『読売新聞・歴史検証』(15)

「特高の親玉」正力松太郎が読売に乗り込む背景には、王希天虐殺事件が潜んでいた!?
四分の三世紀を経て解明される驚愕のドラマの真相!!

電網木村書店 Web無料公開 2004.2.9

資料「まぼろしの読売社説」(1923.11.7)

支那(ママ)人惨害事件

一、

 朝鮮人及びこれに伴うて我が日本人まで殺傷を被るものがあった事件は、大杉其他の暴殺事件と共に、日本民族の歴史に一大汚点を印すべきものであることは、繰返して此に言うまでもない。然るに朝鮮人以外に多数の支那人が同様の惨害を被っている事実があることは、それよりも大なる遺憾事である。しかもその事件の発生以後二ヵ月を経る今日まで我が政府は何らこれに関する事実をも将(は)たこれに対する態度をも明らかにしていない。吾人はなるべく我が政府が自発的に行動をとらん事を希望して今日に至ったが、国民の立場として何時(いつ)までもこれを黙視するわけにはゆかぬ。

二、

 大地震の当時及びその以後、京浜地方に於て日本人のために惨害を被った支那人は、総数三百人くらいにのぼるであろうとの事である。就中(なかんずく)最も著大に最も残虐な事実は、九月五日府下南葛飾郡大島町の支那人労働者合宿所において多数の支那人が何者にか鏖殺(おうさつ)され、また同月九日右支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となったという事実である。これらの事実は主として支那人側、就中我が政府の保護を受けて上海に送還された被害者中の生存者から漏泄(ろうせつ)されたものである。したがってその内、どの点までが事実であるかはなお明確でないが、とにかく多数の支那人が惨害を被って生死不明である事は事実である。

三、

 しかして右大島町の惨事は九月五日から九日前後までの間に起こり、今日に至るまで既に二ヵ月を経過している。右の事実はこれを人道上、国際上より観(み)、就中我と善隣の誼(よし)みある支那との関係であるだけ、重大なる外交問題であることは言を俟(ま)たぬ所であるが、退いてこれを我が国内における司法警察の眼より観ても、同様に否むしろそれ以上に重大なる内政問題である。しかるに右重大事件が先ず相手国の支那において問題とせられるまで、我が内務及び司法の官憲は果してその知識を有していたか否かをも疑われ、乃至既に支那において問題とされた今日までなおその真相を明らかにしないという事実のあるのは実に一大失態である。

四、

 本事件は内政関係は鮮人(ママ)事件、甘粕事件と同一の原則に依り、あくまで厳正なる司法権の発動を待ち、もって我が国内の法律秩序を維持回復する意義に於いて最も重大である。同時にその外交関係はその事実を事実と認めて男らしくこれに面して立ち、出来得るだけ自ら進んで真相を明かにし、その犯行に対してはあくまで法の厳正なる適用を行い、もって内自らその罪責を糾正し、それによって、対支那政府と国民とに謝するの外はない。幸いに支那政府国民は今回の惨害が天変地異と相伴うて起こった不幸の出来事であるのに対し、多少の寛仮(かんか)と諒恕(りょうじょ)とをば有し、就中心ある者はこれによって震災以後折角(せっかく)湧起した両国の好感を根本から破壊することのないようにと考えていてくれるものすらあるようである。

五、

 吾人は本事件のため内外に向って困難の間に立たしめられた内務並びに外務の当局に対し十分にその苦心を諒とする。蓋(けだ)しおよそ国民の中に起った事柄は先ずその国民自身が根本の責任を負うべきものであるからである。さりながら政府当局者としては、もちろんその当面の責任をば免れぬ。しかして本事件に対する政府の責任は他の朝鮮(ママ)事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。何となれば、これらの事件は、すべて戒厳令下に起った事柄であるからである。もし陸軍にして司法内務並びに外務の当局者と十分なる協調を保ち、共同の事件調査と責任分担をなさざる限り、司法内務は行きづまりとなり、外務は立往生となるの外ない。しからばその結果、最後の責任は我が国民自身が直接にこれを負担せねばならぬことになる。故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する。

(仁木注……九月五日は九月三日の誤植)


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