尊厳死法案に反対するアピール 1.尊厳死という言葉が一人歩きをしています。その言葉の意味からすれば、「たっとび、おごそかな死」ということですから、あたかもすばらしい死に方を意味しているかのようです。しかし、現実に尊厳死法(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案)では、「終末期の患者が自らの意思で延命措置をしないこと、あるいは、中止することを尊厳死」としています。これとの対比でいえば、人工呼吸器などをつけて必死に生きている命は、尊厳のない命として差別されようとしています。 2.この尊厳死法が可決されて法制度化されれば、最後まで、生きようとしている人も、長く生きて家族に経済的負担や迷惑をかけるより、尊厳ある死を・・・などといわれると、心ならずも治療やケアを中断し、早く死なされることに同意するよう追い込まれていかざるを得なくなります。 3.ひるがえって、「終末期」とは、この法案では「行ないうる全ての適切な医療上の措置を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間」と規定されています。しかし、そもそも「回復の可能性がなく」ても「死期が間近であると判定され」ても、すなわち「終末期」であっても、その人は厳然と人として生きているのです。加えてかかるあいまいな規定による判定が誤りなくなされるという保証はありません。 「脳死」でも数日で必ず死亡すると言われていましたが、数か月生き続けて子どもを出産した人の例や、最長20数年生き続けた長期「脳死」の人の例など存在しています。アメリカでは、「脳死」と判定されて、臓器摘出されようとしていた青年が回復した例もあります。また、切迫「脳死」の状態で、懸命な救命治療や、脳低温療法等によって、回復した例も数多くあります。 医学が発達してもいつまで生きられるかという生命の長さは多くの不確定要素に影響されます。医師が終末期と判断して、「延命措置」をせずに死亡させた人が、本当は適切な治療を受けて回復できる人である場合もありうるのです。 4.私たちは「脳死」からの臓器摘出の問題に取り組んできました。臓器移植法は、立法当時は「脳死」は人の死ではないことを前提にして、したがって、「脳死者」から臓器を摘出することができるのは、その「脳死者」が生前に臓器提供の意思を有していたから摘出できるとして成立しました。 ところが、現在は、本人の意思ではなく家族の同意で臓器の摘出ができるようにされました。 尊厳死法が成立すれば、当初は本人の意思としていても、次に家族の同意で延命しない方向へ法律を改悪していくことは目に見えています。 5.政府は2013年12月に「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律」(プログラム法)を成立させ、社会保障を切り縮め、医療費抑制を進めています。その政策の一環として尊厳死法を成立させることによって、終末期の延命治療を切り捨てようとしています。そのやり方として「自らの意思」による切り捨てをさせようとするのがこの尊厳死法です。 6.以上のように、政府は弱い人たち、文句の言えない人たち、抵抗しづらい人たちを最初に切り捨てていき、社会保障全体を切り縮めていこうとしています。 目の前にいる患者、今現在生きている患者、生死の間で苦しんでいる患者を前にして、最善を尽くし、少しでも苦しみをとりのぞき、治療やケアを追求するのが、本来の医療ではないでしょうか。 私たちは、政府の社会保障の切り縮めに強く抗議するとともに、尊厳死法に強く反対します。 2014年2月22日 第7回やめて!!家族同意だけの「脳死」・臓器摘出!市民の会結成3周年記念集会参加者一同