最初に最も象徴的なブッシュの業績を紹介し、読者の想像に委ねたい。

 ブッシュはCIA改革の一端として、「Aチーム」と「Bチーム」の実験を行った。CIA内部と外部のブレーンを競争させるという、いわば日本の「民活」に似た試みなのだが、「Bチーム」(「チームB」の訳語もある)の背後には、財界タカ派もしくは軍産複合体などの意向があった。この種の「外部民間チーム」に関するその後の情報は不足しているが、私は、これに類した「チーム」の暗躍は、その後も続いていたに違いないと確信している。たとえば、軍事評論家の藤島宇内は「『日本のハイテク』に触手をのばす国防総省」(『エコノミスト』91.4.23)の中で、「全米製造業者協会」が「ブッシュ大統領に緊急書簡を送り、」「新たな対日戦略研究班『チームB』を設置することを要求した」と記している。この要求の結果は、その後、『CIA委託報告書/日本2000年』となって世間の表面に現れた。湾岸戦争は、こうした「チーム」の最高の活躍舞台だったのではないだろうか。[後略]


 本号の最後に指摘しておくのは、以上のようなアメリカ国務省(日本なら外務省)、国防総省、CIAなどの長期計画に関する実感の必要性である。


同前(p.220-226)

第9章/報道されざる10年間の戦争準備[中略]

なぜアメリカ議会国防報告が論評されなかったか

[中略]

 陸軍士官学校在学中に敗戦を迎えた「国際軍事問題評論家」(『正論』91.5の筆者紹介)の三根生久大は、「日本人だけが知らないアメリカの戦争概念」の神髄を、次のように鋭く指摘していた。

「……1904年の日露戦争の直後から『真珠湾への道』を営々として30年……書いては消し、消しては書いてきたアメリカのその対日戦争のシナリオの原点となった『オレンジ作戦』とその作戦構想を導き出したと見られるホーマー・リーの『日米必戦論』が想起されてならない。……筆者は1961年に初めて米国防総省の戦史研究室でこの論文を読み、その中からアメリカという国、そしてその国民の不気味なまでの底力のあるナショナリズム、国家のヘゲモニーを確立するための執拗なまでの「戦勝」の追求、そのためにはあらゆる外交上の謀略的手段をも辞さないという固い決心の程がひしひしと感じられてならなかったことが思い出される」

 三根生久大は、ヴェトナム戦争に日本人としてただ1人、アメリカ国防総省から正式の従軍許可を得て前線を視察した経験の持主である。ペンタゴンとの接触では、日本で1,2を争う立場であろう。1950年代からの空軍基地ダーラン建設開始や、1970年代のカーター大統領時代の中東戦略にふれ、湾岸戦争規模の大戦争の準備には相当の年数を要することを歴史的な視野で示した点は、さすがの観がある。[後略]


以上で(その9)終り。次回に続く。


ユーゴ連載(その10)東チモールでもアメリカの本音は石油確保
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