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状況20〜21は、現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言を収録しています。

TPPと自由貿易


朝日新聞2011年7月17日付け朝刊に「ニュースの本棚」として掲載

昨年10月、菅直人首相は「TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加を検討」すると表明した。TPP構想は元来、貿易依存度が高い小国の話し合いから始まった。そこへ米国が参加を表明し、性格が一変した。政治・経済・軍事・文化的影響力で並ぶ国がない米国が登場すると、何事につけても事態は変化する。TPPは、その時点で、物品貿易の全品目の関税を即時ないしは段階的に撤廃するばかりではなく、投資、知的所有権、労働、医療、保険、環境、労働者の移動などに関わる包括的な協定となる性格を帯びた。

ひとたび発効すれば、それはヒトとモノをすべて商品化し、市場原理の中での熾烈な競争に巻き込む強制力をもつ。米軍の侵略で山野を焼き尽くされた後遺症に苦しむベトナムは、TPPの下では米国との農産物取引を共通のルールで行なわなければならない。その不条理さを指摘する宇沢弘文氏の発言(『世界』2011年4月号)は、自由貿易の本質を衝いて、重要だ。

米国政府と多国籍企業が主導するTPPに、民主党政権が前のめりになるのはなぜか。当初の東アジア共同体構想から日米同盟重視への路線転換と関係しているのか。菅首相の提起は唐突であったが、財界はこれを歓迎し、「参加しないと日本は世界の孤児になる」とまで言う。大方のメディアも、連合指導部も同じ意見だ。

TPPを推進する大きな流れに抗する動きが出てきたのは、年が明けてからだ。論議が深まろうとするころ、「3・11」が起こった。今後のTPP論議は、社会・経済の構造を根本から揺るがしているこの悲痛な出来事を前に、真価を問われる。

活発な批判を展開しているのは中野剛志氏で、『TPP亡国論』などの著書がある。推進論者の見解も紹介したうえで批判的な分析を行なっているから、読者は論議の水準を見きわめながら読み進めることができる。「環太平洋」と言うふれ込みなのに、中国と韓国がTPP参加を考えていない理由の考察もあって興味深い。逆にベトナムのような小国は、グローバリズムの太い流れに追い詰められて、自由貿易協定への参加を急ぐ。切ない現実である。

視野を広げて、自由貿易が孕む問題点を世界的な規模で指摘するのが、トッドの『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』である。確かに、TPPのような地域限定のものも含めて自由貿易協定はすべて、人間・地域・文化の多様性を否定し、世界を単色に染め上げる点に特徴がある。反対論に色濃い民族主義的立場からの国益論を離れて、対等・平等であるべき国家間・民族間の関係を今まで以上に壊すという観点からのTPP批判を深めるうえで本書は役立とう。

TPPを食と農業の観点から見ると、多くの人にとって身近な問題となる。『食料主権のグランドデザイン』には、「食料危機・食料主権と『ビア・カンペシーナ』」と題する真嶋良孝氏の論文がある。スペイン語で「農民の道」を意味するビア・カンペシーナは、グローバリズムに抵抗する運動の中で重要な役割を果たしている、国境を超えた農民運動である。ここで言われる食料主権は、国家主権の主張とは重なり合わない部分があることの意味を、深く考えたい。

食に関しては「地産地消」という言葉と実践が大事だが、福島県の生産者と消費者は、今この言葉を口にできない。その悔しさと哀しみを思いながら、この小さな文章を書いた。

【参考文献】

中野剛志著『TPP亡国論』(集英社新書、798円)

E・トッドほか著『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』(藤原書店、2940円)

村田武編『食料主権のグランドデザイン』(農文協、2730円)