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2014年7月5日の集会の詳報
 「尊厳死」法なんて要らない! 尊厳ある生を全うしよう
 講演「市民から見た尊厳死法」(川口有美子さん)
 「尊厳死法いらない連絡会」を結成

 7月5日(土)私たちは、<「尊厳死」法なんて要らない! 尊厳ある生を全うしよう 集会を開きました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘ったお母さまの看取りの記録「逝かない身体」をはじめ、さまざまな著書をだされている川口有美子さんに講演を頂き、81名の方が参加されました。尊厳死法案の問題点をはじめ、弱者切り捨ての具体的な内容に、会場は非常に真剣な雰囲気が漂っていました。参加者から、9条が閣議決定で破壊されてしまったように、人権、生存権が「解釈」で破壊されてしまう危険があるのではないかとの指摘もあり、障がいがあっても、すべての人が安心して生きることができる社会を作っていきたいとの意見が次々出されていました。
 尊厳死法が上程されないように声をあげていきたいと、参加者の多くの方の賛同で、「尊厳死法いらない連絡会」の立ち上げも行い、東京や全国的な連携も視野に入れ、新たな活動のスタートを切ることができた貴重な集会となりました。
会場の様子

主催者挨拶

会場の様子

 もともと「やめて!!」の会は、『脳死』・臓器摘出反対の立場でスタートしました。そこに、「尊厳死法」がでてきたのです。この問題は、「脳死」だけではなく、さらに広範囲な人にふりかかる大きな問題です。私たちも取り組まないといけないということで、2月22日に児玉真美氏の講演会をもちました。
 「尊厳死法」は、先日会期を終えた国会では出されませんでした。
 しかし、4.29日本救急医学会等3学会が「救急・集中治療における終末期に関する提言(ガイドライン)」案を出しました。この内容について、7月3日付朝日新聞は「延命指針の統一、今年度中に完成して出す」と報道しています。それを読んでびっくりしたのは、@「人工心肺装置をつけ意識はあるものの終末期と判断される患者」も対象としたことA「適切な医療をしても死が不可避な場合」を終末期と定義していることです。これでは、あいまいすぎるし、助かる人も終末期とされる危険もあります。
 このガイドラインに対して、「やめて!!」の会もコメント(資料)を出しました。
 また、5月9日付朝日新聞に「尊厳死法必要か」のテーマで、推進意見の鈴木裕也氏(内科医)は、次のように述べています。「救命治療が延命治療にかわり、回復の見込みがなく、意識のない植物状態になってしまう人もいる。私は『不自然な生』と呼んでいます。」
 救命治療を打ち切る方向へのガイドラインは、診療報酬の保険点数やお金の問題もあるのです。救急治療も数日間は点数が高いが、ある日数を超えると点数が下がる仕組みになっており、病院の収益を考えると打ち切る方が有益という背景もあります。
 みなさん、尊厳死法制化の奥には、差別構造があることを知っておく必要があります。それは、脳死臓器移植推進の時と同じなのです。例えば、臓器移植法が制定された当時、小渕首相が倒れて「脳死状態です」と報道がされました。その時、記者が「臓器提供するのですか?」と質問したら、主治医が「失礼な!」と叱責した会見の状況がテレビで報道されていました。臓器移植法が制定され、臓器提供が美談とされながら、実は首相のような偉い人は提供者にするなど、とんでもない、提供者は下々の者だという意識が明らかでした。
 このように社会においては差別構造を前提に、しかし、それをオブラートで包みこんであたかも美しい行為の如くに思いこませて法制化しようとするのです。この点を注意して問題の本質を見ていきましょう。

 では、今から川口さんに経験も踏まえて尊厳死法の問題について語っていただきます。

1部 講演:川口有美子さん(ALS/MNDサポートさくら会副理事長) 会場の様子

 私は、「尊厳死法制化に反対する会」や「尊厳死の法制化を認めない市民の会」の立ち上げに係わってきました。
 最近開いた議員会館での集会には、議員が来られ、その中には自民党の中で反対の方も数人含まれていました。議論は足りていません。
 私が、尊厳死法に関わるきっかけは、2004年、ALSの患者(男性)が母親に殺された事件です。当時は介護のシステムもなく、母親が24時間看病していたのです。裁判では、「患者本人が死にたいのに死にきれない。だから、私が呼吸器を止めた」と母親が主張し、母親は殺人ほう助罪となりました。問題は家族介護の厳しさや社会的支援の不足にあるのに、神経内科医師たちは、死ぬ権利がないから、このようなことが起こると問題のすり替えをしたのです。
 ALSのような患者の生死を分けるのは、はっきり言って他者との関係です。他者のケア、配慮が絶対的に必要です。患者の多くは、「健常者の時は、人工呼吸器で生きていくことを認められなかったが、ALSになって呼吸器をつけて生きているうちに、そういう関係性の中で生きていくのが楽しくなった」と語ります。「皆に支えられて生きている。自分も周囲を支えている」という意識が出てくるのです。
 「自分は人工呼吸器をつけたくない」と手記に書いていたALSの患者さんが、今は、呼吸器をつけて生きており、「つけてよかったと」いっている。人の気持ちは変わるものですと話されました。

尊厳死法の問題について(資料参照)

 次に、尊厳死法の問題について、資料にそって説明されました。いくつか、印象に残った部分を書きます。
 *資料「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に対する意見のまとめ
(第1条)趣旨:法案は「2案」が提案されているが、これは、「今している治療の中止ができる」という内容。不開始は今でもすでに可能だから、「治療の中止を認める」ために法律が必要だということです。
(第3条)国・地方公共団体の責務:尊厳死法が成立すると、尊厳死が道徳的価値となって、15歳から学校で教えられるようになるだろう。終末期でなくても経管栄養や呼吸器を使用している障害者への差別・偏見を助長し、これらを選択しにくくなるのではないでしょうか。(第7条の15歳以上の延命措置の中止の意思が根拠)
尊厳とは、もし痛みが強ければ、痛みを取り除くことだったり等で、何もしないのがいい「看取り」ではない。
(第4条)医師の責務:「尊厳死カード」ができれば、もっている人に救命処置できなくなる。もし、救命処置をしたら訴えられることも出てくるだろう。
(第8条)延命措置の中止等の意思は撤回できると書いてある。しかし、ALSの人はすでに1回書いていまっているから変えられないという人が多いのが実情だ。落ち込んだその時は呼吸器つけませんと書いた。その書面は医師が持っている。医師も家族も呼吸器をつけないと思っているから、いまさら変えられないと。法律には撤回できると書いてあるが実際は撤回できない状況に追い込まれている。
(第9条)免責:故意に死なせても医師が免責されるのではないか。実際にそのような事件があった。本人は呼吸器をつけてほしいといっていたが、医師は、家族に介護の情報など提供せずに、「かわいそうでしょ」等いうばかりで家族を絶望に追いやってしまった。そして、家族が「呼吸器をつけないでください」と医師に頼んだために患者は死んでしまった。家族にたのまれたとして医師は罪を問われなかった。
(第12条)厚労省への委任:法律が通ってしまえば、あとは、厚労省の省令等で時の政権によって安易に変えられる。坂道を転がっていく可能性が大。
(第13条)適応上の注意:障害者らの強い反対運動を受けて、「障害者等の尊厳を害することがないように留意しなければならない」とつけたされたが、これはどちらにも転がるあいまいな内容である。

 最後に、私達は、ALS患者への介助経験を蓄積しており、患者さんが「助けて」と声を上げれば、助ける手段も方策も持っている。人も集まってくる。今後は、より多くのALSの患者さんが人工呼吸器を装着し、その状態を楽しんで生きているのを見せていくしかないと思っている。尊厳死に対する考え方は人それぞれだが、「尊厳死の法制化に反対」という一点で、大きな輪でつながっていくことが大切ですと締めくくられました。

2部:「尊厳死法いらない連絡会」結成のよびかけ:弁護士

 法律がつくられると社会が変わります。法律が正しいとして押しつけられる社会になるのです。個人が「尊厳死」といっている問題と「尊厳死法」は別です。法律化されると「カード」を持っていると治療してはならない。切り捨てるのが正しいとして障害者や社会的弱者が排除されることになります。
 この法律を通してはならない。頼れる政党がない中で、自らが立ち上がっていかなければならない。
 そこで運動しやすいグループとして立ち上げ、社会に対して問題点を指摘し訴えていくこと、議員を動かさないといけないので地道な活動が必要になります。
 以下、趣意を読み上げ(資料参照)
 また、先ほどの3学会のガイドラインにも声を上げていきたいと考えています。と提起がありました。

活発な意見が出され、満場の拍手で連絡会の立ち上げが承認 会場の様子

       いくつか紹介します。
  • 憲法9条が閣議決定で破壊されてしまったように、人権、生存権が「解釈」で破壊されてしまう危険がある
  • 声を上げていくことが大切
  • 障害者の運動は主体者が楽しく生きたい人生を!発信していくことが大切
  • 尊厳死法制化に反対する会はあちこちあってもいいと思う。
  • 運動体は各地方から発信していくのがいい。一極集中でなく、厚みを増したい。
 医療現場では、最後はどうしますか?と、事細かに希望を聞いている。今は、救うために仕事をしているが、法律が制定されると、ケアがなおざりになったり、ベストを尽くそうではなく、意識がなくなったら、もうだめ・・・と言って、誠意をもって働けなくなる。そんな社会になる・・という事を話していきたい。連絡会に参加したい。

 高齢者の方のケアに携わっている。他人事ではない。今日の話を発信の一歩にしたい。
 現場では高齢者医療の切り捨てのイメージ。医療介護制度の改定で病院のベッドが減らされて在宅へと誘導されて、尊厳死法がいいように受け取られてしまうだろう。
 議員立法化されると、推し進めるばかりになる。終末期の対象を増やして医療費を削減していくことは目に見えている。
 等々、死を法律で規定しようとする傲慢な政策に対して疑問や反対の声が多くだされ、満場の拍手で連絡会の立ち上げが承認されました。
 7月31日までに参加を募集し、世話人会で会の運営を話しすることとなりました。

2014年2月22日 やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!市民の会 結成3周年記念集会報告(詳報)

生きる権利を奪い続ける「脳死」と「尊厳死法」に反対する
〜「どうせ助からないのだから」の共鳴に抗して〜

 2月22日、3周年記念集会を開催し、92名もの参加で熱気あふれる充実した企画となりました。「死の自己決定権のゆくえ」の著者である児玉真美さんの講演に加え、バクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)会長の大塚孝司さんから、尊厳死法案に反対する活動報告を受け、会場からの質疑も活気に満ちた展開となりました。「尊厳死法」の法制化が超党派の議員によって目論まれている情勢に抗して、この法案がだされている背景などが、浮き彫りになる内容でした。議論の展開により、尊厳死を巡るさまざまな問題点をどう広げていくのかという意識が、参加者の連帯を強くし、集会アピールを拍手で採択しました。

以下報告します。

主催者あいさつ 冠木弁護士
当会代表の冠木
                         写真 冠木
 尊厳死法は以前からも出ていた。しかし、現在は社会保障を切り縮めようとするプログラム法などが成立し、それらの法案化が進む中で尊厳死法の立法も、今国会で出てくるかもしれない。
 しかし、「尊厳死」自体と「尊厳死法」とは全く意味が違うことに注意しなければならない。臓器移植法も、決められた時は、合法化の根拠は本人の生前の意思だった。それが、あっという間に家族同意になってしまった。尊厳死が法律になると、それが当然のこととなって家族にみはなされて社会や国家に強制的に自己決定という「死」に追い込まれてしまう。
 そのようなことが起きないよう食い止めていきたい。

講演T
児玉真美さん
児玉さん
                       写真 児玉さん
T 2006年に既にあった事実
 ニューヨークの葬儀屋が人体組織を抜いては闇に流す事件が起きていたこと、パキスタンの地震の時には臓器泥棒が瓦礫の山で固形臓器を15個取っていたことや、被災地の避難所にブローカーがいたこと等、臓器の闇売買は公然の秘密となっていたことがいくつか紹介された。

U 2004年におきたアシュリー事件*
 児玉さんは自身のお子さんが重度の障害を抱え、懸命に生きている、その立場から、このアシュリー事件に衝撃をうけ、障害者の生を価値のないものとしてとらえているとして、批判の声をブログで上げ始めた。しかし、正当化したり、擁護する人たちの行間から聞こえてくるのは、「だって、どうせ」ということばであった。
 講演の一つのキーワードである、「どうせ」への共鳴はここから始まった。
 *アシュリー事件とは2004年シアトルこども病院が重症心身障害児アシュリー(6歳)に行った医療介入で、親が考案して要望した。「アシュリー療法」と名付けて一般化を提唱した。子宮摘出、乳房摘出、ホルモン大量投与による身長抑制が特徴。

V コントロール幻想と市場原理の世界
 2009年にはイギリスで「乳がん遺伝子」ゼロ保証付き赤ちゃん誕生、臓器ドナーとして生まれてくる「救済者兄弟」(映画『私の中のあなた』)の現実化、インドで代理母ツーリズム(数人の代理母が1か所に住まわされて管理されたりも)などが世界で進んできている。そして、今や、遺伝子診断技術の進歩により、新型着床前全ゲノム読解で、胚レベルで遺伝子が解析・選別できるようになってきた。しかし、「199の国で禁じたとしても、それは、200番目の国にとって大きなビジネスチャンス」と言われるように、グローバル化した新自由主義経済の中で、各国政府が生き残るためにお金を捻出するが、そのために削れるところを削る、それにより格差の広がりと、これまでにない規模の利権がからんで、市場原理の論理を倫理の論理で制御できない状況になっている。
 グローバル化した世界で、日本だけが世界の動向と無関係でいられるのか?日本でも「大きな絵」の中に位置づけて考える必要があると指摘、医療や倫理の問題が経済と密接にからみあって大きな問題になっていることをあらためて気づくことができた。

W 死の自己決定権
 積極的安楽死や医師のほう助をうけて自殺の合法化は、2006年には、オランダ、ベルギー、米オレゴン州の3か所だった。
 その後、米ワシントン州、ルクセンブルグ、米バーモント州など、次々と合法化されていった。これら「先進国」で起こっていることがいくつも紹介された。オランダで認知症の人への安楽死、安楽死専門クリニックの必要性が議論され、2012年6チームでたちあがったが、今は30チームに増えた。精神疾患患者が安楽死希望者の3分の1を占め、昨年は9人に実施された。米ワシントン州シアトルで癌センターの「尊厳死プログラム」では、医師が毒物を処方するまでソーシャルワーカーが患者に担当者としてつくシステム。ベルギーでは、未成年者の安楽死法制化が議会で2月13日に可決し、年齢制限がなくなった。
 臓器移植と結びついている点では、ベルギーでは、「安楽死後臓器提供」に同意すると、手術場の近くで安楽死させられ、その後手術場に運ばれる。ドナーには、神経筋肉障害者や精神障害者が多い。2010年「臓器提供安楽死」は臓器不足解消に役立つという論文が発表された等、聞くこと一つ一つに驚愕してしまった。
 これらの流れは、急に起こるのではなく、もともとは、耐えがたい苦しみをとってあげたい、最後の最後の救済のための特例として、「尊厳死法」が成立するが、繰り返し行なわれ議論されるようになると、対象者が拡大していく現象が生まれる。その根本には、「障害のある人は生きるに値しない」という暗黙の了解が流れているのではないか、と鋭く批判。
この流れは、日本でも一旦法制化されると、対象は拡大されていくであろうという懸念をあらためて感じた。

X 「無益な治療」論
 米テキサス州の通称「無益な治療法」などは、「もう助けることができないなら、無益な治療で苦しめるのはやめよう」と始まった議論だったのに、今では治療の一方的停止権限を医療サイドに認める論拠に使われている。議論するにつれ、終末期→植物状態→最小意識状態というように、対象者が拡大し、コスト論が露骨になっていっている。
 そして、英国では「過剰医療」への反省から臨死ケア・パスが導入されると、今度は「さっさと鎮静して脱水で死なせる」慣行へと転じる事態となった。「過剰医療」も「さっさと死なせる」も同じコインの裏表ではないか。現象は二つだが、もともとは同じではないか。
 「死ぬ」という一方向にのみ尊重される自己決定「権」とは何だろうか?個別検討であるべき医療の決定が、障害と年齢による一律の切り捨て論に変質してしまっている。どうせの共鳴と共有の勢いが、理や言葉を尽くした議論を押し流し、ルールをなし崩しにしていくし、意識や社会のあり方を決定的に変えていく。
 希望を見出す事例として、「運命の子 トリソミー : 短命という定めの男の子を授かった家族の物語」【小学館】、1時間24分しか生きられなかった小さな命を丁寧に看とり、悼んだ病院を取り上げて、日本における医療現場を守る必要を力説されました。
 最後に、命に線引きしない医療が、命に線引きしない社会に通じ、患者に背を向けて無関心へ立ち去らない医療が、弱者に背を向けて「自己責任」の中に捨て去ることのない社会を守ることにつながるのではないか、と締めくくられた。

 日本ではほとんど知らされていない具体的な事例を豊富に語られる児玉さんの話に、みんな食い入るように聞いていました。

 当日の児玉さんのレジュメを添付します。

講演2
大塚孝司さん
大塚さん
                     写真 大塚さん
 「6か月しか生きられないと言われた息子は21年間生きました。息子は、ずっと終末期だったんでしょうか?息子に教えてもらった人生です。と前置きがあって、尊厳死法の問題点を話してくださいました。
 尊厳死法の問題点の資料*やパワーポイントで説明されました。
 一番おそろしいと思ったのは、法制化されると、死ぬ権利から死ぬ義務へ変わっていく危険。国の医療費削減政策、健康に務めることが国民の責務(義務)、個人が望む死に方(死ぬ権利)が社会の無言の圧力で、死ぬ義務に置き換わっていくのではないか・・・その点は、児玉さんの講演内容と結びつくところとなりました。

大塚さんのパワーポイントです。

参加者から
@「脳死」の方の臓器提供にたちあった看護師さんは、「救急医療の現場で、人を看取ることと、臓器摘出のために送り出すこととは相いれないと思った。亡くなった人には『御遺体』と言うけれど、脳死状態で臓器摘出される人には人工呼吸器をつけていても『死体』ということは欺瞞だと思う。尊厳ある生はあっても尊厳ある死はないと思う。看護師としてどう援助するかが大切だと思う」と切々と話された。

Aいくつかの意見の中で、今後の運動をどうしていくかの問題提起が行われました。

今後の方向性
 それに対して、非人間的な法制化に声をあげて反対するしかない。自分として何ができるか問いかけていこう。
 弁護士からは、「抵抗してきたから日本では脳死臓器移植は進んでこなかった。そういう歴史を持っている、われわれの誇りでもある。自信を持とう。意思表示しましょう。アピールをしかるべきところ(国会の厚生省労働委員)に届けよう」と締めくくりがありました。
 後日、会の運営委員で、国会の厚生省労働委員にアピールを送りました。
これからも、いろいろな形で、尊厳死法の問題を議論していけるよう取り組みを進めていきたいと考えています。


 集会の最後に「尊厳死法案に反対するアピール」を読み上げ、全員の拍手で採択しました。
 アンケートには37名の方から記載をいただきましたが、ここに掲載を了承していただいた30名の方のアンケートの内容を紹介します。

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