『読売新聞・歴史検証』(13-2)

第三部「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀

電網木村書店 Web無料公開 2004.2.9

第十三章「独裁主義」の継承者たち 2

「日本テレビ、粉飾決算」の爆弾犯人は誰だったのか

 正力が死んだのは、一九六九年(昭44)一〇月九日、木曜日である。その三日後の一〇月一二日、日曜日の朝刊で日経が「日本テレビ、粉飾決算」という三段見出しのスクープを放った。読売以外の各紙は翌一三日、月曜日の朝刊で後追い報道をした。

 日経の記事は、「大蔵省によると、[中略]の事実があることが、一一日、明らかになった」という書き方である。典型的な「リーク記事」の形式になっている。公式の記者会見発表がなかったことは、他社の後追いの仕方からも明らかだが、大蔵省のだれが語ったのかは不明である。さらにいえば、本当に大蔵省が情報源だったのかどうかも疑わしい。むしろ逆に、内密に情報をえた記者、または組織が、大蔵省の担当者に垂れこんだのかもしれないのである。

 以上の日付に、それぞれ曜日をしるしたのは、日程にもとづいて経過が示す意味を考えるためである。当時の官庁は土曜日が半ドンだった。木曜日に「ワンマン正力」が死んで、翌日の金曜日と半ドンの土曜日、この丸二日そこそこの日程で「日本テレビ、粉飾決算」という爆弾が、突然破裂したのである。だれが考えても、おかしかった。

 まず最初は「粉飾」の内容であるが、映画放映権の残高を過大に評価していたもので、金額は約一一億円である。当時の日本テレビの資産勘定には、帳簿上でも約四五億円の別途積立金など約六七億円もの自己資金の内部留保があった。購入時の取得価格のまま帳簿に記載される土地の含み資産だけでも、約八〇億円あった。建物、設備、機材は、目一杯の減価償却をしていたから、この分の含み資産も巨額なものであった。証券取引所関係者は、「粉飾」分を差し引いても最優良会社と評価していた。産経の一〇月一三日付夕刊には、東京証券取引所証券部長、菊池八郎の、つぎのような談話がのっていた。

「同社は自己資本が六七億円ぐらいある。一一億円ぐらいの粉飾を出すくらいなら、なぜ自己資本で消さなかったのか理解に苦しむ。内容の悪い会社ではないので、上場廃止などということはできないと思う」

 それでは、なぜ専門家が「理解に苦しむ」ような「粉飾」をしたかといえば、第一には、どうやら、日頃からの「ワンマン正力」への報告方式に、原因があったらしいのである。

 極秘中の極秘の問題なので、直接の証言までは得られなかったが、正力には、期末の決算報告以前に、経常利益の状況を会社創立以来の通算グラフで示していたらしい。その際、担当者は、たとえその期が黒字であっても、黒字の矢印の上昇カーヴが鈍っていた場合には、厳しい「尋問」に耐えなければならない。相手は元鬼警視である。それが怖さに担当者は、ついつい不良資産の処理を先に延ばし、数字をいじる。その積み重ねが数年間で約一一億円になったというのだ。

 第二の理由としては、当時、新宿の「正力タワー」資金調達の一環として、資本金を一二億円から二五億円に増資する計画があり、その許可を大蔵省に申請中だった。増資の内の一億円分は時価発行を予定していた。それが成功すれば、時価で約二億七四〇〇万円になるから、合計で約一四億七四〇〇万円の現金が日本テレビに入る勘定だった。

 その後、わたしは、当時の日本テレビの経理担当取締役から直接、彼自身がかかわった経過についての証言を得た。彼はもともと、たたき上げの職人型経理マンであった。当時の決算書を見て、これは粉飾に当たると考え、監査役に進言したというのである。

 日経の継続報道、一〇月一六日の記事には、「この“事件”の発端は、投書といわれている」とあった。やはり、大蔵省の調査で「明らかになった」のではないようなのである。では、だれが「投書」をしたのだろうか。それとも、「投書」という話にも作意があったのだろうか。

「投書」または「意図的暴露」の主については、諸説が流れた。だが、決定的な証拠や証言はない。ことの性質上、極秘裏に行われた情報リークであることだけは間違いない。一番の説得力があるのは、結果、または効果から推測して、務台が爆弾犯人の背後にいたとする説である。務台は当時、日本テレビでは社外取締役だったが、正力を除けば、読売グループにおける最高の実力者である。数字には滅法強いことで有名だし、正力と対等にやり合える唯一の人物であった。わたしが直接証言をえた元経理担当取締役が、監査役に進言したとして、その監査役がだれかに相談するとすれば、まず筆頭に数えられるのは務台である。

 務台自身の「粉飾決算」にたいする評価は、伝記『闘魂の人』によると、つぎのようであった。

「大体日本テレビは、粉飾をしなければならないような危ない会社ではない。[中略]経済的には問題のない会社で、問題になるのは経営者の会社経営の姿勢であった」

 こう考えていた務台に、日本テレビの監査役が相談したと仮定して考えてみよう。この極秘情報の爆弾を入手した務台は、そのとき、日本テレビの社長後継人事と同時に、その後継者の亨が責任者に任命された「正力タワー計画」の資金調達への懸念、いや実は、それどころか、最強力手段をもってしても阻止したいほどの強い反対意見を抱いていたに違いないのである。大手町の読売新社屋建設に必要とされる約二〇〇億円と真っ向から競合する日本テレビの資金調達は、読売グループ全体を危機に追いこみかねなかったのだ。

 人事決定後の回想になるが、務台の伝記『闘魂の人』には、「粉飾」と連結する人事問題についての当時の務台の心境が、つぎのように記されている。

「正力亨が日本テレビの副社長に就任したのは四三[一九六八]年一一月で、粉飾決算は四四[一九六九]年一〇月だから、在職約一年後のできごとである。副社長だから最高責任はとってないし、決算報告にもタッチしていない。実際上の責任はないわけだが、しかし事情を知らない第三者から見ると、責任がないとはいい切れない。そのような意見がいろいろ出て来た。副社長がそのまま副社長でいるならともかく、社長になるのはどうか、というのである。また何といっても正力亨は読売新聞の象徴であるから、傷つけるような結果になってはいけないという配慮も生まれた」

 この、いかにも慎重に言葉を選んだ文章は、さきに紹介した元読売販売部員、大浦章郎の回想を思いだしながら、もう一度、読みなおしてみるべきであろう。務台は陰では、その「読売新聞の象徴」を、「亨が、と呼びすてで批判していた」のである。

 とにもかくにも、正力の死後に突如炸裂した「粉飾」爆弾は、結果として、後継人事と「正力タワー計画」資金調達とに関して、その双方の懸念を一挙に解決する切り札となった。


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